4 魔王は彼に相談してみた
◆ ◆ ◆
──北歴三五〇年一二月上旬・魔王直轄領パル アリシア=ラ・セルダ邸
朝、目が覚めるといつものようにアリシアが隣で寝ていた。
例によって彼女を起こさず俺だけで起きようとしたが、今回は寝相が悪いようで、抱き枕にされていた。
(抜け出せない。かつ、若干苦しい……)
俺はほとほと困り果てた。
外の空の色合いを見るに、まだ普通の人が起きる時間ではないのだ。
けれども、俺は走らなくてはならない。
これは異世界にくる前からずっと実施してきたルーティンであるのだから。
(起こすの忍びがたいなぁ)
そうやって困っていると。ぴくぴくっとアリシアの瞼がひくついているのがわかった。
起きてるな、これ。
さて、どうやってそれを指摘しよう、と俺はしばし考える。
普通に言ってもいいのだが、なんとなくそれでは【負けた気がする】ので、やめにしておく。
なので、ささやくことにした。
恥ずかしいセリフにどこまで耐えられるか耐久レースである。
「はぁ、こんなにもアリシアが可愛いとは、困るなぁ。困るなぁ、本当に困る。アリシアが可愛すぎて困る件。アリシアを永遠に俺のものにできるなら、今すぐそうするのにどうしたものか。困った。困る。どうしよう」
ぴくぴくっ
さっきから頬が紅潮している。もう少しかな? 意外に沸点が低そうである。彼女がヤカンだったら沸騰しそうな塩梅である。
「ああ、アリシア、愛しの我が君よ。おお、アリシア、なぜキミはアリシアなのか。愛しの我が姫君よ。かなうことならば、ずっとそばにいさせて欲しい」
耐えきれなくなったのか。
「……サトルさまの、意地悪っ」
アリシアがようやく目を開け、俺を離した。
おぼこちゃん疑惑が、アリシアに持ち上がった瞬間である。
「おはよう、アリシア。ランニングしてくるよ」
「おはようございます……もう、どこにでも行ってきてくださいまし」
恨めしそうな顔でそう言われ、俺は自室をあとにした。
その後、フィリシアの部屋に行き、彼女に声をかけ、一緒に走ろうと声がけをした。
「……おはようございます、兄上。もう少々お待ちいただきたいのであります」
しばらくして、眠そうな顔つきでジャージ姿のフィリシアが現れた。
一緒に屋敷の外周のランニングを一刻ほど行った。
途中、フィリシアと世間話や、これからの抱負などをも語り合った。
いい朝であった。
朝食後、アリシアから重大発表があった。
午後、ついに俺と魔王を引き合わせるとのことだった。
いよいよか──。
俺はごくり、とつばを飲み込んだ。
◆ ◆ ◆
──北歴三五〇年一二月上旬・魔王直轄領パル パル城
アリシア邸に来てから四日目にして、つまり魔王直轄領パルに滞在して四日目にして、ようやく魔王陛下にお目通りがかなうことになった。
昼食を早めに食べて、正午をやや過ぎたあたりで俺とアリシアの二人は、魔王城の玉座の間の前に立っていた。
柄にもなく緊張している俺にアリシアはウィンクをして、
「サトルさま、落ち着いて接しましょうね。魔王さまはそこまで怖い人ではないですからね」
そう言って、俺の手を握ってくれる。
(ちょっとは怖いんかいっ)
と柄にもなく、怖じ気づいている俺だった。
ぎゅっとアリシアの手を握り返した。
「さっ、いきますわよっ」
子供をあやす母親のようにアリシアは俺を甘やかす。
こんなに気を遣わせて、俺はそんなに頼りないのか?
そうみえるのかな。
そう考えたら、若干というかかなりなにくそ、という反骨の気構えが生じた。
「ああ、いこう」
衛兵が門扉を開け放った。
俺は不敵ににやりと笑い、アリシアとともに入室した。
そしたら。
いるわいるわ、悪魔のような連中がやたら沢山いました……。
帰っていいですか?
「サトルさま、帰らないように……」
心の声に、なぜかリアル音声でアリシアがツッコんだ。
俺はそんなにも怖じ気づいたようにみえたのだろうか。
荷馬車に乗せられた哀れな子牛のように、俺は並み居るその筋の異形の人たち(?)の視線を受けながら、玉座の前まで進んでいった。
ああ、ドナドナ……。
アリシアが止まったので俺も進むのをやめた。
そして片膝をつき、頭を下げる。
やがて──。
「ほほお、貴様が今代の勇者の一人か」
声がした。
けれど、俺は片膝をつき、何も発さない。
アリシアの紹介を待つ。
そういうマナーらしい。
「そうですわ、【叔父上】。彼が今代の勇者の一人、サトル=オダさまでしてよ」
俺は陛下の御前だというのに、キミ今頃何とんでもない情報ぶち込んでるの?! とツッコミたい気持ちでいっぱいになる。
けれど、心の中でツッコむだけに留めておいた。
もし実際にそれをして(ツッコんで)、魔王と一悶着あったら殺される。
俺は死にたくないのである。
まだ、ね。
さらっと自分の叔父が魔王だとカミングアウトしたアリシアだったが。
なるほど、腑に落ちる部分もあった。
なぜといって。
アリシアの邸宅があまりにも好物件であったからだ。
あれほどの屋敷に住める身分である、かなり高位の爵位のお嬢様だと思っていた。
それが蓋を開ければということだ。
なるほど、そういうことか。
得心がいった。
「ほほぉ、よい。勇者よ面を上げよ」
「ははっ」
俺は魔王の顔を見た。
「拝謁たまわり、幸甚のきわみ。陛下におかれましては──」
「堅苦しい口上はよい。それよりざっくばらんに話をしたい。よいか、勇者殿」
「ははっ」
ぶしつけにならないように用心深く魔王を観察した。
美形のおっさんである。
鼻梁が整い、アリシアと同じ碧眼である。
白銀の長髪を惜しげもなく無造作に垂らしている。
黒のローブを身にまとい、豪華な王冠を戴いている。
「さて、我が今代の魔王ヨハン=ラ・セルダである。貴様が勇者サトルだな。我が姪っ子の秘術【グレイト・テンプテーション】にたやすくレジストでき、さらには第七位高位魔法以上の魔法を使うことのできる、規格外の勇者で間違いないな?」
「規格外の意味がつかみかねますが、第七位高位魔法以上の魔法を使える勇者かと聞かれれば答えは是、でございます」
おおっ、と臣下サイドからどよめきが起きる。
「勇者サトル、貴様の能力こそ、まさにすさまじいものよな。今代の魔王と今代の勇者が戦うことがあれば、我が勝つのが至難の業であるほどの」
またも、どよめきが臣下の側から起きる。
そのどよめきは、今度は収まるのに時間がかかった。
「貴様と戦うことにならずに、まことによかった。まあ、真っ正面から当たらない方法でなら、貴様を殺す方法はそれなりにあっただろうがな」
「!」
俺はフリーズした。
今、俺を暗殺するとかいっちゃってます、この人?
すると。
パコーン。
おかしな間の抜けた音がした。
なんだろう?
……えっと、アリシアさん、キミ、何してんの?
アリシアが魔王を緑のスリッパでひっぱたいた音だとわかるには、数秒の間を必要とした。
臣下の側からどよめきが(以下略)……。
「叔父上、ただでさえサトルさまは繊細なハートの持ち主なのです。叔父上のビミョーに怖いジョークはサトルさまの心を叔父上から遠ざけますわよ。それで、魔族領が滅んでしまう未来になるのはあたくし、我慢がなりませんわ」
プリプリ怒るアリシアに、魔王はようやく、相貌を温和なそれに変えた。
「すまんな、勇者サトル。怖がらせるのは我の本意ではない。許せ」
そう言って、頭を下げた。
臣下の側(以下略)……。
「さて、勇者サトル。場所を移そう。臣下共のざわめきが鬱陶しい。腹を割って、話し合おうぞ」
そう言うと、ニカっと爽やかに、笑った。
◆ ◆ ◆
応接間に通された。
豪華そうな絵画やツボが配置され、瀟洒な雰囲気を醸し出している。
円卓のテーブルが置かれ、椅子がその周りに八脚用意されている。
魔王側は三人──すなわち、魔王の警護である近衛騎士さん(日本でいうところのボディガード)、そして書記役を務めるところの宰相さん(日本でいうところの内閣総理大臣)、そして魔王その人である。
こっち勇者サイドは俺ことサトル=オダ、それにアリシア=ラ・セルダの二人。
それぞれ簡単な自己紹介を終え、着席する。
席順は時計の針でたとえると魔王十二時、宰相さん二時、俺六時、アリシア八時といったところ。
近衛騎士さんは魔王の後ろ側に立っている。
アリシアが口火を切った。
どうにも腹に据えかねた様子で魔王にくってかかる。
「叔父さま、あんなに家来勢揃いで出迎えることないではないですか。チキンハートのサトルさまにはとってもお気の毒でしたわ。見ていてハラハラさせられました」
……。
はい、俺はチキンハートだとアリシアの内部で思われていたことが判明しました。
心が砕けました。
帰っていいですか?
「おお悪い悪い、それはすまなんだ。許せ」
魔王はどこ吹く風、柳に風と受け流す。
さして反省していないそぶりで謝罪した。
それをジト目でにらむアリシアだったが。
やがて、ため息をついた。
普段の魔王ヨハンとアリシアの会話はこんな感じで進むのだろう。
心持ち、ほっこりしている俺だった。
「時に勇者サトルよ」
「はい、なんでしょう」
俺も心持ち口調をフランクにして返す。
「アリシアとは、寝たか」
「はい、寝させていただいております」
その言葉に、周囲がどよめく。
宰相さんは泡を食って倒れそうな顔をしている。
アリシアもあなた何を言ってらっしゃいますの?
と言いたげなそぶり。
一人、魔王だけがカカカと笑っている。
「そうか、そうか。もう二人はできちゃってるのか。それは重畳よな」
その言葉に俺はフリーズ。
「え?」
俺の反応に今度は魔王がフリーズ。
「え?」
こうして、俺はアリシアがベッドに潜り込んでくるだけで、その……魔王ヨハンが思い描いてるような、そういったような「男女の仲」ではないと言うことを説明するのに結構時間がかかった。
やれやれである。
今度は、真摯に魔王が俺に謝罪する。
「いやいや、勇者よ、すまなんだすまなんだ。本当に我の早合点であった。許せ許せ」
そう言って、軽く手を合わせる。
「もう叔父さまったら……」
アリシアも顔が赤い。
「まあ、アリシアと貴様が結婚して欲しいのは我の願望であるゆえ、希望的観測を立てすぎてしまったというのはあるな。有り体に言えば、貴様を完全に我が魔族軍側に取り込みたいということだが、な……」
「……」
魔王、それにアリシアも沈黙する。
俺もなんとなく、そういうことは、わかっていた。
なので口にする。
「大丈夫です。アリシアと結婚しなくても、俺は魔族の側にいますよ。決して、裏切りません。まあ、勇者召喚をしたジュスティス王国を出奔した俺が言っても説得力はないかもしれませんが──」
そう言って乾いた笑みを浮かべる俺に、アリシアも魔王も言葉がない。
「それで、魔王ヨハン。あなたに問います。さしあたっての魔王軍の脅威は何が喫緊に対処すべきものと思われますか。そのすべては無理かもしれませんが、一部であれば、俺にも対処できるかと思いますので」
魔王ヨハンは気を取り直したのか、不敵な笑みを浮かべ、俺に言う。
「ふふっ、さすが今代の勇者、話が早い。アリシアやハチワレ卿からある程度聞いたと思われるが、まことに癪だが、我ヨハンの代で魔族は壊滅するやもしれん。無為に時間を過ごせば、な──」
そう言って、俺に語り出した。
俺は静かに、それを聞いていた──。
「喫緊に対処すべき脅威、か……。どうあっても対処しなければならない脅威と言えば、【北の巨人】はそれにあたる。きゃつらこそ、我らの最大の脅威だな。きゃつらは我らの領土を土足で踏みにじり、大地を奪っていく。──そんな数十年だ。やつらは不倶戴天の敵だ。我らは、きゃつらを滅ぼさねばならない。だが、まあ、今日明日に対策を練らねばならぬ脅威というわけではない。いずれは立たねばならんがな。となると、【南の邪竜】か? ──きゃつも怖い。あれのブレスと牙であまたの同胞の血が流れ、屍となっていった。災厄だあれは。きゃつが咆哮し、南から飛んでくると思うだけで、身震いするほどだ。きゃつも我らが滅ぼさねばならぬ。竜は、討たねばならん! とはいえ、まあ、それも今すぐ明日にでも対処しなければ我らが滅びると言う脅威には当たらんな。……ふむ。人類圏の連中との小競り合いも鬱陶しくはあるが、それも喫緊に対処すべき驚異には当たらん。そうすると……数は絞られてくるものだ。いくらでもあると思った脅威も今では五指の数にとどまるほどだ。だが、それでも多いのだがな。多すぎる」
魔王ヨハンはいったん、口をつぐむ。
そして、言った。
「勇者サトルよ、ひとつ、おまえに尋ねたいことがあるのだが。ある特定の種族のみに流行る伝染病があったとする。それは、【エルフとダーク・エルフだけに罹患する謎の流行病】でな。そいつは厄介で、放っておくと手足がまるで岩のように硬くなる。罹患した者は想像を絶する苦しみにさいなまれ、やがて死ぬ。そんな病だ。それが、我ら魔族軍にとっての最大の脅威と、喫緊の課題であると、言えるな。とはいえ、いかなる施術も施せぬ。原因がわからないからだ。優秀な種族エルフとダーク・エルフ、彼ら彼女らが毎日少しずつ減っていく。死んでいくのだ。じわりじわりと真綿で首を締め付けられるかのように! ──サトル、貴様にはその病を、魔法か何かで、治療してやることが、できたりはしないだろうか」
俺の表情を伺うように、そう魔王は声を絞り出した。
いかほどの苦衷か、想像もつかない苦悩がそこには、あった。
筆記をしていた宰相さんが、泣いていた。
彼の耳は、とがっていた。
そう、彼も、エルフであった。
「俺も罹患者を見てみないと、なんとも言えませんが──」
そう言うと、魔王ヨハン、アリシア、そして宰相さんの表情に陰りが出た。
大切なことをかみしめるように、俺は言った。
「俺の中の知識、【力】の中に、その死病をなんとかできる【魔法】が、あるには、あります。まずはそれを試してみましょう」
そう言った。
それを聞いた皆の表情を、俺は一生忘れられない。
歓喜の表情であった。
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