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聖女ユーリカの強欲  作者: 潮騒八兵衛
第一章『強欲の復活』
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1.4 沈んだ悪意、浮かぶ罠

 『俺はいつも通り川に飲み水を汲みに行ったんだ。そうしたらそこで女の人が竜門に襲われていた』



『助けようとしたよ。自分の力を過信していたわけじゃないけどさ。ほら、見過ごせないだろ?』



『そうしたら突然川底から無数の触手が出てきて、出てきて……そこからはあまり覚えてない』




 村にてカブから聞いた内容を頭に浮かべながら、ユーリカは手元の地図へと目を落とす。時刻は昼の3時過ぎ、村を出て30分、(くだん)の川まではもう目と鼻の先といった距離まで来ていた。


 周囲の景色は湿り気のある森林といった具合で、視界が悪ければ足場も悪いという如何にもな悪路だった。ユーリカの膝あたりまでの高さの藪からは、虫がこれでもかという程に気配を発している。蜂やムカデなども頻繁に顔を出すため、ここまでの道中でルカティアが悲鳴を上げた回数が二桁に到達しようとしていた。


「ひいいぃっ!?む……ムカデ!」


 さていよいよルカが10回目の悲鳴を上げたところで、アルビオがユーリカの持っていた地図を覗き込む。極上の強面が視界の縁に現れたことでユーリカは一瞬肩を揺らすが、すぐにアルビオが見やすいよう地図を動かした。



「どうやらあのバカが襲われた川までは、もうすぐのようだな」


「バカってカブさんのこと?そんな呼び方はよくないよ」



 頬を膨らませて注意するユーリカに、アルビオは小さくため息を吐いた。



「自分の力量も鑑みずにリューモンとやらに挑んで死にかける……これをバカといわず何と言う?」



 実際にアルビオはその長い人生の中で何度も、自分の実力に見合わない挑戦をして命を落とす者を見てきた。その末路はどれも悲惨なものだ。

ある者は公衆の面前で晒し首となった。

ある者は深い谷底へと足を落とした。

またある者はアルビオの前に立ちはだかり消し炭となった。

無謀や蛮勇はいつだって死因になる。それも確実性の高い死因に、アルビオはそう考えていた。



「確かにカブさんは少し無謀だったかもしれないけど、困っている人がいたら助けるのが人間だよ!私もそうする」



 ユーリカの真っ直ぐな視線がアルビオに突き刺さる。自分の言っていることに一切の間違いがないと言わんばかりの、曇りない瞳だ。ああ、そういうところが嫌いなんだとアルビオは髪を掻く。


 このユーリカとかいう女は、自分がお人好しの善人であるように他者もそうであると考えている節がある。きっとこの女の頭の中の世界は、正しいことが尊重される甘く優しい砂糖菓子のような世界に違いない。アルビオは胃液が喉にせり上がってくるような錯覚を覚えた。



 二人の間に剣呑な空気が流れるが、それはすぐに途切れることとなった。


「二人とも見てください。あそこです」


 そう言って藪の向こうに流れる川を指指すのはルカだ。さっき虫に悲鳴をあげていた時とは別人のようにすまし顔を決めている。彼女の白い手袋をはめた手が指さす方向を見ると、そこには川の流れに飲まれて溺れている女がいた。



 年齢は二十代前半から半ばといったところだろうか。若草色のチュニックを身につけた愛らしい顔の女性だ。薄い色の茶髪を短く顎のところで切り揃えているところから活発的な印象も受ける。

その女が手をバタバタと動かしてもがいていた。酸素が不足して真っ赤になった顔を、水面に出しては沈みを繰り返すその姿はあまりにも痛ましい。このまま放っておいたら死ぬのも時間の問題だろう。


 ユーリカは細く悲鳴を上げると同時に右足を前に伸ばす。助けなければ、という一心で溺れている女性に向かって走り出したのである。

川幅はおよそ50メートル程で流れはそれ程早くない。水深もさほど深くなく、小柄なユーリカであっても川に入って女性を引っ張り出せそうだ。


「待っててね!いま助けにいきます!」


 ユーリカは透き通る声で溺れている女に呼びかける。服の袖をめくりスカートの裾をあげる。川まではもう目前というところだ。

 呼び掛けを受けてユーリカたちの存在に気がついた女性は、苦しそうな赤ら顔で笑みを作りぎこちなく頷いた。



「……妙だな」



 ここまでの一部始終を眺めていたアルビオが呟く。鋭い鷲のような眼は疑惑に満ちて、川で溺れている女を捉えていた。

 川幅は50メートル。流れは比較的穏やかでユーリカが問題なく入れる程に水深は浅い。川での用事といえば洗濯や水汲みくらいのものでそれらはみな岸辺で事足りる。それなのに何故この女は川の中心で溺れているのか。

 竜門に襲われて川に引きずり込まれたのか?では何故この場所に竜門はいない?



『俺はいつも通り川に飲み水を汲みに行ったんだ。そうしたらそこで女の人が竜門に襲われていた』


『助けようとしたよ。自分の力を過信していたわけじゃないけどさ。ほら、見過ごせないだろ?』


『そうしたら突然川底から無数の触手が出てきて、出てきて……そこからはあまり覚えてない』



 怪訝な顔をして溺れている女性を眺めていたアルビオの脳裏に、ふと村で聞いたカブの証言がよぎる。

 そしてすぐにアルビオはユーリカに向けて叫んだ。


「逃げろチビ!!」


「え……?」


 アルビオの叫びに振り返るユーリカ。

 彼女の背後には川から伸びた無数の触手が迫っていた。

 ズドドドド!と触手の着弾音が鳴り響く。触手の先端は薙刀の刃のような形状だ。人体などたやすく切り裂いてしまうだろう攻撃が一斉に降り注ぐ。

 水飛沫と共に土埃が立ち登る。そうしてしばらくすると土埃が薄れ、スポンジ状に抉れた地面が顔を出した。


「危ないところでしたね。お怪我はありませんか?」


 ルカが額に汗を浮かべて言う。水の触手が当たる寸前にユーリカを強引に押し倒して救出したのだ。

 ユーリカはルカにお礼を言うと、差し出された手を取り起き上がる。押し倒された時に足首を捻ったようでずきりと傷んだが、立てないほどではなかった。ユーリカはひとつ大きく息を吸うと、それから溺れている女性の方向を見る。



「可哀想に。君は本当に可哀想だ」



 金属を擦ったような細い声は溺れていた女から発せられたものだ。女は川面から腰までを出した状態でユーリカたちの方を見ていた。やはり溺れていたのはフェイクかとアルビオは女を睨みつける。ユーリカたちはまだ状況が整理できていないようが、それでも女の方を見て臨戦態勢を取っている。


「可哀想って、何が?」


 ユーリカの短い問いに、女は何がおかしいのかクスクスと笑う。両手を口元に当てて控えめに笑う様は、女の快活そうな見た目に合わない陰湿さがあった。


「さっきので死ねてたら、君は余計な苦しみを味わわずに済んだのだ。だから可哀想と言った」


「でも本当に可哀想なのは私の方だ。君が避けたせいで、今の攻撃が徒労に終わった。君が避けたせいで!」


 女は支離滅裂な言葉を発すると、勢いよく川から飛び出した。

 水飛沫が雨のように降り注ぎ、女の全貌が明らかになる。女は上半身こそ人間の形をしているが、下半身はウナギのような細長いフォルムをしていた。ぬめり気がある紫色の皮膚には鱗がなく、代わりに膨張した血管が枝のように浮き出ていた。また腰の下と尻尾のあたりには、サンショウオのような腕が対をなして生えている。

 なるほど、これが竜門か、とアルビオは舌舐めずりをして臨戦態勢を取る。


 女の竜門は川を飛び出して跳躍すると、太い尻尾をユーリカ目掛けて叩きつけた。


「ユーリカっ!!」


 ユーリカの鼻先をしなる尻尾がかすめる。あと数刻後退するのが遅かったら押しつぶされていただろう。目の前のひしゃげた地面を見て、ユーリカは冷や汗をかいた。


「また避けたのか。可哀想に……」


 竜門は金属音のような呻きをあげると、今度は腰の下にある腕を目の前のユーリカ目掛けて伸ばした。

 しかしそれは眩い火花によって阻まれる。


 火の蝶だ。炎で構成された蝶の群れが竜門の脇腹に向けて突進したことで、竜門をのけぞらせたのである。

「私の親友に手を出さないでください!」

 蝶の発生源はルカだ。彼女は白い手袋をした掌を竜門に向けて睨みつけている。


 脇腹にできた小さな焦げ痕をさすりながら、竜門はルカの方を振り向く。無表情ではあるが、下半身の血管が大きく脈動していることから、怒っていることが窺える。

 竜門は小さく唸り声をあげてルカに目掛けて突進しようとするが、今度は背後から迫る閃光によって阻まれる。


「隙あり!だよっ!」


 閃光の発生源はユーリカである。

 ユーリカは宙に指で聖印を描くと、それは眩く光りはじめた。聖印は神を象徴するシンボルマーク。彼女の信仰する光の神カミィの聖印は、ユーリカの信仰に応えるように青白い光を発する。

「えいやぁっ!」

 溌溂とした掛け声と共にユーリカがメイスを振るって聖印を叩くと、聖印は強い光を放ち竜門の方へと飛んでいった。


 竜門の背中に光の一撃が炸裂する。聖印による攻撃は、神からの寵愛を受けた聖女にのみ許される特別な技だ。聖印は烙印のように着弾部に残り、ジリジリと後を引く痛みを与える。

 ユーリカの攻撃を受けた竜門は再びのけぞり、着弾部の背中を木々に擦り付けて悶えた。


「ああ痛い。だが痛いだけだ……!可哀想に、君たちの攻撃は致命傷になり得ない」


 竜門は金属音の呻きをあげながら、短く詠唱する。 すると、先程ユーリカに奇襲を仕掛けたのと同じ水の触手が、川面から飛び出して三人に襲いかかった。


 触手の数はおよそ二十。先端が薙刀のようになったそれらは、しなりをつけながら迫ってくる。

 アルビオは危なげなく回避をするが他の二人はそうもいかない。額に大粒の汗を浮かべてどうにか触手をかいくぐるルカと、たたらを踏んでいるユーリカ。

ルカはかすり傷を負いながらもどうにか避けきれそうだが、ユーリカに至ってはもう避けられそうにない。

 華奢な身体を斬り裂こうと迫る水の触手に、ユーリカは思わず目を瞑る。それと同時に彼女の身は急な浮遊感を覚えた。



「とろいんだよチビ!」


 悪態をいっぱいに吐きながら、アルビオがユーリカを抱えて駆けていた。軽やかな足取りで触手を振り切る姿はさながら迅雷だ。


「あっ、ありがとうっ!!」


 抱き抱えられたままユーリカは呆然とお礼を言う。礼をされた本人は露骨な舌打ちで返した。


「お前を守るのが俺の使命らしいんでね。今は死なれたら困る」


 礼なんて白々しいと言わんばかりのアルビオに、ユーリカは少し困った顔をする。アルビオはそう言うが、でも助けてもらったのは本当だ。ならばお礼はしっかり言うのが筋だろうとユーリカはひとり頷く。


「でも助けてくれた!だから、ありがとう」


「……。」


「エンパー男爵領に帳簿を届けるまでの間、お前を守る。そういう契約に則ってるだけだ」


 触手の猛攻を避けきり足を止めると、アルビオはそのままユーリカを地面へと落とした。あわわと慌てながらユーリカは尻餅をついた。

 乱暴な行動に本来であればルカが鬼の形相で詰め寄るところであるが、二人と違い触手の猛攻により各所に傷を負ったルカに、そのような気力はない。



「……竜門とやらの力がどんなもんか、観察をしていたがもう十分だな」


 アルビオはユーリカを落とすと、精悍な顔立ちに笑みを浮かべてそう呟く。

不安そうに顔を見上げてくるユーリカを無視して、アルビオは走り出した。



「可哀想に。君は私の触手を見たのではないのか?愚直に突っ込んでは私の触手に抉られてしまうよ」



 真っ直ぐに接近してくるアルビオに竜門は憐れみの表情を浮かべる。それから再び詠唱すると、生成した水の触手を全て近づいてくるアルビオに向けて放った。


「来ますよっ!」


 注意の声をあげるルカにアルビオは嘲笑めいた笑顔で応える。


「はっ!当たるわけないだろう」


 アルビオに向かってくる触手の数は二十本。先程三人に分割して割り振られた触手が、ひとまとまりに襲ってくるわけだから密度は三倍だ。並大抵の人間では避けることなど能わぬ数の暴力だ。並大抵の人間であれば。


 アルビオは触手が迫ってくるのと同時に急加速する。さっきユーリカを抱えていた時とは比べものにならない速さだ。

 殺意に満ちた触手の波をアルビオは魚のようにくぐり抜ける。ただ触手は土埃を立てるだけで、これでは子どもの砂場遊びと同じである。


 ぐぎぎと竜門は歯噛みをする。いくら狙いを定めた攻撃もこの男は全て躱してみせるのだ。小細工はない。超常的なスピードによる力技だ。

 こんなの理不尽じゃないかと竜門は文句を言いたくなった。


 そして気がつくと例の巨漢は竜門の目の前まで来ていた。視界いっぱいに男の邪悪な笑顔が広がる。




「歯ぁ食いしばれよ……『雷鎚』!」


 竜門に肉薄するのと同時にアルビオの拳が青白い稲光を放つ。この前ユーリカを追ってきた伯爵の私兵を追い払ったのと同じ技だ。


「何……で!?」


 か細い悲鳴をあげる竜門の腹に、雷の拳が打ち付けられる。

瞬間、暴力的な閃光が周囲を飲み込んだ。




 竜門の腹はさながら本物の稲妻に撃たれたかのように赤黒く腫れて、その巨体は5メートルも吹き飛んだ。バキバキと木々を倒して地面を転がる竜門を背に、アルビオは自分の拳を眺めて呟く。


「こんなもんかよ」


 何の気なしに呟く様は、アルビオがこの場における絶対強者であることを表していた。


 竜門が吹き飛ばされたのを見るやユーリカたちがアルビオに駆け寄った。ルカはそこそこのダメージを受けたらしくユーリカに肩を貸りている。ユーリカの方は疲労はしていたが大した傷は負っていないため、まだ余裕があった。


「やりましたか?」


 空いている方の左手で腰の方を押さえながら、ルカは竜門の方を見やる。竜門の生命力は他の生物を遥かに上回る。アルビオの一撃は牛を一瞬で気絶させる程の威力はあったが、そんな攻撃を受けても立ち上がるのが竜門と呼ばれる存在だ。

 実際知能のある竜門は死んだふりをして相手を騙すこともある。家に帰るまでが竜門退治、それくらい警戒の必要な相手なのである。



「やったに決まってる……と、言いたいところだったんだがな」


「ぁぁ……あ、可哀想に」


 アルビオは首を横に振ると、倒木をミシミシと押し上げて巨影が起き上がる。

 ウナギのように細長い胴体を抱いて震える竜門は、耳がキーンとなるような甲高い声で語りかける。


「君たちがあまりにも可哀想だから、この技は使いたくなかったんだ」


 その顔に深い憎悪のシワを寄せながら。

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