色打掛
衣紋には緞子の白無垢打掛、唐織の色打掛、佐賀錦の色打掛、挙式と披露宴で彼女が着る予定の花嫁衣裳である。 それに合わせた、和装小物類を決めなければならない。 彼女が自分で着ると決めた打掛なのだから、当然彼女が自分で決めれば良い。 彼女もそうしたいであろう。 だが現在の特殊で非常に奇妙な状態では、俺が代行せざるおえない。 部屋に入るなり、その雰囲気に圧倒された。 絢爛豪華、美しい花嫁衣裳の数々。 自分に関係がないのなら、単に美術品でも見る視点で、見れば済むのだろう。 しかし、現在彼女の代役を務めている俺としては、無関係とまでは言い切れない。 或いは、最悪の場合は如何するのか? これを着るのか? この私が? 式を挙げるのか? 新婦として? それは無理だ。
「自毛で文金高島田を結われ、緞子織の白無垢を御召しに成られるのですから、簪もそれに合わせた格式の高いものにいたしませんと」 「綿帽子を被るのでは、簪はあまり見えないのでしょうか?」 「綿帽子ごしに見える簪がそれはそれは雅な物でございます。 花嫁様の清らかさ、気高さを示すものでございます」俺は、清らかでも、気高くもないので、どうでも良い事だと思うが、美憂の立場もあるので、挙式を前にした24歳の女性の立場をわきまえて発言する。
髪に挿す簪には、お守りと魔よけの意味があるそうだ。 しかし、若く美しい女性と入れ替わっている、俺自体が「魔的」な異様な存在なのだから、魔よけも糞もない。
まあ、俺は美憂の代役を務めているのだ、彼女の名誉の為にも、品格を保たねばなければ。 誠実な行動をとらなければ、彼女の名誉を保たなければ。
「篠原様は、お肌に透明感があって、大変お綺麗なお肌でございますから、白無垢打掛を御召しのさいは、水化粧がよろしいかと思われます。 伝統のある、格式の高い、白無垢姿の花嫁様に最適な古典的メイクでございます。 雰囲気的に篠原様はピッタリではないかと」
俺は簡易的にではあるが、水化粧を施されてしまう。 スッピンの顔に、メイク専門の女性の手でファンデーションを器用に塗りこまれ、その上に水白粉を筆刷毛で巧に塗られていく。 奇妙な感覚、僅かな恍惚感に浸る。 真っ赤な口紅で巧みに仕上げられる。 白無垢に両腕をとうし、やれやれと溜息をつく。 姿見の前に立たされ、恐る恐る自分の顔を見る。 「マー、真っ白ですね、お着物も私の顔も!」
鏡の中の美憂の顔は、非現実的で、魅力に溢れている。 聖少女と言う雰囲気。
少女時代の彼女の顔を思い出した、とにかく色は白かった。 あの子には白無垢がピッタリだ。
披露宴で着る色打掛の和装小物やメイク、これらも決めなければならなかった。 「何だか、女性の和装に詳しくなってしまった。 とても綺麗で楽しくもあるが、やはり何か恐ろしい。 女性の着物とかもう沢山だ、美憂そろそろ元に戻してくれないか」と美憂の声で呟いた。
式場を後にすると、何気なく直ぐ近くの代々木公園に足を向ける。 噴水前広場まで歩く。 「7月にここで美憂は彼から、プロポーズされたんだ」 なんの考えもなく、バックからスマホを取り出し、ボストンの彼を呼び出す。 が、向こうは深夜と言うよりもう早朝だ、一回コールして、慌てて切ろうとするが、直ぐに出てしまった。 彼は、何時も美憂からの連絡を待っているらしい。 「ごめんなさい、起こしちゃた?」 「今、寝ようとしてたんだ、美憂、愛してるよ!」 「私もよ、今、代々木公園にいるの」 「アー、あそこだ、僕達が永遠の愛を誓いあったあの場所だね」 「マー、そうね。 今日、披露宴をやる場所で、衣装の細かい事決めて来たの。 女の和装は色々面倒なのね」 「花嫁衣装は君が拘って決めたんじゃないか。 君の花嫁姿がどれほど清らかで美しく、どんなにすばらしいか、考えただけで、胸が熱くなるよ」 「あたし、そんなに清らかじゃないわよ」 「いや、君がどんなに清らかなのかは、僕が良く分かってるよ。 愛しているよ、僕の美憂、大切な美憂」
もし、婚礼の日までに戻れなければ、この一途で真面目な青年の愛を、この自分がこの身で受けてしまうと考えると、末恐ろしさが込み上げて来るのであった。
渋谷まで、歩いて戻る。 本来の自分の家に戻りたくなったが、この女性の姿では、それは出来ない事は分かり切っている。 今の私は、あの優しい両親のいる家に戻るしかない。 ハイヒールを履いた、若い女性のすらりとした足で、東横線のホームに降りて行った。
男性の姿をした美憂は、塾の運営に全力で取り組み、息子を可愛がり、深夜になれば、毎晩のように妻と愛し合うのであった。 自分の将来に関し、覚悟を決めつつあり、懸命に行動する彼女は中々充実した日々をすごしていた。
以前、学習指導には自信があり、生徒達にも好意を持たれていたのだが、反面、保護者、特に母親にはあまり好かれない、評価を受けない事が多かった。 若く、美しい女性教師は、好かれるよりも、反感を受ける事が、普通であった。 嫉妬と言う部分もあるのだろうか。 ところが、現在、知的雰囲気のある、中々の容姿の中年男性になり、母親達に対応していると、以前より明らかに、信頼を得るのが容易になったのである。 生意気な小娘、から信頼される、教師に成れたのである。 以前より保護者との関係は飛躍的に良くなった。 彼女は自信を深めていた。
塾の運営に責任を持って取り組む事に、誇りと生き甲斐を覚える様になっていた。 家庭では、息子を大変に可愛がり、強い愛情を感ずるように成っていた、また妻に対しても恋愛感情に近い気持ちを抱く様になっていた、或いは性愛感情に近いかもしれない。 ついこのあいだまでは、結婚を控えた若い娘であったのに、男性として懸命に暮らすうちに、その意識も男性化しつつあったのだ。 「センセイとしての暮らすのも、緊張と張りがあって中々面白い。 とりあえず、戻れないのであるならば、この暮らしを暫く続けるのも良いかも。 父や母と離れている事も、不安にも思うが、あの美憂さんが娘として心配かけな様にしてくれているみたいだ。 ボストンにいる彼の事も、美憂が上手く対応してくれているらしい。 二人は巧く、いってると思う。 なんなら彼が帰国してからもこのままでいても自然かも? 私が決めたあの花嫁衣裳もあの美憂さんが着て、彼と式をあげてもらったって構わない。 あの花嫁衣裳にはもう未練はない、新しい美憂さんに喜んで譲ってあげよう。 あの私が予約した、成田のホテルで、彼と結ばれて、彼の妻になる。 でも戻れないとすれば、そうするしかないかのかも? 奥さんがもう一人子供を欲しがるので、避妊せず関係している。 もし妊娠したとすれば、・・・・・」
美憂は急速に、女性としての自分を失い、男性化していた。 女性の衣服やあの長い髪も「あのめんどくさい物」と言う意識に変化していた。 長い髪を大事にし、手入れに長い時間を費やしていたのだが。 現在は、別の女性がその同じ髪の手入れに余念がない。 入れ替わった二人が直接会う時は、元に戻る事を望む態度をとるのだが、本心ではもはやあまり望んではいなかった。 「篠原君」と相手を呼び、基本的態度は若い女性に対するものに変化していた。 相手を、美憂として接するのが基本になっていた。 彼はもはや篠原美憂を棄ててしまおうとしていた。
「あんな超自然的事象は二度とは起きないのではないか? とすれば、私達は如何すれば良いのか?」




