お絵描き令嬢と絵画の魔女
目が覚めても全ては夢にはならなかった。
言葉も魔法も使えず、ネリーは絶望が満ちていく心を抱えて牢から引き摺り出される。
「丁寧に扱えってさ、ジル様の慈悲に感謝するんだな」
衛兵はネリーを兵士に受け渡すとそう言い捨てる。その言葉はもう冷え切ったネリーの心を傷つけない。
なされるまま王城の一間に連れていかれる。
顔を上げると、王が座るはずの場所にはエストラゴン大公が座していた。王冠まで被り、すでに自身が王であるつもりらしい。
その隣にはジルの姿も。痛ましげな表情を作りネリーを見下ろしている。
「そなたは、蘇った『絵画の魔女』として、王族を呪殺した疑いが持たれている。イアンの婚約者になることで王城内部に入り込み、試練の洞窟でまずイアンを、次いでモーリスまでもその呪いの餌食とした。違いないか?」
違うと言いたいが、首に付けられている魔道具のせいで声が出ない。せめても首を振る。
「絵筆を用いモーリスに呪いをかけている姿は、兵士たちも見ている。言い逃れはできんぞ」
どの道、否定などさせないくせに。ネリーは悔しさに唇を噛む。
「処刑場へ連れて行け!」
エストラゴン大公が手を振るう。だが、ネリーを取り押さえている兵士は動かない。
「どうした、早く連れて行け。その女は『絵画の魔女』。モーリス、イアンを殺した魔女だ!」
再びの指示に兵士は鉄帽子を上げ、伏せていた顔をゆっくりと上げた。その顔をちらりと見てネリーは息を呑む。
「勝手に人を殺さないで欲しいんだけど」
「そうだな」
ここ最近で聞き慣れた声。
「無事で嬉しいだろう、なあ大公?」
イアンの声。そこには兵士の装いの二人が居た。
「すまない、心配させてしまったな」
イアンは優しく声をかけ、驚くネリーから手早く拘束を解いていく。首の魔道具も外されてやっとネリーは口を開いた。
「イアン様! モーリス殿下!」
ネリーは思わず二人に抱きつく。
「ご無事で……」
それ以上の言葉を失い泣き崩れるネリーの手から、モーリスはするりと抜け出し、イアンに彼女を託す。イアンはそのまま強くネリーを抱き返した。
「怖かったな」
イアンの手の温もりに、ネリーの涙もやっと止まった。
「怖かったです、イアン様。無事でよかった、本当によかった」
温もりが夢ではないと教えてくれる、それが本当に嬉しかった。離れようとしないネリーの背を優しくイアンの手が撫でてゆく。
「お、お前たちが無事であったのは嬉しいことだが、その者が『絵画の魔女』なのは間違いない! ……魔女に魅了の魔法でも使われ、操られているのではないのか?」
動揺を隠せていない大公の前で、モーリスはにっこりと笑う。
「彼女は『絵画の魔女』では無いよ。だって本物は別に居るんだから」
モーリスの言葉に合わせて、扉から一人の女性が姿を現す。モーリスはその人に歩み寄ると手を取り優雅にエスコートした。
「紹介するね。彼女が本当の『絵画の魔女』だ」
銀の髪、若葉の瞳。ネリーによく似たその人は、絵筆を手に優雅に微笑んだ。
「お、お母さん?」
そこに立っていたのはネリーの母であるマリーだった。
「お母さんが、『絵画の魔女』?」
「正確には、『絵画の魔女』の子孫ね」
マリーは答えると軽く筆を振る。見る間に空中にネリーの姿が描かれ、囚われてからの暴力で傷ついていた体のあちこちがみるみる癒えていく。
「すごい!」
これが本当の『絵画の魔女』の力かと、ネリーは傷ひとつなくなった自分の腕を眺めて驚く。そんな彼女を穏やかな目で見て、マリーは口を開いた。
「ネリー、あなた舞踏会に行っただけのはずなのに急に婚約したなんて連絡が来て、本当にびっくりしたわ」
「ご、ごめんなさい、色々なことがあって……」
随分と心配をかけてしまったのだなと思い、ネリーはしゅんとする。
「それで慌てて飛んできたら、試練に行ってるって言うでしょう。これは何かに巻き込まれてるなーと思って追いかけたのよ」
筆を振りながら、マリーは話を続ける。その場の誰も口を挟めなかった。
「だけど試練があってるって言う洞窟には入れないし、待ってる内に洞窟の中からはなんだかすごい音がしてくるし……。何があったのかなと覗いてみたら、中はあちこち崩れて取り残されてる人は居るし」
そこで言葉を切ると、筆でイアンを示す。
「だから、助け出してきたのよ」
なんでも無い事の様に軽く言うマリー。
今まで黙っていたジルがずかずかとマリーの前に歩み出て、強く問う。
「どこから助け出せたというんだよ、祭壇の間からの出口は塞いだはずだ!」
その言葉に王座にいた大公は頭を抱え、周りに待機していた騎士たちは誰の言葉こそ聞くべきかを悟った。
「語るに落ちるとはこのことだね、やっぱり君が……」
悲しげにモーリスが言うが、ジルにその言葉は届かない。さらに詰め寄るジルに、マリーは子供に言い含めるように優しく告げた。
「出口ならあったわ、月明かりを入れるための隙間。あれだけあれば人一人助け出すなんて簡単よ。魔女なのだし、箒で飛んでいたのだもの」
「イアンとモーリスの呪いを解いたのも、あんたか!」
「そうよ、もう根っこから全部呪いを一掃したから、二度と出てこないわよ」
呪いを雑草のように言うと、マリーはモーリスに笑いかける。
モーリスは頷くと、ひとつ大きく息を吸って口を開いた。
「二人を捕らえよ!」
モーリスの指示で騎士が二人を取り囲む。あっという間に彼らの立場は一転していた。
断罪するものと、断罪されるもの。
「全てを『絵画の魔女』の呪いに見せかけ、王位簒奪を謀るとは。大公、ジル、言い訳は後でいくらでも聞こう。だがまずは牢での暮らしを堪能してもらうよ」
モーリスが手を振ると、二人は引きずられるように部屋から出される。
扉が閉まる瞬間。
「お前が! お前が全部持っていくから!」
ジルの声がしたが、誰ももう振り返らなかった。
「お母さんが『絵画の魔女』だったなんて」
「俺も驚いた、助けてもらった相手に失礼かとは思ったんだが、魔力を鑑定させてもらったところ『絵画の魔法』と出たものだから……。しかも話を聞けば、ネリーの母君と」
マリーは紅茶を一口飲むと、口を開いた。
「危ないところだったみたいね、なんとか間に合ってよかったわ」
「この国には恨みもあるでしょう。なのにこうして助けていただくなんて、初代王のしたことを思えば申し訳ない」
頭を下げるモーリス。だが、マリーは首を振ると、こう言った。
「洞窟の絵を見たけど、あれには描かれていない続きがあるの。毒を盛られた魔女達を王妃様が解毒剤を与えて助け出し、秘密裏に逃がした。そして遠くで新しい国を興したのよ。……だから私がここに居る」
三人の驚く顔を前に、マリーは言葉を続ける。
「国は魔女たちの力で充分に栄えた。だから正直、魔女たちはこの国のことなんてどうでも良かったの。でも呪いはとっくにかけてしまった後だった。だから代々『絵画の魔女』はその呪いを解こうと手を尽くしたのよ。でも『絵画の魔女』が描くことでしか呪いは解けないのに、描かれることを警戒している王族には近づくこともできなかった」
確かに、あの昔話を聞いた者、試練であの絵を見た王族も皆、『絵画の魔女』を恐れずっと警戒してきた。
まさかそれが、呪いから解放されるのを妨げていたなんて思ってもいなかったのだから。
「『絵画の魔女』は力と解呪の責任を受け継ぐの。だからあなたには継がせるつもりはなかったのに、自分の力で『絵画の魔法』を使える様になっていたなんて。……モーリス殿下を助けられたのも、あなたが少しでも呪いに抗ってくれていたからよ。本当によくがんばったわね」
マリーの手がネリーの頬を優しく包む。温もりにほっとして、涙がこぼれてくる。
「そう、僕らは助けられたんです。彼女の魔法と、勇気に」
最初の試練でネリーが動かなければとっくにモーリスは失われ、イアンもどうなっていたかわからない。
その意味でネリーのちょっとした勇気と、魔法が彼らの助けになれたのなら。
「私のお絵かきも、少しは役に立ちましたね」
「ああ、君がいてくれて良かった」
イアンの言葉が、じん、と胸に染みていく。その時に、やっと彼を失わなくて本当に良かったと強く思った。イアンが生きていてくれるのなら、婚約者という立場を失っても、側にいられなくても、それだけで充分だ。
そんなネリーの気持ちを知ってか知らずか、マリーはにこにこと笑いながら口を開く。
「本当にすごい事よ! 絵画の魔女の末裔とこの国の王族が婚姻を結ぶと言うんだから。結婚式には母国から他の魔女も呼んでいいかしら」
「あ、お母さんそれは……」
あれは演技だったのだと言う前に、モーリスがネリーの言葉を遮る。
「あの時の婚約許可証なんだけど、僕が呪われたりなんだりしてる間に、神殿に正式に提出されちゃったみたいでね」
「え?」
「だから、君たちの婚約、さっき正式に成立しちゃった」
モーリスは片目を器用に瞑って、とんでもないことをさらりと言う。
ネリーは目を丸くする。
「婚約、だなんて。その、イアン様は……ご迷惑、ですよね?」
だって婚約はただの偽装で、本物ではなくて。もうモーリスを守る必要がなくなった今となってはきっと迷惑に違いない。
なのに、そう自分から問いながらもネリーは顔を上げることができなかった。顔を見て『迷惑だ』と言われたら、きっと耐えられないと思って。
「ネリーは俺と結婚するのは嫌だろうか?」
だからネリーはその言葉が耳に届いても、しばらく顔を上げられなかった。あまりにも自分が望んだ言葉通りで。夢なのかもしれないと、そう思って。
そんなネリーの顔をそっとイアンが身を屈めて覗き込む。じっとネリーを見つめる、夜闇の瞳。
いつだって優しく温かくネリーを包む眼差し。
「身分の事は気にしなくていい、領地に帰れば俺はただの『イアン』だ。……それにいくらでも自由に描いていいと約束しただろう? 結婚すれば好きな時に好きなだけ、一生俺を描いてくれて構わない。」
「私でいいんですか」
「ああ、ネリー、君がいい」
そうネリーの耳元に甘やかな声を落とす。
「俺には君が必要なんだ」
今までにも聞いた言葉。でも今までとは違う意味が込められているのがわかって。やっとネリーは目を合わせたままで微笑んだ。
「その婚約、お受けします」
事情を飲み込めずに目を瞬かせるマリーの前で、二人はそのまま笑みを交わし。
今まで以上に強く、身を寄せ合った。