第124話 看護師亜由美の記憶
12月27日(土曜日)
星城大学附属病院の正看護師である三島亜由美は、柏琳台駅の改札を抜けると、師走の冷たい空気に身を震わせていた。
今日の彼女は清楚なロングスカートに、身体のラインがくっきりと浮き出る水色のリブニットを身につけている。
とびきりの美人という訳では無いが、愛くるしい瞳と魅力的な笑顔、そして歩くたびに揺れる豊かな胸で、街行く男たちの視線を集めていた。
「ええと……ここを右か」
手元のスマホ画面に表示された地図アプリを見ながら、メモ帳の住所を確認する。
本来、患者の住所を私用でメモするなど、看護師としてあってはならない行為だ。
だが、あの夜、祐希に対する「性欲処理」の感触が、20年間男性と無縁だった彼女の記憶に、強烈に残っていた。
あの人にもう一度会いたい……
その執着だけが、彼女をここまで突き動かしていた。
見知らぬ街を、マップを見ながら進むこと約10分。
ようやくデザイナーズ・シェアハウス「ヴィーナス・ラウンジ」の前に到着した。
「ここが、篠宮さんの……」
いざ建物を目の前にすると、心臓が早鐘を打つ。
不法に得た情報を元に住居に押しかけるなど、正気の沙汰ではない。
当然、呼び鈴を押すこともできず、門の前を何度も通り過ぎては引き返すを繰り返していた。
「あの~、この家に何か御用でしょうか?」
後ろから突然声をかけられ、亜由美は飛び上がるほど驚いた。
「あら? もしかして、あなた……
星城大学病院の看護師さんじゃない?」
振り返ると、両手にスーパーのレジ袋を持った明日奈が、不思議そうにこちらを見ていた。
「あ……! し、篠宮さん……!?」
「やっぱり……祐希がお世話になった看護師さんですよね……え~っと、お名前は……」
「三島です、三島亜由美……」
「そうそう、三島さんでしたね……
こんなところで、どうされたんですか……?」
「あ、あの……」
亜由美は頭をフル回転させて言い訳を考えた。
「じ、実は、この辺に住みたいなって思って……
……どんな街か見て歩いてたんです」
耳まで真っ赤にして俯く亜由美。
明日奈は、寒そうに震える彼女の様子を見て、優しく微笑んだ。
「え、そうなんだ……
実はここ、私がオーナーのシェアハウスなのよ……
「そ、そうなんですか?
し、知りませんでした……」
亜由美は、冷や汗をかきながら、必死に動揺を抑えつけた。
「もし良かったら、家で休んでいきませんか?」
「え! いいんですか……」
思いもしなかった明日奈の提案に驚きながらも、亜由美は念願の『祐希の住処』へと足を踏み入れた。
「祐希くん、お客さんよ!」
ラウンジからの明日奈の声に、部屋から出てきた祐希は、ソファに座る女性を見て目を見開いた。
「えっ……もしかして三島さん!?
どうしてここに?」
「あ、篠宮さん……
お、お邪魔してます」
私服姿の祐希を見た瞬間、亜由美の胸に熱いものがこみ上げてきた。
対する祐希は、彼女を見て「あの夜」の生々しい記憶が蘇ってきた。
自分の性欲を快く受け止めてくれた唇、ニットを内側から押し上げる、たわわな双丘の弾力。
「そ、その節は……お世話になりました。
おかげで、こうして完治しました」
祐希は顔を赤らめ、彼女から視線を逸らした。
その様子を見ていた明日奈の目が、微かに細められる。
「祐希くん、三島さん、この街に引っ越す予定なんだって。
……今日はこの辺を見に来て、偶然うちの前を通りかかったそうよ……」
「え、そうなんですか? すごい偶然ですね」
亜由美は、明日奈の説明に何度も相槌を打ちながら、目は完全に泳いでいた。
「は、は、はい……
篠宮さんに突然声を掛けられた時は、心臓が止まるかと思いました」
「驚かせて、ごめんなさい。
でもこんな偶然ってホントにあるのね。
ところで、いい部屋は見つかった?」
「いえ、まだ見つかってません……」
「三島さん、もし良かったら、このシェアハウスに住まない?
今は満室なんだけど、2月に空きが出る予定なの……」
「えっ……わ、私がですか!?」
明日奈の突然の申し出に、亜由美の胸は激しく高鳴った。
もしかしたら、祐希と同じ屋根の下で暮らせるかもしれない。
「あいにく、その部屋にはまだ住人がいるから、見せてあげられないけど……
祐希くんの部屋でよければ、見せてあげられるわよ……」
「えっ、い、いいんですか?
ぜひ、お願いします!!」
祐希のプライベート空間に足を踏み入れられる――。
願ってもない提案に、亜由美は興奮を抑えきれず身を乗り出した。
「祐希くん、三島さんに、部屋を見せてあげて」
「はい、散らかってますが、どうぞ……」
案内されたのは、白を基調とした12.5畳の広々としたワンルームだった。
ダブルベッドや大きなデスクに加え、ソファセットまで完備された、お洒落で洗練された空間だ。
「新しいし、広くてきれいなお部屋ですね」
「そうだね、普通のアパートのワンルームに比べたら、バストイレが別だから、その分広く感じるかもしれないね。
それに家具は備え付けだから、引っ越しは楽だよ」
「へ~、いいですね……
私も、こんな部屋に住んでみたいなぁ……
でも……家賃、高いんじゃないんですか?」
「普通のシェアハウスに比べたら、少し高いかもしれないね。
でも、このシェアハウスの豪華さは半端じゃないから……」
「お洒落で広いし、設備も充実してますよね」
「その辺はオーナーのこだわりだね」
「家賃は、お幾らですか?」
「部屋代が毎月5万円で共益費が1万円、それに管理費が1万円の合計7万円だよ。
それと初回だけ、入居手数料が5万円掛かるけど……」
「え、それって安くないですか?」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
祐希の部屋の見学を終え、ラウンジに戻った亜由美に、明日奈は温かいカフェラテを出してくれた。
「部屋は気に入ってもらえたかしら……
形が少し違うけど、部屋の広さと内装はほぼ同じだから……
もし気に入ってくれたなら、詳しい入居条件やルールを説明するけど……どうかしら?」
「はい、お願いします」
明日奈は、「ヴィーナス・ラウンジ入居案内」と書かれた資料を亜由美に渡した。
「入居資格は18歳から25歳までで、契約は1年更新よ。
それと、うちは2ヶ月に1度、住人参加のイベントがあるの。
このイベントに2回連続で欠席すると翌年の契約更新はできないから気をつけてね」
「え、イベントがあるんですか?……」
「そうよ、キャンプに行ったり、温泉に行ったり、この前はみんなでクリスマスパーティをやったわよ」
「へ~、いいですね」
「次にセキュリティだけど、玄関と門扉はICカードキーと顔認証の2重ロックになってるから安心よ」
「すごく厳重なんですね。安心しました」
「それから、1階は共有スペースの他は私と祐希くんの部屋、2階は女子専用フロアと完全に分かれているの」
明日奈は少し声を潜め、真剣な眼差しになった。
「2階への男性の立ち入りは厳禁よ。
……ただし、祐希くんはこのシェアハウスの『管理人』だから、特例として2階への立ち入りを許可しているの。
ただし、設備の修理や点検がある時だけね」
「え、篠宮さんが……
管理人さんなんですか?」
「ええ。だから何か困ったことがあったら、遠慮なく彼に相談してね」
「分かりました……!」
「本来は面接があるんだけど、三島さんは祐希くんがお世話になった看護師さんだし、面接なしでいいわ。
説明は以上だけど……三島さん、このシェアハウスに住む意志はある?」
「私、このシェアハウスが気に入りました。
ぜひ、私を住まわせてください」
亜由美は深々と頭を下げた。
こうして、看護師「三島亜由美」の入居があっさりと決まった。
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