2.2 ロバートの苦難
村でのんびりと草を食んで、たまには力仕事をしつつ、そのまま気ままにスローライフで生涯を終えると思っていた。しかし現実とはときに非情で、ちょっとしたことで人生の歯車は狂ってしまうものである。そして自分にとっての人生もといロバ生の岐路が今日であると、ロバートは感じていた。
「なんだこの鈍臭い馬は。いやロバか」
「せっかく村の方々が厚意でくださった馬にそんな言い草はよくないですよ。ロバでしたけど」
「まあまあ二人とも、徒歩から馬車なんて凄い進歩じゃない?ほーら、ロバート君だって頑張ってるんだから」
自身の引く馬車からの冷たい視線を受けつつ、ロバート(出会って二秒でユーリカにつけられた名前)ことロバは必死になって走る。せいぜい小麦の積まれた小さな荷車しか引いたことがない華奢な身体は馬車を引くだけで精一杯だ。それでも、お椀の隅のキャベツ程度の根性を奮わせて、ロバートは死に物狂いで馬車を引いて走った。
走らなければ殺される。特にあの黒い鎧を着た大男はロバを殺せる目をしていた。だからロバートは走るのだ。果てしなく遠いエンパー男爵領を目指して。
ーーー
ユーリカ一行は思いのほか進みが悪い馬車での旅にもどかしさを覚えていた。
竜門騒動の村にて馬車とロバートを貰い受けて出発してから三時間、一行のもとにさまざまな問題が次から次へと降り注いできた。
はじめに馬車と共に貰ったのが、力仕事なんてほぼしたことがない痩せロバだったのは仕方ない。伯爵の度重なる徴税により村に残っていたのが、ロバートのほかに一頭の雄馬しかいなかったのだ。さすがに馬を持っていってしまえば村の人々の生活が難しくなると判断して、ユーリカたちはロバートを選んだ。そもそも貰えるだけでも御の字なのだ。
問題はここからである。このロバートというロバ、想像以上のダメロバだったのだ。
まず出発して十分でもう疲れたのか足を止めてしまった。文字通り道草を食うロバートに一同は驚いたものである。
次にアルビオとルカに喝を入れられたロバートは街道を前進全速して、そのまま茂みへと馬車ごと突っ込んだ。車輪が一個外れかけるわ、馬車の中に枝葉や虫が入ってくるわの大騒ぎである。結果、復旧して進行を再開するまでに一時間近く掛かってしまった。
その後も、指示とは別の方向へ走ったり、カラスの群れに見下されて襲われたりと様々な事件を経て今に至る。
こういった出来事を経て、ユーリカたちはまだお天道様が真上にいる時間帯だというのに深い疲労感を覚えていた。
進行状況としては当時の想定を大きく下回った状態である。それでも徒歩で行くよりは少し速く進めているため、ロバートはギリギリ体裁を保てていた。
エンパー男爵領までは徒歩で12日、馬車で4日というのがユーリカたちの見立てであったが、このロバートだと4日よりは長くかかりそうである。
「この調子ですと、今日中に目的地の町までは辿り着けなさそうですね」
大きな地図を広げながらルカがそう話す。
本来今日はアセドという小さな町にて宿を取る予定だったのだが、このまま行くと着くのは夜中の12時。辺境の街道は灯りが無く夜間の移動が難しいため野宿をすることになるだろう。
「待て、となると野宿するのか?俺は嫌だぞ野宿なんて!」
この面子の中で野宿に対して一番に忌避感を示したのは意外にもアルビオだった。封印される前までは豪華な宮殿で絢爛な生活をしていた彼には、外で寝るということがもう堪えられないようだ。
「女々しいこと言わないで下さい。旅をする以上野宿は付き物でしょう」
その点、ユーリカたちは旅の聖職者でありこのような野宿にも慣れていた。ルカの言う通り旅に野宿は付き物なのだ。
「意外と野宿も楽しいよ?晴れてる日は星が綺麗だし」
「うるせぇ!俺はベッドじゃなきゃ寝れないんだ!おらロバート、急げ急げ!」
慰めるユーリカに悪態をつきつつ、アルビオが馬車を引くロバートを急かす。その様子はまるで駄々をこねる子供である。ユーリカは困ったように笑い、ルカは呆れてため息を吐いた。
ーーー
「もう空も赤くなってきちゃったね」
窓の外にて茜色に染まる空を眺めてユーリカが呟く。
村を出発して8時間、一行は今日の目的地であったアセドまで道半ばといったところで夜を迎えようとしていた。
昼以降はロバートが蜂に刺されたり、また道草を食ってアルビオに脅されたくらいで、大した問題もなく旅は進行していった。しかし一度取った遅れというものはそう取り返せるものでもない。もうこれ以上の進行は危険になってくるため一同は野宿をする運びとなった。
「ユーリカ、野営できそうな場所は見つかりましたか?」
「んーん。まだー!」
窓を覗き込み周囲を窺うユーリカにルカが声をかける。馬車の外は右も左も雑木林のようになっており馬車を止められそうなスペースが見つからない。街道に馬車を置くのも憚られるし、伯爵から追われる立場でもあるため、ユーリカたちはどこか身を隠せて馬車も置ける場所を探していた。
現在木が鬱蒼と聳える林地帯へと入ってしまったため、野営地探しは難航していた。走っている場所は街道といえど一歩外れればそこはもう野生の地だ。大規模都市付近の街道であれば周囲も含めて整備されているものであるが、生憎とここは辺境であった。
「全くまどろっこしいな。場所がないならそこらの林燃やして作ればいいだろ」
などと物騒な発言をするのは、手綱を握りロバートを荒々しく操るアルビオだ。
野営が決まった時こそ意気消沈といった彼だったが、今はもうなかなか野営地が見つからないことに苛立っているようだった。口をへの字に曲げて悪魔の提案をしてくる。
「発想が野蛮ですよ。それに目立ってしまうでしょ、そんなことをしたら」
アルビオの発言に対して信じられないといった視線をルカが向ける。その声には多分に呆れが含まれていた。
「……野蛮ねぇ。だったらお上品に深夜ドライブとでも洒落込むか?俺は一向に構わんぞ」
皮肉増し増しなアルビオの返しにルカは歯噛みする。
今回以外でもこの二人は、何かといがみ合うことが多かった。もともと配慮が欠けた発言の多いアルビオだ。負けん気が強く食ってかかるルカとは衝突も自然と多くなる。
そのままガルガルと威嚇し合う二人を尻目に、ユーリカは車窓から野営地を探す。激しく揺れる馬車の中、同じような木々がひたすら近づいては遠ざかっていく様を見るのが延々と続く。気が滅入りそうになるのを堪えて目を凝らしていると、樹冠からはみ出した円錐の屋根が遠くに見えた。
「あんなところに砦なんてあったっけ?」
次第に近づくにつれて建物の外観が見えてくる。それは石造りの砦であった。かなり年季の入ったその建物は、ところどころ倒壊して緑に侵食されている。建物を取り囲むように城壁が建っており、その奥に建物と小規模な野外広場が収まっている。
「地図には書いてありませんね。建物の様式も古く、風化しているので恐らく前時代の廃墟かと」
ユーリカの横にひょっこりと顔を出したルカがそう言った。どうやらアルビオとの口喧嘩は終わったらしく、澄ました顔で地図と砦を交互に見ている。確かに彼女の言う通り建物は古く、廃墟であるように見えた。
「廃墟かぁ。野営には向いてそうだけど……」
ルカの言葉にユーリカは思案する。
あの砦跡ならば馬車を停めるスペースがあり、なおかつ身を隠すことができる。しかし廃墟には先住者がいる可能性もあった。盗賊や竜門の隠れ蓑に廃墟が使われていたという話は珍しくない。つまり廃墟には危険が付き物という話だ。
ルカもユーリカと同じ考えのようで難しい顔で頭を捻る。日没も目前に迫り、ここを逃したらもう野営できる場所が見つからない可能性もある。
しかし連日、伯爵の私兵から逃げたり竜門を退治したりといった一行にとって、これ以上トラブルで消耗することはできれば避けたかった。
そんなこんなで二人が思索を巡らせていると、突如として馬車が砦跡の方へ舵を切り出した。犯人はもちろん手綱を握るアルビオである。
「ちょっと!何してるんですかアンタ!?」
「あそこが野営に向いてんだろ?だったらそこでいいじゃねぇか。俺はもう疲れた!」
「待ってアルビオ、ストップストップ!」
ざわつく馬車内はそのまま砦の方へ直進する。アルビオに操られたロバートは止まることができない。少しでも逆らおうとするものなら、手綱ごしに少しの電流とたっぷりの殺意が送られてくるからだ。
「構うなロバート。その門を突っ切れ」
アルビオが一際大きな電流を手綱に流し込むと、ロバートは半狂乱でいななき速度を上げる。そして馬車がガタガタと騒音を轟かせ砦の城壁門を一気に通過した。
「痛ったた……」
「大丈夫ですかユーリカ」
ロバートの怒涛の直進により尻餅をついたユーリカにルカが手を伸ばす。馬車の揺れ具合からかなり乱暴に門をくぐったようだ。ユーリカの他にも依頼を詰めた篭や食料品袋などが、馬車内に横たわっていた。
倒れた積荷を戻しながらルカは御者台の方へと歩を進める。目的はもちろんこの最悪のドライブのお礼をするためだ。
ユーリカも頬を掻きながらルカの後に続いた。
御者台から馬車の底の方を覗きこんでいたアルビオは、二人の影に気付き顔を上げる。そうして悪びれもなくこう言った。
「馬車の車輪が外れちまったみたいだ」
あっけらかんとして告げられたその事実に二人は大きく口を開けた。馬車の車輪が外れたということはつまり、この場所での野営が確定したということだ。
ユーリカは困ったように眉を上げ、ルカは怒りと呆然の内混ぜになった表情で天を仰いだ。
ーーー
ユーリカは馬車の荷台からキャンドルランタンを取り出すとそれをルカへと渡す。
パチッ。
ルカが慣れた手つきで指を鳴らせば、キャンドルにオレンジ色の火が灯った。
「器用なもんだな。そんな風に魔力を使える奴はそうそう見たことないぞ」
「お褒めいただき光栄です。アンタにじゃなければ嬉しかったですけど」
素直に感嘆の意を示すアルビオにルカは引き攣った笑顔を向ける。
実際に長い年月を生きたアルビオであっても、魔術で片手間に火を起こせる人物を見る機会は少なかった。魔術とは基本、式と詠唱を通して事前に決められたアクションを起こすものであり、その動きはとても固いものだ。そして既存の魔術にない行為を起こそうとする場合は、自分で独自に魔術を編み出す必要がある。そしてルカが行ったのはそれであった。
ルカはそのまま慣れた調子でほか二つのキャンドルランタンに火を灯すと、それらをユーリカとアルビオに手渡した。淡い三つの火が茜色の空の下で揺れる。
「それじゃあ行こっか」
ユーリカが合図して先に進むと二人もそれに続いた。進路は砦跡の中。野営の前に盗賊などの先住者がいないのかを確認するためのパトロールである。
「寝首なんて好きに搔かせればいいと思うがね。俺がいる限り正動も外道も通じないんだ」
アルビオは面倒くさそうにそう呟く。ユーリカたちも彼の言い草に対してその通りかもしれないと思った。先日の竜門退治で見たアルビオの力を思えば、そう軽々と否定できる発言でもない。
しかし警戒をするのとしないのとでは大きな差がある。
ユーリカ一行は朽ちて開きっぱなしになった木の扉をくぐり、砦跡の中へと足を踏み入れる。背中にロバートの怖いから一匹にしないでくれという視線を一心に受けながら。
砦跡の中は蔦などの植物に侵食こそされているものの、外装ほどは朽ちていなかった。廊下はしっかりと一直線に伸びているし、天井に雨漏りなどをしている形跡もなかった。そのことに三人は一抹の違和感を覚えながらも先へと進む。
右へ曲がりもう一度右へ。そして今度は左へ曲がり突き当たりを右へ曲がる。砦跡は思いの外に入り組んでおり、細長い通路がアミダ巣状に展開されていた。
道を曲がるたびにルカがチョークで小さな跡をつけているので迷うことはないだろうが、一度道標を見失ってしまったら大変なことになるだろう。
「……? ルカいま何か言った?」
「いえ、何も?」
通路を5回ほど曲がったところで、ユーリカがそう言って後ろを振り返った。ルカはそれに対して首を横にぶんぶん振る。
さて気を取り直して探索を再開しようしたところで今度はルカがユーリカに尋ねる。
「あれ?いま何か言いましたかユーリカ」
「え?言ってないよー」
続け様に起こった空耳に二人が首を傾げていると、最後尾のアルビオが深いため息を落とした。
「耳の悪い奴らだ。ついてこい」
悪態をついたあと先頭を歩き始めるアルビオに、二人は再び首を傾げる。しかし思いの外早足で先に行くアルビオに、二人も慌てて後を追うことにした。
通路を右に二度曲がり最後に左に曲がると、そこで細長い回廊は終わり吹き抜けの広間のような場所へと出る。どうやらこの建物には地下フロアがあるらしく、ここの吹き抜けは一階と地下とを繋げた場所であった。
アルビオから少し遅れてやってきた二人は息を切らしつつその場に止まる。アルビオの190センチ越えの巨漢の歩く幅を埋めるためには、小さい二人は常に小走りをする必要があった。
「ちょっと、理由も言わずにこんな所まで来て何なんですか?」
ルカの半ば不機嫌そうに放った質問に、アルビオはにべもなく吹き抜けの下の地下を指さした。
それから数秒後、二人の人影が地下に現れる。
「しゃぁぁっ!逃げんじゃねぇぞこのガキ!大人しく商品に戻りやがれ!」
「嫌だっ!誰か助けて、助けてぇっ!」
ひゅうっと奇声を上げて少年を追いかける商人風の男と、それから逃げるボロ布を纏った少年。逃げ出した奴隷と奴隷商人の追いかけっこが、林脇の砦跡にて繰り広げられていた。