お絵描き令嬢と試練の洞窟
ネリーは、生まれて初めて『駄駄を捏ねる』というのを実践した。
キュルキュマ伯爵の伝令を務める騎士の前で、『せっかく婚約が叶ったばかりなのに、試練だからって離れるのは嫌です!』と、癇癪を起こした子供の様に暴れて、泣いて、ついでに叫んで、塵を見る様な目で見られたが、イアンがその言葉に折れモーリスも同意した、という姿を見せたことで彼女の同行は決定事項としてキュルキュマ伯爵へと伝わることになった。
そして試練の夜。
ネリーはイアンと共に『太陽の洞窟』が見える小さな広場にいた。
広場には、数名の騎士と神官、キュルキュマ伯爵が苦い顔でこちらを見ており、ちょっと居心地が悪い。それを振り払う様にイアンの声がかかる。
「良く似合っている」
今日はドレスではなく、動きやすい様に女性騎士に近い格好だ。そんなネリーを見てイアンは微笑む。
社交辞令だとわかっていても気持ちがふわふわと浮き立つのをなんとか抑え込んだ。
「ありがとうございます、嬉しいです」
微笑み合うと、月を受けて光るイアンの瞳がいつもにも増して美しく見える。
「今回は、夜に行う試練なのですね」
「この試練を行うのは月のある夜に限ると、決まっているらしいんだよ」
イアンの後ろからモーリスがひょこっと顔を出す。彼の方が兄であるはずだが、がっしりとした体躯のイアンに対してモーリスは線が細く、優美という印象が強い。
「怒っている?」
先日のアレを遠回しに問われ、ネリーはなんと言って良いのか少し迷う。が、もう終わった事をどう言っても仕方がない。
「いいえ、怒ってなどおりません」
そう返すとモーリスはほっとしたように微笑んだ。
「それじゃあ、ここから先は僕たち三人だけが進める。祭壇の間は魔法も魔道具も使えないが、念の為に帰還の魔道具は持って行く。何かあればここへ戻ってくる事になるだろから、『呪い』に備えて神官は『祝福』の準備を頼む」
モーリスに声をかけられた神官が深く頭を垂れる。
「ご無事のお戻りを一同お待ちしております」
キュルキュマ伯爵の声を合図に、三人は足を踏み出した。
「どの入り口から入るかは決まったのか?」
イアンの問いに、モーリスは頷く。
「この試練では、地図を用いることは許されていないんだけど、過去に試練を受けた者の手記は閲覧可能だった。それから考えると、全ての道は最後には一つになり、祭壇につながっているみたい。そこへの最短経路は西側の一番大きな亀裂から入る事。」
向かった先、人の身長の4倍はあるかという亀裂が岩肌に穿たれていた。その先には闇が不気味に黒々と広がっている。
腰がひけてしまうネリー、イアンがそっとその肩に手を回す。
そうして三人は静まり返った洞窟内に足を踏み入れた。
「『灯火』」
モーリスの声とともに、ふわりと明かりが浮かび上がり、進む先がぼんやりと見えた。天井は高く、幅はそんなに広くない内部なので横からの奇襲はないだろうと判断し、イアン、ネリー、モーリスの順でゆっくりと進む。
静かな洞窟内にはしばらく三人の足音だけが響いていたが、無言に飽いたのかモーリスが口を開いた。
「ここから何もなければ、最後の試練を受けて僕の即位が決まる。いまの気楽な生活もあと少しと思うと、もうちょっと試練があってもいいくらいなんだけどなー」
「そう言うが、既に大公の手を借りながらも、見事に政務を執り行っているだろうに」
モーリス王子は柔らかなイメージの反面、その政治手腕は見事なものだと市井においても評判が高いのはネリーでも知っている。
「引き合わされた当初は温室育ちのお坊ちゃんだなと思っていたが、食えない奴だとすぐにわかった。王に向いている」
「それは褒め言葉なのかな。まあ、その辺は大公が小さな頃から叩き込んでくれたからね」
「信用しているんだな」
「僕はジルも含めた、彼ら一族に支えられてなんとかなっているんだよ」
心からの信頼を込めた言葉に、イアンは何処となく満足そうに頷いた。
「呪いの事が解決すれば、後は任せても大丈夫そうだな」
「早く領地に帰りたいって言ってたもんね、イアンにとってはそっちが家族なんだろうし」
軽くそう言うモーリスに、イアンは天を仰ぐ。
「大公から半ば領地の皆を人質にとられてここに来たようなものだから、早く終わらせて皆の無事を確認したいというのはある。……だが、即位まではきちんと仕事をしていこう。他ならぬ兄弟の為だからな」
「助かるよ、魔力の鑑定ができて腕もたつ弟が居てよかった」
にこにこと屈託なく笑い、モーリスは続ける。
「ちゃんと帰れる様に責任持って取り計らう。二度とこちらの事情で振り回さないで済む様に。イアンの自由はできる限り保証するよ」
本当の両親の事は他人のように話すが、イアンはモーリスを家族の内に数えているのが見てとれて、余計なお世話かもしれないけれどネリーはちょとだけほっとする。
お互いに自分のできる形で守り合う、そういう在り方も良いな、と思った。
それからの道行はモーリスの記憶を頼りに洞窟内を右へ左へ。警戒していたが、今の所何事もなく進んでいる。
「そろそろ祭壇に着く。供物を置いて『聖符』はモーリスが」
祭壇の間に踏み込むと同時に『灯火』の魔法がふっと消えるのを確認し、イアンはそうモーリスに声をかけた。
「うん」
薄暗いその場に目が慣れるまで待ってから、モーリスが祭壇へと進み祈りと供物を捧げる。それから置かれていた『聖符』を一枚取り上げ、胸のポケットに仕舞い込んだ。
「警戒していたけど、順調に済んだね。後はここから出さえすれば、帰還の魔道具も使えるし安心だね」
「まだ油断はできない」
注意深く辺りの気配を探りながらイアンはそういうと、戻ってきたモーリスの傍に立つ。
「それにしても、なぜ試練は『月のある夜に限る』、だったんだ?」
イアンは不思議そうに祭壇を見る。釣られてネリーも辺りを見回した。
「あれを」
ネリーは祭壇の後ろ、高い位置に光が差していることに気づく。
その灯りのもとで浮かび上がっていたのは、壁画だった。
「これは……」
モーリスは思わずといったふうに声を零し、より近くで見ようと足を進める。
「建国の物語のようだが内容が違う」
イアンもモーリスの隣に立ち、真剣に絵に見入っている。
「月明かりがなければこの絵は見えない様になっているね。だとすると、ここでこれを見つけることこそが試練だったんだ」
月明かりに浮かび上がるその絵には、凄惨な記憶が描かれていた。
魔獣が蔓延る地を人間の手に取り戻す為に、この洞窟で神から力を授かった?
そうではなかった。
絵は語る。建国の王の成した事を。愚かな行為を。
「魔女達の力を借りてこの地を人間の土地としたというのに、その後魔女の力を恐れた王は国を興した祝いの席で、油断した魔女を……毒殺したのか……」
絵画の魔女は昔話とは違い、本当に心からの祝いの品として絵を描こうとしたのだろう。なのにその席で毒を盛られた。
だからこそ魔女は死の間際に、残された力で呪いを残した……。
『私は必ず蘇り、お前の一族の苦悶を描こう。それまでお前達は怯えて暮らすといい』と。
その場で命を断つような『呪い』ではなく、王の血筋が続く限りその言葉に怯え続けなければいけない『呪い』を。
「王は呪いを受け、その理由を表沙汰にできないものだから魔女の企みの様に伝え、残したのか」
「これは、呪われても文句は言えない……」
モーリスは苦々しい表情でそう言うと、祭壇に目を向ける。
この祭壇は、魔女達へ許しを乞う為の場所なのだろうか。
だが許しは与えられず、今『絵画の魔女』が蘇った、と。
「……だとすると、あの時モーリスが連れてきた誰かが『絵画の魔女』で、その彼女に描かれたから呪いが?」
「いや、そんな記憶は無いよ。第一、僕は誰も連れてきていない」
モーリスの言葉に、二人は言葉を失う。
「神官たちも、僕が急に苦しみ出したと言っていたはずだよ」
「俺のところに来た報告書には、『モーリスが連れてきた者がいたはずだが、誰もその姿を覚えていない』と記されていた」
「変だな? だってあの時、僕が魔力が見つけきれずウロウロとしていると、一度高いところから状況を見た方がいいと言われて天幕の辺りまで行ったんだよ」
「誰にそう言われた?」
「誰にって、あの日神官の手伝いに駆り出されたって言って珍しく神官の服なんか着てた……」
モーリスがその続きを口にしようとして、急に胸を押さえて苦しみ出す。
押さえた手の間から、ぶわりと黒い靄が溢れてきた。
「あの時の『呪い』か!?」
「はい! 黒い靄が見えます」
ネリーは慌てて、「収集」の魔法を展開しようとした。が、ここでは魔法が使えない。その様子に気づきイアンはモーリスを抱えると走り出した。
モーリスに触れることで黒い靄はイアンまで広がろうとしている。その様子を視界の端に認めて、ネリーは一刻も早くここを出なくてはと後を追う。
だが次の瞬間、小さな破裂音が彼女の耳に届いた。音の出どころへ目をやると、出口の辺りから赤色が疾るのが見えた。
火魔法の色だ。
それはギリギリ魔法が使える場所。
「出口の辺りに火魔法が見えます!」
ネリーの声と、炎が弾け出口が崩れ始めるのは同時だった。
「!」
このままでは閉じ込められる。
そう焦る彼女を、モーリスを抱えているのとは逆の手で引き寄せ、イアンは力一杯モーリスごと投げた。
転がりながらもなんとか大きな瓦礫を避け、出口の先の路へ倒れ込むネリーとモーリス。
ネリーが振り返ると寸の間に崩れた岩が積み上がり、向こうに居るはずのイアンの姿は見えなくなってしまった。
「イアン様!」
声を張り上げるネリー。
「帰還の魔道具はモーリスのポーチの中だ! 先に帰還して神官に助けを求めてくれ!」
「イアン様は!」
「俺も後から絶対に追いつく! 大丈夫だから、モーリスを頼む!」
ここで『収集』と『描画』を使えば……とネリーは迷う、だがこうしている間にもこの道も先ほどの魔法の衝撃で崩れてきそうで。
「必ずお戻りください、待っていますから!」
「ああ」
ネリーとモーリスの気配が消えると共に、イアンは深く息を吐いた。モーリスを抱えていた腕から寒気が這い上がってきているのがわかった。
呪いの影響だろう。力が抜け、その場にゆっくりと腰を下ろす。
「約束は守れないかもしれないな」
『いくらでも描かせてくださると約束したのに!』
記憶の中のネリーは一生懸命で、自分のしたいことを優先しているような口振りなのに、いつだってこちらを心配している。
こんなことなら遠慮せずに、伝えたいことを伝えるべきだった。
どうにも祭壇の間から出ることができない現状に、イアンは苦く笑った。