第88話 心
僕たちはその後、病院の待合の席に座った。
今は精神が乱れている。
訳が分からず、僕は今何を考えればいいのかすらも分からない。
ほんとうにまさかだ。
まさか、芹原が記憶喪失になって、そして本当に僕の事が好きでたまらなくなるとは。
今の芹原は以前の芹原とは別人なのかもしれない。
だけど、だからそうとすぐに割り切れる物ではないのだ。
隣には今鈴美はいる。だけど彼女も僕と同じように、考え込んでいるようだ。
鈴美もまた分からなくなっているのだろう。
それこそ、芹原に対する処置という面で、だろう。
だけど、今の僕に鈴美にかまっている暇はあるのだろうか。
いや、それだと言い方が悪すぎる。
正確に言うならば心の余裕があるだろうか、が正解なのだろう。
「どうしよう」
と、僕は呟く。
「僕はどうしたらいいんだろうね」
鈴美には毎度毎度迷惑をかける。
こんなことを言われても困るだろうに。
「ねえ、陽太君」
椅子の上で三角座りをしながら、鈴美が呟く。
「芹原さんを、どう思ったの?」
「どう、思った?」
どう思ったか聞かれても、
僕にはあまり答えようが分からない。
と、一瞬そんなことを思ったが、それでは僕だけが鈴美に負担をかけている形になる。
何とかして、言葉を紡がないといけない。
「僕は、最悪の形になったなって」
「そうじゃない」
即座に鈴美に否定を入れられた。
「今の芹原さんは、陽太君から見て、憎い相手に見える?」
「それはどういう意味?」
「陽太君は以前の芹原さんは、大っ嫌いなんでしょ」
「うん」
「そんな陽太君が今、記憶喪失状態の芹原さんをどう思うかってこと」
「どう思うか……」
それは難しい質問だ。
「僕は、以前みたいな邪悪さはないと思うよ。ただただ、無邪気な感じがした。今の芹原には」
「なるほど……」
鈴美はうんうんと、頷いて見せる。
「法律ではどうなってるのかな」
「どうなってるって?」
「ネットで」
そう言って鈴美は携帯を取り出し調べ始める。
「あまり良くは分からないけれど、医療刑務所みたいなところに行くんだって」
「そう……」
だけど、芹原がその通りに行くとは思わなかった。
それに、
あの感じを見て、少し可哀そうだとも思った。
あれが演技じゃない事は僕にはわかる。
あれが演技だったらむしろ驚くべきことだ。
芹原に同情するなんて変な話だ。
だけど、記憶喪失になった原因は僕をかばってだ。
もしかしたら、僕はもっと最悪な事態に陥っていたかもしれない。
もしも、芹原が僕をかばわなければ僕が重大な傷を受け、死んでいたかもしれない。
それを考えれば同情するのもうなずける。勿論それは僕の心の問題だ。
「こんな質問は、……さっきもしたけど、判断を鈴美にだけ委ねる最悪な行為だと思う。でも、教えて欲しいんだ。僕はどうしたらいい?」
「別に酷い質問じゃないよ。私の言葉がそのまま陽太君の行動につながるわけじゃないんだから。……でも、一つ言えるとしたら」
「一つ言えるとしたら?」
僕が訊くと、
「陽太君が嫌なら、かかわりを経つべきだと思う。それをするべき権利は陽太君にはあると思うから」
「……そうだよね」
僕は頷いた。
「うん」
そう言って僕は、立ち上がり、一歩歩く。
「とりあえず今は思考が定まらないや。だからさ、今日は鈴美と一緒に遊びたいな」
「分かった」
鈴美は僕の言葉に頷いてくれた。
僕たちがその後向かったのは、近くのカラオケだ。
つまり、ストレス発散だ。
鈴美の歌を聞けるのが楽しみな部分もある。
鈴美の歌は、正直上手くはないけれど、楽しそうだから好きだ。
「じゃあ、一曲目どうぞ」
鈴美にマイクを渡された。
「うん」
僕は頷く。
僕が第一に歌う曲は決まっている。
兎に角ストレスの発散になる曲だ。
そう思い、アニメのオープニング曲を入れた。それもテンションが上がる感じの曲だ。
勿論鈴美と一緒にカラオケに来ている訳で、自分よがりすぎる曲はだめかもしれないが、これくらいなら許してほしい。
楽しい。
そう、楽しく歌えた。
「陽太君、じゃあこれは?」
鈴美が僕にそう笑いかけてくれる。
歌っている最中の僕には、何を入れられたのかは分からない。
だけど、鈴美が歌いたい曲なのだろう。
それが何なのかは、今の僕には分からない事ではあるけれど。
そして歌い終わると、鈴美が拍手を舌。
上手いね、なんて言って褒めてくれるのに軽くムズ痒さを感じた。
そしてすぐに次の曲が始まる。鈴美の入れてくれた曲だ。
僕はそれを見て驚いた。デュエット曲だったのだ。
それを見て、僕は早速理解をした。鈴美が歌いたい曲とはこれの事かと。
僕は鈴美の顔を見やる。すると、「一緒に歌おうよ!!」なんて言って笑顔で彼女は微笑んだ。
その笑顔に勝てる訳もなく。
「分かった」
と、僕は言った。
とは言っても、今現在問題点が一つ。
僕はこの曲をあまり歌えないという事だ。
鈴美が意気揚々とカラオケマシンに入れた曲は数年前に流行ったアニメ映画のオープニング曲だ。
だからこそ、僕も歌えると思ったのだろう。
だけど、僕はこの映画をそもそも見ていない。
歌も、店内や飲食店などで、流れる曲でしか知らない。
うろ覚えなのだ。
ちなみに、僕と鈴美の思い出のハンバーガーショップでも確か流れていたはずだ。
僕が、思い切り発狂してしまったのは、どちらかというと悪い思い出なのだけど。
でも、鈴美と初デートの約束をしたという点ではいい思い出のはずだ。
まあ、それは置いておいて、
鈴美に合わせて歌う事ならできるはずだし、鈴美も失敗しても笑って許してくれるだろう。
僕はそう思い必死に歌っていく。
だけど、音は外れて、最悪だった。
ほんとうならもう少しうまく歌えたはずなのに。
いや、こんなの言い訳だ。僕はそもそも歌が上手い訳じゃないのだから。
むしろ今、鈴美を引き立たせられている。それでいいんじゃないか?
と思った。
それならば、僕は満足だ。鈴美の引き立たせ役に成れるのなら。
「陽太君、もしかしてこの曲得意じゃなかった?」
歌い終わった後、鈴美が僕に向かって心配そうに言う。
「大丈夫だよ。知ってる曲だったし」
「陽太君、本当のこと言って、それとも本気で歌ってあの感じだったの?」
「あまりうまく歌えないです」
むっとする鈴美の顔を見て、僕は観念した。
「だよね、ごめんね」
鈴美は申し訳なさそうに言い放つ。
「その顔、あまり見たくは無かったんだ」
「あはは、知ってる」
「おちょくってる?」
「おちょくってないよ。申し訳ないと思ってるのは事実だし」
そして、カラオケマシンをいじる、
「歌える曲、相談して入れよ」
「そうだね」
僕もデュエット曲を歌いたいのは事実なんだから。
★
「あら」
看護婦は、ベッドを見て、驚いた。
「いないわ」
そして気づいた。そこに寝ているはずの、少女がいなくなっていることに。




