1.7 旅立ちの朝
ものの見事に爽やかな朝だ。
樹冠より顔を出した太陽が村の広場を照らし、朝鳴き鳥の甲高い鳴き声に背中を押された村人たちが広場を快活に行き来する。ある者は川で洗うための洗濯物を籠に詰め、またある者は工房の炉に火をつける。まさしく一日の始まりがここにあった。
昨日、突如舞い込んだ竜門退治を解決したユーリカたちは一晩この村の宿屋でお世話になっていた。退治のお礼として値段はタダで、酒場兼大衆食堂であるこの村唯一の店でご馳走も振る舞われユーリカとルカは恐縮したものである。戦いの疲れが取れたかと言われれば嘘になるが、心に満ちるものがあるのは確かであった。
朝の活気あふれる往来を眺めてアルビオはただ一人大きな欠伸をこぼす。純黒のプレートメイルに身を包み、その上に淡いブルーのサーコートを纏った巨漢が、民家の壁に寄りかかっている。その姿はさながら横柄な騎士のようだがその実彼は悪魔である。そして今この村においては竜門大事の英雄でもあった。
「おはようございます。いい朝ですね」
英雄であるのだから声も掛けられる。村人が通りすがりにアルビオへ挨拶や感謝の言葉を掛けるのもこれで6回目だ。
「……」
アルビオは村人の声掛けに一瞥も寄越さず無視をする。これで挨拶を無視するのも6回目。中には気を悪くしたような者もいたが、そんなものアルビオの知ったことではない。
さてアルビオが何故こうして一人、気もそぞろに朝の往来に身を置いているかというと、それはユーリカたちを待っているからである。
竜門退治のお礼としてユーリカたちは歓待のほかに、村にあるもう使われていない馬車を譲ってもらうことになった。馬車を引く元気なロバも込みでだ。破格のお礼にユーリカたちは最初遠慮したが、伯爵の追っ手から逃れるためにも厚意に甘えることにした。
そしてアルビオはユーリカとルカが馬車を受け取りに行くまでの間、村の片隅に待たされていた。
好奇の視線に晒されるのは甚だ不愉快であるが、ここで暴れるわけにはいかない。だからアルビオは木の上のナマケモノのように、ジッと朝の営みのなか耐えていた。
「うおおお!竜門退治のおじちゃんだ!」
キンキンと甲高い子供特有の声。それはアルビオの腰の辺りから聞こえてきた。見下ろせばいるとは当然子供。この村で一番声が大きいのではないかと思わせる喉を鳴らし、作業着を着た坊主の子供がそこに立っていた。
ジャガイモのような顔に人懐っこい笑みを浮かべた少年は、どうやらアルビオのことを知っているらしかった。アルビオの腰の辺りまでぴょんぴょん飛び跳ねて雨のように言葉を投げかけてくる。
「竜門を退治するなんて凄えよ!俺の父ちゃんなんてズタボロにされて帰ってきたのに」
父ちゃん、竜門にズタボロにされたというなら、アルビオたちが食事をしていたところに駆け込んできたあの男のことだろう。ユーリカの治癒術の世話になった男だ。名前は確かカブといったか。
どうやらこの男児はカブの子供らしい。
「どうやって倒したの?見たところ剣とかは持ってないみたいだけど。あっ!分かった!何か秘密の武器を使ったんだ。そうでしょ?」
にしてもこの子供は引くことを知らないらしい。先程からアルビオが無視を一貫しているというのに、全く気にした素振りを見せずに話を続ける。
「おじちゃんの格好騎士みたいだね!領主様のところの騎士は横柄で嫌な感じだけど、おじちゃんはカッコいいよ!」
むっつりと無視を決め込んでいたアルビオであったが、少年は引く気がないようだ。このままでは煩くてたまらないので、仕方なくアルビオは少年に付き合ってやることにした。
「……領主様ね。マルダン伯爵のことか?」
マルダン伯爵はここら一帯を治める貴族だ。ユーリカたちが告発しようとしているように、領民を奴隷に仕立てて売買をする違法行為に手を染めている。
「そうそう!あの人はひどいんだよ!ひどく重たい税を取り立ててみんなを泣かせてる。しかも税を払えない人はどこかへ連れて行かれちゃうんだ!」
アルビオの問いに少年は激しく首を上下する。行為に違わぬ悪評だ。どうやらこの村もマルダン伯爵に苦しめられているらしい。
そういえば村人の中には腕や顔などに青あざをこさえた者も何人か見られた。もしかしたら暴力なども振るわれているのかもしれない。なんとも胸糞悪い話だとユーリカたちだったら思うだろう。
「領主様は最低だよ!あんな人天罰が下ればいいのに」
「こら坊主、なんてこと言ってるんだ!」
物騒な発言を投下し続ける少年に村人たちはやっと気づいたらしい。背の高い鍛冶屋の男が慌てて少年の口に自身の手をあてがった。
筋肉質な大男が、小心者のような表情を顔に貼りつけて少年の口を塞ぐ姿はなかなか滑稽である。
鍛冶屋の男はアルビオに軽く会釈をすると、そのまま少年を連れていそいそとその場を立ち去った。
「……案外すぐに下るかもな。天罰」
「貴方にですか?」
少年たちの背を見送ってひとりごちるアルビオを、ルカが訝しげな目で見ていた。いつの間に来たのやら。タイミングの悪い女だとアルビオは思った。
「馬鹿言え。俺はもう懲らしめられてるよ」
言外に今の状況に不服を漏らしつつアルビオはルカの方を振り向く。いたのは彼女一人。おおかた馬車の受け取りが終わってアルビオを迎えに来たといったところだろう。ユーリカは馬車の方で待っているようだ。
「馬車貰ったんだろ?案内しろ」
「はい。付いてきて下さい」
アルビオの言葉に頷き、ルカは歩き始めた。しっかりとした足取りで歩くその姿には、昨日受けた怪我の気配は全くない。それもそのはずだ。戦闘が終わったあと彼女はユーリカの治癒術を受けていたのだから。
そこそこの負傷であっても一気に回復させてしまう。治癒術は恐ろしいほどに強力な術であった。
一行はそのまま口を閉じ、村の外へと歩いていく。砂利道を踏む靴の音と周囲の農作業の声だけがただ流れていった。
「何を、話していたんですか?」
しばらく無言で歩いていると、ふとルカが振り返らずにアルビオにそんな言葉を投げかける。おそらく先程絡んできた少年のことだろう。
「別に」
「そうですか」
ルカの質問にアルビオは素っ気なく答える。全くもって話を広げようとしないアルビオの態度にルカはキュッと口をつぐんだ。
なるべくしてなった沈黙の中両者は足を進める。小規模な村といっても人の営みの集合体だ。畑や民家を合わせればその広さはなかなかのもので、村の出口はまだ見えてこない。
ただ着実に村はずれへは来ているようで徐々に民家は少なくなり、道の砂利はより粗いものへとなっていった。
何度か枝分かれした砂利道を曲がっているとやがて道が一直線になった。今まではまばらにあった木々が密集して林となり、村の道は林道へと様変わりする。
林道の先には小さいながら馬車が見えた。
「あの……」
馬車が見えたところでルカはアルビオの方へ振り返る。ダークオレンジのサイドテールがふわりと揺れた。
アルビオの怪訝な表情がルカの視界に入る。
「昨日は助けてくれて、ありがとうございました」
「見殺しにするつもりだったんだがな……」
丁寧に頭を下げて感謝を告げるルカに、アルビオは眉をひそめる。彼がルカを竜門の魔の手から救ったのは事実だが、それはユーリカの脅しによって仕方なくやったことだ。昨日の彼の言動を考えれば、感謝するどころか責められてもおかしくないだろう。
「実際貴方に助けられたのは事実ですので。感謝をするのは最低限の礼儀でしょう?」
まあ、貴方に頭を下げるのは不服ですが、などと付け加えながらルカは頭を上げる。どこまでも律儀な女である。
アルビオは一瞬毒気を抜かれた顔をしたあと、心底理解ができない生き物を見る目でルカを見た。
「あの聖女様は指折りの馬鹿だと思っていたが、どうやら従者のお前もそうみたいだな」
「私の親友は馬鹿じゃあないです!訂正して下さい」
思わぬ吠えられ方をして首をすくめるアルビオ。ルカはふんすと鼻息を噴射してアルビオを睨む。
そんな二人の姿に気が付いたのか、馬車の方からピンク髪の少女がぴょんぴょん飛び跳ねて手を振っている。ユーリカだ。
ユーリカの存在に気がついたルカは顔をパッと綻ばせて馬車の方へと歩き出す。つられてアルビオも歩を進めた。
これにて1章完結です。
2章は4話まで毎日投稿を続け、それ以降は毎週金曜日の17時に投稿していく予定です。