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2.閃きました

 夕食は、午後七時からと決まっているらしい。

 私は自室に用意されていたドレスに着替え、金髪に三つ編みの侍女、ダニエラに髪を結い上げてもらう。


「先程の……アルノルト様の刻印は……」


「呪いの刻印のことですね」


「呪い……やっぱり呪われているの!?」


 私は鏡越しのダニエラを見てごくりと息を呑んだ。


「さきほど、領民の方々が噂しているのを聞いたのだけど、そんなものが、この時代に……」


「これは驚きました。辺境伯様のお噂は、王都にまで響き渡っていると伺っていたものですから」


「ごめんなさい。私……そういった話には疎くて。じゃあ、本当なのね?」


「はい。アルノルト様の刻印には、花が咲いていないのです。全身、茨と蔦だらけ……ですからこれまで、ご婚約のお話が一度もなかったほどで……」


 可愛い娘をわざわざ呪われた辺境伯のところへ嫁がせたいと思う親はそうそういないだろう。

 私のような、ケチのついた娘以外は。


「だから嬉しかったのです。みんな、エリーゼ様のご到着を心待ちにしていたのですよ」


「……そう」


 それから普段は使わないというグレートホールの隣にある、プライベートダイニングルームに案内された。

 実家の邸宅よりはいくらか古く、広い作りだ。

 それでも隅々まで掃除が行き届いていて、快適な空間であることはすぐにわかった。


 輝くほどに磨かれた銀食器が並べられている中央の席に着くと、私はドキドキと高鳴り始める心臓を抑えるように深呼吸をする。

 別に、一目惚れだとか、そういうことではない。

 まだ一声しか聞いたことのない相手だ。顔も半分ほどしかわからなかった。

 それなのにこんなにも高鳴っているのは、あの刻印の美しい模様が、私を虜にして離さないからだった。

 恋なんて不確かなものはわからない。

 けれど、美しい模様は好きだ。つい、指で触れたくなってしまう。


「あの……」


 時刻はちょうど七時。

 柱時計の鐘がボーンボーンと、七回鳴った。


「アルノルト様は?」


 そばに控えていた執事が、温かいスープを注いでくれていた手を止めて私を見遣った。


「お部屋におられますが」


「え? 食事は七時からと伺ったのだけど」


「ええ。エリーゼ様の食事は七時から。わたくし共も、そのように承っております」


「じゃあ……どうしてアルノルト様はいらっしゃらないの?」


「その……」


 わずかに言い淀んだ執事が、覚悟を決めたように目を閉じ、開いた。


「ローブを……外したがらないのです。みなの前で食事をする姿を見せることは、これまでもありませんでしたし、これからもありえません」


「あんなに、綺麗なのに」


 瞬間、隣にいた執事だけでなく、控えていた侍女までひゅっと息を呑んだのがわかった。


「ごめんなさい……失礼なことを」


 私は、つい癖になっている"指遊び"をはじめそうになって、慌てて反対の手で止める。

 それからほっと息をつく執事を横目に、私は一番端に置かれたスプーンを掴んだ。

 温かいスープは、素朴ながら優しい味わいだった。



 ***



 夕方には雲が覆っていた空も晴れ、白い半月が気ままに私を照らしている。


「うう……」


 昼間は夏のような日差しだったのに、さすがに夜は肌寒い。

 私はラフなリネンの寝巻きを羽織って、中庭に来ていた。

 もちろん、さっそく逃げ出そうというわけではない。


 部屋のものに"らくがき"を施すわけにはいかないと、こんなところまでやってきたのだ。

 私はタイル敷きの地面の端にやってきて、わずかな芝生の上で白手袋を外した。

 それから目を閉じ、人差し指の先にある小さな宝石ほどの蕾の刻印が暖かくなるのを待つ。


 幼い頃から、手癖のようになっているこの遊びは、魔力の強い貴族には無用の長物だと罵られ、お母様にも禁じられてしまった。

 けれど私にはこれくらいしかできない。


 "描く"ことが、私の魔法なのだ。


 熱のこもった指先を地面に当てると、チリチリと周囲が焦げ付くような感覚を覚える。

 それをなぞるように、長い曲線を描き出す。

 決まった法則さえ守れば、あとは自由だ。


 私は薔薇が好きだった。実家の邸宅の庭は、腕の良い庭師のおかげで寒い冬でも薔薇が咲く。もしかしたら、少しだけ苦しかったのかもしれない。

 もう実家には帰れないのだという寂寞とした感情が、指先を遊ばせるのだ。


 円状に描いたのは、手のひらほどの魔法陣だった。

 上手く起動すれば、美しい花々が咲き誇る。


 しかしその上に両手を重ねて、力いっぱい押し付けてみても、魔力が放出することはない。

 私にできるのは、ほのかに温かい指先からにじみ出るわずかな能力で、模様を描くことだけ。


「……小さくてもいいから、花が咲いているところを見たかったのだけど」


 そっけない緑色の低木に蔦薔薇が絡む様子を一瞬だけ想像しながら、私は立ち上がる。


 一瞬強い風が吹いて、なにか視界の端に黒い影が横切ったような気がしたけれど、そこにはもう何もなかった。



 ***



「その不気味な魔法陣を、今すぐ消しなさい!」


 自室に響き渡るお母様の声に、幼い私は抵抗する。


「これは、はなをさかせるものです。けっしてぶきみでは……」


 瞬間、駆け寄ってきたお母様が、私を抱き寄せて涙する。


「お願いだから、わかってちょうだい。あなたのためなの」


 こんなことでは、嫁ぎ先もなくなってしまう。

 ぽつりぽつりとこぼれていくお母様の不安に、私はうつむく。

 それから背中に腕を回し、もうしませんと誓うのだ。

 誓いは破られ、また結ばれ、私とお母様の溝を深くしていった。


 コンコン、というノックの音がしたのは、そんな懐かしい記憶に胸を痛めていたときだった。


「おはようございます。エリーゼ様」


「おはよう、ダニエラ」


 ベッドから降りながら、軽く挨拶をする。

 今日も良い天気ですよ、と言いながら、ダニエラが重たいカーテンを次々と開けていった。

 私は眩しさから一瞬だけ目を背け、それでも立ち向かうように窓の方へと視線を向けた。


「あ……」


 ダニエラが、なにかを発見したらしく小さな声を上げる。


「どうしたの?」


「いえ……大したことでは」


 そう言いながら、気まずそうに窓の下へと視線を落とすダニエラに私はいそいそと近づいていく。


「……その、花が」


 私は先程のダニエラと同じように「あ……」と小さな声を上げた。


 それは私が昨晩描いた魔法陣のそばに、ぽつんと一つだけ咲いていた。


 普段はめったに成功しない私の魔法だが、もしかしたらあのあと時間をかけてゆっくり魔法陣が起動し、朝方花が咲いたのかもしれない。

 決して大きくない薔薇だが、白い色をしているおかげで二階にある私の部屋からでもよくわかる。


「この城では、花が咲かないのです」


 国境の直ぐ側にあり、砦の役割も果たしているこの城では、瘴気が生まれやすい。

 魔物を倒した跡にも僅かな瘴気が残り、それが蓄積しているためだろう。

 だから中庭には芝生よりも石畳が多く、盛の時期である低木にも蕾すらついていないのだと。


「領民より届けられた花も、一日と持たず枯れてしまいます。ですが……」


 珍しいこともあるものですね、と尚も驚いた様子で薔薇を見つめるダニエラに、私はふっと微笑む。


 お母様との悲しい記憶を思い出していたが、たった一輪の薔薇が私の心を晴らしてくれた。

 やっぱり、魔法陣はすごい。

 こんな私のかすかな魔力でも、起動することがあるのだから。



 ***



 私は、思いついて立ち上がった。


 用意してもらったティースタンドが、中庭のラウンジテーブルの上でカタンと揺れる。

 少し離れたところに控えていた白髪の執事ヨーゼフがすぐに駆け付けてくれたが、私は「大丈夫よ」と言ってすぐに戻ってもらった。


 にやける口元を、白手袋越しの指で隠す。

 というのも、とっておきの、すばらしい思いつきが頭を巡ったからだった。


 目の前には、件の白薔薇がある。


 私の魔力では一日に少しずつ、もしかしたら一輪ずつになるかもしれないけれど、この庭を花でいっぱいにしようと企んだ。

 そうすれば驚いた辺境伯様もローブを脱いで出てきてくれるかもしれない、と。


「うふふ、ふふふ」


 たまらずに笑っていると、そばでどうにかこうにか薔薇が枯れないよう隔離しようとしていた少年庭師がひぇ、と声を上げる。

 やはり私を、変わり者の婚約者だと思っているのだろう。


 そう。私は普通の貴族の娘として生まれた、変わり者の魔法陣使い。

 それでいいじゃないと何だか開き直ってしまった私は、不意に視線を感じてきょろきょろと辺りを窺う。

 しかし誰の姿を捉えることもできず、また席に着くのだった。

初日は三話まで一時間おきに上げていきたいと思います。

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