2.21 水と武器と花冠
ユーリカは布団から飛び起きた。勢いよく、何かから逃げるように。部屋をぼんやりと照らす蝋燭に、ユーリカの額の汗が鈍く光る。
夢を見た。いつもの悪夢を。◾️◾️れで横◾️わ◾️◾️◾️に、◾️度も繰り返し◾️る夢だ。
ユーリカは小さく身じろぎをすると、額の汗を拭い、肌着の上に薄手のローブを羽織った。旅の途次で仲間に情けない姿を見せる訳にはいかない。強がりは自分の十八番なのだ、とユーリカは自分に言い聞かせた。
「大丈夫ですか?」
しかし今回に限っては、その強がりは手遅れだった。ユーリカの横に腰掛けて、心配そうに顔を覗くルカの姿がそこにあったのだ。
ルカはまだ朝早いというのに、既に出発準備を済ませているようだった。教会の正装である白いローブを首元までカッチリと着込み、金の刺繍が入った手袋で指先まで露出しないその格好は、まさしく彼女の性格を表しているようだ、とユーリカは思った。
「顔色が悪いですよ。また悪夢を見たんですね?」
「ああ、うん。そうなの」
ルカの質問に、ユーリカは素直に頷いた。
ユーリカは時々悪夢を見る。それは長いこと一緒に過ごしてきたルカにとっては既知のことだった。
「待っていてくださいね。今飲み物を持ってきますから」
ユーリカの頷きを受けて、ルカはそそくさと踵を返す。水瓶を取りに向かったのだろう。彼女の優しさにユーリカは有り難さと一抹の申し訳なさを感じる。
いつもルカには助けられてばかりだ。自分も少しは頑張らなければ、とユーリカは自分の頬を叩いた。そしてはねた前髪を押さえつけながら、ユーリカは部屋の外へ歩いていく。
「あっ」
部屋を出てすぐのところで、ユーリカは大きな男と顔を合わせる。ルカとは正反対に純黒の鎧に身を包んだ偉丈夫だ。その男は鷲のように鋭く冷たい目で、ユーリカを一瞥した。
この前まで平気だったその視線が、ユーリカの肩を震わせる。
「んだよ鳩が串焼きにされたみたいな顔しやがって」
「そんな顔……してないよ」
弱々しく反論するユーリカに、アルビオは片目を瞑って欠伸を返す。その返答が退屈だとでも言いたげに。それから伸びをすると、その凶悪な顔でユーリカの瞳を覗き込んだ。
「思ったよりは元気そうだな。あんなに治癒術を乱用してたってのに」
アルビオの低い声がユーリカの耳元で響いた。ユーリカには、彼がその言葉にどのような感情を乗せているのかが分からなかった。配慮も皮肉も、その声色からは感じ取ることができない。
「もしかして、心配してくれてるの?」
そんな訳ないと思いながらも、ダメ元でそう訊くユーリカに、アルビオは口を歪めてみせた。
「昨晩のやり取りをした上でそう思ってるなら、頭に火をつけるのをオススメするぞ。きっとお前の頭はお花畑なんだ。よく燃えるぜ?」
聞き慣れた皮肉がユーリカに炸裂する。そこにいつものアルビオの面影を感じ、ユーリカは奇妙な安堵を覚えた。
「まあ、あと数日は頑張ってくれや。無事に伯爵の帳簿を男爵領に届けられれば、俺はようやく解放される」
「そうだったね……」
伯爵の奴隷売買の証拠である帳簿を領外に届けるまで、ユーリカをあらゆる魔の手から守る。
それはユーリカとアルビオが初めて邂逅した時に交わした契約だった。ユーリカを庇護する女神カミィの力の元、強制的に結ばれた主従関係。それこそがユーリカとアルビオを繋ぐものである。
故にアルビオがその役目が遂行した時、今の関係は解消される。
「んだよ、不満か?」
「えっ?」
アルビオに指摘されて初めて、ユーリカは自分が顔を顰めていることに気付いた。
「もしかして悪魔の力を好き勝手に使える立場を失うのが惜しくなったか? だとしたら、いいねぇ。カマトトぶって聖女気取ってる今のお前より、強欲に力を求める愚者の方が……まだマシだ」
アルビオは白い歯を剥き出しにして、露悪的な笑みを浮かべる。短い付き合いだが、ユーリカにはその言葉が本心であることが分かった。なんとなく、直感的に、でも確かに。
「ううん。そんなんじゃないよ」
「だろうな」
そんな本心を感じ取って尚、ユーリカは首を横に振った。そしてその否定が前から分かっていたように、アルビオは退屈そうに片目を閉じる。
「まあ……」
少しの間を置いて、アルビオが口を開いた。
「お前が俺のことを教えろと言ったから、俺は自分のことを教えてきた教えてきたつもりだ」
アルビオの言葉にユーリカは目を丸くする。一体なんの話だろうか。記憶をゆっくりなぞっていくと、やがてユーリカは心当たりに行き着いた。
「それって、アセドの街での話?」
アセド。馬車が壊れてブルネンたちと出会うことになる直前に立ち寄った街である。猫の被り物をして街を散策したり、マリシャと遭遇して正体がバレない内に逃げたりと、ユーリカにとっては印象深い街だ。
そこで買い出しをする傍ら、アルビオに発した言葉が、いま再びユーリカの脳裏に甦る。
『確かに私はアルビオのことを何も知らない。だから教えてよ、これから』
そうだ。確かにユーリカはそう言っていた。何も自分のことを知らないくせにと言い放つアルビオに、ユーリカは自ら歩み寄ろうとしたのだ。
「俺には俺のことを話せってのに、てめぇはてめぇのことを話さないってのは面白くない」
アルビオの分厚い手がユーリカの華奢な肩に触れて、ユーリカを現実へと引き戻す。
きっと彼は昨日の続きをしようとしている。ユーリカはそう感じた。そして彼女の想像通りにアルビオが口を開く。
「聞かせろ。なぜお前は自分の命を削ってまで他人を助ける?」
一歩。アルビオの爪先がユーリカの爪先に近づく。真っ直ぐに彼女を見つめるその瞳は、悪魔というよりは、執念深い獣のようだった。
一歩。アルビオの爪先がユーリカの爪先に近づく。乱暴な指がユーリカの肩にめり込み、小さな悲鳴が朝のしじまに響く。
一歩。アルビオの爪先がユーリカの爪先に近づく。そのまま彼女の足を踏み潰せてしまう距離になった。
「わた……し、は……」
また一歩。アルビオの爪先がユーリカの爪先に近づいて……。
「ちょっとアンタぁ!! ユーリカにナニしようとしてんですかぁ!!!?」
それはルカの鋭い叫び声により中断される。
二人が振り返ると、そこには目から火花を散らすルカの姿があった。手にはユーリカの為に持ってきたのであろう、水がなみなみと注がれた木のジョッキが握られている。
「まずは離れなさい。近すぎますよケダモノ」
ルカはそのまま二人の隙間にずいっと身体を滑り込ませ、ユーリカを守るように立ち塞がる。
「やれやれ邪魔が入ったな。おい、話の続きは今度だ」
アルビオは小さくため息を溢すと、そのまま踵を返す。
徐々に小さくなっていくアルビオの背中を眺め、ユーリカは少しの安堵感を覚えた。そしてそれよりも大きなモヤモヤが胸を撫でるのを感じた。
アルビオは本気で知りたがっているのだ。アセドでの言葉を受けて、彼なりの歩調で、ユーリカを知ろうとしている。それならば自分も応えねばなるまい。
どうして命を削ってまで他者を救うのかと。治癒術を受け入れて聖女になったのかを。
「大丈夫でしたかユーリカ? 何かあったら私に言ってくださいね」
ルカが心配そうな顔でユーリカの背中をさする。今朝のルカは心配そうな顔ばかりしている、とユーリカは思った。そしてその心配が全部自分に注がれていることに気がついた。
「うん、大丈夫だよ」
これ以上の心配はかけまいと、ユーリカは目尻を下げて笑ってみせる。そしてルカの手からジョッキを受け取った。
「ルカ、いつもありがとうね」
「何を今更。それに私がしていることよりも、たくさんのことを貴女はしてくれているじゃありませんか。お礼を言うのはこっちの方ですよ」
旅は佳境にして問題は山積みだ。アルビオのこと、ホフマンを故郷に帰すこと、伯爵の追っ手のこと。聖女として、旅のリーダーとしてユーリカは頑張らなければならない。
だが今は、今だけは、ユーリカはルカの優しさに甘えることにする。冷たい水を喉に流し込むと、ほのかに甘い味がした。
ーーー
「わっ、すごい霧」
身支度を終えて小屋の外に出ると、真っ白な世界と土と葉の湿った匂いがユーリカを迎え入れた。深い霧が辺り一面を包んでいるのだ。その霧は沼のようにもったりとしていて、ユーリカは溺れるような錯覚を覚える。
「昨晩雨が降ったようなので、その影響でしょうね」
彼女の隣に立つルカが地面の水溜りを指差す。近くにあるはずのその水溜りさえ、霧によって白く霞んでいる。これだけ深いと数歩歩いただけでルカを見失ってしまいそうだ。
「しかし困りましたね。これだけ霧が濃いと遭難や奇襲のリスクが高まります。こういう森だと誘落鬼なども活性化しますしね」
忌々しそうに霧を睨むルカに、ユーリカは小さく頷く。霧は旅の天敵だというのは、旅人や巡礼者の間では有名だ。悪天候悪視界が旅人に不幸をもたらす話は、あちこちに本やら口伝やらで転がっている。
しかし追われている立場である以上、ここで立ち止まるわけにはいかない。ここに長く滞在すればする程、厚意で匿ってくれているブルネンたちをまた危険に晒すことになる。
「今日はいつもより注意して進まないとね」
「そうですね。あっ、馬車はこちらです」
ユーリカの言葉に頷きながら、ルカが霧の中を先導する。水を取りに一度外に出ているので、視界も霧に慣れているのだろう。その足取りは軽やかだ。
ユーリカはルカを見失わないように、ローブの裾を持ち上げて、トタトタと小走りで追いかける。そうするとすぐに馬車の輪郭が現れた。
「おはようさん。これで全員揃ったようだネン」
馬車の最終点検をしていたブルネンが二人を迎え入れる。ジメッとした霧の中、ブルネンの大きい声は気持ちが良いほどよく響いた。
「おはようございますブルネンさん。わぁっ! 馬車がこんなに綺麗になってる!」
綺麗に修理された馬車を見て、ユーリカが喜びの悲鳴を上げる。外されていた車輪は新しいものに付け替えられ、車体はオイルで塗装されている。よく見れば他にもいくつか補強されている部位があった。
「車輪の整備とオイルでの塗装、あとフレームに緩みがある箇所があったから締め直しといたネン。そうそう、荷台も補強しといたから積載量も少しは増えると思うネンよ」
流暢にそう話し馬車をお披露目するブルネンに、ユーリカとルカは素直に感心した。彼の言葉にではない。馬車の出来と彼の職人としての腕前にである。
「よく短時間でここまで仕上げたものですね。カイトの杖の出来もそうですし、アンタたち一家の技術力の高さには驚かされます」
「でへへ、ゴブリンは昔は職人の種族と言われてたくらいだからネン。腕には自信あるネン」
ルカの賞賛を受けて、ブルネンは大きなお腹をさすって笑った。
「ようやく来たか」
外での話し声を聞いてか、馬車の戸口からアルビオが顔を出す。その手には森で採ってきたらしき林檎が握られていた。
「あれ、アンタだけですかアルビオ? ホフマン君は?」
「さっきまでいたんだがな。お前らが遅いから草むらに遊びに行っちまった」
アルビオは林檎に豪快に齧り付くと、咀嚼しながらそう言った。その言葉にルカは眉を顰める。
「こんな霧の中、子供ひとりで遊ばせて大丈夫なんですか?」
「周辺に魔力を巡らせて見張ってるよ。近くにいるから大丈夫さ」
ルカはアルビオの返答にひとまず安心する。魔力による周辺の探知は、魔力の操作に精通した人物なら可能だ。たいへん燃費が悪い行為のため、大抵の者は5分ほどで魔力を切らしてしまうのだが。
アルビオの規格外さを痛感しつつ、ルカは口を開く。
「聞いておいて何ですが、アンタにしては随分と気が利きますね」
「ガキがいなくなったら、お前ら探すだの喚くだろ。面倒ごとはご免なんだよ。早く帳簿を届けて、俺は自由の身になりたいからな」
余計ともいえるルカの一言に、アルビオも捻くれた返答で応える。側から見れば刺々しくも映るそれは、このパーティの中ではすっかり定番のやり取りであった。
「とりあえず馬車の整備もしてもらったし、ホフマン君を呼んで出発しようか」
こほんと咳払いをしつつ、ユーリカが提案する。今日の旅程では、昼にホフマンの故郷であるカイラの村に彼を送り届け、そのままマルダン男爵領の手前まで進んで野営をすることになっている。霧という悪環境のことを考えると、出発は早い方がいいだろう。
「あー、それなんだが……ちょっと待ってほしいのネン」
ユーリカを制止するのはブルネンだ。彼は額の角をポリポリと掻きながら、申し訳なさそうにユーリカたちを見る。
そして、不思議そうに首を傾げるユーリカたちに、ブルネンはこう続けた。
「実はウチの倅、カイトが君たちに渡したいものがあると言っていてネン。昨晩から何か用意しているんだ」
「カイトがですか?」
ルカの言葉にブルネンはうんうんと頷く。
そこでルカは昨晩夕飯を終えたあとから、カイトの姿を見ていないことに気がつく。冬の王との戦いで疲れて休んでいるのかと思っていたが、そうではなかったようだ。
「生憎とあまり待っている時間はないぞ。こちとら追われてる身なんでな」
いつの間にか芯だけになった林檎を宙に放り、アルビオはにべもなく吐き捨てる。冷たいように聞こえるその言葉だが、ユーリカたちに時間がないのは事実だ。昨日のブルネン宅襲撃のことを考えれば、伯爵の私兵が目と鼻の先まで来ているのは間違いないのだから。
その時だった。霧でぼやける小屋の方から、一つの影が現れたのは。
「悪い。待たせたか?」
小走りで現れたカイトは、クマのできた目を片手でこすりながらユーリカたちを見る。その脇には三つの袋が抱えられていた。袋は細長く、中身は杖やメイスの類に見える。
袋をごとりと地面に置くと、カイトはそのまま袋の中を漁り出した。
「別にそんなに待ってませんよ。で、渡したいモノって何なんですか?」
「これだ」
ルカの疑問に答えるように、カイトは一本の杖をルカの前に出す。艶のある黒い杖身をした、長さ50cm程の短杖だ。よく見れば杖の先端には、杖よりも黒い紐のようなものが巻きつけてあった。
ルカはおずおずと、その杖をカイトから受け取る。
「これはまさか……」
杖を握った瞬間に冷たい魔力の感触を覚え、ルカは開口する。この感覚には、この寒さには覚えがあった。
「ああ。用意していた杖に、冬の王の髭を触媒として同調させたものだ。要するに、冬の王の力の一端を込めた杖だな」
ルカとカイトが湖で戦った怪物。本気を出せば周囲一帯に氷柱の雨を降らすことができた規格外の存在。そんな冬の王の素材が使われた杖が、いまルカの手中にはあった。
「冬の王の髭って……良いんですか? こんな貴重な触媒を私なんかの為に」
「構わんさ。元よりお前がいなければ倒せない怪物だった。だからこれはお前が持つべきものだ」
珍しく躊躇うルカに、カイトは真剣な眼差しでそう告げる。
触媒は杖の性能を決める核となるものだ。基本的には宝石が用いられるが、怪物の一部を用いたモノも多少存在する。そして、怪物の素材を用いたものは宝石よりも性能が高く、高価であるとされていた。
冬の王はこの地域一帯で語り草になっている程の怪物だ。そんな代物を用いた杖は、都市部でもそう流通するものではない。
「杖職人としての誇りと本気を注いだ杖だ。お前の魔術に馴染むよう何度もチューニングした。他でもないお前に使ってもらいたいんだ」
「……分かりました。アンタの誇り、頂戴します」
ルカは恭しく礼をすると、その杖を懐に大事に仕舞う。確かな高揚感を胸に感じながら。
「それと、これはお前たちにだ」
そう言ってカイトは、ユーリカとアルビオの二人にも袋から出したモノを差し出す。
ユーリカには一振りのメイスが、アルビオには真鍮の装飾がなされた短剣が、それぞれ手渡された。
「こいつは、魔道具だな?」
「そうだが……よく一目で分かったな」
アルビオはダガーを手元で遊ばせながら、カイトに尋ねる。それにカイトは驚いた顔をしつつも肯定した。
「宝石や魔道具の類はたくさん見てきた。目利きには自信がある」
そう言いながらアルビオが短剣を頭上に掲げた。そうして鞘に魔力を込めると、1m程の雷の刃がダガーの刀身から伸びる。
バチバチとがなる雷の刃を見つめて、アルビオは満足そうに頷いた。
「そんな俺の目を持ってしても、こいつぁ悪くない代物だ。有り難く使ってやろう」
「なんで上から目線なんですかアンタ……」
ルカのツッコミを気にも止めず、アルビオは雷の刃を気に入ったように明滅させる。それから少しして乱雑に自分の懐へと仕舞い込んだ。
「私も貰っちゃっていいの?」
「勿論だ。お前は俺の義父の傷を治してくれたからな。その礼だとでも思ってくれ」
「ならお言葉に甘えて。ありがとうね」
ユーリカもまたカイトにお礼をして、渡されたメイスを大事そうに抱える。見た目の割に軽いそれは、ユーリカの小さな掌によく馴染んだ。
聖女という立場上、ユーリカは旅先でたくさん施しを受けてきた。その中でも、教会を毛嫌いしていたカイトからこのような
「さてと、これでようやく出発できそうだな」
欠伸を噛み殺しながらアルビオが馬車の方を見る。するとそこには、いつの間にか戻ってきていたホフマンの姿があった。
ホフマンはテディベアを小脇に抱えて、おずおずとユーリカたちのことを窺っている。よく見れば左手を背中に回して、何かを隠しているようである。
「えっ、あっ……」
アルビオの視線に気付いたホフマンは、小さく声を漏らしてまごまごする。その後、意を決してユーリカたちの方へと近づいてきた。
「おはようホフマン君」
「おはよう、です」
優しげに微笑みかけるユーリカに、ホフマンは俯いていた頭を更に下げる。小さなお辞儀だ。
そしてそのままホフマンは、落ち着きなくユーリカと自分の靴とを交互に見る。いつもソワソワモジモジとしているホフマンだが、今日はいつになく落ち着きがない。
体調でも悪いのだろうか、とユーリカは心配そうにホフマンの顔を覗き込む。その時だった。ユーリカの鼻先を優しい蜜の香りがくすぐったのは。
「はい。これ、受け取ってください、です」
ホフマンはユーリカに花を輪っか状に編んだものを差し出す。白い花と青い花を中心に作られたそれは、仄かに甘い森の匂いを纏っている。
それは拙くほつれ目が目立つ花冠だった。ホフマンは震える手で、その花冠をユーリカに手渡す。
「これは……花冠?」
「そうです。昨日の昼に、ピーノたちに教えてもらった、です」
たどたどしく、そう話すホフマン。よく見ればその手は土で汚れており、爪の隙間にも泥が挟まっていた。出発までの時間に、一生懸命に作ったのだろう。
「助けてくれたお礼です。ずっと、ずっとずっと……伝えられなかった、から!」
声を上擦らせながら、ホフマンは礼をする。幼い身で、過酷な旅の中で、必死に感謝を伝える術を考えた結果がこれなのだろう。
ユーリカはただ、その感謝を伝えようとする想いが、ひたすらに嬉しかった。これまで大した見返りも求めず人助けに奔走してきたユーリカだが、いざ感謝を伝えられると、どこか救われる感じがした。
ユーリカは渡された花冠を頭にかける。先程までホフマンの手にあったそれは、少し温かい。
「ありがとうねホフマン君。すごく嬉しいよ」
「えへへ、よかった……です」
ユーリカの言葉に、ホフマンははにかんで笑った。その顔には安堵の色が見える。
「私、まだ頑張れそうだよ」
ユーリカは誰に言うでもなく、ひとりごちる。
この花冠も、カイトがくれた武器も、ブルネンが直してくれた馬車も。その全てがユーリカを奮い立たせてくれる。
過酷な旅すがら、治癒術の代償である孤独な痛みの中であっても、ユーリカはまだ頑張れる。そう、思わせてくれるのだ。
「よーし、それじゃあ出発しよっか!」
快活に声をあげて、ユーリカは馬車へと歩き出す。疲労と痛みで重たい足を、しっかりと前に伸ばして強く地面を踏みしめた。
カイトたちに別れを告げて、全員が馬車に乗り込むと、馬車は徐に動き出した。霧の中、先はあまり見えない。それでもユーリカの視界は、朝起きた時よりもずっと鮮明になっていた。




