2.16 トントン
次回は明日、8/16(土)の17時に登校します。
「えぇーっ!? それで二人は怪物に襲われて、逆に倒しちゃったのーっ!?」
かくかくしかじかと話すルカに、ユーリカは大口を開けて驚く。まさか自分たちが魚釣りや伯爵兵から逃げている時に、そのような死闘が繰り広げられていたとは、と。
時刻は夕方、冬の王を倒してから半刻が過ぎた頃である。氷の雨とルカの魔術による爆発から異変を感じたユーリカたちが、ルカたちのもとへと駆けつけて今に至る。
戦闘をしていた二人はユーリカから簡単な応急手当てを受け、もう移動できる状態になっていた。
「ともかく……今はここを一刻も早く離れましょう。ユーリカの話によると、伯爵の追っ手はもう近くまで来ているのでしょう?」
ルカが立ち上がり、衣服についていた土を白手袋をした手で払う。いつもの澄まし顔だが、どこか疲れたオーラが溢れている。
「それなら心配し過ぎなくていい」
ルカに答えたのはアルビオである。彼は一人木の上にのぼり、優雅に林檎を食べていた。そして器用に芯だけを残し林檎を完食すると、それを地面へ放り、こう続ける。
「ここに来る途中に伯爵の兵どもの死体を見た。途中で氷の雨が降ったからな。あれにやられたんだろ」
どうやら冬の王の攻撃はとても広範囲まで及んでいたらしい。ユーリカもその惨状を知っているようで、うんうんと頷く。
「私たちのところまで降ってきて大変だったよ。アルビオが必死になって助けてくれなければ、今頃どうなっていたか…」
「別に必死にはなってねぇよ! むしろ余裕だったが?」
変なところに引っ掛かるアルビオ。強欲の大悪魔などと呼ばれているが、意外と細々とした性格である。
そんな悪魔に対して、ユーリカは苦笑いを返す。それがまた癪に触ったらしく、アルビオが抗議する。
そんな口論を尻目に、カイトは一人離れた木陰にいた。その手には折れた一振りの杖が握られている。先端にルビーのついた、カイトの最高傑作である。
冬の王を倒したあと、杖はすぐに折れてしまった。暴力的な魔力を持つルカの、最高出力の魔術に杖が耐えられなかったのだ。
「杖、すみませんでした。アンタの誇りだったんですよね……?」
いつの間にか近くにいたルカが、申し訳なさそうにカイトに頭を下げる。
「何度も謝らなくていい」
カイトは頭の赤いバンダナを結び直し、小さく息を吐いた。それからこう続ける。
「杖とは魔術師の手となり足となり、持ち主を守るためにある。お前を守って壊れたのなら、それこそ本望だ」
カイトは優しく折れた杖を撫でる。その表情は今まで彼がルカに見せたもののなかで、最も柔らかく優しい表情だった。緊張と敵意で張り詰めていただけで、本来はこっちの顔が自然体なのかもしれない。そんな風にルカは思った。
「それに……義父だって同じようにしただろうからな。困ってる奴は種族の垣根を超えて助ける。あの人はそういう人だ」
はにかんで笑うカイトの姿に、ルカは確信する。この顔こそがカイトの本当の姿なのだと。
そしてルカは小さな声で感謝を告げるのだった。
ーーー
時を少し遡り、ユーリカたちが釣りに出掛けて一時間ほど過ぎた頃のことだ。
ツヴァイは疲れ果てていた。長時間椅子に縛られ、ゴブリンの子供たちの遊び相手もとい遊び道具になり、ほとほとに疲れ果てていた。
一体自分が何をしたのか。奴隷売買、聖職者への敵対行為、胸に手を当てて考えてみれば並々ならぬ罪状が浮かんでくる。それはそうとしてツヴァイは今の状況が不服だった。
室内の椅子に縛り付けられたツヴァイをよそに、ゴブリン一家の時間は流れていく。最初はツヴァイと遊んでいた子供たちも、今はホフマンと共に外へ遊びに出てしまった。今この場にいるのは囚われのツヴァイと馬車修理休憩中のブルネンのみである。
厨房からはトントンと何かを包丁で切る音が聞こえてくる。ブルネンの妻ブルッカが、外で遊んでいる子どもたちに向けてリンゴを切っているのだ。彼らの畑にはリンゴの木がなっているらしい。
「おぉー、我が愛しの妻ブルッカが林檎を切っているのネン。さすがだネン」
大袈裟に惚気るブルネンに対して、ツヴァイは馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「別にリンゴくらい誰でも切れるだろ? ちょっと俺にナイフ貸してみろよ。あと縄も解いてくれや」
「……君のしていたことはユーリカたちから聞いてるのネン。子どもたちがいる場所で解放することなんてできないネン」
真面目な返答を受けてツヴァイは大きくため息を吐く。それから天井を見上げて、足をバタバタと揺らした。
「なぁんだ、案外亜人も賢いんだな。聖職者どもから逃げて、ガキも攫えて一石二鳥だと思ったんだがなー」
小悪党は悪辣な笑みを浮かべてケラケラと笑う。悪意を向けられたブルネンは、眉を顰めてツヴァイを見る。
「随分と露悪的な態度をとるのネン」
その目には怒り以上に、哀れみの色が濃くあった。視線に気づいてか、ツヴァイは口角を下げる。つまらなそうな顔だ。
「まあ、実際俺は囚われのワルモンだからな。お上品ぶる理由がねぇさ」
ブルネンは木製のコップで水を一口飲む。ツヴァイの言葉を咀嚼するようにゆっくりと。
「ゴブリンの同胞でそういう態度を取る者たちをたくさん見てきたのネン。みんな気のいい奴だったネン。でも、生活苦からみんな、物盗りやギャングに身を窶していった……」
「彼らは口を揃えて言ったネンな。弱い奴が悪いとか、裏稼業の方が自分に合っているとか」
「でもワッチはそれが本心だとは思えなかったネン。みんな露悪的な態度を取って、自分を悪者だと言い聞かせてる。自分を騙さないと耐えられないから、悪者として振る舞っている。……そういう風に、感じたのネン」
ブルネンは一通り話し終えると、静かにもう一度水を啜った。過去の辛い出来事を飲み込むように、ゆっくりと。そしてコップを机に置くと、その顔にはいつもの柔和な表情が戻っていた。
ツヴァイはその一連の動作を見届けると、バツの悪そうな顔を浮かべる。それから一拍置いて、ツヴァイは笑った。
「あー……はいはい、含蓄あるお話ありがとさん。まあ、俺はそんなんじゃねぇーけどなぁ、ギャハハ!」
掠れた笑い声が室内で空虚に鳴り響く。悲痛な面持ちで笑い声の主を見るブルネンに、ツヴァイは「俺はそんなんじゃねーよ」と繰り返す。それを機に室内に静寂が訪れた。
トントンと包丁が果物を切る音だけがこだまする。気まずい空気をかき混ぜるように、淡々と鳴り響く。
ツヴァイは身を捩り、ときに貧乏ゆすりをし、しばしブルネンの方を見た。ブルネンは机上の水を飲み干し、準備運動をしていた。屈伸をするたびにブルルンと揺れるお腹がチャーミングである。
ブルネンはこれからもう一仕事するつもりなのだろう。彼は馬車の車輪をつけるついでに、老朽化した場所の補修もしてくれているようだった。
トントン、トントン。
あいも変わらず厨房からは包丁の小気味いい音が聞こえる。窓の外を見れば糖蜜のような木漏れ日の中、数匹の蜜蜂がゆったりと飛んでいた。穏やかな昼下がりだ。ツヴァイにはよく分からぬが、こういったものを何気ない日常の一場面と呼ぶのだろう。
トントントン。ドンっ!ドンドンっ!トン。
ふと営みの音の中に、乱暴に何かを叩く音が混じる。玄関のボロ扉が震えるのを見て、それがノックであると遅れて気がついた。
ユーリカたちが帰ってきたのだろうか。いや、まだ彼女らが出発してから一時間程度しか経っていないのでそれはないだろう。であれば誰が、とツヴァイは取り留めもなく考える。
ブルネンを見ると、その顔には少しの緊張があった。
よからぬことは大抵何の前触れもなく起きる。藪の中の泥濘のように、不意に足を取りそのまま非日常に引き摺り込むのだ。ツヴァイがエルフとしての長く浅い人生の中で身につけた、含蓄ある数少ない教訓の一つである。
ドンドンドンドン!
短い逡巡の間にもノックは強まっていく。神経質な料理長が厨房を急かすように、そのノックは早まり、より一層扉を軋ませた。
そして意を決したブルネンが玄関に近づくのと同時に、その扉は開かれた。
「なんだ、いるじゃねーか。さて、その口が飾りモンじゃなきゃいいが……」
身長2メートル近い巨漢がそのまま屋内へと入ってくる。さも当然のように。一切の礼節を欠いて。
そして十人ほどの伯爵の私兵がそれに続いた。




