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1.追いやられました

 大樹が風に揺れ、激しい音を立てている。

 その枝の一本が粉のように落ちてきて、パキンと足元で折れた。

 ふっと意識が浮き上がる。

 どうやら車輪が小枝を踏みつけたようだ。

 目を覚ました私は、ゴトゴトと揺れ続ける馬車の中で体勢を整えた。


「ふあぁ…」


 大あくびをして、慌てて口元を押さえたあと「流石に遠いですねぇ」とひとりつぶやいた。


 今私は、国境の地に住まう辺境伯様のところへ向かっている。

 貴族のほとんどが魔法を使えるこの世界において、ごくごく微弱な能力しか持ち合わせていないちょっと残念な私だ。

 そのせいで大切な大切な婚約を破棄をされてしまったという悲惨な状況にも、周囲の目は冷たいものだった。


 もしかしたら、もう一生結婚できないかもしれない。


 そんな不安が頭をよぎり始めていた頃、お父様が新たな嫁ぎ先候補を見つけてきた。


 あちら側も、こんな私を――魔法すらほとんど扱えない拙い私を、婚約者として迎え入れたいというのだ。


 我がヴェルーヘン王国の端にあるツェルンという国境の街で、彼は待っているらしい。

 私は最初こそ疑ったけれど、どうせこんな私のところには、もうまともな婚約話など来やしない。

 厄介払いができるとでも思ったのか、もともと煙たがられていた家族や使用人からも笑顔で送り出されてしまった。


「……様! エリーゼ様!」


 老齢の御者が声を上げる。


「どうしたの?」


 私は窓を開けて、少し大きな声で呼びかけた。


「長旅でお疲れでしょう。そろそろ休憩しませんか」


「ええ。そうね」


 うなずくと、馬車はすぐにスピードを緩めて停止した。

 ドアを開けると、知らない街の匂いが鼻を抜ける。

 まだ日が昇る前に家を出たはずだけれど、まばゆいほどに照りつける太陽はもう真上にある。

 春を少し過ぎたくらいなのに、初夏を思わせる日差しだ。

 私は目を細め、ぐっと伸びをしてから馬車を離れた。


「ほとんど身一つで出てきてしまったんですよねぇ」


 ぷらぷらと、人もまばらな街道を歩きながらつぶやく。

 家を出るというのに、先祖代々受け継がれているタリスマンさえ持たせてはもらえなかった。

 上には兄が二人いるし、下にも妹がいる。全員が貴族らしい高位の魔法使いだ。

 私が受け継ぐものなど、もはや何もないのだろう。


「今日は妹夫婦が来るんで、少し多めにもらおうかね」


 声がするほうへ、ふっと視線を向ける。


「子供ができたんだってね。いやぁめでたいめでたい」


 街道に店を構えていた主人と、常連客と思しき女性がにこやかに会話をしていた。

 私もなんとはなしに近づいて、店の商品を眺める。

 途中で持たされたパンを少しつまんだだけだから、まだ小腹がすいていた。

 なにか、ちょっとした食べ物を――。


「ところで聞いたか? あの噂」


 街道に店を構えていた主人が、薄くスライスした干し肉を紙に包みながら声を潜める。

 別に聞き耳を立てていたわけではないけれど、私も自然と動きが止まった。


「辺境伯様のところに、婚約者が来るんだってよ」


「本当かい? 今まで誰も寄り付かなかったってのに」


「俺たちも良い暮らしさせてもらってるから大っぴらには言えねぇが、きっと変わり者に違いないぜ」


「そりゃあそうだろうねぇ」


 私はハッとして、目を見張る。


「全身に呪いの模様が刻まれた辺境伯様なんざ、普通は怖くて近寄れねぇよ」


 思わず、くすりと声を漏らしそうになった。

 呪いだなんて、今の時代に残っているわけがない。

 とはいえ私も、辺境伯様がどんな人となりか知っているわけではないのだけれど。


「ああ、お労しい……」


 そんな心持ちなど知らない女性が、小さく首を振って渡された包みをそっとかごに入れる。

 その時、遠くで私を呼ぶ御者の姿を見つけた。

 私は結局干し肉一つ買わず、いや、買えずに街道を戻って馬車に乗り込む。


「あと少しですからね」


 御者の声は明るい。

 私を送り届けたあとは、またもとの家に戻れるのだから。



 ***



 馬車はそれから一時間ほどで、街の外れにある城の前に到着した。

 そこまで豪奢な作りではないが、そびえ立つ門には威圧感があり、どこか砦のような印象を受ける。

 おどろおどろしいように感じるのは、先程まで晴れ渡っていた空に雲がかかりはじめていたせいかもしれない。


「よくいらっしゃいいました。エリーゼ様」


 出迎えてくれたのは、部下と思しき男性と年若い侍女だ。

 部下は屈強というほどではないが、背が高く、ほどよく筋肉がついている。それからこの辺りではめずらしい真っ黒な髪と瞳を持っていた。

 私なんかより、よっぽど強い魔力を持っているだろう。

 首の左の辺りに、大きな花弁の刻印が見えた。

 隣にいる金色の三つ編みを垂らした侍女は、癖のある前髪の隙間からやや愛嬌のある青い瞳をのぞかせ微笑んでいる。少しだけ、仲が良かった頃の妹を彷彿とさせた。


「あ…えっと」


「お荷物お持ちします」


 そう言って手を差し出してくれた侍女だが、あいにく持ち物は昼間かじったパンの残りが入っている布袋しかない。


「ごめんなさい。何も持ってこなくてもいいと……手紙にあったもので」


 確かにそう書いてあったが、さすがに少々の着替えや身の回りのものくらいは持ってくるべきだっただろうか。

 櫛や化粧品、衣服や宝石なんかには、私の"いたずら書き"があるから持ち出すのは憚られた。

 新しい環境で、真新しい自分で、婚約者と向き合いたかったからだ。


「そうですか……かしこまりました」


 侍女はさして驚く様子もなくその事実を受け入れて、アルノルト様がお待ちですと目を伏せた。


「では、どうかお元気で」


 そう口では言いながら惜しむ様子もなく去っていった御者が操縦する馬車の音が遠くなっていく。


 私はいよいよ、一人になってしまった。


 戻る家があるのであればもう少し気が楽だったのかもしれないけれど、家族や使用人に「また婚約破棄されたのか」とは思われたくない。

 辺境伯様に冷遇され、虐げられようとも、簡単には逃げ出せないのだ。


「模様……か」


 私は二人に聞こえないように、ぽつりとつぶやいた。


 領民が呪いだなんだと表現するほどに怖がるくらいなのだから、相当特殊な花が浮き上がっているのだろうか。


 ぎゅっと、思わず右手を握りしめる私。


 魔法が扱える貴族のほとんどは、肌の表面にそれは立派な花の模様が現れる。

 その刻印に意識を集中させるだけで、魔法が起動するのだ。

 昔、まだ魔法使いの数が少なかった頃は、長い呪文を詠唱したり、大きな魔法陣を描いて使うのが主流だったらしい。

 けれど今はもう刻印に意識を集中するだけで良いから、歴史の教科書くらいでしか呪文や魔法陣を見ることはなくなった。


 私は自身の白手袋に包まれた右手の人差し指をちらと見遣って、ため息をつく。

 その下には蕾の模様が、指輪やなんかの宝石よりも小さくちょこんと刻まれていた。

 お父様はこれを見て一族の恥だと言うし、お母様はその事実が公にならぬよう、私に常に手袋をつけるよう命じてきた。


 今回の婚約者であるアルノルト、という人は辺境伯という独立した立派な地位だ。

 さぞや大きな花の模様が刻印されていることだろう。

 表情すらもわからない有様だったら、一体どうコミュニケーションを取ればいいのだろう。


 もやもやと考えているうちに、一階の端を出て回廊にやってきた。

 なんとも殺風景だ。

 しかも花ひとつ咲いていない庭園に、庭師が二人もいる。

 親子だろうか、一人はまだ十歳そこそこに思えた。

 タイル敷きの地面から顔を出した草を引き抜いて、尻もちをついている。


 くすりと、思わず声を上げそうになった瞬間、信じられないほどの爆音が耳に届いた。


 少し遅れて、猛烈な風が体に吹き付ける。

 部下の男性が側にいた侍女をかばっているが、そんな彼女よりもろに風を受けた私の方が吹っ飛びそうだ。

 目を向けると、尻もちをついていた庭師の男の子はころころと転がって柱にぶつかっていた。


「な、んですか、これ……! 火事? なにか、爆発したような……っ」


「あれは……アルノルト様の魔法です」


「え?」


 私は、侍女の視線を追いかけるようにして振り向いた。


「一体……どういう――」


 人工的なものとは思えない黒いモヤのようなものが立ち上っている。


 その中心部に、さらに真っ黒なローブがはためいていた。


 彼、と呼ぶべきだろう。

 その男性の足元にはうす焦げた死体のようなものが転がっている。

 しかしそれは爆発によるものとは別の意味合いで人間とは思えない姿かたちをしていた。


 異形。すなわち魔物だ。


 この世界には、魔法使いと対になる存在として魔物がはびこっている。

 一説によると、瘴気や魔力に惹かれて現れるらしい。

 高位の魔物ともなると人の言葉を操るらしいけれど、私はまだ見たことがなかった。

 ツェルンも都会だけれど、私が育った王都近郊はそれ以上に発展していて、魔物を蹴散らす貴族が多かったというのもあるのかもしれない。

 さっきの瘴気といい、国境近くの城では珍しくもない侵入者なのだろう。


「片付けておけ」


 低く、冷たい声が響き渡る。

 配下の騎士であろう者達が駆けつけて、魔物の死体を運んでいった。

 はためいていたローブが翻り、ちらりとその中身が覗く。


「……綺麗」


 それは、遠目からでもはっきりとわかるほど仔細な茨と蔦の刻印だった。

 例えば絨毯にひと針ひと針模様を縫っていき、何年もかけて仕上がったかのような、そんな印象を受ける。

 微かにこぼれた銀色の髪が、瞳を隠しているのが残念だ。


 しかしほどなく、ジャリ、ジャリ、と音がして振り返る。

 侍女も庭師も、震えながら後ずさりしていた。

 ローブから覗いた彼の模様を見て唇を噛み、目を背け、怯えているのだ。


「花がない……なんて、やっぱり呪われてるんだ」


 そうつぶやいたのは、柱に背中をぶつけながら立ち上がった庭師の少年だった。

 彼は一目散に駆け出して、父親のもとに向かっている。

 私は立ち尽くし、もう一度辺境伯の方へと振り返った。


 刻まれた模様ははっきりと光を放ち、ほの青く輝いている。

 たしかに、普通であれば大輪の花を咲かせていてもおかしくないほどの広がりだが、私の目にも花の姿は映らなかった。

 それよりも、とやはり私は目を奪われる。

 先程よりもますます美しい輝きを放っている茨の棘が、心に突き刺さっていた。


初日は三話まで一時間おきに上げていきたいと思います。

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