2.8 奴隷と商人
林の脇にある砦の廃墟は朝の光を浴びて、悠々とそこにそびえていた。ところどころ緑に侵食されて朽ち果てたそれは、見る者に長い時間の流れを教えてくれる。そんな歴史的な建物の前で、ツヴァイは馬車に括り付けられ悲鳴を上げていた。
「何だよこの待遇!? 一緒に死地を切り抜けた仲間だろ俺たち? 何か言ってやってくださいよ姐さん!」
「静かにしてくださいチンピラ。アンタ奴隷商人でしょ? 傷の手当てまでしてあげたんですからユーリカに感謝しなさい」
一連の騒動が終わり全員が合流したあと、ツヴァイはルカとアルビオの迅速な判断により拘束されていた。竜門の襲撃によりあやふやになっていたが、もともとツヴァイは少年をめぐってユーリカたちと敵対していた存在だ。悪どい奴隷商人と仲良くしている道理はユーリカたちにはない。
傷の手当てをされ生きている時点で十分幸運なのだが、ツヴァイは現状が気に入らないらしい。馬車に縛り付けられてから、ずっとロバートの横でしゃーしゃーと騒いでいた。
「うるさい奴だな。口に土でも詰め込むか?」
「やるなら猿轡とかだろ!? 蛮族なのかお前!?」
アルビオの悪魔的な発想にツヴァイは唾を飛ばす。土を食わされるくらいなら、ツヴァイは率先して自身に猿轡をするだろう。
「はぁ……本当にこのチンピラも連れていくんですかユーリカ? 野蛮なのはアルビオだけで十分ですよ」
「まあまあ。ツヴァイさんをこのまま見逃すわけにも衛兵に差し出すわけにもいかないでしょ? それに……ほら、話してみたらいい人だったってことも……」
「それにはないです。奴隷商人ですよコイツ」
話し合いの結果、ツヴァイはエンパー男爵領に行くまでのあいだユーリカたちに同行させることとなっていた。理由は先ほどユーリカが言ったとおりだ。ツヴァイは奴隷商人ということでマルダン伯爵と繋がりがある可能性が高い。そのためこのまま放置しておくわけにはいかないし、かと言って衛兵にもマルダン伯爵の息が掛かっているため近づくわけにはいかない。ツヴァイ同行は苦肉の策というわけだ。
「野菜、切り終わった、ですよ」
「ああ、ありがとうホフマン君!」
ツヴァイについて話していると、砦で保護した奴隷の少年、ホフマンがやってくる。その手には、綺麗に切り揃えられたカブの入ったボウルが握られていた。朝ご飯の支度を手伝ってもらっていたのである。
「うわー、綺麗に切れてるよ! ホフマン君手先が器用なんだねー!」
「えへへ……家事はひと通り習ってましたから」
ユーリカに褒められて嬉しそうに笑うホフマン。齢は大体七歳くらいだろうか。その若くみずみずしい頬がオレンジ色に染まる。
「まあその歳にしては下手じゃねぇな」
ホフマンを後ろから覗きこんだアルビオは、そのままカブを一欠片摘んで口に放った。
「こらアルビオ! アンタつまみ食いなんてはしたないですよ」
「いちいち突っかかってくんなよ。聖職者じゃあるめぇし……」
「聖職者ですが!? アンタこれまで何を見てたんですか!?」
マナーの悪いアルビオを注意するルカと、それに対して口を歪めるアルビオ。まだ出会って3日目の二人だが、このやり取りも定番となってきている。
ユーリカはいつものやり取りを困った顔で眺めながらも袖を捲った。朝食の完成まであと少し、もうひと踏ん張りだ。
賑やかながらも穏やかに、朝食の支度は進み、そして馬車に備え付けられた簡易卓の上に朝ご飯が並ぶ。カブのスープと黒くて硬いパン。それが今朝の献立だ。
「うーん、美味しい!」
岩のように硬いパンをスープに浸して、それから口に運ぶ。それだけで硬く質素なパンはご馳走へと変化するのだ。その美味しさにユーリカは舌鼓を打つ。
「めでたい女だな。こんな安っぽいパンを美味いだなんて……ごふっ!!?」
ユーリカを嘲るツヴァイの口に、勢いよく黒パンがぶち込まれる。スープを介していないカチカチのやつだ。
「何すんすか!? 下手したら死んでましたよ俺!?」
「何って、あーんですよ? 殿方はお好きなんですよねあーん」
こめかみに青筋を浮かべたルカは、その手に追加の黒パンを持って微笑む。笑顔の裏から溢れそうな怒りに、ツヴァイの肝がしゅっと縮みあがった。このままでは死因があーんになってしまうと感じたツヴァイは、ルカに慌てて謝罪をする。聞こえだけは幸せそうな死因だが、実際はただの窒息死だ。
「しゃーせんした! ユーリカさんも姐さんもしゃーせんした!!」
ヘコヘコとキツツキの如く頭を下げるツヴァイ。その度に長い茶髪がモップのように揺れる。
「情けない奴だな……。お前一応森の番人たるエルフだろ?」
アルビオはつまみ食いをした分カブが減らされたスープを飲んで、ツヴァイを指さす。茶髪から覗くその長い耳は、紛うことなきエルフの証拠だ。
「森の番人って何年前の話すか?ドラゴンや竜門が出現する前の大昔じゃあるまいし」
それに対してツヴァイは怪訝な顔をする。アルビオが封印される前の何千年前とは異なり、エルフは森を捨てて街に出てきたらしい。アルビオは自身が眠っている間に恐ろしいほどの時間が経っていたことを、改めて実感する。
「うーん、美味しい!」
そんな二人のやり取りを尻目に、ユーリカは再度歓喜の声を上げる。黒パンとスープの組み合わせが気に入ったのだろう。
「こんな美味しい食べ方を教えてくれた、ホフマン君には感謝だね」
「ええ、全くです。硬くてパサパサした黒パンには、長年苦しめられてきましたからね私たち」
「えへ、そんな。ぼ……私の故郷では、よくこうやって食べてた、です」
ユーリカたちの言葉に、ホフマンは控えめに笑う。丁寧な所作で口元を覆う様子は、どこか良家に仕える使用人のようにも見えた。
「そっかぁ。故郷に早く着くといいね」
ユーリカはホフマンに優しく微笑みかける。それに対してホフマンは困ったように目を伏せる。
一連の騒動のあとホフマンに話を聞いたところ、どうやら彼はユーリカたちの進行方向にあるカイラという村から奴隷として連れてこられたらしい。ちょうどエンパー男爵領に向かう道中にあるということで、ユーリカたちはホフマンを故郷の村まで送ることに決めたのだ。
ホフマンが目を伏せたのは申し訳なさを感じているのだろうとユーリカは思った。昨日今日の関係ではあるがホフマンは思慮深く優しい子だ。だから遠慮してしまっているのだろうと。
「遠慮しないで。ホフマン君はまだ子供なんだから。お姉さんたちに任せなさい! ね?」
だからユーリカは自身の薄い胸を叩いて、ホフマンへと笑いかける。釣られてホフマンも、ニヘラと笑った。
「よーし、そうと決まれば出発だね! 今日も一日頑張ろう!」
卓上の朝食を平らげて、ユーリカは席を立ち上がる。それから袖を捲って小さな力コブを作った。
ーーー
二匹の黒い駿馬が街道を駆け抜ける。その速度は石火の如くで、まるで馬車を引いているとは思えない軽々しさがあった。
黒馬に引かれた馬車は、それまた馬と同じ黒塗りだ。ところどころに金の装飾が施されたそれは、格式というものを感じさせる。
黒い馬車の内部から外を眺める少女マリシャは、古めかしいガンマンの人形を見つめていた。それはマリシャが幼い頃に父親に買ってもらった人形の一つだ。あの頃から変わらないその人形は、黒いワンピースを着て大人びたマリシャには、少し似合わないものとなってしまった。
しかしガンマンの人形はマリシャにとって大事な宝物だ。だからこうして手に持って、優しくハットを被った頭を撫でた。
「また人形遊びですか。貴女も好きですねぇ……」
マリシャは二つ縛りの銀髪を揺らして、横を向く。そこにはくすんだ茶髪を横に撫でつけた黒服の男が座っていた。大柄なその男は、マリシャと比べて座高1.5倍近くあった。
「すみませぇんゴレムスさん。癖のようなものでして」
間の抜けたようなテンポで謝罪するマリシャに、ゴレムスと呼ばれた黒服の男は「構いませんよ」と告げた。
ゴレムスはマルダン伯爵の御付きをしている人物だ。いつも執務室に篭りがちな伯爵の世話は、主に彼の仕事であった。
「癖なのは存じてます。まあ子供っぽいというか、少しばかり趣味が悪いと思いますがね」
ゴレムスは呆れ半分といった様子でマリシャを見やる。その舌の裏に隠された棘がマリシャをちくりと刺す。ゴレムスという男は、マリシャに対しては基本的にこのような態度を取る。表面上は柔らかく接しているが内心は彼女を気味悪がっているきらいがあった。
「そですよね。……すみませぇん」
マリシャはゴレムスの言葉に頷くと、そのまま目を伏せて謝罪をする。具体的に何について謝ってあるのかはマリシャには分からない。いわばこれも癖のようなものなのだろう。
「でも意外ですねぇ。ゴレムスさんが私の手助けについてきてくれるなんてぇ」
「今回は一大事ですからね。こう見えて私は昔、国の軍隊に所属していましたから。お役には立てるはずです」
マリシャの言葉を受けてゴレムスは腰に差したレイピアを見せる。ゴレムスは男性の中でもかなり大柄な方だ。軍隊に所属していたとしても不思議ではないほど、その身体は鍛え上げられている。
マリシャはゴレムスの言葉に頷いて、それからゴレムスの横顔を眺めた。首が太く筋張った顔だ。顎髭を生やしていることもあり、その顔は近くで見ると威圧感があった。
正直マリシャはゴレムスという男のことが伯爵と同じくらい苦手だった。伯爵は気まぐれに部下に対して残虐な行為を行うが、この男は後ろでいつもその行為を見ているのだ。口元を緩めて楽しそうに。ときには伯爵の残虐行為を助長することさえある。
「ところで、例の箱は持ってきて貰えましたか?」
ゴレムスの言葉を受けて、マリシャは頷く。そして旅支度の鞄の中からひとつの箱を取り出した。拳大より少し大きい銀製の小箱だ。
「はいぃ……これですよねぇ?」
「よろしい。これは伯爵がご厚意で用意された魔道具です。ピンチの時に開けば貴女を助けてくれるでしょう」
箱を見るとゴレムスは満足そうに微笑む。口元を緩めてニヤリと頷く様に、マリシャは少し嫌悪感を覚えた。
改めて膝の上の箱状の魔道具を眺める。銀製で鎖のような装飾のなされたそれは、見た目以上の重みがあった。一部の魔道具や呪具には質量を超えた重みがあると聞いたことがある。恐らくこれもその一部なのだろうとマリシャは考えた。
「でもぉ、どうして伯爵はわざわざこんなものを?」
魔道具は高価なものだ。それは貴族であるマルダン伯爵にとっても同様である。魔道具職人は医者や貴族に並ぶ高給取りなのは有名な話だ。
「……貴女の日頃の行いを評価なさったのでしょう。それに今回は一大事ですからね」
「そですか」
ゴレムスは笑顔を絶やさないままそう答えた。伯爵は残忍で凶暴な人物ではあるが、一部の部下に対してはそれなりの優しさを見せる。マリシャもゴレムスもその一握りのなかの一員であった。
マリシャはゴレムスの言葉に納得したように、箱を眺めて、それからすぐに鞄の中へと仕舞った。正直あの箱をあまり目に入れたくなかったのだ。自身を助けてくれる魔道具だと知っていても、その箱から溢れる重圧が怖かった。
「……」
「……」
会話が途絶えて、馬車の中に再びの静寂が訪れる。転がる車輪と馬のいななき、そして唸る風の音だけがその場に流れる。この三重奏は旅の途中の定番曲だ。マリシャはしばらくその曲に耳を傾けて、それから人形遊びを再開する。
ガンマンの人形と、目がボタンの熊の人形。それぞれの手に持ってそれらを眺める。これらの人形たちを眺めているとマリシャは気持ちを落ち着けることができる。
本当はここに王子様の人形もあれば完璧なのだが、あれは大きすぎるため馬車の荷台に眠っていた。
「……できれば使わないで済むといいですね。魔道具」
「……え?」
ぽろりとゴレムスがこぼした言葉をマリシャは聞き返す。純粋に風の音が強く、ゴレムスの声が聞こえなかったのだ。
マリシャの不思議そうな顔を眺めて、ゴレムスは窓の外を指さした。
「見てください。もうすぐアセドの街に着きますよ」
ゴレムスが指さす先には、ぼんやりと霞む街の輪郭があった。伯爵の館を出発してから一日。本来であれば二日は掛かるという距離だが、伯爵の馬は特別性の駿馬だった。
「恐らく例の聖女さんたちもあの街を通ってエンパー男爵領に向かうつもりです。着いたら情報収集をしましょうか」
「はいぃ……分かりましたぁ」
ゴレムスの言葉を聞いてマリシャはガンマンの人形を強く握った。これから先の戦いへの覚悟を決めて。




