2.ただいま
王城にご用事のあるアルノルト様と別れ、私はひとり、実家の邸宅に移動する。
玄関ホールに着いて早々、慌てたようにドアが開かれ、お母様が駆け寄ってきた。
「驚いたわ! エリーゼ。こんなにも早く戻ってくるなんて……」
「大丈夫よ、お母様。お手紙を出した通り、アルノルト様のお仕事についてきただけだから」
お母様は甲高く、神経質な声をしている。
私は久しくこういった声音を聞いていなかったから、耳の奥がキンと響くような特有の感覚を抱いた。
「問題はそこよ! 辺境伯様のご迷惑になっていない? もしもご不興を買ったりしたら、大変よ」
「お母様、落ち着いて」
まだアルノルト様とのご挨拶も済んでいないうちからこれでは、今後が思いやられる。
「ああ、本当にどうしましょう。エリーゼ、次はもっと前もって連絡を寄越しなさい。ちゃんと食事は摂っているの? またあれこれと落書きをしたりしていない?」
「そ、それは……」
私は黙り込んだ後、食事は摂っています。と最初の質問にだけ回答した。
もうじき城中がらくがき――魔法陣だらけになると知ったら、お母様は卒倒してしまうだろう。
「今日は社交界にも参加するのでしょう?」
「ええ、お茶会に出席の予定です。だから長居はできないのだけど……」
「いい? エリーゼ。 社交の場では壁の花に徹しなさい。何かあったら辺境伯様か、私たちを頼って――」
「本当に、大丈夫だから」
「お父様は何もおっしゃっていないけど、エリーゼが辺境伯領に行ってからは心なしかやつれてしまうほどに気を揉んでいます。どうかもう少し、私たちの気持ちも考えてちょうだい」
はい、と最終的にはうつむき、私はひっそりとため息をついた。
今の環境が心地よいからこそ、強い反動を感じる。
アルノルト様に捨てらてしまったとしても、実家ではやっていけないような気さえした。
***
小鳥の囀りが、明るい天窓越しにも聞こえてくる。
私は今、マンハイム公爵家の中庭に建てられたテラスでかしこまり、緊張を顕にしながらお茶会に参加していた。
公務で王城に出頭中のアルノルト様のためにも、逃げてばかりはいられない。
いい加減、覚悟を決めなければ。
「今日は本当に良い陽気で……」
「ええ。薔薇たちも喜んでいるわ」
「薔薇といえばこの間……」
私は注意深く周囲の会話に耳を傾けていたが、想像以上に和気藹々としていて肩透かしを食らう。
もっと、意地悪なことをされたり、言われたりで散々な目に遭うと思っていた。
そういえば、別邸でドレスに着替えている最中にダニエラが得意げに話していた。
今回の茶会は主催のマンハイム公爵家をはじめ、みなアルノルト様と同じ第三王子派閥なんですよ、と。
ちなみに派閥といっても、第三王子は王権とも権力中枢とも距離のある存在らしく、その下に集った貴族達も日和見派の集まりといった感じで結束もそれなり、といった感じらしい。
権力争いも苛烈ではないと聞いて私はほっとした。
アルノルト様は辺境伯という役割上、そういったものとは縁遠いということだ。
テーブルの端では、様々な噂話が流れている。
今日日、大人みたいな必死な社交は流行りじゃないわ、と宣言するご令嬢もいた。
大きな家ならまだしも男爵子爵辺りの令嬢が血眼になっていたのは祖母の時代らしい。
「その頃には魔物も多く、戦争もあって、皆必死でしたけど……」
「お母さまの頃にはもっと緩く楽しもうといった流れがあったはずなのに」
「どこの家も口うるさいですわよね」
皆は確かに、とティーカップを片手に頷いている。
「エリーゼさん。少しお話ししませんこと?」
そのとき声を掛けてきたのは、子爵令嬢のカタリーナさんだ。
どうやら、私のようなぽつんと浮いている人間が放って置けないタイプらしい。
「難しい話はもうおしまい。派閥とか上下とかを気にせず、仲良くいたしましょう」
是非、と私は笑みを浮かべる。
次第に輪が広がり、カタリーナさんと共にレベッカ男爵令嬢をはじめとした五人グループに加わる形になった。
話の中心はというと、なんと私である。
「……その、辺境伯様は、怖くないのですか?」
「わたくしも聞いてみたかったの」
好奇心たっぷりの視線に囲まれ若干気圧されるが、その視線に嫌悪感は含まれていない。
私はええっと、と言葉を濁しながらも優しい人です、と正直に答えた。
少なくとも出会ってから今日までの間に”怖い”という感情をいだいたことはない。
「羨ましいですわ」
「優しいのが一番よね」
「ええ、本当に。今時はお父さまたちが拘る魔力とか刻印がどうとかより、幸せな結婚ができるかどうかが大事ですもの」
そこからは理想の婚約者像について話に花が咲く。
みな年が近く適齢期ということもあって興味が尽きないようだ。
その後も何度かアルノルト様について聞かれ答えるが、怖がられたりしないのが嬉しかった。
やがて話は変わり、最近グループ内で流行っているという刺繍の話になる。
「エリーゼさんは、刺繍はおやりになって?」
「私は……」
実は刺繍よりも魔方陣ばかり描いているんです。なんて言ったら大騒ぎになってしまうだろうか。
私は俯き、いいえ、と小さく返答するに留めた。
そんな私の様子から何かを察したらしいレベッカさんが悪戯っぽい笑みを浮かべてカタリーナさんを見る。
「カタリーナさんったら、馬術がお好きなのよ」
「うふふ、お母さまには文句ばかり言われているけれど、やめるつもりはありませんわ」
確かに、女性の乗馬は横乗りを嗜む程度で良い、とされていて、ズボンを穿いてまたがっている姿を見ることはほとんどない。
私も幼い頃にまたがろうとしたら、はしたないとよく叱られたものだ。
「今は誰もが自由に趣味を持つ時代ですもの。たとえどんな内容でも驚いたりしませんから、遠慮なくおっしゃって」
カタリーナさんの自信たっぷりな口調に、私もドキドキとしながらこくんと頷く。
「実は私……魔法陣を描くのが好きなんです」
「魔法陣……というと歴史で習う、昔の魔法の使い方のことよね?」
「まぁ、エリーゼさんは博識ですのね」
「是非見てみたいですわ!」
「じゃあ、少しだけ」
そう言って、白手袋を外す。
その瞬間にも、私の小さな蕾の刻印を見て揶揄されるのではと心配になったが、ただの杞憂に終わってほっとする。
「少し待っていてくださいね」
そう言いながら、すらすらと一番得意な花が咲く魔方陣をすばやく描いた。
「すばらしいわ。一流の刺繍みたいに綺麗……」
「ありがとうございます。でも、私の魔力では起動に至らなくて」
ではわたくしが、と言ってカタリーナさんが手のひらを押しつける。
すぐにしゅるしゅると蔦が伸び、テーブルの周囲が薔薇で埋め尽くされた。
「素敵……!」
「もう一度、別の花をお願いできませんこと?」
「私でよければ」
嬉しくなって、次々と模様を描く。
実家では恥ずべき力とされてきたこの魔法陣だが、こうして一歩外に出てしまえば珍しがられることはあっても嫌悪されることはないのだと、そんなことがわかっただけでも随分な収穫だった。
次話は数日以内に更新予定です。
ブクマ、評価を頂けると大変嬉しく励みになります!




