第126話 沙織の秘密
東名高速を流れるように走る高級ミニバンの車内には、緊迫した空気が漂っていた。
「……お願いです。
私を……私を1人にしないでください。
あの広いシェアハウスで、お正月をたった1人で過ごすなんて……耐えられません」
その声が微かに震えていることに、祐希は気づいた。
普段、明るく振る舞う沙織からは想像できない、切羽詰まった悲痛な叫びに聞こえた。
「沙織ちゃん……どうして帰省をやめたの?
実家で、お母さんが待ってるんじゃないの?」
明日奈が優しく諭すように問いかけると、沙織は唇を噛み締め、膝の上で拳を握りしめた。
そして、しばらくの沈黙の後、彼女は意を決し語り始めた。
それは、彼女が今まで誰にも話した事のない、出生の秘密だった。
「私の母は、かつて京都の祇園で名を馳せた芸妓でした。
その美貌は『祇園の華』と謳われるくらいだったそうです……
そして、私の実の父親は……地元で有名な大物政治家なんです。
そんな母を、客だったあの男はいたく気に入って……大金を積んで『落籍』したそうです。
金で買われた母は表舞台から姿を消し、京都の高級マンションを買い与えられ、政治家の『お妾さん』として、囲われたんです」
あまりに衝撃的な告白に、車内は水を打ったように静まり返った。
祐希は言葉を失い、ただ呆然と沙織を見つめることしかできなかった。
「……お妾さん……って……」
明日奈が、ハンドルを握る手に力を込めながら、重苦しい沈黙を破った。
「つまり、あなたのお母さんは……その人の『2番目の女性』ということね?」
「はい。あの男には本妻がいて別の家庭があります。
私は認知されていない婚外子……つまり、愛人の子なんです」
重苦しい空気の中、沙織は自嘲気味に笑った。
「あの男は、母に僅かな生活費を送ってくるだけで、私のことは自分の子だとも思っていない……
私が必死にバイトして学費を稼いでるのも……母を助けて、あの家から早く自立したいからなんです」
沙織は膝の上で拳を握りしめ、目に涙を溜めながら震える声で続けた。
「それでも、母のことは大好きだから……
先日、『お正月は帰っておいで』って、母から旅費が送られてきたんです。
久しぶりに2人きりで、親子水入らずでお正月を過ごそうねって……
私、母と会うのが9ヶ月振りだったから、すごく楽しみにしてたのに……」
沙織の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「帰る途中で、突然、母が知らせてきたんです……
今朝になって、あの男が『正月はお前の家で過ごすから準備しとけ』って言い出したって……
私、あの男が大嫌いなんです……
私たちを『金で囲った所有物』のように扱う、あんな奴と同じ空気を吸いたくなくて……
だから、途中で引き返してきたんです。
あの男がいる実家より、シェアハウスで先輩と明日奈さんと、のんびりお正月を過ごした方がずっと楽しいって思ったから……」
いつもは明るく振る舞う沙織。
その裏側に、想像を超える悲惨な事情があったとは。
「……それなのに、戻ってきたら2人がどこかへ出かけようとしていて……。
あのシェアハウスで、私一人ぼっちになっちゃうって思ったら、恐くて……
身体が勝手に動いて、気付いたら車に乗ってました。
本当にごめんなさい……迷惑なのは分かってます。
でもっ……恐いんです……寂しいんです……!
お願いですから、私を一人にしないでください……!」
沙織は両手で顔を覆い、声を押し殺して泣いた。
それは演技ではない、18歳の少女がずっと胸に秘めていた、悲痛な魂の叫びだった。
明日奈は小さく溜め息をつくと、ハンドルを握り直した。
そして、バックミラー越しに沙織に優しく微笑んだ。
「……分かったわ。
沙織ちゃんも一緒に行きましょう」
「え……いいんですか?」
「そんな話を聞いて、追い返せるわけないでしょ……
祐希くん、いいわよね?」
「もちろん、いいに決まってるさ。
僕も、沙織を1人きりにしておけないよ」
祐希が振り返って頷くと、沙織は涙でぐしゃぐしゃになった顔で、何度も頭を下げた。
「明日奈さん、先輩、ありがとうございます……!
本当に、本当にありがとうございます……!」
こうして、予期せぬ「3人旅」が決まった。
明日奈は、すぐに宿へ予約変更の連絡を入れた。
「ええ、1名追加でお願いします。
……はい、同じ部屋で構いません」
電話を切った明日奈が説明した。
「予約変更できたわよ。
今回の部屋は『露天風呂付き和モダントリプル』だから。
定員4名だし、ベッド2つに和室があるから、3人でも十分広いくらいよ」
午後3時少し前、車は河口湖畔に佇む高級旅館『翠嶺閣瑞峰』に到着した。
エントランスからは雄大な富士山と河口湖を一望できる、贅の限りを尽くした宿だ。
ロビーの豪華さと、恭しく出迎える仲居たちの姿に圧倒されていた沙織が、恐る恐る明日奈に尋ねた。
「あの~、明日奈さん……ここって、すごく高そうなんですけど、お幾ら位なんですか……?」
「そうねえ……正月料金だし、1人1泊10万円くらいかしら」
「じゅ、10万!?」
貧乏学生の沙織は、その金額を聞いて卒倒しそうになった。
顔面蒼白になり、後ずさりする。
「む、無理です! 私、そんなお金、払えません!
やっぱり、バスで帰ります……!」
泣きそうな沙織を、明日奈が引き止めた。
「沙織ちゃん、待って……お金のことは心配しなくていいわ。
祐希くんが入院中、あなた、とても親身になって看病してくれたでしょ?
だから、これはそのご褒美。
代金は全額私が負担するから、安心して……」
「えっ……でも……
あれは、先輩が必死に私を守ってくれたから、その恩返しなので……」
「いいのいいの。私からの臨時ボーナスだと思って、素直に甘えて……
さあ、チェックインしましょ」
明日奈の懐の深さに、沙織は感極まって彼女の手を握りしめた。
「明日奈さん……ありがとうございます!」
仲居に案内され、部屋に通されると、そこは想像を絶する空間だった。
広々とした和モダンなリビングの向こうには、窓いっぱいに雄大な富士山がそびえ立ち、テラスには専用の露天風呂が湯気を上げている。
「うわぁ……すごい……!」
沙織が歓声を上げて窓辺に駆け寄る。
その無邪気な背中を見ながら、明日奈は祐希にだけ聞こえる声で囁いた。
「……計画は変更ね。
3人で仲良く、健全な年末を過ごしましょ」
「……そうだね」
祐希は苦笑いしながら頷いた。
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