第104話 慟哭
さくらと沙織の絶叫は、静まり返った夜の住宅街に木霊した。
その頃、シェアハウスのリビングでは、いつもより帰りが遅い祐希たちを住人たちが心配していた。
そこへ、遠くから女性の悲鳴とパトカーのサイレンが聞こえてきた。
「今の悲鳴……まさか……!?」
「そう言えば……祐希くんたち、まだ帰ってないわよね!?」
嫌な予感が、住人たちの脳裏をよぎった。
彼女たちは顔を見合わせ、一斉に玄関へと飛び出した。
「こっちよ! 公園の方!」
住人たちは、サンダルやスニーカーのまま、サイレンの音がする方向へ走った。
先頭は明日奈。
それに続き、怜奈、瑞希、里緒奈、朱音、琴葉、そして未来。
200mほど先に明滅するパトランプの赤い光が見えた。
公園に面した通りには、すでに異変を聞きつけた近隣住民たちが人垣を作っていた。
「血だらけだぞ」「喧嘩か?」「ひでぇ……」
遠巻きにスマホを向ける者、口元を押さえて青ざめる者。
無責任な好奇心と恐怖が混ざり合ったざわめきが、辺りに充満していた。
「どいて! 通して!!」
住人達は人だかりを押し分け、現場へ駆け込んだ。
だが、直後に飛び込んできた凄惨な光景に、全員が言葉を失った。
赤色灯が回るパトカーの前で、手錠をかけられ、数珠繋ぎで地面に転がされている4人の男たち。
そして――その奥で、血だまりの中に崩れ落ちている祐希と、彼を抱きかかえて泣き叫ぶさくらと沙織。
その光景は、あまりにも衝撃的だった。
純白のシャツは鮮血で赤黒く染まり、左腕はぐにゃりと不自然な方向に曲がっている。
さくらと沙織は、地面に座り込んだまま自分たちの膝の上に祐希の頭を乗せ、ハンカチを必死に額の傷口に押し当てていた。
白い布はすでに鮮血で染まり、吸いきれない血が2人の震える手や祐希の頬を伝って滴り落ちていた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!
ゆうきぃぃぃ! 死なないでぇぇッ!」
閑静な住宅街に未来の絶叫が鳴り響いた。
未来は弾かれたように駆け出し、転がるように祐希の元へ駆け寄った。
朱音は、腰が抜けたようにその場に座り込み、ガタガタと震えながら自分の腕を抱いた。
琴葉も、あまりのショックに口元を押さえてその場で肩を震わせて涙をこぼした。
そこへ2台のパトカーが到着し、応援の警察官たちが規制線を張り始めた。
「下がって!」という怒号と共に野次馬が押し戻され、現場は封鎖されていった。
「おい、しっかりしろッ、目を覚ませ!!」
柏琳台駅前交番の倉橋巡査が、祐希の止血をしながら必死に呼びかけた。
祐希とは顔なじみの倉橋も、その顔色は蒼白だ。
タオルで脇腹を圧迫しているが、タオルはすぐに血を吸って赤く染まっていく。
「そんな……なんで祐希くんが……」
年長者である里緒奈と怜奈、瑞希も顔面蒼白になり、言葉を失って立ち尽くしている。
シェアハウスのメンバーがパニックに陥り、泣き崩れそうになる中、明日奈は必死に理性を保とうとしていた。
彼女もまた、変わり果てた義弟の姿に目の前が真っ暗になりかけていた。
足が震え、吐き気がこみ上げてくる。
だが、自分がここで取り乱しては誰が祐希を守るのか。
明日奈は唇を噛み、無理やり責任者としての仮面を被った。
「お巡りさん! 救急車は……救急車はまだなんですか!?」
明日奈は倉橋の元へ駆け寄り、叫ぶように尋ねた。
「もう来る! すぐそこまで来てる! 出血がひどいが、脈はある!」
その時、甲高い救急車のサイレン音が、近くに迫ってきた。
「どけ! 道をあけろッ!! 救急車を通せッ!!」
警察官が叫び、野次馬が道を開けると、赤色灯を回した救急車が路肩へ停車した。
「救急隊だ! 道を開けて!」
救急隊員が無駄のない動きで降車すると、バックドアからストレッチャーを下ろし、倉橋に説明を求めた。
「状況は?」
「左脇腹に刺傷、頭部に裂傷、左腕に骨折の疑いあり。
出血は激しいが、脈は確認している!」
倉橋が圧迫止血を続けながら、短く状況を説明した。
隊員はうなずき、手際よく祐希の状態を確認すると、酸素マスクを装着した。
隊員たちは点滴の準備をしながら、手分けして祐希をストレッチャーへと移乗させた。
ぐったりとして動かない祐希の姿に、さくらと沙織はすがり付くようにして泣きじゃくっていた。
「祐希さん……ごめんなさい、ごめんなさい、私のせいで……」
「嫌……わ、私も……私も一緒に連れてってぇ……!」
その時、救急隊員が鋭い声で尋ねた。
「誰か! 同乗できる方は!?」
明日奈が即座に手を挙げた。
「私が……私が行きます!」
「ご関係は!?」
「義理の姉です!」
「分かりました、乗ってください!」
祐希を乗せたストレッチャーが救急車へと吸い込まれていく。
明日奈は乗り込む直前、後ろを振り返り、心配そうに見守る住人たちに叫んだ。
「みんな! さくらちゃんと沙織ちゃんをお願い! あとで連絡するから!」
「明日奈さん……!」
「お願い、祐希くんをお願いします……!」
バタン、と重いドアが閉められた。
サイレンが鳴り響き、救急車は夜の闇に走り去っていった。
残された現場には、血の跡と、取り残された女性たちの悲痛な泣き声だけが響いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ピーポー、ピーポー、ピーポー……
甲高いサイレンの音が、狭い車内に反響し続けている。
揺れるストレッチャーの上で、祐希は酸素マスクをつけられ、点滴の管につながれていた。
「止血処置継続。酸素投与中」
「創部からの出血、圧迫止血でコントロールできています」
「血圧110、低下は見られません。
ですが、呼びかけに反応ありません!」
救急隊員たちが冷静に声を掛け合い、的確な処置を続けている。
同乗した明日奈は、邪魔にならないよう隅に座り、祐希の右手を、両手で包み込むように握りしめた。
(温かい……生きてる……)
ゴツゴツとした大きな手からは、確かな体温が伝わってくる。
その温もりに、明日奈は少し安心し、張り詰めていた肩の力を抜いた。
彼女にとって祐希は、ただの義弟ではない。
亡き夫の弟であり、シェアハウスの管理人兼住人であり、そして――心も体も深く繋がった大切な存在だ。
「ねぇ、祐希…… お願いだから、目を覚まして……」
明日奈は祈るように、その手を強く握り締めた。




