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まさか目撃者がいたとは


 騎士団長様に肩を抱かれて早歩きすること数分。

 歩幅が違いすぎるせいで私は小走りだ。おかげで立ち止まった時には息が上がってしまっていた。


「急がせてしまってごめんね、アネットさん。少しでも早く人混みから離れた方が良いと思って」

「お気遣い、ありがとう、ございます……」


 実際、私としてもあの場から一刻も早く離れたかったからいいんだけどね。


 騎士団長様にとっては早歩きにもなってなかったんだろうな。

 めちゃくちゃ涼しい顔だし。足の長さと基礎体力の差が激しい。


 ようやく息が整ってきたところで辺りを見回すも、見えてくるのは壁ばかり。

 ここ、裏路地ってヤツじゃないの……?


 こういう場所は治安がよくないからって近付かないのが一般人の暗黙のルールだ。思わずぶるっと身体を震わせてしまう。


「さて、ここなら落ち着いて話せるかな」

「ここ、来ても大丈夫なんですか?」

「ああ、少し前までごろつきがたくさんいたね。つい最近、僕が一掃したからしばらくは誰も寄り付かないと思うよ」


 不安になって質問すると、随分と物騒な答えが返ってきた。

 一掃……やっぱり危険な地域ではあったんだね。でも騎士団長様のおかげで今は平和、と。理解しました。


「これでも騎士をやってるから、町のことは大体把握しているんだよ。それに僕が側にいるんだから危険なんてないさ」

「そうでした、騎士団長様でした」


 サラッとそう言い切ってしまえるほどの騎士様はあまりいないと思う。

 だって、いくら強くても大勢に囲まれたら危険だろうし、私という足手纏いがいたらさらに手も足も出なくなりそうだもん。人を守りながら戦うのって結構難しいんだって聞いたことがあるし。


 ただ、この人ならそれでも余裕で撃退できるんだろうなって思う。

 それほど、騎士団長様の実力は群を抜いているって話だから。


 まぁ、私は彼の実力を目の当たりにしたことがないからわからないんだけど。


「早速いろいろとお話ししたいところだけど、まずはアネットさんに頼みがある」

「な、なんでしょう」

「そんなに警戒しないで。些細なことなんだ」


 いや、最初にそんな真剣な顔で話を切り出されたら警戒するでしょ。

 些細なことというのも信用できない。普通ではないこの人の「些細」が私と同じとは思えないし。


 だけど、告げられた頼みごとは本当にびっくりするほど些細なものだった。


「その……いい加減、名前で呼んでもらえないかな?」

「えっ、な、名前、ですか?」

「うん。アネットさんはいつも僕を騎士団長様と呼ぶだろう? もしくは、ガリオス伯爵様って。どちらでもなくなってもそう呼ぶのかい?」

「ま、まさか、それが理由で伯爵位を……」

「もちろんそれだけではないけど、理由の一つとしてはあるね」

「嘘でしょ……」


 名前で呼んでほしいだなんてちょっとかわいいって一瞬だけ思ったけど撤回する。

 理由の一つになったらダメじゃん……。愛が重すぎる。


「本当にどうして私なんですか? そこまで思われる理由が全く思いつきません……」

「ジェラール、だよ」

「うっ」


 いつものニコニコした笑みだったらまだどうにかなったかもしれないけど、こんな切ない顔で懇願されるように言われたら逃げ場なんてない。

 まるで私が悪いことしてるみたいじゃない。罪悪感がすごい。悪いことしてないのに。


「わ、わかりましたよ! ……ジェラール、様」

「っ、あー……」

「ど、どうしたんですか」


 勇気を振り絞って名前を呼ぶと、騎士団長様……あー、ジェラール様は一瞬声を詰まらせた後に目元を片手で覆った。

 ちゃんと要望にお応えして呼んだでしょ。何か言ってよ!


「いや……すごく、いいなぁって」


 え、待って。

 よく見たら、いやよく見なくてもジェラール様の顔が真っ赤だ。まさか、照れてるの?


 本当に、私を……? い、いやいや、たとえそうだとしても応えるわけにはいかないし!


「な、なんですかそれっ! もう、お名前をお呼びしたんですから、いい加減に教えてくださいっ」

「あ、ああ、そうだったね。うん。ありがとう、アネットさん」


 気まずい沈黙が流れる。今までの強引さはどこ行ったの……。

 こっちまで恥ずかしくなるからやめてほしい。


「アネットさんにとっては、あまり思い出したくない話かもしれないんだけど」

「何の話です?」

「まぁ、ちょっと聞いて。でも、嫌なことを思い出させるようだったら言って。止めるから」

「話が見えないのでなんとも言えないのですが……」


 ジェラール様は気まずそうに人差し指で掻くと、ようやく話し始めてくれた。


「だいぶ前の話になるんだけどね。路地裏に一人の男が倒れていて。それ自体は珍しいことじゃない。喧嘩沙汰はよくあることだから。ただね、僕はそうなる一部始終を少し離れた場所から見ていたんだ」


 そこまで聞いて、私は全てを理解した。


 ああ。あの時のことだ、って──


『それに、アネットは冷たいんだよ。俺と付き合えて幸せじゃないの? って感じ』

『はぁ……随分と好き勝手なことを言うじゃない。なら、言い返させてもらうわ』

『……は?』

『私はちっとも幸せなんかじゃなかった。だいたい、そっちが付き合ってほしいと言ってきたんでしょ? 私はいいよって言っただけ。でももう我慢してあげるのもおしまい。どうせ好きになれなかったし、貴方みたいな自意識過剰はこっちからお断り! 今すぐ別れて!』

『はぁっ!? お前、いい気になんなよっ!?』


 あの日、拳を振り上げてきた元彼に対し、私はなすすべもなく殴られ……たりなんかしなかった。


 相手から目を逸らさず、拳が迫ってきたところでひょいっと避けた私は、勢いに任せて下から顎を目がけて渾身のパンチを食らわせたのだ。


『パン作りで鍛えられた腕力をあまり舐めないでもらえる?』


 人を殴るのは初めてだったけど、頭に血が上っていたのもあってうまくいく自信はあった。

 ただ、当たり所が良かったというべきか悪かったというべきか。

 あいつはそのまま気を失って倒れてしまったのだ。人気のない路地に呼び出されての出来事だったから目撃者は誰もいない。


 殴られかけたこと、自分が返り討ちにしてしまったこと。色んな感情で混乱して怖くなった私はその場から逃げだした。


 その後、あいつは「女に振られたことなんてなかったのに!」というくだらない理由で姑息な嫌がらせを私や店にしてきたわけだけど……。


「いやぁ、痺れたね。たぶん僕はあの時から、貴女のことが気になっていたんだ」


 まさか目撃者がいたとは。よりにもよって騎士団長様。しょっぴかれなくて良かった。

 まぁ、正当防衛だったし? 捕まるようなことはなかったと思うけど。


「それから数日後かな、町で妙な噂を耳にしてね。酷いパン屋があるだとか、そこの娘が恋人を殺そうとしただとか」

「あぁ……」

「ごめん、嫌だった? やめようか?」

「いえ、過ぎたことですし。構わず続けてください……」


 見られていたのだと知った今、もはやどうにでもなれという気分だ。

 疲れた顔でそう答えると、ジェラール様は少しだけ申し訳なさそうな顔を浮かべながら続きを話してくれた。


「恋人を殺そうとした、って話まで聞かされては、町の治安を守る騎士団としては噂の真偽を確かめなくてはならなくてね。こっそりそのパン屋さんに足を運んだというわけさ」


 私の知らないところで、一度ジェラール様は店に来ていたんだ……。気付かなかったな。

 店が混んでる時間なら気付かなくても仕方ないとは思うけど、この人すごく目立つから。


 それなのに見つからないっていうのは、さすが騎士団長様だ。私の目が節穴だったという説もあるけど。


『アネットちゃん、大丈夫かい?』

『私はまったく、なんの問題もありませんよ! ただ私のせいでお客さんにまで迷惑がかかるのは申し訳ないです』

『それこそ、こっちのことは気にしなくていいのよ。はぁ、まったく。色男だし優しそうな男だったのに、まさかそんなやつだったとはねぇ……』

『見抜けなかった私も馬鹿だったんです。いい勉強になりましたよ。人を見かけだけで判断しちゃダメだってね!』


 そこで、ジェラール様は私とお客さんがそんな話をしているのを聞いたらしい。

 あー、そんなことも話したっけね? ちょっと記憶が曖昧だ。


「この店が、貴女が、根も葉もない噂を流されて困っている被害者だってことはすぐにわかった。何より、僕は例の場面を見ているからね」


 ……不覚にも、胸がジーンとしてしまった。

 目撃者だったから疑いようもなかった、っていうのを抜きにしても、わかってくれた人がいたんだってことがありがたくて。


 もちろん、店の常連さんは私たちの味方をしてくれたけど、そうじゃない人の方が多かったから……あの時は本当につらかった。


「あ、もしかしていつの間にか噂を一切聞かなくなったのって……」


 まさかと思ってジェラール様を見つめると、彼はにこっと笑いながら肩をすくめた。


 そっか。そうだったんだ。


 当分の間は噂に苦しめられて、売り上げにも影響するって覚悟していたけど、ある日を境に以前までとまったく変わらない日常が戻って来たんだよね。

 どことなくお客さんの様子が変だったのも、謝ってくる人がいたのも、全部ジェラール様のおかげだったんだ。


 騎士団として当たり前の仕事をしただけなのかもしれないけど……おかげでうちの店は助かったし、こうして続けられている。


「私、知りませんでした」

「君たちには知られないようにと言ってあったからね」

「……その節は、ありがとうございました。助かりました」


 深々と頭を下げてお礼を言うと、ジェラール様は慌てたように手を横に振った。


「いや、僕は騎士として当然のことをしただけだ。でも……そう言ってもらえるのは素直に嬉しいな。こちらこそありがとう」


 なんだこれ。照れるじゃん……。

 顔を上げた私はジェラール様を直視できず、目を逸らしながら口籠る。


 そんな私がおかしかったのか、ジェラール様はクスッと笑った後に話を戻した。

 あの時の私とお客さんの会話を、まだ覚えているらしい。


『これからは見目の良い人ほど疑ってかかっちゃいそうですけどね』

『そいつはぁまた、難儀なトラウマを植え付けられちまったねぇ』

『いいんですよ。見目の良い人なら私なんかより美人と結ばれますって。私は生涯独り身でもここでパンを売りますから!』

『諦めるのは早いよ、アネットちゃん。きっと良いご縁があるさ』


 あー……そんな話もしたっけ。というか記憶力いいですね、ジェラール様。


 当時は噂で参っていたから、明るく振舞おうとして余計なことまでペラペラ喋っちゃっていたかも。

 うっ、今考えるとお客さんに愚痴を言っちゃうなんて情けない!


「その時に思ったんだ。僕が貴女の『良いご縁』になりたいって」

「え」


 驚いて顔を上げると、すっと頬に手を添えられる。

 ジェラール様の手は、びっくりするほど温かかった。


「辛くないわけないだろうに、拳と笑顔で跳ねのける貴女を思うと胸が苦しくてね。貴女のことが頭から離れなくなってしまったんだ」


 時間が止まってしまったかのように、私の身体はピクリとも動かせなくなってしまった。

 呼吸も、瞬きも、上手くできない。


「改めて言わせてほしい。アネットさん、どうか僕の恋人になってもらえませんか?」


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