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とんでもないことを言い出した


 パン屋の朝は早い。けど、その分うちは仕事が終わるのも早い。


 ありがたいことに朝焼いたパンはいつもほとんど売れるから、日が落ちる前にはお店も閉めてしまう。

 その後は掃除や明日の仕込みをして、みんなで夕食を摂ってさっさと就寝。

 翌朝、日が昇り切る前に起きる、というのが日常だ。


 ちゃんとした休みはないし大変だけど、やりがいはある。

 初めてパンを焼かせてもらえた時は感動したし、今も美味しそうに焼けると嬉しいしね。


「明日も来るって言っていたけど、また店が閉まる頃に来るのかな。はぁ……」


 昨日の騎士団長様とのやり取りを思い出して大きくため息を吐く。


 好意を向けられるのは嫌じゃない。ただ、素直に喜べるかというと話は別。

 彼は素敵な人だし、きっとお付き合いすれば大切にしてくれるのだろう。


「でも私はパン屋の娘をやってるのが性に合ってる。身の丈に合った生活が一番だよ」


 色々考えはするけど、最終的にはこの考えに辿り着くのだ。

 ゴタゴタに巻き込まれるくらいなら、一生独身のままパン屋のおばちゃん、おばあちゃんになる方がいい。


 ただなぁ、あの人。全然諦める気配がないんだよね。

 はっきり断ってるのにめげないとか……鋼の精神力すぎる。騎士団長やるくらいの人だから? なんて迷惑な。


 店のドアにかかるプレートをオープンにひっくり返したのとほぼ同時に、本日最初のお客様がやってきた。

 あら、顔見知りの騎士様ではないですか。


「リックさん。いらっしゃいませ」

「おはようございます、アネットさん!」


 茶髪に青い目をした爽やかな騎士様で、実は私の妹の恋人だ。


 騎士団長様の補佐をしているのだけど、あまり目立つような人ではない。いや、騎士団長様が目立ちすぎているからかも?


 リックさんは縁の下の力持ちというか、誠実で仕事のできる良い騎士様だと思う。

 あと、すごく親しみやすい。なんでも、平民から成りあがった騎士様なんだとか。本当にすごい。


 だからかリック様って呼んだらものすごい恐縮されちゃって、今はリックさんって呼ばせてもらっている。

 性格もいいし、妹をよろしくお願いしますとこちらから頼みたいくらいに信用できる。


 いつか妹は彼に嫁いでいくのだろう。なんだか寂しいけれど、姉としては笑顔で送り出したい。いや、絶対に泣く。


 店の外に看板を設置してから店内へ迎え入れつつ、私はリックさんに話しかけた。


「今日はずいぶん早いですね? マノンはまだ裏で作業してますよ。もうすぐこっちに来るとは思いますけど」

「えっ、いやっ、そ、そんなつもりじゃ」


 加えてこの初心さ。マノンの名前を出しただけなのに顔が真っ赤になっちゃった。

 これは結婚なんてまだまだ先かな? いや、意外とこういうタイプに限って早かったりするのかも。


「そんなに照れなくても。マノンとお付き合いし始めてもう半年も経つのに……」

「い、いやぁ、そうは言いましても……!」


 騎士様って結構軟派な人が多いというか……まぁ偏見だけど、女性に対して軽い人が目立つ。


 そんな中で揉まれておきながら、リックさんはどこまでも純粋で純情すぎる。

 妹を大切にしてくれそうで安心はするけど、そんなに奥手で大丈夫? って心配にもなる。


 ま、人には人のペースってものがあるわけだし、余計なことをいうつもりはないけどさ。

 マノンに相談でもされたらこっそり後ろからつついてみるくらいはしようと思っている。


「はっ! っていうか実は俺、そんなにのんびりもしていられなくて。ちょっと事件が……」

「事件っ!?」

「あ、マノンちゃんっ」


 タイミングがいいのか悪いのか。

 店の裏からやって来たマノンは、リックさんの「事件」という単語を拾って顔を青ざめさせた。


 リックさんは慌ててマノンに駆け寄ると、心配そうな顔をしながらあたふたと説明をし始める。


「事件っていってもそんな大ごとじゃ……いや、大ごとなんですけど、なんていうか、危険はないヤツです! だからそんなに心配しないでっ」

「本当? それなら、良かった……」

「マノンちゃん……心配してくれてありがとうね」


 初々しいなぁ。見つめ合って頬を染めちゃってさ。

 お付き合い半年経過したカップルとはとても思えないけど、かわいいからいいか。


 本当はいつまででもこの二人を眺めて癒されたいところだったけど、そういうわけにもいかないだろう。

 リックさんがいつもお昼にと選ぶパンを手早く包むと、私は小さくため息を吐いて口を挟んだ。


「で、のんびりしていられないんじゃなかったんですか? いつものでいいですかね? 包んでおきましたよ」

「はっ、そ、そうでしたっ! ありがとうございます、アネットさん! すぐ団長に確認しにいかないと」


 団長、と聞いて思わずピクリと反応してしまう。

 そりゃあ毎日のように求愛されていたら反応もしちゃうというもの。他意はない。


 リックさんが慌てて代金をカウンターに置いた時、カランと店のドアベルが鳴った。


「えっ、団長!? ど、どうしてここに……」


 噂をすればなんとやら。やってきたのは騎士団長様だった。

 この時間に来るなんて初めてじゃない? さすがに私もビックリした……。


「おや、リック。僕がパン屋に来るのはおかしいかい?」

「いえ、ただ珍しいというか、意外で」

「珍しくはないよ。ね、アネットさん」

「……いらっしゃいませ」


 にっこりと笑みを向けてくる騎士団長様の視線から逃げるように、私はスッと目を逸らして気のない挨拶を呟く。

 そんな私たちを見て、マノンとリックさんが顔を見合わせて目を丸くしていた。


「団長、アネットさんとお知り合いだったんですね……?」

「まぁね。いつもは店が閉まる直前に来させてもらっているんだよ」

「そっか……夕方はお姉ちゃん一人で店番してくれているもんね。私が会ったことないのはそのせいか」


 リックさんとマノンの興味津々な視線が痛い。やめて、不思議そうな顔で見るのは。

 マノンには後で事情を説明するから……。


 頼むから他に人がいるところで余計なことは言わないでよ、と念じながら騎士団長様たちのやり取りを営業スマイルで聞く私。


 そんな折、ハッとしたようにリックさんが叫んだ。


「っていうか団長っ! 探してたんですよ! あの噂は本当なんですか!? みんな大騒ぎなんですけど!」


 そういえば、事件が起きたって言っていたな。騎士団長様がここにいていいわけ?

 余裕の態度だから緊急ってわけではなさそうだけど、リックさんの慌てぶりとの温度差がすごい。


「どの噂かな?」

「団長が! 爵位の放棄を申し出たって話ですよっ! もう、どうして本人がそんなにのんびりしているんですかっ!」

「爵位を、放棄……?」


 でも、続けられたリックさんの叫びに唖然としてしまう。

 私は平民だからよくわからないけど……それって、大ごと、では……?


 大ごとだよね!? はっ!? な、何してんの!?


 そりゃあリックさんが慌てるわけだ。

 マノンも私並みに事情を把握していない様子だけど、目を真ん丸にしている。


「事実だよ。本当は騎士団も辞めるつもりだったんだが、それだけは勘弁してくれと国王陛下に泣きつかれてね。爵位の件も落ち着けの一点張り。だから、認めてもらうまで仕事しないって言って出て来ちゃったんだよね。ほら、今の僕は制服を着てないだろう?」

「そ、そういえば……!」

「ははは。気付くのが遅いな、リック。注意力が足りていないね」


 リックさんも、それ以上何を言えばいいのかわからないといった様子で口をパクパクさせている。


 私はと言うと……なんだか腹が立ってきた。

 なんでって、彼がそんなことを言い出したのは、私のせいだってわかるから。


「なんでそんなことを?」

「それはもちろん、貴女に求愛するため」

「信じられない……!」

「ああ、怒らないで。ちゃんと理由もあるんだよ」


 怒らないでいられますかっ!


 だってこんなの、なんの事情も知らない人からしたら私は騎士団長様を平民に落とした悪女でしかないじゃない!


 自分が清廉潔白な女だとは思っていないけど、悪女はない。とばっちりもいいとこ!


 なによ、迷惑かけないって言ったじゃない!


「だって、こうでもしないと僕はどうしても女性に言い寄られてしまうから。貴族でなくなれば、少なくとも貴族のご令嬢たちは僕を諦めるしかなくなる。平民に熱を上げているだなんて、外聞が悪くなってしまうからね。貴族って大変だよね」


 くっ、相変わらず人の怒りを散らすのが上手い。しかも説得力がある。

 だからといって平民になろうとするのは頭がおかしいとしか思えないけどね!


「あとは平民の女性たちへの対応だけれど、今後は一切プレゼントも受け取らないし、何か言われても愛する人がいるからときっぱり答えるつもりだ」


 騎士団長様は穏やかな表情から一変、真剣な眼差しで私を見つめた。


 この紫の瞳に見つめられるのは……苦手だ。

 私への思いが本気だってことが、真っ直ぐ伝わってくるから。


「貴女やこの店に迷惑をかけるような人には、僕が直接制裁するよ。約束だからね」


 あ、笑顔が不穏。心なしか、周囲の気温も数度下がった気がする。


 飲まれるな、意思をしっかり保て。

 私は小さく深呼吸をしてから今日もまたハッキリと告げた。


「騎士団長様が、私に求愛してくること自体が迷惑なんですってば」

「悪いが、それだけは譲れないな。僕は貴女を諦める気は一切ないんだ」


 あ、またあの目。


 やめてってば。

 私はもう、恋愛する気なんてないんだから。


 特に彼のような容姿の整った人は、嫌なことを思い出す。


『なんかさ、お前がかわいそうになってきた。だって正直さ、俺の隣に立つと……お前、完全に引き立て役になっちゃうじゃん?』


 うるさいな。過去の男は引っ込んでて。


『お前はさ、優しいし器用だし、いい奥さんにはなれると思う。でも……ごめん。悪いけど自慢の彼女だって紹介できねーんだよ。やたら頼もしいし。俺がいなくても、一人で生きていけそうだし』


 私はあんたの、なんなのよ。


 そっちから告白してきたんじゃない。

 一生愛するとか、俺にはお前しかいないとか歯の浮くようなこと言っておいて嘘ばっかり。


 私は一度だって、付き合ってほしいとも別れたくないとも言ってないっつーの!


『それに、アネットは冷たいんだよ。俺と付き合えて幸せじゃないの? って感じ』


 いい加減、上から目線に腹が立って幸せじゃないから別れてってこっちから言ってやった。

 でも、それが気に入らなかったんでしょうね。


『はぁっ!? お前、いい気になんなよっ!?』


 思い切り拳を振り上げたあいつの姿は、今も時々思い出す。


 それから、あいつは本当にくだらない低レベルな嫌がらせをしてくるようになった。

 私を悪女呼ばわりしたり、新しい女に散々嫌味を言わせたり……店の悪評を流したり。


 どうしてこっちが嫌な思いをしなきゃいけないのよ。家族にまで迷惑かけて。


 ……あーやだやだ。嫌なこと思い出しちゃった。


 騎士団長様が同じとは思わない。

 思わないけど、周囲から何を言われるのかはわからないし、止められないでしょ。


 もう二度と、私の恋愛がらみでたった一人の家族、妹に迷惑をかけたくないの。


「……なんで、私なんですか。私は地味で平凡で、かわいげのないただのパン屋の娘です。騎士団長様ともあろうお方がなぜこんな私を選ぼうとしているのか納得できるまで、気持ちは一切変わりませんから」

「それなら、今すぐその説明をしたいところではあるんだけど……」


 騎士団長様はそこで言葉を切ると、周囲に目を走らせながら告げた。


「今、ここでするかい?」

「っ!? い、いつの間にこんなにお客様がっ」


 気付けばたくさんのお客様たちがお店に来ていた。

 全員が揃って私たちを取り囲むように立ち、真剣な眼差しを向けている。い、いやぁぁぁぁ!!


 うぅっ、考えてみれば当たり前だ。

 お店は開店直後、ただのパン屋にみんなの憧れ騎士団長様がいて、しかも平民の地味な女に求愛しているだなんて格好の見世物じゃない!


 ど、ど、どうしよう!!


「お姉ちゃん! よくはわからないけど……今は騎士団長様とお話してきて! お店はこっちでなんとかするから!」

「お、俺も店を手伝います! 団長、アネットさん、とにかくまずは話し合いが必要かと!!」


 ちょ、マノンもリックさんも目を輝かせて言わないで!

 何を期待しているのかわかんないけど、いやわかるけど、そんなことにはならないからね!


「ではお言葉に甘えて。お姉さんを借りますね、お嬢さん」

「は、はいっ!」

「リックも頼んだよ」

「お任せください、団長! がんばって!!」


 団結するな! がんばらなくていい!

 あ、待って、肩を抱くんじゃない! うわ、力強っ!?


 現役騎士団長様に力で敵うはずもなく、私はあれよあれよという間に彼に連れられ裏口から出ていくこととなった。


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