1.2 聖女様ご一行
二切ほどの白身魚のソテーの乗った皿がテーブルに運ばれてくると、ユーリカは顔を綻ばせた。綺麗な狐色に化粧をしたそれからは芳醇な匂いが立ち上ってくる。ユーリカははしたないと思いつつも大きく鼻腔を広げて匂いを吸い込んだ。
久しぶりの温かいごはんだ。昨日は丸一日伯爵の私兵から逃げていたため、まともに食事をする暇がなかった。アルビオに助けてもらったあとも、祠が山奥にあったため夜通し厳しい山道を駆け降りることとなり、この村についた頃には朝日が顔を出していた。
村に着いてから傷を癒すためにも宿を取り、昼まで眠っていたため実に四食ぶりの食事となる。
食事を取れる場所が村に一つしかなかったので即決だった。随分と年季の入った店でユーリカが生まれるよりも前からそこにあったのであろう貫禄があった。昼は食堂だが夜になると酒類の提供も始めて酒場になるらしい。店内にある立派な暖炉は今が夏ということもあり少し埃をかぶっている。しかし厳しい冬にはここの村人たちが集まって暖をとるのだろう、暖炉の前は団体席となっていた。
村人たちで集まって寒い冬を乗り切る。そういう団欒の光景を思い描いてユーリカはなんだか温かい気持ちになった。
ギシギシと人が行き来するたびに軋む床の音と、まばらな客の話し声に揉まれつつユーリカはフォークを手に取った。そして丁寧な所作で白身魚の一切れを掬うと小さな口に運ぶ。
「うん!美味しい……」
山羊のミルクを使ったバターのまろやかな甘みと白身魚の繊細な身が口の中でとろける。そしてユーリカの表情もとろけた。絵に描いたような幸せの表情だ。
そんなユーリカとは対照的に口をへの字に曲げる男がいた。ユーリカの向かいに座る巨躯の男、強欲の大悪魔アルビオだ。彼はスープの中にある肉切れをフォークで掻き出すと、乱雑に口に放り込む。
「けっ!こんな田舎料理のどこがいいんだか」
テーブルに肘を立てて頬杖をし、アルビオは軽快にゲップを一つした。バッドマナーの見本市である。
しかも腹の底に響く声でそのような悪態をつくものだから周囲に丸聞こえだ。周囲の客や厨房からもちょっとした非難の目線が向けられている。
「……。」
そして非難の目を向ける者はユーリカの横、アルビオの斜め正面にもいた。ダークオレンジの髪を右上でサイドテールにした少女である。
ユーリカと同じように聖職者を象徴する白いローブに身を包み、金の刺繍が入った白い手袋をしている。首から上以外一切肌を見せないその服装は、いかにもなお堅い令嬢である。
令嬢風の少女は吊り上がったビリジアンの大きな目でアルビオを睨む。ジト目というよりはもはやギロ目だ。
「こんな野蛮人に協力を要請するなんて本気ですかユーリカ。まるで檻の中の獣ですよコイツ」
ユーリカの肩をちょんちょんと突いて低い声で囁く令嬢風の少女。名前はルカティアという。通称はルカ
、彼女はユーリカとは修道院時代からの幼馴染みであり今は彼女を守る騎士を自称していた。
修道院では真面目な優等生タイプだった彼女はアルビオの態度が我慢ならないらしい。ユーリカもルカの気持ちは分からなくもないため苦笑した。
「でも彼の力に助けられたのは本当だよ。伯爵の私兵団は一筋縄じゃいかない。アルビオの力が必要だと私は思う」
ユーリカの言葉を聞いてルカは考え込む。
ルカはユーリカが祠に行くまでの時間を稼ぐための囮役をやっていたため、直にアルビオが戦ったところを見ていたわけではないがその実力はユーリカから聞いている。経緯はどうであれアルビオは彼女の主を助けてくれた恩人だ。今のところユーリカに絶対服従ということもあり、拒む理由としては人間性が不快ということ以外大して思い浮かばなかった。
「親友のユーリカが言うのなら仕方ありませんね。私的には不服でありますが我慢しましょう」
そう言ってルカは肩をすくめる。粗暴で礼儀の欠けた人間、つまりアルビオのような者がルカは大嫌いであった。傍目から見ていても嫌な気持ちになるのに仲間として行動するなど堪ったものではない。
「おい何だこの生意気な女は?」
アルビオがフォークの先端でルカを指す。それによってスープの汁がはねてルカの頬にかかった。
ぴきり。
ルカのこめかみに青筋が浮かぶ。
「何しやがるんですかアンタ!本当にマナーがなってませんね」
「どうして人族間でのマナーを悪魔である俺が守らなきゃいけないんだよ。つーかお前誰?」
「さっき自己紹介したでしょう!?私はルカティア。ユーリカの騎士にして一番の親友!」
むっきー!と今にも聞こえてきそうな表情でルカはアルビオを睨む。アルビオもまた悪戯っぽい笑みを浮かべてルカを見つめた。
一触即発。そんな空気である。
「まあまあ二人とも、折角の美味しいご飯なんだから落ち着こう?周りのお客さんにも迷惑だよ」
両者の間に手を入れて仲裁をするユーリカ。ルカとは長い付き合いのため、彼女がこういった場面で手を出さないことは分かっている。アルビオとはまだ付き合いは短いが、無闇矢鱈に手をあげるような男ではないとユーリカは思っていた。
だがそれは別として喧嘩はよくない。ユーリカにとって食事はみんなで仲良くするものなのだ。
「確かに大きな声を出しては周りの迷惑になりますね。すみません。私としたことが配慮が足りませんでした」
ハッと我に帰り謝罪をするルカ。なんとも生真面目な性格である。
すぐに鞘を引いたルカにアルビオは肩透かしを食らったかのような表情をする。それから悪びれた様子もなく耳の穴に指を突っ込み、空いた片手でスープ皿を持ち上げて喉に流し込んだ。
そんなアルビオの様子を極力視界から外してルカはちまちまとライ麦のパンを齧った。非の打ち所がない優雅なテーブルマナーで。
「ところで」
食事にひと段落がついたアルビオが話を切り出す。
先程ルカを煽っていた時とは違う真面目な顔だ。ユーリカとルカはそれぞれ顔を上げてアルビオの方を見た。
「俺はそこのピンク頭に力を貸せと命令されたわけだが、具体的には何をすればいい?どうすれば俺を解放してくれるんだ?」
祠の一件でアルビオはユーリカに力を貸すことになっている。しかし具体的に何をすればいいのかアルビオはまだ聞かされていなかった。
アルビオの質問にユーリカとルカは顔を見合わせる。それからユーリカがおもむろに書簡を取り出して机の上に置いた。
「これを隣のエンパー男爵領まで運びたいの。貴方にはその間の護衛をしてほしい」
机の上に置かれた書簡には血がにじんでいた。アルビオはそれを掌の上に乗せて目を細める。
「何だよこれは?さっきお前を追いかけてきていた兵士どもと何か関係があるのか?」
「これはマルダン伯爵が自分の領民を不当に奴隷として販売しているのを記した帳簿なの」
声を潜めてユーリカが囁きにも満たないような声でそう言った。だいぶ警戒をしているようだ。
「マルダン伯爵はここら一帯を治める領主です」
横からルカが補足説明を入れる。マルダン伯爵はマルダン伯爵領を治める一介の貴族である。
マルダン伯爵領は平野と森からなる自然豊かな地形にいくつかの農村がある小規模な領土だ。いってしまえばこれといった旨みがない寂れた土地である。
マルダン伯爵は領土の拡大と自家の発展に熱心な野心家であった。そんな彼は自分の領民を奴隷として売ることで野心を叶えるための資金を蓄えているのだ。
「その伯爵ってのが奴隷売買ね。んで、その帳簿を隣の領土に持っていって何になるってんだ?」
アルビオは書簡をユーリカに返してから首をかしげた。心底見当がつかないといった様子だ。
「告発するんですよ。決まってるでしょう」
ルカが呆れた声を出す。
「アンタの時代はどうだったのか知りませんが、今の時代では奴隷売買は法律で禁止されています。少なくとも私たちが今いるヘルリジオ公国ではね」
ルカの言うとおり彼女たちの現在地であるヘルリジオ公国を含んだ多くの国で奴隷売買は禁止されている。特に先進国においては奴隷売買は旧時代的で野蛮なものだとして忌避されている。そういった背景もあり現在奴隷売買が行われているのは南方の貧国くらいだ。
ただしこれはあくまで表向きの話で、実際にはマルダン伯爵のように陰で奴隷売買をする者は多い。単なる労働力から、スケープゴート、観賞用まで人の命には有用な使い道が多くある。
「まるで政府の役人だな。それとも正義の味方か?」
「私たちは聖職者ですよ」
物好きを見るような目でアルビオは二人を見た。もともと強欲の悪魔として略奪の限りを尽くしてきた彼にとって、道徳や法律などは路傍の石のようなものだ。よもやそんなものに命をかける者がいようとはという感じである。
「あのクソ女神の従者だもんな。それなら納得だぜ」
ユーリカらの信仰する光の女神、カミィを思い浮かべてアルビオは嫌な顔をする。カミィの話題が上がるたびにこの男はそういった表情をする。よほど酷い目に合わされてから封印されたらしい。
ごほん、とユーリカが咳払いをする。会話をしていた二人の視線が彼女の方を向いた。
「つまりアルビオには、私たちがこの書簡を持ってエンパー男爵領に行くまでの間護衛をしてほしいの」
改めて真剣に要件を話す。
伯爵の私兵から逃れながらも帳簿をエンパー男爵領まで持っていく。女二人ではなかなかハードなミッションだ。だからこそユーリカは協力者を求めて、光の女神カミィの導きによりアルビオと出会った。
力を貸してほしいと頼むユーリカの目はどこまでも真っ直ぐだ。実際のところユーリカがどのような態度で頼もうともアルビオは彼女に逆らうことができない。光の女神カミィの影響下にあるアルビオは、彼女の願いを無碍にすると永遠に苦痛を受けることとなるからだ。だというのに真摯に頼んでくるユーリカにアルビオは少し腹立たしい気持ちを抱いた。
「イヤミな奴だな」
「え……?」
アルビオの悪態に目を丸くするユーリカ。心外だというよりかは全く見当がつかないといった様子だ。そのような様子がアルビオの心を更にささくれ立たせる。
未だに自分を見つめる真っ直ぐな瞳から目を背け、アルビオはわしゃわしゃと髪を掻きむしった。
「どのみち俺に拒否権はないんだ。従うさ」
アルビオは不貞腐れたように頷く。
大きく肩を落としてため息をつくその態度は、まさに不満でいっぱいといった様子だ。ユーリカは少し申し訳ない気持ちになりながらもそれに頷き返した。
「ということでこれからよろしくな。聖女様ご一行」
「何だかごめんね……。よろしく」
「はい、よろしくお願いします」
こうしてここに、エンパー男爵領に帳簿を持っていくための急設パーティが誕生したのであった。