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そうして待つこと十分程度。
私の前に現れたアナベルは、なんとも可憐な美少女だった。
小説の描写にあったように、真夏の太陽の下で輝く太陽のような金の髪を持ち、上質なサファイアのような鮮やかな青い目をした女の子。
だけど、その目の下には美少女に似つかわしくない立派な隈があるではないか!
「アナベル、呼び立ててすまないな」
「いいえお父様。そちらはどなた……?」
「ああ。シリウスの部下だ。次にお前が出かける際、シリウスとこのセレンがお前の護衛につく」
「えっ」
驚いた顔されちゃった。
いやまあこっちも驚いているから同じなんだけど……。
「でも、わたしは……知らない人は、それに……」
言い淀むアナベルの様子に、どうしたんだろうと思う。
シリウスは動かないし、公爵は普通に正しいことしか言っていない。
彼女は公爵令嬢であり、つい最近命を狙われたばかりだ。
どこに行くにしたって護衛はつきものだし、女性の護衛がつくこともあれば兄弟たちにエスコートされてどこかに足を運ぶことだってあるだろう。
まだ慣れていないから、というのとは少しばかり反応の違うそれに、私はぼんやりとただ眺めるばかりだが……彼女は、私と目を合わせようとしない。
それはまるで怖がっているようで、いやまあ私の格好が暗殺者です不審者ですって自己紹介しているようなもんだからね……。
全身黒ずくめだし、マントはボロボロ。
武器は見えないよう隠しているとはいえこの格好で何も持っていないです~は通用しないだろうなって感じだものね。
(仮面を外しててよかったわあ、つけてたらもっと怯えられてたんだろうなあ)
彼女が何に怯えているのかわからないけど、これじゃ埒が明かないなと思ったところで公爵が私に目線を寄越した。
目線一つで指示を出すとか、傲慢だな……と思いつつも堂に入ったその仕草にやはり支配階級ってのは格が違うなぁなんて感心した。
「お嬢様……とお呼びしても?」
「は、はいっ」
「はじめまして、セレンと申します。ところでお嬢様」
「はい……」
「孤児院では、なんと呼ばれていましたか?」
「え?」
「ちなみに私はマルディです」
「!」
ハッとした表情で彼女が顔を上げた。
私の方をまじまじと見て、それから何度も目を瞬かせる。
そんなに目を見開いたら落っこちちゃうんじゃ? って心配になるくらい目を大きく見開いて、彼女は何を思ったのか私の手を取った。
それには彼女の後ろに控えていた騎士さんが咄嗟に腰の剣を伸ばしかけたけど、それで済んでよかったわー。
おそらく、シリウスか公爵様が目で止めてくれたんだと信じたい。
「わ、わたし……わたしは〝ジュディ〟だったわ」
私たちの会話の意味がわからないのか、後ろの騎士さんが戸惑いの様子を見せたけど気にせずその手を握り返した。
わー可愛いーやっぱヒロインは違うね!
「ジュディは、護衛がつくことが苦手ですか?」
「いいえ! いいえ……そうじゃ、なくて……。でも、でもわたしは。そうじゃないの……」
「大丈夫です、聞かせてください。貴女の言葉が、大事ですから」
まあ彼女を目の前にしてなんとなくわかった。
家族ができて嬉しい。
捨てられたんじゃなくて探してくれていたっていう事実が嬉しい。
食うに困らない生活も嬉しい。
孤児院育ちが悪いとは思わないけど、やっぱりみんな大なり小なり抱える〝孤独〟という〝気持ちの問題〟が解決したアナベル。
でも小説のことを思い出してみれば、彼女はほぼ記憶もない一歳前後で誘拐されて孤児院に預けられるのだ。
ノクス家由来の、潤沢な魔力を奪われて。
それが突然公爵家の娘でしたって言われて、家族がいて歓迎してくれて、彼女にしてみればそれでよかったことが、それだけじゃ済まなくなった。
「だって! わたし守ってもらうなんて……!」
(やっぱり)
「この間もシリウス兄様が来てくださったから助かったけど! ヴェゼルさんが怪我して……それだけじゃなくて、わたし、わたしが来たから……レオナールも、変なこと言われて」
「それはお嬢様の責任ではございません! 自分の実力不足が――」
護衛の人が声を発したことで、この人がヴェゼルさんだと分った。
なるほど、この間の襲撃で怪我をして、それを彼女は目の当たりにしたってわけね。
そりゃいきなり『貴女は貴婦人だから命をかけて守られるのは当然です』『貴女を守って怪我をした人間がいてもそれは当然のことなので気にしないでください』『むしろ誉れです』なんて、理解しろってのが無理なんだよなあ。
公爵やシリウスはそうした人が近くにいることが当然で、それに対して責任を負う立場であるって幼い頃から学んでいる側の人間だから受け入れられるわけで……。
その認識をいざ公爵令嬢になったから持てるのかって言われても、困るでしょ。
だってつい先日まではその使い捨てられる側だったんだよ。
アナベルには未知の世界でしかないの。
実際に怪我人が出て、命を狙われて、怖がっても何もおかしくないのだ。
だから私は彼女の手をギュッと握って、ニッコリと笑ってみせた。
「ジュディ」
「は……はいっ、わかってます、公爵家の人間になったんだからわたし――」
「貴女のこと守ったらお給金がもらえるんですよ、私」