1.1 強欲の復活
『 むかしむかし、あるところに一体の悪魔がいた。
その悪魔はほかの何者よりも強欲で、他者の持つもの全てを羨んで他者の持つもの全てを奪おうとした。
やがて略奪の限りを尽くした悪魔は黄金の城を築き、宝石の散りばめられた玉座を手に入れた。
それでも悪魔の欲望は止まることを知らず、己を満たそうと更なる略奪に身を投じた。
その強欲が目に余った光の女神は、陽光を編んで一本の鎖を作りそれで悪魔を縛り封印したという。
結局強欲に身を焼いた悪魔は、封印される最後の瞬間までその欲望を満たすことはできなかった。』
このような勧善懲悪の物語は世界中に存在しているが、中には実話をもとにしたものもよくある。例えば上に記してある物語がそうだ。
上にある強欲な悪魔のモデルは雷光のアルビオという上級悪魔だ。稲光よりも速く走りその拳は城壁に風穴を開けると謳われるその悪魔は、物語と同様に光の女神カミィによって辺境の神殿に封印されていた。
そう、この日までは。
ーーー
小さな祠の玄室に眩い光が満ち満ちる。
どこからともなく吹き抜ける風がユーリカの淡い桃色の髪を揺らす。ユーリカはごくりと息を呑んで部屋の中央から放たれる光を見つめていた。その翡翠色の瞳には微かな緊張の色がある。
「どうか、お願い……」
まだ少女のようなあどけなさの残る声で、ユーリカは光に懇願する。祈るために合わせられた掌には、痛ましい擦過傷が見える。よく見ると身体の至るところにも生々しい傷があった。
ここまで息も絶え絶えに走ってきたのだろう。革靴の底は擦り切れ、白いローブの裾には血と泥がこびりついている。
額から滑り落ちる汗が地面に落ちた時、玄室に溢れる光がより一層強くなり弾けた。それと同時に骨の髄まで揺らす雷鳴が鳴り響き、部屋の中央に大きな人影が現れる。
巨大な人影は腹の底に響く声でユーリカに語りかける。
「何だぁ?鳩が落雷で焼け死んだみたいな顔しやがって」
「……っ!? そんなひどい顔してないよ!
豆鉄砲食らったくらいの顔だしっ!」
反射的にツッコミを入れるユーリカだが、自分がツッコミを入れた相手を確認すると、おっかなびっくりした表情でそそくさと後方に下がっていく。
ユーリカの目の前には体長190cmを超える巨漢が立っていた。肌は王室の陶器のように白く鷲のように精悍な顔つきをしている。瞼に埋まったウルトラマリンの瞳には煌々とした生気を宿していた。
筋肉質な男の肉体を包むのは純黒のプレートメイル。その上には淡いブルーのサーコートを羽織っている。
後ろに撫で下ろした色素の薄い短髪を乱雑に掻き、鷲のような男は顔を歪ませ豪快に笑った。
「どうしたんだぁ?威勢よく返してきたかと思ったら
突然子ウサギみたいに縮こまっちまってよ」
ユーリカの顔を覗き込む男の顔は、彼女に興味津々のようだ。ただ顔つきがあまりに凶暴なためユーリカはひぅっと小さな悲鳴を上げる。
「ごめんなさい。貴方の顔が、その、あまりに怖くて……。それに背も高いから威圧感があってつい」
「ああ、確かにお前はチビだもんな!」
そう言って大男はユーリカの全身を舐め回すように眺める。ユーリカの身長は147cmでこの年頃の少女にしては背は低い方だ。それに華奢な体格も相まって大男にはユーリカがひどく小さく見えた。
「私はまだまだ成長中なんです!
いきなり失礼な人、礼節が足りない!」
デリカシーのない発言に顔を赤くするユーリカ。
彼女に対して身長の話は禁句であった。
ユーリカはまだ16歳、伸びる余地はあるのだ。
大男は顔を赤くするユーリカを指差して声高らかに爆笑する。その度に爆鳴機のような重音が狭い玄室に反響していった。これにはユーリカも堪らず顔をしかめる。
「まあ、俺は悪魔だからな」
「……つ!」
巨漢の一言にユーリカの表情がぴくりと動く。
ローブの袖にすっぽりと覆われた小さな手をギュッと握りしめて、ユーリカは大男の前に一本の踏み出す。
「悪魔……。やっぱり貴方は雷光のアルビオなんだよね?女神様の予言に合った」
雷光のアルビオ。
かつて強欲に身を焼いて女神カミィに封印されたとされる大悪魔。いま目の前にいる危ない雰囲気をまとった男がそうなのであろうか。ごくりと、ユーリカは固唾を飲んだ。
「女神様?あぁ、あの発光女のことか」
光の女神カミィのことを発光女などと称し、忌々しい顔をする大男。それは即ち自分が件の大悪魔であると認めたのと同義であった。
凶暴な顔つきをした大男改め、大悪魔アルビオを前にしてユーリカは言葉を続ける。心臓が飛び出そうなので胸そっとを押さえながら。
「貴方がアルビオであるのなら、お願いがあるの。
私に……どうか、この私に力を貸して」
抑揚を抑えた少女のぎこちない願いに、強欲の悪魔は面白そうに頷いた。歯並びの良い白い歯から、くくくっと笑い声がこぼれる。
「いいだろう。では代償に何を支払う?」
品定めをするようにアルビオの視線が、ユーリカの身体を這う。紺碧の瞳には激しい欲望が渦巻いている。
「見たところ聖職者のようだが、信徒からお気持ちとして色々貰っているんだろう?」
俺は知っているぞと言わんばかりに、アルビオは下卑た笑みを端正な顔に浮かべる。
「最近のマイブームはルビーだ。あの赤色がいい。
まあベタに金銀でもいいぞ。俺は寛容なんだ」
頭の中に富を浮かべては涎を垂らすアルビオ。その声は次第に熱を帯びていく。代償をよこせと手を差し出す巨漢の悪魔に、ユーリカは困った顔で笑う。
ユーリカの懐にあるのは幾ばくかの銭貨と護身用のメイス、そしてお守りである萎びた花のついた髪飾りだけであった。大きな教会がバックにない流れの聖職者である彼女の懐事情は実にさもしいものだった。
「ごめんなさい。あなたが望むようなものは払えそうにないの」
謝罪を聞くと同時にアルビオの顔がひきつる。
「だったら話はなしだ。一昨日来やがれ。つーか来んな!」
そう吐き捨てて背中を向けるアルビオ。だがその背中はすぐに折れ曲がり、そのまま地面に突っ伏した。苦痛により峡谷のようなシワが刻まれた眉間には、光の女神カミィを象徴する四つの花弁を持つ花の聖印が浮かびあがる。
「ぬおおおおぉっ!?何だってんだこの痛みは!?」
驚いて口を押さえるユーリカの足元で、アルビオは大きな脚をバタバタさせてのたうち回る。さっきまでの威厳はどこへやら。脂汗を浮かべて悲鳴を上げる姿はさっきとは別人のようだ。
「あの発光女!俺を封印した時に何か細工をしやがったな!」
天に向かって恨言を吐くアルビオを見て、ユーリカは夢の中に現れた女神の予言を思い出した。
『サーベイの東の森にある祠を訪れなさい。きっと貴女の助けになる従順な悪魔がいるはずよ」
従順な悪魔、と口の中で反芻する。ユーリカは目の前で苦しむ悪魔を眺めて、そういうことか納得する。
「そういうことって、どういうことだよ!?」
口からポロッと溢れでたユーリカの言葉を拾い、アルビオは血眼で聞き返す。いつの間にかもう息も絶え絶えである。
ユーリカはどう説明したらいいものかと首を傾げる。
「えっとね、多分女神様の力で貴方は私に逆らえないようになってるみたい。予言によれば」
「はああぁぁぁぁっ!?」
強欲の悪魔の素っ頓狂な声が祠に響き渡る。眉毛をピクピクと動かしながら苦悶するアルビオの様子に、ユーリカは段々申し訳なくなってきた。
夢の中で予言をくれる光の女神カミィならば「同情は不要よ。悪魔だし」とか言うのだろうが、ユーリカはそもそも彼が何故封印されていたのかも知らないこともあり、どうしても同情をしてしまう。
しかしユーリカとて今は引くに引けない状況であった。この窮地を脱するためには目の前の悪魔の力に頼らざるをえない。擦り傷だらけの手をギュッと握りしめてユーリカはアルビオに提言をする。
「このままだと貴方は一生苦しむことになる。だからどうかな、私に力を貸してくれない?」
なるべく気丈に、侮られないようにと言葉を発する。そんなユーリカにアルビオは唾を吐きかける。
「嫌なこったね!」
その後に続く言葉はもちろん拒否である。
「.俺は強欲の悪魔だぞ?力が欲しいのなら代償だ」
さっきまでの威厳をかなぐり捨てて、アルビオは幼い子供のように駄々をこねる。女神からの想像を絶する痛みに耐えながらも首を横に振る姿勢は、もはや天晴れといったところか。
このままでは埒があかないだろう。
ユーリカは自分の心を鬼にすることを決めた。それも酒を片手に陽気に笑う赤鬼ではない。冷酷無比に金棒を振るう青鬼だ。
「ふぅん……そうなんだ。だったら私は行くよ。
貴方は一生そこで蹲ってればいいんじゃない?」
頬についたアルビオの唾を指で拭き、ユーリカは足元の大悪魔を睥睨する。イメージは修道院時代に同じ屋根の下で暮らした意地悪なお姉様方だ。彼女たちはいつだって淑女のような顔をして、そこらのチンピラよりもえげつないことを口にするのだ。
ユーリカの可愛らしい顔には彼女たちのような凄みはなかった。しかし痛みによりユーリカの顔を見るどころではないアルビオには、そんなこと関係ない。
アルビオはしばし歯軋りと唸りを繰り返したあと、諦めた表情でゆっくりと鎌首を上げた。
「……わかった。従えばいいんだろう?」
不本意そうな声だ。それでもユーリカへ従う意を示したことで、彼の眉間に浮かんでいたカミィの聖印が薄まり消えていった。それに伴いアルビオを蝕んでいた苦痛も去っていったらしい。
アルビオはゆっくりとその巨体を起こした。
改めて見ると大きい。アルビオの背丈は2m近くあり、ユーリカの頭の位置に胸があった。見上げると忌々しそうな表情をしたアルビオと目があった。
「それで、お前は俺に何を望む?
王の崩御か?あるいはある血筋の根絶か?」
額の大粒の朝を乱暴に拭いつつアルビオは尋ねる。
なぜこうも血生臭い内容ばかりなのだろうか。
ユーリカはひきつる頬をポツリと掻いた。
「えっとね、そんな物騒な内容じゃないの。
ただ、私をしばらくの間守ってほしい」
「守るだと」
「何から?」とアルビオが訊こうとしたその時、馬の蹄が地面を蹴る音が遠くから聞こえた。
数は4〜5といったところだろうか。いななきと共にその一団はどんどんと二人の方へと近づいてくる。
「あれか?」
アルビオが音の方向を指差して尋ねる。ユーリカはコクコクと頷いた。怯えているようでその表情は固い。
アルビオは肩を震わせるユーリカを庇うように前に出て、首をポキポキと鳴らす。鋭い眼光は音のする方向をジッと見据えている。
やがて馬から軽い武装をした人物たちが降りる音が聞こえた。それから間も無くして祠の中に四人の男たちが入ってくる。
男たちは硬く煮詰めたレザーアーマーの上に緑がかった青色のジャケットを着ている。腰には太い刃のサーベルをぶら下げており、二人はその柄に手をかけている。背筋をピンと立てて綺麗に反らした胸には、伯爵家を表すエンブレムが刺繍されていた。
男たちはユーリカの前に立つアルビオの姿に少し戸惑った様子を見せるが、すぐに顔に鋼を貼り付ける。
雰囲気は剣呑。すぐにでも斬り結びが始まってしまいそうだ。
耳が痛い沈黙。数秒の睨み合いのあと代表らしき男が数歩前に出た。威圧的に鉄靴を鳴らしながら。
「数刻ぶりですかな、正義気取りの御令嬢よ。
この数刻の間、痛みに震え懺悔したことでしょう」
数時間前につけた傷を見つめてその男は演劇のように天を仰ぐ。非常に白々しいがこれも相手の心を折る策略なのだろう。ユーリカは屈するものかと気丈に男の顔を見つめた。
「未だに気丈に振る舞いますか。なんと健気!」
鉄靴をカンッと鳴らして男は声量を上げる。
高圧的な態度にユーリカは思わず一歩後ずさる。
してやったりと男はユーリカの方へと一歩踏み出すと、その目の前に大きな影が現れた。
アルビオだ。
「なっ……!」
代表の男が顔をより一層しかめてサーベルに手をかけるのと同時に、アルビオの拳が男の鼻面を撃ち抜いた。
パコンっという軽快な音と共に男の決して華奢とはいえない身体が宙を浮く。白目を剥いたそれはクルクルと綺麗に三回転したあと地面に落ちた。
それが開戦の合図となった。
「ゴチャゴチャとうるっせぇんだよ!!
俺は今苛ついているんだ。だから黙らせてやる」
アルビオはそう吐き出すとギュッと握り拳を作る。
するとその拳から静電気が発せられ、それはすぐに青白い電光へと姿を変えていった。
『雷鎚』
雷の拳は、真っ先にアルビオに斬りかかってきた男の脇腹を捉え、それを一瞬で後方へと吹き飛ばした。
吹き飛ばされた男が地面に落ちるより前に、アルビオは残りの二人のもとまで駆け寄る。両手に放電する拳を携えて。
「ひぃっ!?」
片方の男が短く悲鳴をあげた。もう片方の男は悲鳴はあげなかったものの頬を汗か涙で濡らしている。
それでも懸命にサーベルを構えた二人は応戦する。
まず一人がサーベルを振りかざして振り下ろした。それを本来切り落とすはずだったアルビオの拳が弾いた。後続のもう一人が弾かれた男の陰から現れてサーベルを振るう。その刃は空を切った。
即座に後続の男の背後に回り込んだアルビオは、雷を纏った拳で男をめった打ちにする。一発拳が入るたびに火花が散り、男の革鎧に焦げ跡を残していく。
五発目が入ったところでその男は地面に伏した。
「……勝てない」
最後の一人はというとアルビオの猛襲を目の当たりにしてサーベルを地面に落とす。
「潔いじゃん」
そしてサーベルが音を鳴らすよりも前に、男の身体は祠の天井付近まで吹き飛んだ。
「これが大悪魔アルビオの力……」
凶暴な蹂躙、圧倒的な決着を目の当たりににしてユーリカは言葉を漏らした。光の女神カミィの予言にあった大悪魔。そのあまりに暴力的な助っ人の実力にただただ呆然として。