第101話 何気ない日常
授業を終えた祐希と沙織は、聖晶学園女子大学(通称聖女)の正門前でさくらを待っていた。
しばらくすると、さくらが息を切らせて走ってきた。
「さくら……」
祐希が名前を呼ぶと、さくらの顔がパッと華やいだ。
「遅くなってごめんなさい。
祐希さん……待ちましたか?」
「いや、ちょっと前に来たところだよ」
2人は見つめ合い、自然と頬が緩んだ。
朝、ここで別れてから半日も経っていない。
それなのに、まるで久しぶりに会うような、甘く切ない空気が2人の間に流れた。
言葉は少ないが、互いを想う雰囲気が滲み出ている。
「あの~、お2人さん」
沙織が不満げな声を上げ、割って入った。
「ん、どうした、沙織……」
「私は空気じゃないんですから、無視しないで下さ~い!」
沙織は頬を膨らませて、自分の存在をアピールした。
3人は並んで『カフェ・バレンシア』へと向かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
星城大学の最寄り駅『星ヶ丘』駅前のメインストリートに、2階建ての洋館風の建物がある。
尖塔の風見鶏が目印のその店が『カフェ・バレンシア』だ。
お洒落な外観と絶品スイーツが有名で、地元では知らない人がいない名店である。
店内には、ジャズピアノのBGMが流れる落ち着いた空間が広がっていた。
夕方のピークタイム、店内は学校帰りの女子で満席となっており、店の外には席待ちの行列ができるほどの盛況ぶりだった。
祐希と沙織は更衣室で制服に着替えた。
沙織の姿は、白いブラウスにカフェモカ色のスカート。
その上から生成りのエプロンを身に着けている。
モデル体型の沙織が着ると、洗練された印象を与える。
その見事な着こなしとプロポーションは、数少ない男性客の視線は釘付けになっていた。
沙織は、次々と入るオーダーをテキパキと捌き、笑顔で接客をこなしていく。
一方、祐希はカウンター内でドリンク作りを担当している。
白のワイシャツにワインレッドのネクタイ。
黒のベストを羽織り、茶色のソムリエエプロンを締めている。
その凛々しい装いは、精悍な男らしさを漂わせていた。
さくらは、いつものカウンターの予約席に座っていた。
約1ヶ月ぶりに訪れた店内で、さくらの瞳は祐希に釘付けだった。
真剣な眼差しでエスプレッソを抽出し、ミルクをスチームする祐希の横顔に胸が高鳴り、頬が熱くなる。
カウンターに座る他の女子学生たちも、祐希に熱い視線を送っていた。
(祐希さんって、やっぱり女子に人気があるんだな……)
さくらが小さな嫉妬を感じていると、白磁のカップが置かれた。
「お待たせしました。カフェラテです」
そこには、きめ細かなフォームミルクで描かれた、愛らしい猫のラテアートがあった。
「わあ、猫ちゃんだぁ……かわいい」
さくらは目を細め、その見事な出来栄えに見とれた。
「すごくリアルで、可愛いです。
さすがは祐希さん」
「さくらのために、気合いを入れて描いたよ」
祐希は照れくさそうに笑うと、すぐに次のオーダーに取り掛かった。
さくらは、猫の形を崩さないように、そっと口をつけた。
優しい甘さが口いっぱいに広がり、幸せな気分に包まれた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ただいま~!」
午後4時過ぎ、店のドアが元気よく開き、結が帰ってきた。
彼女は近くの高校に通う、オーナー夫妻の一人娘だ。
結はカウンターにいたさくらを見つけると、満面の笑みで駆け寄った。
「さくら姉さん、お帰りなさい!」
「久しぶりね、結ちゃん」
2人は約1ヶ月ぶりの再会を喜びあった。
「さくら先生、今日からまたよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくね」
さくらがカフェオレを飲み終えると、2人は2階にある七ツ森家の結の部屋へ移動した。
結の志望校は、祐希が通う星城大学なので、さくらの指導にも熱が入る。
2人は夏休み中の進捗状況を確認しながら勉強を進め、1時間ほど経った頃、休憩を取った。
結は、前から気になっていたことを、さくらに聞いてみた。
「さくら姉さん……
祐兄とは、その後、進展あった?」
その問いに、さくらは少し照れくさそうに微笑んだ。
「うん……。実はね、祐希さんに告白されたの。
私も好きですって、自分の気持ちを伝えたわ」
「えっ……!
じゃあ、両想いってこと?」
「ええ、そうなの……」
その言葉を聞き、結は一瞬だけ微妙な表情を見せた。
結は昔から、祐希を兄のように慕い、淡い恋心を抱いていたからだ。
しかし、結はすぐに笑顔に戻った。
さくらと、祐希の妹の月、そして結の3人は、実の姉妹のように仲良くしようと「3姉妹の盟約」を結んだ仲だ。
だから、大好きな「さくら姉さん」の幸せを壊したくなかった。
「おめでとう!
私、さくら姉さんと祐兄の恋を応援する!」
結は健気にも祝福の言葉を贈った。
「ありがとう、結ちゃん」
さくらは結を優しく抱きしめた。
さくらは、結の祐希に対する淡い想いに気づいていた。
だからこそ、その言葉が嬉しくもあり、切なくもあった。
「でもね、まだ正式にお付き合いしているわけじゃないの……」
「え、なんで?」
「実は、父がまだ認めてくれなくて……。
だから、交際はお預け状態なの」
「そっか……さくら姉さんのお父さん、厳しい人だって言ってたもんね……
でも……負けないでね。私も応援するから!」
「結ちゃん、ありがとね」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
午後8時、カフェ・バレンシアは閉店時間を迎えた。
祐希と沙織が閉店後の片付けを終えたころ、2階からさくらが下りてきた。
「祐希くん、沙織ちゃん、さくらちゃんも、今日1日お疲れ様。
はい、これは今日の賄いと、おまけのケーキよ」
美里ママは、カフェ・バレンシアの大きな紙袋を祐希に渡してくれた。
「今日は海老フライをおまけしておいたぞ」
マスターがそう言うと片目を瞑り、親指を立てた。
「マスター、美里ママ、いつもありがとうございます」
「ううん、いつも頑張ってくれるから、そのお礼よ」
「そう言ってもらえると、私たちも頑張りがいがあります」
さくらも笑顔で礼を言った。
「私、その日の賄いが何なのか、帰ってから開けるのが、すごく楽しみなんです」
沙織も明るい笑顔で場を盛り上げた。
3人は、美里ママとマスターに改めて礼を言い、店を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
3人は、星ヶ丘駅から電車に乗り、柏琳台駅で降りた。
そこからシェアハウスまでは、徒歩8分の道のりだ。
歩道のない道路の右端を3人並んで歩いた。
右がさくら、真ん中が祐希、左の車道側を沙織が歩く。
コンビニを過ぎ、あたりが暗くなり、人通りが途絶えた。
祐希とさくらは、どちらからともなく指を絡ませ、恋人繋ぎで手を繋いだ。
さくらの掌の柔らかさと温もりが伝わってくる。
祐希がさくらを見ると、彼女は優しく微笑んだ。
それを見た沙織は頬を膨らませた。
沙織も祐希の手を握ろうとしたが、祐希の左手には、賄いとケーキが入った大きな紙袋が握られている。
「この袋、私が持ちますね」
そう言って沙織は祐希から紙袋を奪い取ると自分の左手に持った。
そして空いた右手で、祐希の左手を握りしめた。
「……沙織」
「先輩……ひどいです!
私も女子なんですから、気にかけてくださいよ」
沙織はプンプンと怒ったフリをしながら、それでも満足そうに祐希の顔を見上げた。
祐希は「両手に花」の状態で、夜道を歩いた。
少し歩きにくいが、悪い気分ではなかった。
夏休みが終わり、いつもの日常が戻ってきた。
手のひらから伝わる確かな温もりを感じながら、祐希はぼんやりと考えた。
(この何気ない幸せな毎日が、いつまでも続けばいいな……)
3人の明るい声が、夜の住宅街に溶けていった。
しかし、そんな3人の背中を、暗がりから見つめる影があった。
街灯の届かない闇の中から、じっとりと粘りつくような視線が、幸せそうな3人に向けられていた。
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