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秘密  作者: 藤崎麗奈
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婚礼の儀

  晩秋、空は青く薄い小さな雲が点々と漂い、朝の穏やかな光がコンクリートを鮮やかに照らす。 午前8時少し前。  神宮の杜にほど近い場所に、落ち着いた外観の建物がある。    


  柔らかな光、明るく照らされた部屋には、婚礼用の白無垢打掛、本唐織赤地の打掛、佐賀錦の豪華な色打掛、丸帯、掛下、長襦袢、帯揚げ、帯締め、帯枕、帯板、綿帽子、懐剣、佐賀錦の草履、肌襦袢、等々、数々の婚礼衣装、和装小物が華やかな雰囲気を醸し出しながら、用意されていた。

  

  三十代と思われる、落ち着いた雰囲気の髪結い士とメイク担当の若い女性が部屋の中央の多くの髪結の道具とメイク用品に囲まれた椅子の両脇に立ち、仕事に集中していた。  他に、中年の女性二人が、打掛、和装用品の準備、最終チェックに余念がない様子であった。


  椅子に掛けるのは、二十代前半と思われる、艶やかの黒髪を腰近くまで伸ばした、身長160前後と思われる、骨格的には比較的華奢な体形の女性であった。   

  彼女はきめ細かな白い肌の持ち主であり、目鼻立ちは整い、一言で言うと非常に美しかった。


  半時間程、髪結い士は彼女の長い黒髪を和串で梳き、細い糸で纏め、髪抑えを彼女自身で両手で抑え、髪結いは緩やかな時間の中、着々と進められていく。

  髪結い士の熟練した手捌きは見事で、熟練した職人の技と言う表現が適当であろう。 彼女のつやつやした黒髪も見ごたえのある被写体であろうか。 


  婚礼の日の美しい花嫁のように見えるのだが、外側から伺うと、何となく困り事、悩み事を秘めた、やや憂な表情を綺麗な顔に浮かべるのが微かに感じられた。 一言で言えばこの娘は何か躊躇している、否定的な感情の存在が僅かに見て取れるのであった。


  婚礼の日に戸惑いや躊躇、困惑などが心のうちにもたげてくるのはごくあたりまえの事かもしれない。 彼女の不安げな表情もその類の物なのかもしれない。 心が揺らぐのもごく普通の事なのかも知れない。 このような花嫁にも悩みはあるのだろう。


  黒髪は和紙の丈長で清らかに纏められ、文金高島田に結い上げられいく。 やがて彼女の見事な髪は結い上げられた。 かんざしを挿され、彩に満ち溢れた、高島田が完成した。 島田に合わせたメイクが丁寧に施されていく。

  「艶のある素晴らしい髪質ですね。 素晴らしい島田に結いあがりました」結髪士も自分の仕事に満足そうである。


   花嫁はバックを手に化粧室に消え、7-8分位、姿を見せない。 何か連絡しているのか? スタッフが「どうしたのかしら?」と思うころ、少し表情を変化させ、何か覚悟を決めたかのような雰囲気を醸し出しながら、バックを手にして、戻る。  


  小さな着替えスペースに入ると、足袋を履き、ラフな衣服を脱ぎ棄て、和装用下着をチェックし、下着の上に肌襦袢を纏うと、紙袋に衣服を押し込み、二人の着付け担当の女性の元に戻る。 衣紋に掛けられた正絹緞子の白無垢が目の前にあり、視線は自然に引き付けられる、美しい。 着付けは始められるのであった。  


   彼女の胸は体形の割には豊だし、ウエストは細いので、体形の補正は重要である。 肌襦袢の上から、タオルやガーゼ、コットンで補正され、胸は抑えられ、ウェストのくびれは目立たなく修正され、彼女の体は平らな形にされていく。「苦しかったり、無理だと感じたら、我慢しないで言ってね。 式も披露宴も長いから、無理のない着付けにしないと」 「ええ、今はそんなに大変じゃないです」 彼女の細い肢体は打掛を纏う為に整えられていくのである。

  

   白い綾絹の長襦袢が着せられ、腰ひもが結ばれ、伊達締めで整えられていく。     


   この時何故か、嫌悪感を示すような表情を露骨に浮かべた。  が、直ぐに表情を変え、キレイな顔は無表情に戻る。  「和服は初めて? 成人式の時の振袖は?」 「いえ、着物は初めてなんです。  成人式の時はなんか忙しくて、出られませんでした」  「成人式って去年くらい?」 「いえいえ、もうだいぶたちました」 「二十歳位にしか見えないわね。 今日はお着物、沢山着られるわね。  素晴らしい豪華なお打掛が何着も! 最高の髪結い士さんに結ってもらったし、こんな見事な高島田見たことない!」 「日本髪、自分の髪で結えるように伸ばしたんです。 打掛も自分で好きな物に決めたんです」と笑みを浮かべるが、やはり何か不安というか、何か嫌な事があるのか。


   掛下が着せられるときも、彼女は何か嫌悪感を覚えるかのような表情を白いメイクの下に浮かべた。 着付けの女性達はそれには気ずかず、「文庫結びをお造りします」と言い、彼女の胸に白絹の帯を結んでいく。 帯を結ばれる花嫁は一駿、恍惚としたような表情を浮かべたが、やはり抵抗感のある表情に戻ってしまう。  着付けの女性が、鳳凰と鶴の文様の白無垢打掛を広げこの娘に打ちかけた時、彼女の内面ではある種の葛藤が渦巻くのあった。  

   

   我慢しなければ、迷惑はかけられない、乗り切らなければ、義務を果たすのだと彼女は思う。


  筥迫、懐剣、末広、が作法に従い帯と着物の間に装着され。 伊達襟、半襟が丁寧に整えられ、白無垢姿は見事に纏められてしまった。 「こんなきれいな、花嫁さん見たことない」三人は本心から感嘆の声を上げる。 「ありがとうございます」白無垢姿の女性は答えるが、本心は逃げ出したい気持ちで満ちていた。 

   最後に綿帽子が用意され、高島田の彼女の頭はこれ以上ないような純白の綿帽子で深々と覆われてしまう。前と下は普通に見えるが視界は少々遮られる。 イスラムの女性と同じ、女性の受ける抑圧、と花嫁は心の中で呟く。  大きな姿見の前に立つ花嫁は鏡の中の己を見つめて「まあー、ステキ、本当に純白、これが私」と感嘆したように言うが、本当の気持ちからは懸け離れた言葉であった。 「でもこれじゃあ普通には歩けませんね」と花嫁は苦笑いするが。 「大丈夫、おからげをしますから、歩けますよ」と着付けの女性も笑う。


    白無垢と掛下を上げて紐で巧く縛ると、裾が引きずらない用になり、何とか歩けるようになった。  銀の草履に足袋を履いた足を入れ、担当者に手を取られ、10センチ位の歩幅で静々と歩き出始める。 とにかく重い、腰ひもで何か所も絞められているのでとにかく不自由。 着物の重さで腕を上げるのも、困難と言うかあまり高くは上げられない状態。

   

   ロビーに出ると、羽織袴姿の20代後半と思われる男性が笑みを浮かべて彼女の所に早足で近ずいてくる。 彼女の手をとり、抱きしめようとするが、着物が凄いので諦め、彼女の纏う美しい着物に大事そうに触れる。 「ミュー、綺麗だな、凄いな!おどろいた! ここまでキレイとは。超現実的だね。 絹地って滑々だな!」と着物に触れる。 「あなたもステキよ。 とても似合ってる」  これが新郎であろう、彼もなかなかの容姿で、正に美男美女、似合いのカップルと言えそうである。


   綿帽子で顔が覆われ、白い肌のメイクと赤の唇のメイクで、表情があまり表に出ないので気が楽だと彼女はふと思った。 綿帽子と着物の中にいるようなものなので、気持ちは少し楽かもしれない。 非現実的世界か、彼女は人に聞こえない声で呟く。


  「リムジンがお待ちしております」という声に促され、担当者に手を取られ、白無垢姿の女性はゆっくりと車に向かう。 衣装が凄いので、担当者のさしずを頼りに、新郎に助けられ新婦は何とか車に乗り込む。


  「ミュー、俺、神社初めてだから、宜しくな」 「動画は見たでしょう。」 「あー、何回か見たよ」 「大丈夫よ、担当の人がチャンと導いてくれるし。 あなた要領良いから、大丈夫よ。 あたしは現場で長時間リハーサルしたし、サポートしてあげる」

   新郎が手を取ろうするが、彼女は直に引っ込めてしまう。 「なんだい、一昨日帰国してから、手も握らせないね。 どうしたの?」  「何でもない。 式の前だから」と彼女は誤魔化す。  「それにしても白無垢姿、凄いね。 とにかく綺麗だよ!」 「でも着るほうは大変よ。 重いし、何か所も紐で縛られて、動くの大変。 なんなら、あなた替わってくれない?」 「それはちょっと無理だな、俺はおかまじゃないんだし」 「私もそんな気持ちがするの」 「・・・・・?  まあ、今日はガンバって乗り切ろう、明日から一週間のハネムーンだ、君と僕の生涯最高の時間にしよう」 「そうね」綿帽子の中の新婦は少し皮肉な笑みを浮かべるのであった。


   リムジンは木々に満ち溢れ紅葉に彩られた神社に到着した。 すでに神職三名と巫女二名が待機している。 ドアが開くと、巫女は手慣れた様子で新婦の手をとり、降車を助ける。

   丁寧な挨拶があり、神職が先を導き、一人の巫女が大きな朱傘を差し、もう一人巫女が白無垢の新婦の手をとり、境内をゆっくりと進む。 新婦は新郎の少し後ろを歩むのが作法。 幾つかの大きな鳥居を潜り、社殿の近くに来ると、新郎新婦の親族が居並び、二人を迎える。  親族に丁寧に軽く頭を下げながら、二人は本殿に導かれていく。 親族は新郎新婦の後を歩む。  留袖姿の上品な女性が、前に出て新婦の手をとり、介添えを始める。 「みゆチャン、とっても綺麗ね、可愛いわよ、おめでとう」新婦の耳元で囁く。 白無垢の女性は綿帽子の中の白い顔を僅かに微笑せる。  新婦の母親であろうか。


    社殿の近くに来ると、雅楽の音が響き始め、雰囲気は否が応にも盛り上がってくる、荘厳かつ神聖な雰囲気、聖なる場。 神の前で婚姻の誓いを立てるのかと思うと、絹物に覆われた、新婦の胸は高鳴りを抑えることは出来ないでいた。

   新郎新婦は社殿の奥、所定の位置に導かれ、二人は神の前に並ぶ。 「とうとう夫婦だ! 僕は嬉しい、君はどう?」綿帽子に顔を寄せて囁く。 「まあそうかしら、ここは神聖な場所なのよ」と紅色に塗られた実憂の唇は曖昧に囁く。 「この神社、安産祈願で有名なんだね。 早く、赤ちゃん出来ると嬉しいね」 新婦は驚愕したらしく、綿帽子が少し揺れた。 「・・・・・」  「赤ちゃん欲しいって言ってたじゃないか、約束した事だよね」  「そうだったわね、でも今は止めて、お願い、儀式が始まるわよ」 「ごめん、ごめん」新郎は気持ちを引き締めた表情になる。  

  

    新婦は緊張の為かなのか少しイライラした感じがする。 着物姿の担当の女性が白無垢の裾を整え、袖を整え、綿帽子を丁重に整える。

  

    親族の入場が終わり、神に向かって左側の新郎の後方に、新郎の親族が着席し、右側に新婦の親族が着席する。


    太鼓の厳粛な音が鳴り響き、衣冠束帯姿の神職が立ち「ご両家様の婚礼の儀を挙行いたします。 神楽、豊栄の舞を奉送いたします」

    二人の年若い巫女が、榊を手にして神の前に控え、笙の音が響くと舞は始まる。  やがて、篳篥、神楽笛の音が加わり、厳粛な雰囲気は嫌が追うにも、高まるのであった。


   「聖杯の儀を執り行います。 新郎新婦様は御起立願います」  巫女が捧げる杯を、新郎が受け、お神酒が三度注がれる。 新郎は三度杯を傾け、巫女に戻す。 続いて杯は新婦に捧げられるが、白無垢の中の白い手は一駿躊躇したかのように動かなった。 やがて美憂は杯を両手で受け、巫女によりお神酒は作法どうり注がれる。

   杯を持っ白い手は暫し動ないでいて、僅かに震えているかのようにも見て取れた。  僅かな時が過ぎ、新婦は綿帽子の中の紅い唇に杯を寄せ、躊躇しながらも、やっと心を決めたのか、杯に三度自分の唇を触れる。  

    二の杯、三の杯は作法に従い厳粛に進み、夫婦固めの儀は厳粛に執り行われた。



    新婦の後方に控える両親は、娘の美しく、清らかな花嫁姿を目にして、喜びと、安堵、安らぎに、その心は満ち溢れていた。 実はこの二か月程、何故なのかよく分からない娘の微妙な変貌に、多少の疑念、杞憂の念をいだいていたのである。

    何がどう変わったのかと言われれば、何が変ったとは言えないのだが、幼いころから慈しんできた大切な娘であるからこそ微妙な変化の中に何かを感じたのであろうか。 「美憂、最近なんか少し変わったと思わない? 何か私にも隠してる事がある様な気がして、しょうがないのよ。 あんまり、隠し事するような子じゃないのに。 何かある様なきがしない」 「確かに俺も少し思わないわけじゃあない。    でもあの子にしても、結婚を前にして思う事もあるんじゃないか? 美憂ももう24歳だ、小さな女の子じゃない、隠し事だってあって普通だろうよ。 真面目な娘だ心配することもないだろう」

  このような会話もあった。


    「指輪の交換でございます」 巫女は三宝に乗せたプラチナの指輪を新郎の前に捧げる。 指輪を手にした新郎は、新婦の左手薬指に指輪を嵌めた。 新婦は静かに見つめていた。

    「続いて新婦様から」 巫女は三宝に乗せたプラチナの指輪を新婦の前に捧げる。指輪を手にした24歳の女性は、十年来の友であり、今日この時、自分の夫になろうとしている男性の左手に指輪を嵌めたのである。  この時、二人はこの日初めて顔を見合わせて、微笑み合ったのである。 



    リムジンが待っている。 神職と巫女の見送りを受け、また白無垢打掛の裾に苦労しながら、新郎新婦は乗り込む。


    「美憂! 素晴らしかったなー! 僕ら結婚したんだ、もう夫婦なんだ。 うれしいよ、君はどうだい?」

    夫に手を握られた美憂は、僅かに微笑んで、「そうね、確かに結婚したわね」 今度は握られた手を解こうとはしない。  もうある一線を越えてしまった、もう元には戻れないのかもしれない。 美憂は心の中でそんなことを考えるのであった。   


     


     衣紋に掛けられた、緞子織の赤地の打掛が美憂を待っていた。 「キレイ、とっても、キレイ」と呟くが、抵抗感が完全に消えた分けでもない。 綿帽子が外され、白無垢は手慣れた要領で脱がされ、帯が解かれ掛下も脱がされる。 同時にメイクも修正されていく。 長襦袢が整えられ、綸子織の掛下が着せられ、白地の丸帯が文庫に結ばれる。 

     バックはすぐそこにある。 連絡をしたい、が出来そうにもない。  披露宴が三時間位で、その後、あの打掛を脱いで、この文金高島田を解いて、メイクを落とし、親族や参列者に挨拶して、彼と二人で成田のホテルに車で向かう。 薬指のリングが気になる。 彼とずっと一所だ。 


    文庫に結ばれた帯が太い帯締めで締められる。 掛下が整えられ、末広、筥迫、懐剣が挟まれ、抱え帯が結ばれる。 半襟、伊達襟が鮮やかな色彩を醸し出す。 絢爛豪華な赤地の打掛が彼女を覆いつくす。「まあー、お綺麗なな事!」三人の女性は正直に感嘆の声を上げ、彼女は微笑みで答えるが、本心は別の所にあった。  白無垢から色打掛に換わり、女はある色に染められていくものなのか、と心の中で苦笑いするのであった。

    着付けの女性達に裾を持ってもらい、助けられながら、外で待ちわびていた新郎の後に従い、披露宴の会場に文金高島田を結い上げた、色打掛の女性は入場するのであった。

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