をぐらのさうしはじまる
令和七年元旦、明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ということで、これまで1000本書いてきた前のエッセイからこちらに引っ越してまた1本目から始めていくことになりました。これまでもこだわりなく、思ったことを思ったままに書いていましたが、そのスタンスは変わりませんし、なんならもっとやりたい放題になるかも知れません。ただ、エッセイだけではなく、もう20年以上続けているブログやその他もそうなんですが、できるだけ誰かを傷つけたり不愉快にさせない内容、そしてできるだけあまり大したことじゃないこと、取るに足らない小さいことをつつくようなことを書き続けようと思っています。
そういうことで、相変わらずしょうもないこと書いてるなとクスッと笑ってくださるととてもうれしいです。これからもよろしくお願いいたします。
さて、どうでもいいようなことと並んで2本柱となるのが、
「食べ物」
ですね、私の場合は。
ということで、今回はおせち料理の話なんぞを。
おせち料理は作り出してからもう長いです。元々ものすごい偏食から、食べるものがないと幼稚園ぐらいの時にストーブの上に乗せた小さいフライパンでソーセージを炒めたり、目玉焼きを作って食べてたのが私の料理のスタートですが、そのおかげか小学校の調理実習が始まる頃には、もうかなりの物を作れるようになってました。
おせち料理は高校1年の時から作り始め、母や妹とも協力して色んなものを作っていましたが、妹が結婚して家を出て、母がいなくなってからはもちろん自分で全部作っています。
昨年、あるタレントさんが「おせちなんてあんな味が濃くて保存食、もういらないんじゃない」と言って炎上したとか聞きましたが、こういうのってそういうのじゃないと思うんですよね、伝統とか風習、それから家族の思い出とか、そういう感じだと思うので。
うちはおせちを買うということはほぼなかったんですが、それでも家の仕事のお付き合いで何回かは買ったことがあります。やっぱり見た目はきれいだし、家では作らないようなものも入っていてそれなりに楽しかったですが、なんとなくいつものものでも家のおせちの方がいいなと思いました。
それから他にも色々事情や考えることがあり、できるだけこれからもおせちは作ろうと思っています。たとえ縮小したとしても、せめてお煮しめとそれからお雑煮はほしいです。
本当に品数も量も減ってしまいましたが、体調とお財布が許す限りおせちを作るのをやめないと思います。文章を書かずにはおられない病と知ってくださる方も多いと思いますが、そこにおせちを作らずにはおられないも足していただいたらいいかも。
さて、この元旦は出かけますので、朝はさっと済ませて帰ってきてから実家でお仏壇にもお供えしてから、中の方たちと一緒におせちとお雑煮をいただきます。このへんは多少ゆるくしてもみんな許してくれるだろうて、うん。
写真は大みそかに作ったおせち、出来上がった時の写真です。
左上:ハム、伊達巻、かまぼこ、ゆで卵
右上:お煮しめ
左下:鶏の照り焼き、ブリの照り焼き
右下:ついでに年越しそば
※前作「小椋夏己の千話一話物語(最終タイトル)」はこちらになります。
よろしければご一読ください。
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