第91話 退院
そしてその三日後、芹原が退院するらしいことを、姉ちゃんから聞いた。
その言葉に僕は緊張感を持つ。
今日の結果で、僕の未来が変わってしまう。
後悔するような結果なんて絶対嫌だ。
きっと彼女は僕の部屋にやってくるだろう。
今までの行動からすればそれは目に見えて撮れる。それに対する行動は決まっている。
そうだ。僕がこれからやらねばならない行動は決まっている。
インターフォンが鳴る。
僕は唾をのんだ。
インターフォンを押した人、その正体はまるわかり。芹原だ。
芹原は今、浮いている。本来ならば、しかるべき処置を受けなければならない。だけど、そこから逃走するであろうことは前々から明らかだったのだ。
ちなみにここで言う退院とはあくまでも怪我が完治したことに対する退院だ。
インターフォンがもう一度なる僕はそこでようやく扉を開く。
そこにいたのは言うまでもないだろう。
今日は鈴美も家に来てくれている。僕一人で対話するつもりではあるが、念のために来てもらった。本当は姉ちゃんや父さんにもいて欲しかったが、仕事とインターンみたいで流石に無理だった。
彼女と田和しないという手はもはやない。かと言って緊張している事には何も変わりはない。
僕は静かに扉を開けた。
「おはようございます。私の運命の人」
彼女は元気よく言った。
その言葉に僕は小さくうなずいた。
勿論運命の人という言葉に同意を示したわけではない。
ただ、今は無用なもめ事を起こしたくなかった。
部屋に入れる。
「今は、どんな感じなの?」
僕は恐る恐る訊く。
「記憶はまだ戻ってないけれど、陽君への気持ちはどんどんと膨れて行ってきているんだあ」
この子、やばい。僕はすぐさまそう思った。
まあ、やばそうだという事はまあ分かる。いくら記憶を失っているとはいえ芹原なのはそうなのだ。
「怖い顔しないでよ。運命の人」
逆に怖くない顔をしろという方がおかしい気がする。
「わたしは好きだよ」
「怖いんだ」
僕はぼそっと呟く。
「怖いんだ。君に以前の君の面影を感じるんだ」
そう、芹原恵奈を。
確かに、今と以前の芹原では全然違う。でも、違うと言っても、割り切るのは無理なのだ。
今から言う事は、記憶を喪失した少女に対しては酷い事になる気はする。
だけど、言ってしまいたい。
「僕は以前の君を芹原恵奈の事が嫌いだ。命は助けてもらったけれど、僕を虐めていたことに対して屁理屈を言って逃れようとしたり、僕を自分のものにしようとしたり、とにかく酷い人なんだ」
「ごめんなさい」
顔が赤くなっている。涙腺から軽く涙が流れようとしている。
これは演技ではない。そんな事直ぐに分かる。
こうなることが分かっていた。
演技だったらいいのに、なんて思ってしまう。
もし、演技なのなら、僕は遠慮せずに彼女をなじれる。
だけど、記憶を喪失している少女に対してこの言いようは正解だとは思えないのだ。
「君は、君の記憶はどこから始まっているんだい」
僕はそう訊くと、
「病室から」
と、小さな声で話した。
「でも、ちゃんと記憶はしっかりと合って。なんていうか、日本語とか逆に英語の知識とか数学の問題の解き方とか全部知ってるの。でも、今まで何をしてたのかだけ、何も知らないの。それが怖くて、たまらないの。以前の私は悪かったみたいだし、申し訳なくて」
そういう彼女は段々と涙目になっていく。
分かっている。今の僕がしている行為は最低だって。
だけど、こうするほかに何か方法でもあるのだろうか。
「僕は以前の君が嫌い。それは紛れもない事実なんだ」
ほんとうは、もう僕に関わらないで欲しい、なんて言おうと思っていた。
なのに、僕の口は、
「ごめんな」
と、言ってしまっていた。やっぱり駄目だ。やっぱり駄目なのだ。
以前までの芹原と同一視するのがどうしても無理だった。
僕は鈴美の隠れている場所をじっと覗く。
今、鈴美には申し訳のない気持ちしかない。
僕は鈴美を守れない。鈴美に安心させられない。
「ごめん」
僕はそう言って部屋から飛び出した。
僕は近くの公園に来ていた。僕の思考がぐちゃぐちゃになるのを感じている。
ぐちゃりぐちゃり、頭の中が崩れていくような、変な感覚だった。
この世に魔法なんてない。敵からの攻撃などない。
だからこれは僕が勝手に混乱をしているだけだ。
分かっている。分かっているんだ。
鈴美を、芹原を部屋に置いて来てしまった。
芹原と今は二人きりになっているのだろう。
スマホも家において来てしまった。
僕には言えの状況を図る方法などない。
僕はタダ鈴美の無事を祈る事しかできない。
そんな事を考えていると、そんな思考自体が変なのかな、なんて思う。
ブランコ、ブランコ、そう、ブランコ。
久しぶりだ。懐かしい気持ちに襲われる。
この前のアニメもそうだけど、今の僕は懐古主義に走っている。
まあ、そこは気にすることではないのかもしれない。
今、どうしたらいいのか。
それは、今の僕には到底分からないことかもしれない。
空を見た。
空は今の僕のどうしようもない気持ちを無視するかのように快晴だった。
こういう時は曇り空が常識だろう。
いや、僕は何に怒っているのだろう。おかしいだろう。
僕は、
今悪いのはどう考えても僕なのだから。
僕はどうしていいのか分からないのだ。
芹原に対する箕沖方が全く分からないのだ。
僕は小さく伸びを舌。
そして、目の前をじっと見る。
向こうで小学生たちが遊んでいる。
無邪気で可愛いなあ、なんて思う。なんとなく小学生になってしまいたい。
ただ、子どもとして何も考えずに遊んでいたい。
簡単な事だけを考えていたい。
そんな気持ちに陥っていた。




