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お絵描き令嬢と王弟殿下

 このベネポワブールの国には、こんな昔話がある。


 初代王の即位を祝う宴の席でのこと。各地から様々な贈り物を持って訪れた者の中に、隣国から来た絵画の魔女が居た。絵画の魔女は絵を描く事で魔法を使う珍しい魔女であった為、今から皆の目の前で健勝たる王の姿を魔法で描き祝いの品に代えると言う。

 王はその余興を喜んだ。ところが魔女の『王の健勝を願う』という言葉は口ばかり。実際は描いた相手の魂を抜き取る魔法を用い、代わりに自分の魂と入れ替えることで王になり替わろうと目論んでいたのだ。

 絵画に魂を閉じ込められる王、このままでは国が乗っ取られるのも時間の問題というところで、王妃が入れ替わりに気がついた。

 王妃は騙されたふりをしながらも神官たちに魔女の狙いを伝え、魔女が油断したところを捕らえて王の魂を取り戻した。


 神官達に取り押さえられ処刑を言い渡された魔女は、王にこう言い残したと言う。

 『私は必ず蘇り、お前の一族の苦悶を描こう。それまでお前達は怯えて暮らすといい』と。

 それ以来、絵画の魔女が再び現れても王族に近づく事がないよう、神殿で修行をし魔女でない事を証明した神官のみが王族を描くこととなったのだ。


 遠い遠い昔のお話。




 気がつけばネリーはイアンと共に別室に居た。あの後、騎士たちが天幕裏に駆けつけたため、そっと紛れて逃げられないかと思ったが、イアンはそれを許さず、ここまで連れてこられたのだ。

 間違いなく、断罪が待っている。ネリーは震える声を上げた。


「申し訳ございません!」

 声と同時に跪く。全身から体温が一気に引いていく。

 描いてしまった。どんな事情があったとしても、これは言い逃れができない。どんな咎めが待つのかわからないが家にまで累が及ぶだろう。


「顔を上げてくれないか? 少なくとも俺は絵を使って不思議な現象を起こしたからと言って、君のことを王家に害なす絵画の魔女とは考えていない。だから教えてくれないか、君にはあの時何が見えていた?」

 問うとイアンは手を差し伸べる。ネリーはその手をとって、促されるまま長椅子に腰を下ろした。その隣にイアンも座り、答えを待つようにそっとネリーの顔を覗き込む。


「殿下には、あの場がどう見えておりましたか?」

 質問に質問を返すのは失礼だったが、それがわからないと正確な返事にはならないと思い、ネリーは問う。

「見えたのは苦しむモーリスと、それを囲む神官達だ。ただ、肌を灼くような強い魔力……『呪い』を感じたな」

「黒い靄は見えませんでしたか?」

「いや、そんなものはなかったが」

 やっぱりか、とネリーは思う。

「私には黒い靄のようなものが見えておりました。モーリス殿下を飲み込み、床一帯に広がって私達の方へと……」


 思い返すだけで背筋が冷え、ネリーは両手で自分の肩を抱く。

 怯えるネリーの姿に、イアンはそっと彼女を自分の方へと寄り掛からせ「怖かったな」と優しく告げる。

「怖かった……です」

 絞り出すような微かなネリーの声。

「落ち着くまでこうしていよう」

 肩越しに伝わる体温に、優しい言葉に、じんわりとネリーの恐怖がほどけていく。この人になら話しても大丈夫かもしれない、そう思うまでに時間はかからなかった。

 ネリーはそっと顔を上げ、覚悟を決めて口を開く。


「私には魔力に色がついて見えるのです。どんな魔力がどんな色なのかについては憶測の域を出ないのですが、例えば火や熱にまつわる魔力は赤系統、水や冷たさにまつわる魔力は青系統というように。でも、今回見た黒い魔力は、黒いというか、いろんな魔力がいくつも混ざり合って黒く見えているような感じでした……」

「魔力が見えるということは、もしかして、俺が感じたその指輪の魔力も見えていたのか?」

「はい。今まで見たことのない金色の魔力だったので、試練の説明を聞いて、もしかしたら『当たり』なのかもしれないと思っていて」


 それに気づいてからネリーは気が重かった。予想が当たりなら多少なり王族と関わるという事。そこで何か失礼があれば一生を棒に振ることになると思っていたから。

 今まさに一生を棒に振るような局面を迎えている気もするけれど。


「声をかけた時に君は驚いていたが、他の浮足だった御令嬢達とは何となく違うように感じたから不思議だったんだ。なるほど謎が解けた。魔力が見えていたからか」

 すっきりしたよと笑うイアン。含みを感じない笑顔に、ちょっとずつネリーの気持ちが軽くなっていく。

「それで、君の力はそれだけではないんだな」

「はい、魔力の色が見える他に、魔力を絵の具のように使って絵を描く事もできます」

「先ほど空中に絵を描いていたあれか。……魔力を絵の具にする、面白い魔法だな」

 『面白い』そう言ってくれるんだなとネリーは嬉しくなる。

「私は魔力を集める魔法を『収集』、描く魔法を『描画』と呼んでいます。始めは私自身が持つ少ない魔力を使ってどこででも絵が描ける便利な魔法だと思っていました」

 そこで言葉を切り彼女は目を伏せた。ここから先も同じように『面白い』で済ませてもらえるのか、そんな不安が胸を塞ぐ。


「でも、この国の歴史を学んだことで、自分の魔法はこの国で忌避されるという事に気づいたのです。下手すれば魔女として処刑されることもあるかもしれない、と。ですので、この魔法は一人の時にこっそりと使うだけに留めていました」

 昔々の話といっても『絵画の魔女』の呪いは、この国にとっていまだに警戒すべきことだったたから。

「しかし好奇心は抑えきれず、私はこの魔法で何ができるのかを色々と試しました。そしてわかったのが、『発動している魔法の魔力を絵の具として、「収集」し、魔法に影響を受けている相手を「描画」した場合、その魔法は無効化する』ということです」

「だから、モーリスを描いたのか」

「はい。この魔法はそう万能ではないのですが、今回はお役に立ててよかったです」


「なるほど面白いな」

 段々と身を乗り出して聞いていたイアンの瞳が好奇心に輝く。それを見るとネリーの話を心から面白いと思ってくれているのがわかった。

「こんな時だけこういう事を言うと、神官に怒られそうだが……神の思し召しというやつか」

 イアンは嬉しそうに思わずと言った風情で彼女の両手を取った。ネリーは捕らわれた手を前に、戸惑いただ目を瞬くばかり。


「実は、絵画の魔女が蘇ったという託宣があったんだ」

「え? だとしたら私が一番に疑われるべきでは……?」

 もしかしてこの手は自分を逃すまいとしてのことだろうか? ネリーは不安を覚え、恐る恐るそう問う。

「俺には魔力を鑑定する力がある……。その結果、君は『絵画の魔女』ではないと出ているから心配いらない。ここに俺がいるのは宰相にその力を見込まれ、最も狙われるだろうモーリスを守るために招聘されたからなんだ」

「モーリス殿下はその事をご存じなのですか?」

「いや、モーリスには知らせていない……」

 イアンはそう言い、ため息をつく。

「王族とはいえ、身内を亡くしたばかりであまり色々とトラブルを抱えるのは辛いだろうから、なんとか水面下で解決し知らせずに済ませたいというのが宰相の希望でね」

 身内を亡くしたという事ならそれは彼自身も同じだったのだろうが、完全に他人事のように言うイアン。本人はまったく気にしていない様だが、なんとなくこれ以上その話を深掘りしたくなくて、ネリーは話の軌道を修正する。


「今回のことは、本当に絵画の魔女の呪いなのでしょうか?」

「今日の『呪い』は何故か鑑定結果が濁っていて判断ができなかったから言い切ることはできないが、託宣があり、現に異変が起きた。事実はどうあれ、今は『絵画の魔女の呪い』として警戒する事になる」

 じりじりとイアンが近づいてくるのでその分下がろうとするも、長椅子の端に追い詰められネリーは身動きが取れなくなった。


「俺には魔力を鑑定し、それを使う相手が『絵画の魔女』であるか否かを判断する事ができるが、その呪いを解く事も呪いに抗う事もできない。……そこに君が現れたんだ。頼む、魔女に対抗しモーリスを守るため力を貸して欲しい」

 両手をぎゅっと握られたまま、至近距離で請われる。立場的にも否を言えないのはわかっているが、それでもネリーは必死に言い募った。

「わ、私には荷が重いかと!」

「そうか……」

 咎められると思ったが無理強いはしてこないのだと、ほっとしたのも束の間、イアンが言葉を継ぐ。


「こういうやり方は好きではないんだが」

 そう言うとイアンは、本当に申し訳なさそうに袖口から先ほどの絵を出した。

 いつの間に拾っていたのだろう。 ネリーは、ぐぅ、と喉の奥で声にならない声を漏らす。

 彼がそれを描いたのがネリーだと言えば……。


「すまない、危険が無いように手を尽くす。……それに俺ができることなら、なんでもしよう」

 じわりと涙を浮かべるネリーを宥める様にそう言うイアン。

「なんでも、ですか?」

「ああ、なんでも、だ」

「……それなら、殿下を描かせてください!」

 一人描いてしまったのだ、今更もう一人描いても罪の重さは変わらない。ネリーは鬼気迫る勢いで、そのままイアンとの距離を詰める。


「俺を?」

「はい!」

「それだけでいいのか?」

「それが、いいんです!」

 その願いが叶うなら、ネリーはがんばれると思うのだ。

「そうか、ならば約束しよう。何事もなく無事にモーリスが即位すれば、俺は王族としての権利を今度こそはっきりと放棄するつもりだ。その後でよければいくらでも自由に描いてもらっていい」

「描かせてくださるのですか? いくらでも?」

「ああ」

 イアンは左手を心臓の辺りに添えて、破られることのない約束だと示す。

「では、ご期待に添えますように尽力いたします」

「そうか。それではこれからは片時も離れずにそばに居てくれるね、我が『愛しい人』」

「え!?」

 その設定は聞いてなかったと訴えたかったが、流れるように指先に口付けを落とされ、そのまま至近距離で微笑まれれば言葉を失うしかなく。


 このまま一ヶ月くらい意識を失っている間に全部終わっていたらいいのになと、ネリーは遠い目でそう思った。




 イアンはネリーを王城から送り出し、今日の事をぼんやり思い返していた。


 『絵画の魔女』の呪いという話を信じていないわけではなかったし、今日招待され、表門から入ってきた客に関してはきちんと『魔力鑑定』をしていた。

 油断していたのかもしれない、まさか護衛も兼ねてあれだけ揃えていた神官が、歯が立たないほどの『呪い』があるとは。

 天幕裏の光景を目にして、イアンは真っ先に自分の考えの甘さを思い知った。


 殺気の様にしか感じられない不可視の『呪い』に、今自分が駆け寄っても何の役にも立たないと一瞬で理解した。魔力の鑑定結果は『呪い』。だが結果が濁っていて、きちんとした判別ができない。


 こうなると、ここで求められるのは剣の腕ではない。自分の持つ『魔力鑑定の力』でもない。


 ならばまずは足手まといになるだろう傍らの令嬢をここから外へ。それから呪いの術者を見つけ出すのが定石だろう。モーリスが先にここにいるということは装身具の魔力を調べるために誰かを連れて来ていたはずだ。見当たらないという事は真っ先に疑うのはその相手。

 事態は一刻を争う、気ばかりが逸る。だがその時、見えない何かが自分達に向かって来るような圧を感じた。 


「君だけでもあちらへ!」

 声を放ちつつも、モーリスと巻き込んだ少女を助ける方法がないかと必死に考え続ける。手詰まりだなんて認めたくはなかった。

 まさかその盤面をひっくり返すのが、恐怖に竦む傍の少女だとは思っても見なかった。


 怯えながら、微かに震えながら、それでも絵筆で立ち向かう背中。ドレスに包まれた華奢な手足がまるでイアンを守る様に広がる。

 絵画にまつわる魔法を王城で使う事の意味を知らないわけでもないだろうに、それでも出来ることをやろうと動いた姿に、そんな場合では無いと分かっていてもイアンは一瞬で目を奪われた。


 普段から、縁談を避ける為に口にしていた『自分を守れるような女性を伴侶として求めている』という言葉。それは体のいい断り文句でしか無かったというのに、今まで感じた事の無い何かが胸に灯るようで。


 その上、なんでも望んで良いという言葉に、『描きたい』と答えが返るとは。

 目が離せない、もっと見ていたい。

 

 とはいえ、まだ力を貸して欲しいと言う気持ちと、興味も半々という所だけれど……。



 イアンはノックの音で物思いから浮上する。顔を出したのは従兄弟だといってことあるごとに構おうとする青年、ジル・カルフォン。前王弟、エストラゴン大公の一人息子だ。

 彼は本来モーリスの側近。今日は試練の場を取り回すために側を外していたが、モーリス襲撃の報せを受けて彼の様子を見に行ったはず。


「モーリスはもういいのか?」

「神官長からの祝福も受けた上で侍医にも診てもらった。今はもう眠っているよ、安心して大丈夫」

「そうか、良かった」


 侍女はもう下がらせたので、イアンは立ち上がるとグラスを二つ手にした。ジルはグラスを受け取るなり、勝手に机に置かれた酒瓶から琥珀色の酒を注ぐ。

 次期宰相と目されている青年だが、その口調と態度はいつだってどこか軽い。

「やっぱり『絵画の魔女』が復活したのかな? イアン殿下は何も見なかったの?」

「事情は知っているんだから、他に人がいない時に殿下はやめてくれ。……まあ、見なかったいうか『見えなかった』な。何らかの『呪い』ではあるようだったが」

「それが『絵画の魔女の呪い』なんじゃないの?」


 そうだろうとは思う、けれどあの場にその魔力を持つ『絵画の魔女』本人は居なかった。それを伝えると、ジルはため息をひとつ。


「君に見つけられないってことは、本人はあの場に居なくても『呪い』が使えるってことかもしれないね。モーリス殿下の側には、高位の神官に加えて魔術師も付けたんだけど、それでも心配だなあ」

「試練は続けるのか?」

「一度始めたら止めわけにはいかない、そう決まっているからね」

 肩を竦めるジル。

「次期王の命より重い決め事など、無くなって仕舞えばいいと思うがな」

「そういう事言ってると、年寄り達に怒られるよ」

 酔わない程度にと思っているのだろう、香りを楽しむようにグラスを揺らしながら、どことなく投げやりに嗜めるジル。


「そうだ、明日から一人令嬢を迎え入れたい。肩書きとしては秘書官という所で頼む」

 今のイアンにはまだ執務などは任されていないので秘書官を必要としない。当然ジルはそれを知っている。

「ふうん、今の君が招き入れるってことは『絵画の魔女』じゃないんだろうけど、今まであんなに令嬢達を袖にしておいて、どういう風の吹き回し?」

「一目惚れ、という所だな」

「本当に大切なら、こんな危険な時にここに呼んだりしないでしょ」

 探る様なジルの視線を躱しイアンは笑う。

「何に惚れたかは言わずにおこう」

 思わせぶりな彼の言葉に、ジルはさらにため息をついて言う。

「手配しておくよ」

「頼んだ」


 一つ気になっていたことが片付いたので次は二つ目の試練に向けた準備と今回の事態についての情報収集だ。

「そこに、神官達から聞いた内容をまとめたものを置いてる。今回の招待客についての資料はそっち」

 書類を置いてジルが立ち上がる。

「助かる」

「あんまり集中しすぎないで、ちゃんと寝るようにね」

「ああ」

 そう返しながら、既にイアンの手は書類に伸びていた。ジルが苦笑しながら扉の向こうに消える。


そうして部屋には紙をめくる音だけが残った。

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