2.17 悪者
「うぐぅっ!!?」
悪しき亜人宅に押し入った正義の使者たちが初めにしたことは、家主を床に組み伏せることだった。二人の私兵がブルネンに近づくと、瞬きの後には彼は悲鳴をあげて倒れていた。
なんと呆気ないことか。一部の天才を除いて数の力に勝るものはないのだ。
そのまま続いてツヴァイのもとへも一人の兵士がやってきて、剣の先端を首へと当てる。底冷えする鋼の感触が、ツヴァイの全身を走り抜けた。
「なんだコイツ、椅子に縛られてるぞ」
「野蛮なゴブリン共に捕えられたか。哀れにな」
扉を開けてからものの数秒で、穏やかな日常は壊されていた。木製のカップが床に転がり、無作法な私兵たちがリビングを占領する。ツヴァイは周囲に死の気配が漂い始めたのを感じた。
苦悶に呻き上を見上げるブルネンに、一団の司令塔らしき巨漢が近づく。男の顔は粗暴な猿のようで、冷酷な無表情を顔に貼り付けたままブルネンへと顔を近づける。そしてブルネンの大きく見開かれた瞳をひと舐めした。ザラリとした舌の感触に、ブルネンはたまらず声を漏らした。
身震いするブルネンの耳元で巨漢は囁く。彼の舌と同じようにザラリとした、ヤスリのような声で。
「雑味が強いな。よって7点」
巨漢はにべも無くそう告げると、そのままブルネンの顔を強く蹴飛ばした。カランと軽快な音を立てて白い歯が一本床に転がる。
「プロの料理人は食材の選定から始めるもんだ。だってそうだろ? 腐りかけの鮭で美味しいマリネは作れねぇ。悪いがお前は不合格。料理してやれなくて、ごめんな」
大男は自分の腰に下げた剣を無骨な指で撫でると、雄弁に語り出す。さも自分が専門家であるかのような語り口で、痛めつけている相手に食材の価値とやらを語っている。とても正気の沙汰とは言えぬ状態だ。
まるで高熱の日に見る悪夢だ。ツヴァイは大男の凶行を前に、心の中で毒づいた。
よからぬことは大抵何の前触れもなく起きる。藪の中の泥濘のように、不意に足を取りそのまま非日常に引き摺り込むのだ。だからといって放心は許されない。ツヴァイは知っていた。非日常に適応できない者から死んでいくことを。
「そう気を落とすな。良い食材になれるかどうかは生まれによる要因も大きい。雑種馬はサラブレッドになれないし、タニシは真珠を作れねぇ。つまりお前は運が無かったんだ」
相変わらず司令塔らしき巨漢は訳のわからない講釈を垂れている。確かにブルネンは不運だ。こんな狂人の相手をしなければならないのだから。
そんなことを考えながらツヴァイは周囲を観察する。襲撃者の数は十一。司令塔らしき巨漢と、正装をした私兵が九、そして貴族のように小綺麗な格好をして、腰に高価そうな剣を下げた青年が一人だ。
兵士たちは皆、岩のように表情を固めてその場に立っている。それが緊張か、司令官への恐怖かは窺い知れない。その一方で小綺麗な青年は、この状況を楽しむように、整った顔に軽薄そうな笑みを浮かべている。
そして観察をしていく中でツヴァイは小さな違和感を覚える。屋内が妙に静かなのだ。先ほどまであった物音が一つ消えたような……。
消えたのが厨房からの包丁の音だと気づいたとき、事態は大きく動いた。
厨房に身を潜めていたブルッカが、一直線に大男目掛けて飛び出したのだ。
包丁を構えて突貫するブルッカ。だがそれはあまりにも蛮勇であった。
事態に気づいた二人の私兵がブルッカの前に立ち塞がり、即座に彼女を床に組み伏せたのだ。片や一般人、片や戦闘の指南を受けた軍隊、その実力差は歴然であった。
「ブルッカ! 大丈夫かネン!?」
「あはーはぁっ! もう一匹いたんだ薄汚ねぇゴブリンが!」
ブルネンの悲痛な叫びと、小綺麗な青年の下卑た笑いが室内にこだまする。
ブルッカは兵隊に抵抗して三度身を捩ったが、それは現状に何の変化も起こさなかった。その後頭を壁に打ち付けられ、ブルッカは力無く唸るばかりになった。
「まだ伏兵がいるかもしれないね。ねぇお前ら、この家の中と周辺探ってきてよ」
青年は相変わらず下卑た笑みを顔に貼り付けたまま、近くの兵士たちに指示を出す。すると、九人の兵士の内、六人が洗練された動きで周囲へと散っていった。
この近くにはブルネンの子供らとホフマンがいるはずだ。もし彼らが私兵に捕まればどうなることか。ただ一つ確かなのは、彼らが腰に下げている剣は、鋼で出来た本物であるということだ。
「さぁて、と、ビッグコルク。料理の話もいいけどさぁ、そろそろ本題行っとこうよ」
散会した私兵を見届けると、貴族風の青年は軽い調子で巨漢の肩に触れる。
「あぁ、キュランの言う通りだな。前置きってのは軽い方がいい。オードブルがくどくちゃイケねぇ」
ビッグコルクと呼ばれた料理人気取りの巨漢は、その手を煩わしそうに退けると、肩を鳴らしてブルネンを見下ろす。そして大きく突き出た鼻を鳴らした。
「おい、プレートアーマーの大男を連れた聖職者はどこだ?」
ビッグコルクの問いかけに、ブルネンの顔が強張る。その質問の答えを知らないからではない。知ってしまっているからだ。
「なっ、何の話をしてるのネン? 残念ながらワッチには何のことだか……」
ブルネンが話し終えるよりも前に、ビッグコルクは彼の背中を踏みつける。ぐぇっと蛙が潰されるような音が、ブルネンの喉から漏れる。
「別に料理にはしなくても、お前を殺すことはできるんだ。仕事だからな。さて、プレートアーマーの大男を連れた聖職者はどこだ?」
淡々と冷酷にビッグコルクは尋ねる。返答次第では彼はブルネンを殺してしまうだろう。裏の世界を多少なりとも見てきたツヴァイには、それが分かった。
「ひょっ、ほ、本当に知らないのネン!」
ブルネンが絞り出すようにそう叫ぶと、ビッグコルクは近くの木椅子を持ち上げる。そしてそれを何度もブルネンの顔に叩きつけた。
「ぐっ、うっ、うぐぁぁぁっ!!?」
「アンタっ!!」
ブルネンの絶叫とブルッカの悲鳴が室内にこだまする。それでも絶えずにビッグコルクは拷問を続ける。
「おい、プレートアーマーの大男を連れた聖職者はどこだ?」
ブルネンの顔が血と鼻水、涙でぐちゃぐちゃになった後、ようやくビッグコルクは手を止めた。そしてまた同じ質問を重ねる。
「……し、ししっ……し、知らないのネン!」
「そうか、なら仕方ない。まずはお前のガキから屠殺するとしよう」
ビッグコルクが視線を玄関に移すと、そこには伯爵の私兵たちに捕まったゴブリンの子供がいた。両脇を兵士に固められ、その細い首筋には一振りの鋼が突きつけられている。
「ピーノっ!? うちの子は関係ないのネン!!」
ブルネンの悲痛な叫びが屋内に響き渡る。そしてひどく充血した目を見開き、立ちあがろうとするがあえなく地面に転倒する。
ピーノと呼ばれたゴブリンの子供は、身体をガクガクと震わせる。よく目を凝らせば、彼の腕にはいくつかの打撲痕があった。
「お前が口を割らないからこうなる。それに、若い個体の方が肉も柔らかくて美味だ」
ビッグコルクは腰から巨大な出刃包丁を抜き、ピーノへと歩み始める。ブルネン夫妻は静止の言葉を叫び、周囲の兵士たちは強張った顔でそれを見守る。キュランと呼ばれた貴族風の青年だけが、嬉しそうに残酷な処刑を見守っている。
きっと、もう彼らは助からない。事の顛末を見守っていたツヴァイにはそう思えてしまった。
ピーノも、ブルネンとブルッカも。そして、ツヴァイ自身の身さえも危ういだろう。
ツヴァイは逡巡する。そうしている間に、無慈悲な屠殺者は、ピーノの前まで辿り着く。
よく手入れされた出刃包丁は、窓からの陽光を受けて妖しく光る。
そして、その刃がピーノの細首に当てられるその瞬間ーー
「頼むっ!! 止めっ……!!」
「聖女様ご一行なら知っているぜ!!」
その場にいた全員の視線が一点に重なる。声の主のもとへ。そう、椅子に縛り付けられたツヴァイの方へと。
ーーー
「そういえば誰あんた? ずっと黙ってたから死んでるのかと思ってたんだけど」
キュランのねっとりとした視線に晒されながら、ツヴァイは自信ありげに話を続ける。
「俺の名前はツヴァイ。伯爵様ご贔屓の人売りでさぁ。今は訳あって亜人小屋に詰められてやすがね」
セールススマイルで笑いかけるツヴァイに、私兵たちは怪訝な顔をする。それを確認して尚、ツヴァイは表情を崩さない。
「俺の推測が正しけりゃぁ、アンタたちは俺の仲間だ。同じお方にお仕えする者同士、協力するってのはどうですかい?」
「あはーはぁっ! 囚われの分際で口がよく回るねぇ。まあ助けてあげてもいいけど……どうするビッグコルク?」
不安と緊張を悟られぬように言葉を続けるツヴァイ。その姿がどう映ったのかは不明だが、キュランはツヴァイに興味を抱いたようだ。幼い悪意に満たされた丸い目が、ツヴァイの顔を捉える。まるで品定めでもするように。
キュランの言葉を受けて、ビッグコルクがツヴァイの方へ歩き始める。そしてそのままツヴァイの顔を覗き込んだ。
互いの目がぶつかり合う。
いくばくかの沈黙。
その後、ビッグコルクのザラついた舌がツヴァイの目を撫でた。
「うぇっ……!?」
「単調、味に深みがない。よって9点。」
ビッグコルクは冷淡にそう告げると、そのままツヴァイの瞳をもう一度舐める。尋常ではない嫌悪感に、ツヴァイの頬はぴくぴくと痙攣した。
「お前の瞳からは極度の緊張、そして恐怖の味がする。だが、嘘つき特有の汗の風味は感じられない。……解放してやれ」
司令官の言葉を受けて、ツヴァイの首に刃を当てていた私兵は構えを解く。それから淡々とツヴァイの拘束を解いていった。
縄を解かれたツヴァイは、ぎこちない動作で椅子から立ち上がる。そして石像のように固くなった腕を動かし、瞳に残る唾液の湿り気を拭った。
さて、解放をされたがこれで事態が全て解決したわけではない。ツヴァイが次なる一手を考えていたところで、唐突にキュランがこう切り出した。
「さーて、とっ! 情報の伝手はできたことだし、殺そっか。ここにいる薄汚い亜人共を」
それはこの上なく残酷で、だが至極当然の結論だった。彼らの目的は奴隷売買の証拠である帳簿の回収。即ち表沙汰にできない闇の仕事だからだ。
ビッグコルクはツヴァイから離れると、改めて出刃包丁を構える。それを見て室内にブルネンたちの悲鳴が響き渡った。
悲鳴、懇願、それら全ては悲しいほどに無意味だ。真の悪者は情に絆されない。その歩みを止める者がいるとすれば……
「……何の真似だ? 」
ビッグコルクの丸太のように太い腕を、ツヴァイの細い手が掴んで止める。そして不愉快そうに顔を歪めるビッグコルクに、ツヴァイは笑いかけた。
「まあ待ってくれよ。俺ぁこいつらに捕まっていて鬱憤が溜まってんだ。あんたらへの忠誠を示すためにも、俺にやらせてくれ」
ツヴァイはまだぎこちない動きで歩き出すと、床に転がっている包丁を手に取った。確かな刃の重みが、それが命に至るものであることを教えてくれる。
「ツヴァイ君、本気かネン!?」
「おいおい、俺はいつだって本気だぜ!」
もうこの場が無血で収まることはない。ツヴァイは手元の包丁で数度空を切ると、そのまま無防備なピーノの懐へ刃を差し込む。
「えっ、えっ……?」
驚いたように大きく目を見開くピーノ。その足元には真っ赤な血が滴り落ちる。
その様子にツヴァイは目を細めて、そして自嘲気味に笑った。
「悪いな。俺もワルモンなんだ。……そのまま大人しく、地面に倒れといてくれや」




