2.3 逃げる者、追う者、潜む者
「しゃぁぁっ!逃げんじゃねぇぞこのガキ!大人しく商品に戻りやがれ!」
「嫌だっ!誰か助けて、助けてぇっ!」
しゃぁっと奇声を上げて少年を追いかける商人風の男と、それから逃げるボロ布を纏った少年。逃げ出した奴隷と奴隷商人の追いかけっこが、林脇の砦跡にて繰り広げられていた。
目の前の状況に少しの逡巡を挟み、すぐにユーリカが鉄柵に身を乗り出し下を覗き込む。衝撃によりガシャリと鉄柵が悲鳴を上げ、階下の二人が同時に上を向いた。焦燥や恐怖、驚愕に満ちた視線がユーリカに刺さる。
「何だ、聖職者の女ぁっ!?」
「その子から離れなさい!」
商人風の男は粗野な顔つきを歪ませてユーリカを注視する。その視線を真っ向から受けてユーリカは男に子供を逃がすことを要求した。
思わぬ介入者の存在に男は怯んで後退りをする。懐に手を入れて警戒するようにユーリカたちの方を睨む。その様子はさながら野山の野犬だ。そして野犬のごとき男はにやりと笑った。
「なぁんだ、たったの三人ぽっちかよ」
男は粗暴な笑みを浮かべると、懐に入れていた手を勢いよく振り抜く。
瞬間、ルカがユーリカに警告を飛ばした。
「ユーリカ!避けてください!」
ルカの警告と共にユーリカの視界に、何やら鈍く輝く円が映る。それが回転するナイフだと頭が理解する前に、ユーリカは身を屈めた。結果として軌道を逸れたユーリカの肩をナイフが切り裂いた。
真っ赤な血を暗い廃墟の中に振りまき、ナイフはそのまま弧を描いて男の手中に収まる。男はナイフについた血を眺めて下手な口笛を吹いた。
「しゃぁっ!俺はブーメランナイフのツヴァイ。人呼んで戦う奴隷商人!相手が悪かったねお三方」
ナイフを前方に掲げて、劇の主人公のようなポーズを取る、商人風の男もといツヴァイ。その不遜な態度は三人程度なら一人で倒せるという自信の表れだろう。
「ユーリカ、大丈夫ですか!?ちっ!ちちっ……血が!」
「大丈夫だよ。これくらい、痛いけど平気だもん」
真っ白な顔に冷や汗を浮かべて駆け寄るルカに、ユーリカは強がったように笑う。幸いにも傷口は見た目よりも浅く、致命傷となりうるものではなかった。
親友の無事にルカはひとまず安堵の息をつく。そして瞬きをすると、今度は敵意に満ちた目でツヴァイを睨んだ。
ツヴァイはルカの視線を受け親指を下に立てる。
「しゃぁぁっ!気に入らない目をしてんな女ぁ!」
「お言葉そのままお返ししますよ、汚猿」
火蝶を周囲に展開するルカと、ナイフを構えるツヴァイ。一触即発の空気を漂わせる二人だが、火花が散るより前にその空気は霧散する。
「おい、あのガキ逃げたけど放っといていいのか?」
不意に放たれたアルビオの言葉によって。
「本当だ。あの子どこか行っちゃった……」
柵から地下を覗き込んだユーリカはアルビオの言葉に頷く。どうやらツヴァイがユーリカたちに気を取られている間に、こっそり逃げ出したらしい。
「しゃっ!?あのガキ無駄なことを!くそっ!」
自身の貴重な商品である少年が逃げ出したことにより、ツヴァイは大きな目を剥いて周囲を見回す。そして小さく舌打ちをすると少年を追って、廃墟の闇へと消えていった。
ユーリカは白いローブの裾を千切ると、肩に巻き止血を施す。ひとまず目前の危機は去ったユーリカたちだが、このまま一息をつく訳にもいかない。そのため止血もほどほどにユーリカは走り出した。
「あの子が危ない!捕まる前に助けないと!」
その背中を見て慌ててルカも追いかける。残されたアルビオはやれやれと髪を掻きむしり、その後すぐに走り出した。
幅の狭い階段を降りて地下へと進む一向。年代物のボロ階段は、踏み出すたびにギィギィと軋みをあげた。
「ユーリカ、そんな走らないで下さい!激しく走るとちちっ、ち、血が出てしまいます!」
階段はすぐに終わりを告げて、一同は砦の地下へと辿り着く。上よりも強烈なカビの臭いと埃の絨毯が三人を歓迎する。
「怪我なんてお得意の治癒術で治せばいいじゃねぇか。竜門に襲われた村人やルカにやったみたいによ」
埃の絨毯を蹴散らして三人は地下を進む。上階と同様の蛇のように細い道は、進路上で三方向へと分かれていた。十字路に差し掛かったのだ。
「さすがに自分は治せないよ!……道が三方向に分かれているから私たちもここで別れよう。私は右!」
「貴女の親友として、今のユーリカを一人にしておけません!私も右に行きます!」
「ガキじゃなくてお前を守る契約だ。俺も右」
自身の提案を刹那で却下されてユーリカは目を見開く。過保護な親友と恐ろしい悪魔、この二人の意見が珍しく一致した瞬間であった。理由の違いこそあれど二人にとって、ユーリカを守ることが最重要事項だ。
「えぇ……。何でぇ!?」
あたふたと困った仕草をするユーリカと全く譲る素振りを見せない二人。話は平行線のままで三人は十字路の中央に足を踏み入れる。
その瞬間、三人の身体を浮遊感と強い目眩が襲った。
内臓が腹の中でお手玉みたいに回されているような不快感。それと同時に立ちくらみのような目眩が起こり、五秒ほど続いた。
「うっぷ……!?」
強い不快感に口元を手で押さえるユーリカ。たたらを踏めば軽快な音が地下に響き、足元の埃が宙を舞った。
どうにか喉元まで迫り上がってきたモノを胃の中に押し込み、ユーリカは潤んだ目元を袖で拭う。先程の強烈な目眩は何だったのか。仲間たちの様子はどうかと背後へ振り返り、そして目をパチクリとさせた。
「あれ、ルカ?……アルビオ?」
振り向いた先に二人はおらず、ただ重厚な壁のみがそこにはあった。
ーーー
アルビオは自身が小さな石造りの部屋にいることに気づき、小さくため息を吐いた。四畳ほどのその部屋には老朽化した机と、錆びた剣の掛けられた武器棚、そして部屋の外へと続く扉があった。どうやらここも先ほどまで自分がいた砦の地下ではあるらしい。
「座標転移……。面倒なことになったな」
どうやらこの廃墟にはあの二人組以外にも先客がいたらしい。まだ見えぬ第三者の存在にアルビオは顔を歪める。
座標転移は空間操作系という非常に扱いが難しい術だ。人や物を瞬間移動させたり距離を自在に伸び縮みさせられる。しっかりとした前準備を必要とするが決まればその効果は絶大だ。
空間操作という術は、習得に長い年月を要することから人間が使うのは無理だとされている。ドワーフやエルフといった長命種が半生を捧げてやっと習得できる、それほどまでに難解で極致的な術なのだ。
「こんな芸当できるのは、あの爺くらいのもんだと思っていたんだが……」
古き知己を思い浮かべながらアルビオは扉の取っ手に手を掛ける。思索を巡らせたい気持ちもあるが、悠長に構えているとユーリカが危ない。祠の契約によってアルビオは彼女を守ることを強要されていた。
力を加えれば扉は簡単に開いた。建て付けが悪いくらいは想定していたアルビオは拍子抜けした顔をする。
扉を抜けた先は一本道の廊下だった。今いた部屋はその廊下の中間に面しており、右と左へとそれぞれ道が続いている。さてどちらへ進もうかと左右を見渡すアルビオは、ふと右の通路より自身を見つめる一つの視線に気がついた。
振り向けば小さな視線の主が、廊下の奥の暗闇からアルビオの方を見つめている。その表情は恐怖で強張っているようだ。
「ガキか……」
商人に追われていた奴隷の少年がそこには立っていた。どうやら幸運にもあのツヴァイという男の追跡を振り切ったようだ。
アルビオはしばし思索をする。ユーリカの安全を確保することが最優先だが、子供の保護もしなければ事態は収まらないだろう。
アルビオは少年を睨むと、すぐに結論を出した。
「おいガキ!こっちに来い!」
アルビオの雷鳴のごとき大声に少年は大きな目を見開く。そして萎縮したように肩を震わせると、そのまま一目散に廊下の奥へと走り出した。
「ひぃっ!?あ、悪魔!?」
「ご名答。……くそっ、逃げやがって!」
勘がいいのか悪いのか逃げ出した少年に舌打ちをすると、アルビオは髪を乱雑に掻いて走り出した。
少年の短い歩幅ではアルビオを撒くのは困難だろう。すぐに捕まえて脇に抱えればいいかなどと考えなら脚を乱暴に前へ突き出す。
想像の通りみるみると二人の距離は縮まっていく。ものの十秒ほどでアルビオの手が少年の肩まで伸びる。あとはその身を手繰り寄せるだけといったところで、少年の姿が急に消えた。
最初は座標転移を疑ったアルビオだが、どうやら今回はそうではないらしい。廊下の壁にぽっかりと空いた小さな穴へと目を落とす。子供がどうにか潜れそうなその穴の奥から、ゴソゴソと何かが動く音が聞こえた。
見事な逃走劇だがこれで撒けるほどアルビオは甘くない。アルビオの雷鎚にかかれば廃墟の薄壁など柔肌に劣るのだ。もっともそれがただの薄壁であればの話だが。
「……。なるほど、どうやらこの建物自体が奴の術の領域なのか」
雷鎚を受けてヒビ一つない壁を見つめ、アルビオは未だ見ぬこの廃墟に潜む者の存在を思った。
ーーー
「アンタの仕業じゃ……ないですよね」
「何の話をしているんだ?邪魔するならお前も奴隷にしてやるよ」
突如ユーリカたちと離れた場所へと飛ばされ、よりにもよって先程の奴隷商人ツヴァイと遭遇したルカは、苦虫を噛み潰してボロ雑巾を頬張ったような顔をした。
ルカと同様にツヴァイも嫌そうな表情を顔いっぱいに貼り付けた。暗い一本道の廊下に二人、この邂逅はお互いに望んだものではなかったのだ。
「その発言で分かりました。あのワープはアンタが仕掛けたものではないと」
ツヴァイの発言から場所の転移が彼の仕業でないことを確認すると、ルカは一つ息を吸って自身の周囲に火の蝶を召喚する。暗い地下通路にオレンジ色の光が灯った。
「何を言っているのかは分からんが、やる気はあるようだな!」
「アンタは私の親友を傷つけました。だからここでその罪を償ってもらいますよ!」
ルカの戦意を真っ向から受けて、ツヴァイは下卑た笑みを浮かべる。懐から出した短剣を構えたその姿は、もはや商人というより盗賊である。
互いに戦意を剥き出しに対峙する二人。そこから戦いに発展するのは当然のことであり、それゆえにあっという間に火蓋は切られた。
「その白いローブ、血で真っ赤に染めてやるぜ!しゃぁぁっ!!」
まず最初に動いたのはツヴァイだ。彼は手に持った短剣を先程と同様に、ルカ目掛けて投擲する。くるくると弧を描く短剣は真っ直ぐにルカの方へ飛んでいった。
だがしかし、その攻撃をそのまま素通しするルカではない。彼女は自身を取り巻く火の蝶を短剣目掛けて差し向ける。
火の蝶の群れにより短剣は僅かに軌道がずれて、そのままルカのすぐ横を通り過ぎていった。火蝶は撹乱のほかに敵の攻撃を防ぐ防壁でもある。このような軽い攻撃は、ルカにとっては避けるまでもないのだ。
不敵に笑みを浮かべるルカに、ツヴァイもまた悪い笑みを浮かべる。
「それで避けた気になってるのか?俺のナイフは……」
「戻ってくるんですよね。ブーメランナイフのツヴァイさん?」
突如180度方向転換してルカの後頭部をナイフが狙う。しかしそれはルカが軽く首を傾げることで避けられて、白い刃は空を裂いた。
渾身の二連撃を危なげなく避けられ、ツヴァイは大きく舌打ちをする。
標的を仕留め損ねたナイフは、そのままクルクルと弧を描き、主であるツヴァイの手元へ戻っていく。さきほどユーリカを傷つけた時と同じ挙動で。
先程と同じ挙動であるならば、それをみすみすと見逃すルカではない。
ツヴァイは戻ってきた短剣を握ると同時に、その粗野な顔を大きく歪めた。
「しゃぁっつぅいいっ!?」
ナイフを手に取った瞬間に柄の陰から数匹の火蝶が飛び出す。初撃を火蝶でずらした時に、何匹か紛れ込ませていたのだ。火の蝶たちによって高音に熱された短剣の柄を手に取ったツヴァイは、大きく目を剥きそのままナイフを地面に放り捨てた。
「アンタが見た目通りの単細胞で助かりましたよ」
火傷した手を押さえるツヴァイに向かい、ルカは大きく脚を蹴り上げた。それにより床に敷かれていた埃の絨毯が舞い上がった。
『火蝶・楓!』
それと共にルカは詠唱し、指先から無数の火の蝶を飛ばした。それは埃の波に火をつけて、炎の波濤がツヴァイを襲った。
「しゃああぁぁっ!?」
自身の身体を抱いて地面を転げるツヴァイ。しばらくのたうち回ったあと、床に這いつくばりルカを見上げる。その目にはもう戦意はない。
「本当に、すみませんでしたぁぁ!俺が悪かったですマジで!いや本当にマジで!マジで悪かったんで許してくださぁぁいっ!」
ツヴァイは地面に這いつくばった状態から、器用に土下座へと移行した。そしてそのまま中身のない謝罪の言葉を、決して枯れない泉の如くツラツラと並べ出す。
見るからに哀れなその姿は、まるで昔話に出てくる小悪党である。実際に小悪党ではあるのだが、ここまであからさまなのは逆にレアだろう。
ルカは冷たい視線でツヴァイを見下ろした。
「もう少しマシな謝罪はできないのですか?アンタが商人というなら、ちょっとは国語も勉強した方がいいと思いますよ」
「はい!すんません!勉強します!!」
ルカの毒にちくちく刺されながらも、へこへこと頭を下げるツヴァイ。先程まで罵り合って戦っていた相手に、ここまで鮮やかな謝罪できるのはある意味才能である。
ツヴァイの醜態にルカは呆れたような顔をする。それから上を見上げると、大きなため息を吐いた。
「まあどんな謝罪だろうと許しませんよ。私の親友を傷つけた罪は重いですから」
ツヴァイに対して冷たくそう言い放ったルカは、そのまま詠唱を開始する。今までの比でない魔力が回廊に漂い、暗がりの地下は地上のように明るくなった。無数に生じた火の玉が地下を照らしたのである。そして生じた火の玉が彼女の周囲に集まり、やがてそれは大きな獣のような姿になった。
これこそがルカの持つ最大の炎魔術。先日の竜門戦において不発に終わった隠し玉である。その魔術の名前はーー
『火熊・月輪』
体長5メートルほどの体躯でギチギチに廊下を埋めた、火熊は煌々と燃える右の前脚を大きく振り上げる。その姿はさながら天災。おぞましい破壊者の姿がそこにはあった。
「本気かよお前!謝ってんだろ俺!命だけは助けてくれよっ!一生のお願いだ!!!」
「動かないでください。狙いがぶれます」
淡々とそう告げるルカ。ツヴァイから見たらその姿はまるで死神のようであった。命乞いなどに一切耳を傾けないその姿勢からは、彼女の絶対に殺すという確固たる意思を感じる。
わたわたと命乞いをするツヴァイをビリジアンブルーの双眸が見下ろす。ルカは呆れたような冷たい表情でツヴァイを眺めると、それから視線を上に上げた。
そしてそれと同時に、右手を振り下ろすような仕草をした。
瞬間、火熊は野太い雄叫びを上げて振り上げていた右前脚を振り下ろした。勢いよく振られた太腕はごうっと音を立てて瞬く。その一撃は暗い地下で見ると夜空の流れ星のようだった。
炎の太腕によって腹を半分以上抉られて、その男は地面に倒れ伏した。男は昆虫のように細い悲鳴を上げると、そのまま動かなくなった。紫色に膨張した筋肉質な四肢を、力なく垂らした姿は生前の活力を感じさせない。本来鼻と二つの目がある場所に代わりについた単眼に、驚愕の色を貼りつけて男は絶命していた。
自身の背後に倒れる奇妙な大男の姿を眺めて、ツヴァイは目を丸くする。
「竜門ですね。アンタの背中に夢中になってこっちの攻撃に気づかないところを見るに、まあ下級のやつでしょう」
大男の死体を観察しながらルカはそう告げる。この竜門は紫色の肌に筋肉質な肉体、そして単眼の3メートルほどの大男といった姿をしていた。見る限りでは肉弾戦を得意とするタイプらしいが、ルカが一撃で倒してしまったため真相は闇の中だ。
「竜門だってぇ?お前、俺を殺す気じゃ……?」
冷や汗を浮かべながら自身を見上げるツヴァイに、ルカは今日何度目かも分からぬ呆れた表情を向けた。
「私は聖職者ですよ?人殺しなんてするわけないじゃないですか」




