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お絵描き令嬢と舞踏会

 するりと肩を回り背を温かく包む腕を感じながら、ネリーはなんとか口を開く。

「今は誰もおりませんから、このような事までなさらなくても」

 努めて平静を装い紡いだネリーの言葉に、青年は肩に手を回したまま少しだけ体を離した。

「誰もいないからといって、誰も見ていないとは限らない」

 ネリーが顔を上げると、青年は眉根を寄せ視線だけで辺りの様子を探りながら小さな声で答える。

「それはそうなのですが、殿下」

「イアン、そう呼んでくれ」

「それは……」

 難しい事だと口にする前に、殿下と呼ばれた青年、イアンがネリーの言葉を押しとどめた。

「君には、そう呼んでほしい」

 やわらかな笑み、だが目の奥が笑っていない。

「イアン……様」

 なんとか名を呼ぶと、イアンはやっと本当に微笑んだ。その微笑み一つでどれだけの女性が眠れぬ夜を過ごすだろうかとネリーはぼんやり考える。

「ネリー」 

 イアンは名を呼ぶだけで心まで絡め取るような甘い声を落とし、そのままネリーの銀に輝く髪を一房掬い上げて口付ける。

 夜闇をそのまま映し取ったような瞳がネリーを射抜く。

「俺には君が必要なんだ」

「わかって……います」

 歯切れは悪いがなんとか答え、ネリーはそれからそっとイアンへ顔を寄せ、小さな声を落とした。


「ですから、きっと描かせてくださいね。イアン様」

 と。




 ネリー・ラヴィルニーは絵を描くのが好きだった。


 芸術に関する教育の一つとして学んだ『絵画』の時間がきっかけ。美しいと感じた一瞬を、移り変わる色を、形を、残す手段がそこにある事に気づいた時、自分がとんでもない大発見をしたように興奮したことを覚えている。

 とにかく、暇があれば寝食を忘れてでも描こうとするものだから、両親にはそのことでよく怒られたものだった。

 絵を描いてさえいればそれだけでネリーは楽しかったし、歴史の勉強もピアノやダンスのレッスンも、その後には絵を描く時間が待ってると思えば楽しみの一部だった。


 それでもちゃんとネリーにもわかっていた、絵だけを描いて糧を得て生きていく職人にはなれないのだし、いつかはそう豊かでもないこの領地に少しでも恵みをもたらす結婚相手を見つけることになるのだと。

 許されるならば、趣味でささやかに絵を描き続けられるくらいの余裕がある相手に望まれたいものだと、ネリーはそんな風に考えていた。




「舞踏会の招待状が私に?」

 いつもの通り筆を片手に自室で絵を描いていたネリーは、頭を抱える父の前で首を傾げた。

「ああ」

「しかも王家主催だなんて」

 父の手にある封筒には三つの剣と花の紋章の封蝋。それが指し示すのは王家以外ない。

 戸惑うネリーの前で、父は左手に持っていた紙束から目的の一枚を抜き出すと、それを頼りに説明を始めた。


 病による前王の崩御後、このベネポワブールの国は喪に服していた。


 一年間の服喪の間は王位継承権第一位の王子が仮の王とみなされる。その期間に建国より国を支えてきた三つの家――公爵家「ロマラン」伯爵家「キュルキュマ」そして代々宰相を受け継ぎ、前王の弟が当主である大公家「エストラゴン」――からの試練を受け『(しるし)』を手にするというしきたりがあり、複数の次期王候補がいる場合は試練における『印』の獲得数が多い方が王となることが決められている。


 かつて王位継承にあたり継承権を持つもの同士が争い血が絶える寸前までいったことから、直接的な争いを防ぐために始まったしきたりだ。


 といっても今代は、王の血を引くのはモーリス王子一人だけ。試練を儀礼的に執り行って終わりだと思われていた。

 ところがここで、宰相がとんでもない人物を引っ張り出してきてしまった。

 イアン・ヴァランタン・ロシュミュール。

 魔領と接していることから重要な国防の拠点でもあり、岩の上の要塞都市とも呼ばれているロシュミュール辺境伯領。その辺境伯家の末の子として国境を守り、また時折現れては人々を脅かす魔獣を退ける任についていた青年である。

 その彼を宰相は『モーリス王子の弟』だと言い、共に試練へ挑むことを求めたのだ。


「そのお方は真に王族の方だったのですか?」

 自宅でなければ不敬として咎められかねないネリーの言葉に父は頷く。

「ああ、確実な証拠があったと聞くね」

 二十年前、事故により儚くなったとされていた第二妃は秘密裏に辺境伯家に隠されていた。しかも王の子を宿して。その動かぬ証拠を示され『第二王子』の存在を公にせざるを得なかったという。

「お話はわかりましたが、それとこの招待状がどう繋がるのですか?」

「これがロマラン公爵が用意した一つ目の試練だ」

「舞踏会がですか?」

 父の手から招待状を受け取ると、ネリーは文面を確認する。


「招待状と一緒に届いた装身具を身につけて参加せよと書いてあります」

 ネリーは封筒からころりと出てきた指輪を手のひらで転がしてみる。

「不思議な内容ですね。一体、何を問う試練なのでしょうか?」

 ネリーと父は揃ってその内容に首を傾げる。

「不思議なのは内容もだが、何故当家に声がかかったのかも不思議でしょうがないよ」

 不審感で一杯の父の言葉に、ネリーも同意しかない。ラヴィルニー家が治める小さな町は気候の穏やかな景勝地ではあるが他領地より秀でているかと言えばそこまででは無い。ではネリーが王都にも届く様な評判の令嬢かといえば、これもそこまででは無い。


 それに気にかかる事は他にもある。

「当家に王都での滞在場所や付き添い人は用意できるのですか?」

「それについては王都に住む義妹に頼もうと思う」

 父はこれからの色々な手配を考えて、胃の辺りをさすりながらそう言い、更に不安を深めた真剣な顔で続けた。

「試練の場ということは、遠くからになるとは思うが、王子殿下のご尊顔を拝する栄誉を受けるという事。ネリー、わかっているとは思うが、間違っても王族の方を描くような事はしてはならないよ。神官以外が王族を描けば、呪いをかけたと疑われても仕方がないのだからね」

「わかっています、私だってここへ帰ってこられなくなるのは嫌ですから」

 きっぱりと答えるネリーに、しかし父は一層強く胃の辺りを押さえるのだった。




「はぁ」

 やっと迎えた舞踏会の当日。ネリーはため息をひとつ落として壁際に座っていた。

 先ほどまでは叔母も居たのだが、知り合いに声をかけられた彼女に置いていかれ、仕方なくホールの様子を一人でぼおっと眺めていた。

 ドレスが行き交い色が混ざり合う様子は美しく、絵筆を握りたくなってくる。見ているだけでも楽しいのでこのまま壁の花でもいいかなと思い始めた頃、ホールに声が響いた。

 ロマラン公爵が今宵の試練について説明を始めたようだ。


 招待状と共に届けられた様々な装身具。その中に王子達が魔力を込めた『当たり』が一つずつある。お互いに『どんな装身具』に魔力を込め、『どんな相手』に送ったかは当然知らない。それをこの参加者の中から先に探し当てられれば『印』を得られる。


 今回の試練で試されるのは、『魔力を探知する能力』だ、と。


 もしかしたら王子達と踊れるかもしれないと期待していた女性達の落胆の声が漂う中、第一王子モーリスからの言葉が続いた。

「今宵ここに集まってくれたのは、今後『国の支えとなる』と宮廷魔術師達が占い、選んだ者だと聞く。試練という目的はあるが、これを機会にぜひ皆と交流したいと考えている。良ければ皆もダンスで交流しながら、時間を過ごしてくれ」

 モーリスの言葉にホールを埋める皆が喝采の声を上げる。続いて隣に立つ第二王子イアンが鷹揚に頷いた。それに合わせるように、ダンスパートナー探しの時間を告げる音楽が流れ始める。


 ネリーは、この場に呼ばれた理由がわかってほっとする。何かの間違いではないかと思っていたが、占いにより集められたのなら少しは納得できる。

 国の支えというのは随分曖昧な表現だが、選ばれたのは名誉なことに違いない。

 しかし、そう安心しかけて次の懸念事項に思い至った。この懸念が正しいならこの後に待っているのは……。


 近づいてくる足音と共にふと視界が陰った。恐る恐る顔を上げると、そこには先ほど紹介されていた第二王子イアンの姿が。ネリーは慌てて立ち上がり、膝を折ると身を低くする。

「顔を上げてくれ。君の手にある指輪……だろうか。そこから魔力を感じる。確かめさせてほしい」

 静かな声が落ちる。言われるまま顔を上げると、夜空を切り取ったような瞳にネリーの姿が映っていた。

「御心のままに」

 なんとかそう返し手袋を外すと、ネリーは差し出された手にそっと自分の手を乗せた。魔力の確認の為にイアンが一層近づいてくる。

 ぐっと近くで不思議な色合いの瞳が見え、手が自然と絵筆を求める。だが同時に皆の忠告が思い出され、がっくりと床を見た。描けないなら見ないほうがいい……いや、でもせめて細部までしっかりと覚えて今後の絵の糧にしたら良いのではないだろうか。

 こんな色合いを絵に残すなら、どの絵の具が合うだろうか? 少しずつ違う色を重ねたらこんな深みが出るだろうか?


「俺の見立てでは、これが『当たり』だな。確認の為に天幕の裏まで着いてきてもらえるか? そちらで神官が魔力を判定してくれる」

 イアンの声にネリーは、はっと我に返る。

 そうだった、彼が自分の目の前に立つ理由を忘れかけていたが、今は試練の最中だった。

「すぐに済むよ、怖いことはないから」

「はい」

 確かにすぐ済むだろうなと、ネリーはそう思う。


 だって指輪からは金色の魔力が立ち昇っていたのだから。




 天幕を隔てた空間には思ってもいない光景が広がっていた。


「え?」

 ネリーは、床を這い辺りに満ちようとしている黒い(もや)に驚き、びくりと肩を震わせた。靄の中心には先に確認に来ていたであろう第一王子、モーリスの姿が見える。

「殿下!」

 神官達の悲鳴にも似た声。苦悶の声をあげながら胸を押さえるモーリスを囲み、彼らは必死に聖句を唱えている。

 だが靄の勢いは衰えるどころか増していくように見え、いよいよモーリスの姿がとぷんと頭まで飲み込まれた時、ネリーは思わず駆け寄ろうとした。


「待て! 様子がおかしい。今は近づくよりも、一度離れて助けを呼ぶ」

 制止の声と共にイアンに抱き寄せられる。

「わ、わかりました」

 片手にネリーを抱いたまま、じりじりとイアンは背後の扉へと近づいていく。その目の前で魔力を使い果たしたのか次々と倒れていく神官達。すでに天幕裏にはイアンとネリー以外に立っている者はいなくなった。

 あと少しもう少しでイアンの手が扉に届く、そう思ったその時、靄は一気に広がった。

「君だけでもあちらへ!」

 扉の方へネリーを押し出そうとするイアン。未知の恐怖にネリーの足は竦む。それでも必死に右手を振るった。

 すると靄がその動きに合わせて、するするとネリーの手元に引き寄せられて行く。

「しゅ……『収集』!」

 ネリーが恐怖で詰まりながらもなんとか叫ぶ。

「パレット?」

 イアンが見つめるその先、ネリーの手にはいつの間にか木製のパレットに見える物が握られていた。

 ネリーの声に合わせて靄はパレットの上で渦を巻き、様々な色に分解されていく。しばらく続けていると徐々に靄は薄れて……。


「モーリス!」

 顔を歪め駆け寄るイアン。ネリーは徐々に見えてきたモーリスの顔を見て、はっと息を飲む。その顔は血の気を失い一気に老いたかのように見えた。

「呪いか……」

 傍に膝をついたイアンがモーリスをそっと抱き起こす。そこに届く穏やかな声。

「……『描画』」

 イアンが声に振り向くと、今度はネリーの逆の手に絵筆が現れていた。迷いなく彼女の手が動き、それに合わせて空中に何かが描かれて行く。

「これは……」

 浮かび上がった絵は、モーリスの姿だった。生き写しのようなその絵にイアンは息を飲む。


「……僕は、一体?」

「気がついたのか!」

 モーリスの声に視線を落とすと、イアンの手の中には先ほどまでの苦しげな様子から一転、元のままの彼がいた。

「よかった……」

 ネリーの安堵の言葉と共に、宙に描かれた絵が『絵画』という形を得て床に落ちる。そこで力尽きたのか彼女は膝を着いた。

 ネリーの胸にはやり遂げたという満足感と、とうとうやってしまったという焦燥感でいっぱいだった。

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