4.出かけることにしました
「エリーゼ様ッ!」
お慕いしていますー! と言いながら今にも抱きつこうとしてくるダニエラを、私は必死になって宥める。
以前までは粛々と仕事をこなしていたし、ある程度の適切な距離を保った状態で接してくれていたが、先日のお皿の一件以降すっかりこの調子だ。
癖っ毛でもある金色の前髪はツンとすました猫のように思えるが、このなつき方は完全に犬のそれだった。
私が実家にいた頃、隣の邸宅で飼われていたセントバーナードを思い出す。
「落ち着いて、ダニエラ。それにどうしたの? 後ろの大荷物は」
「他のお部屋からかき集めてきたんです」
パカっと開かれたキャリーケースから、きらびやかな布が溢れ出す。
そのうちの一着を広げてみせたダニエラが、はぁ、と深い溜め息をついた。
「どれもこれも、当時は良いものだったんでしょうけど……」
「クラシカルで素敵じゃない」
「ずいぶんと前向きですね。こういうのは時代遅れって言うんですよ! エリーゼ様」
はぁ、と再びわざとらしく息をつき、ややジトっとした目線を向けてくるダニエラ。
その瞳には、不満の二文字が大きく浮かんでいる。
「私共も必死に繕っているとはいえ、サイズも微妙に合っていませんし……色形もエリーゼ様の良さを引き出せていません」
今も、部屋のクローゼットを睨みつけながら少ない少ないと愚痴ばかり零している。
身一つでこの地に来てしまったものだから、衣服は城に古くから残っている物に頼りきりだ。
「いずれは辺境伯様の妻になる女性ですよ。たったの数着しかドレスがないなんて……あんまりです」
わーん、と嘘みたいな泣き声を上げるダニエラに、私は困り顔だ。
そこでぐいっと涙を拭ったダニエラが、なにかを思いついたみたいに立ち上がった。
「エリーゼ様のご実家から送ってもらうことはできないのですか?」
「え?」
「それがいいです! そうしましょう。王都近郊にお住まいだったのですから、さぞや素敵な流行りのドレスが……」
「……そ、それは、できないの」
ごめんなさい。とわたしはごにょごにょ口ごもる。
というのも、私の衣服のほとんどには"模様"が施してあるからだ。
起動しない魔法陣では、ただのらくがきと思われても致し方ないだろう。
その時々でいろいろな効果のあるものを試したつもりだが、発揮されたことは一度もなかった。
お父様もお母様も、魔法陣を見つけるたびに叱ってくるし、それでも通じないとわかるとドレスを買ってくることもなくなってしまった。
「と、とにかく……私は少なくても古くても平気だから」
「だーめーでーす! このままでは、アルノルト様にもご迷惑をおかけすることになるんですよ!」
「アルノルト様にも?」
「もちろんです。今後、社交界があったらどうするおつもりですか!? 婚約者のエリーゼ様も、ご挨拶して回らなければならないんですよ?」
それがこんな化石みたいなドレスしかないだなんて、と嘆くエリーゼ。
国境でもあるこの地ではさほど頻繁に社交界が開かれることもないけれど、それでも彼女はこの現状に耐えられないようだ。
そうして私自身も、アルノルト様にご迷惑をかけるわけにはいかないと悩み始める。
「やっぱり、でかけましょう!」
「どこへ?」
「城下町ですよ。そこにある仕立て屋に行くんです」
「専用の地区があるのね」
「いいえ」
ダニエラは少し申し訳無さそうに首を振る。
「ツェルンには貴族らしい貴族もいないので……そういったエリアはないのです。騎士やその妻たちも普通に街へ出て買い物をするのが一般的なので」
「まあ」
私はその言葉に、少しわくわくとした気持ちを抱いた。
王都では、そもそも仕立て屋の方から貴族の屋敷や邸宅に商売に来るのが普通だった。
私も一度、うちに来てくれた仕立て屋から流行りの日傘を買ったことがある。
が、もっといろいろな店を比べながら探したかったという本音があった。
貴族御用達の地区も種類は少ないし、流行りといっては似たものばかり並べていてつまらなかったのだ。
私はもともとそういった物にも疎かった。
だから、服なんて正直どうでもいいとさえ思っていたのだけれど――。
「買い物……ぜひ、行きましょう! アルノルト様も連れて」
「はい……って、ええ!?」
一度は笑顔でうなずいたダニエラが、仰天したような声を上げる。
「護衛くらいはつきますが、許可をもらったら私たちだけでお買い物はできますよ」
それに、とダニエラは少し気まずそうに視線をさまよわせる。
「アルノルト様は滅多なことでは城を御出になりません。それこそ瘴気が立ち上っていて魔物が出るとか……何かしらの事件でもないと」
「あら、婚約者の服がないなんて、大事件よ、ダニエラ」
さっきまではひたすらに渋っていた私だがいざおでかけができるとなるとやっぱり彼にも一緒にいてほしい。
どんなドレスがいいのか、どんな仕立てが好みなのか、しっかりこの目で、耳で確かめなければならない。
「うーん、たしかに、そうですね! 実際、このままでは社交界での大事件が目に見えていますし……」
「そうよ。それにアルノルト様はちょっと忙しすぎるわ。ああいう方は、たまには買い物にでも出て、気晴らしをした方がいいのよ」
私はいつも執務室にこもりきりの彼を、婚約者として心配していた。
部下であるユストゥスも忙しそうだ。
彼にとっての休暇も、ときには必要だろう。
私たちは早速、二人でスキップでもするかのような勢いで階段を駆け下りた。
それから回廊を抜けて一階にある執務室の前に立ち止まる。
「えーコホンッコホンッ」
「エリーゼか。また何か厄介事だな」
少し待て、とドア越しに言われ、私はダニエラと目を合わせてクスクスと笑った。
***
「で、デート、だと?」
「はい。デートに行きませんか、アルノルト様」
その単語に、何故かユストゥスまでむせ返っていた。アルノルト様とデートという単語が、あまりに不釣り合いなせいかもしれない。
「アルノルト様。私……服が足りませんの。ダニエラも、このままでは社交界で恥をかくばかりと泣いていましたわ」
「お可哀想なエリーゼ様。しくしく」
「そんなわけで、仕立屋に行きたいんです」
「それだったら、俺よりも二人で……」
「だめですよ、アルノルト様がどんなドレスが好きかわかりませんもの」
「俺だってドレスはわからないぞ」
「じゃあ流行ってそうな露出度たっぷりの真紫に金の羽模様が入ったものにいたします。では」
今にも踵を返そうとしていた私を、アルノルト様が「待て」と引き止める。
「王都ではそんなものが流行っているのか?」
「私の口からは……とても」
「しくしく」
「わかったわかった。もうわかったからそう俺を困らせるな」
「お出かけになるのですか!? アルノルト様」
さすがのユストゥスが、マジか、という顔をしながら尋ねてくる。
「婚約者からの頼みだ。そう無下にもできまい」
城下町に変わりがないか、そろそろ視察に行こうとも思っていた。
そう続けたアルノルト様は、支度をするからと私の横を通り過ぎていく。
いつものローブ姿では、その下に何を着ていようがわからないのに、なんて思っていた私は驚いた。
しばらくの後にやってきた彼は、辺境伯にふさわしい正装に身を包んでいた。
ひとつ違和感があるとするならば、仮面だ。
彼は顔の上半分を隠すほどの黒く無機質な仮面をつけている。
口元は出ているが、その肌には相変わらずの茨の蔦が広がっていた。
なんて美しい模様なのだろう。本当はその仮面を今すぐ取り去って隅々までこの目に焼き付けてしまいたいのに。
「……アルノル――」
呼びかけようとした瞬間、アルノルト様が踵を返した。
それから行くぞ、と私たちに声をかけ、先に歩き去ってしまう。
じっと見つめていたことを不快に思われてしまったのだろうか。
私は不安とドキドキが入り交ざったかのような感情に包まれながら、彼の後を必死に追いかけた。
次話は明日投稿します。
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