1 サトルは異世界で生きていくことを決意した
──北歴三五〇年一二月上旬・魔王直轄領パル アリシア=ラ・セルダ邸
悲しい夢だった。
大切な人を泣かせてしまう夢。
会いに行くよ、絶対に
救ってみせる、必ず
待っていて、暁
必ずあなたを助け出す
目を覚ました。
涙がこぼれていた。
朝まだき空。まだ白い光の洪水はやってこない。
俺はもう一眠りしようとして、寝返りを打つ。
むにゅむにゅ。
?
なんだか柔らかいものが近くにあるような。
手を動かし、それをまさぐってみる。
とたん、はふんっと色艶が良い声が聞こえた。
というか、俺の耳元でそれは聞こえて。
ぎょっとして、俺は目を開ける。
うっとりとした顔つきのアリシアがいた。
「もうっ、朝から気の早い殿方ですこと」
ということはこの感触のものは?
むにゅむにゅ。
はふんっ
はい確認しました。
おっぱいでした♪
俺はおわーっと悲鳴を上げた。
………………。
…………。
……。
歯磨き、洗顔などを済ませると。
まだ食事の用意はされていないとのことで、ユイさんに屋敷を案内された。
結構な広さだ。
二階建てでたくさん部屋がある。
なかには遊戯室とか言うものもあり、ビリヤード台も置かれていた。
異世界にもビリヤードはあるんだなと妙な感心をした。
俺が寝ている間に、下着の替えが用意されていたようで、俺はありがたく下着を交換した。
けれど、普段着とかがまったく用意されていない。
まああるはずもないのだが。
そのことを尋ねると、当たり前のように俺の後ろに控えていたメイドさん、ユイさんが今日中に俺の体のサイズの採寸をするとのことだった。
「あのぉ」
「なんでしょうか、サトルさま」
「俺がこの邸宅に住むのは、確定になってたりします?」
「はいっ」
「……」
なかなかいい笑顔で断言された。
それ以上の説明は朝食後、アリシアがしてくれるそうだ。
俺は中庭のベンチに腰掛けていた。
ユイさんが俺を監視するように、後ろ側にたたずんでいる。
実際、監視しているのだろう。
昨日を振り返る。
なかなかハードな一日だった。
人生で一番長い日で、そして大事な人を裏切ってしまった日──。
俺と蘭世はどうやら異世界に飛ばされてしまったようだ。
人為的なもの、に思う。
なんとなくだがそう思う。
飛ばされた結果、人類勢力? だかの西方連合軍とかいう勢力に保護してもらうはずだったのだろう。
だが、結果、俺は魔族軍の幹部とかいうアリシアにかっさらわれた。
アリシアにチャームとか言うよからぬ魔法をかけられ、魅了状態になった俺は喜んでアリシアにさらわれた。
そう、俺は、蘭世を裏切ったのだ。
おそらく人類勢力の連中のことも裏切ってしまったのだ。
幸い、もう俺の心は解放されている。何が何だかわからないが、おそらく勇者の能力が作用しているのだとにらんでいる。
強力な状態異常攻撃らしかったが、もう俺はそれにかかることはないだろうと、そう予測している。
俺は、自らが変容しているのを感じている。
勇者として招待されるからには、そのような何かしらの【チート能力】が与えられたのだろう。
それが神だか女神だかどこの連中かは知らないが、超常的な存在に、与えられたのだと、思う。
俺は人類を裏切った。
蘭世を裏切った。
アリシアに魅了攻撃を与えられて不可抗力だったのだと、言い訳するつもりはなかった。
実際、そんなことはできなかった。
アリシアの魅了とやらは【結局、解けたのだから】。
そう、解けたのだ。
もっと早く、解けていれば。
色香に惑うことなく、蘭世のことを裏切りさえしなければ。
彼女とずっといられたのに。
すべては、俺の責任である。
頬を涙が伝った。
俺は、涙がこぼれるまま、それから少しの時間をむなしく過ごした。
◆ ◆ ◆
「さあ、朝食の時間ですわ、サトルさま♪」
今日も朝から絶好調のアリシアである。
六人ほどが座れるテーブルに俺とアリシアが向かい合うように座る。
それを、昨日もいたメイドさん二人が給仕をし、和やかに食は進んでいった。
「異世界から参られた勇者さまのお口に合うかどうかはわかりませんが、精一杯のおもてなしをさせていただきますわね。この鶏肉のソテーはなかなかいけますわよ」
「はい、本当に美味しいですね。これを毎日食べられるアリシアさんにおかれましては本当にうらやましい所存です」
「サトルさま、言葉遣いが丁寧すぎます。ぶーぶー」
「そうですか?」
「はいっ。隔意があるように見受けられます。それではこのアリシア、泣いちゃいますわよ」
「泣かれては困りますね。こんなに可愛らしい女の子を、泣かせるわけにはいかない」
「あら、あらあらあら?! う、嬉しいですわ、サトルさま♪」
「あ、この卵料理は普通に美味しいですね。エビのソボロもなかなかイケますね」
「あっ、はい、本当に美味しいですわね……」
そんなような会話をして、朝食を美味しくいただいた。油っぽい料理ばかりだったのは、まあご愛敬であろう。
そのうち、自分でも料理を作らないと、いけないかな。
そんな気がした。
朝食を食べ終わり。
ユイさんと一緒にいたもう一人のメイドさんであるアリスさん(先ほど紹介してもらった)が、ティーポットからティーカップに優雅にお茶を入れてくれた。
ミルクとシロップを入れてもらい口に運んだ。
あ、すごく美味しい。
異世界の味という気がした。
ゆっくりと、けれど残さず、飲み干した。
それから、アリシアにこの世界の情報を聞いた。
詳細に。
文明レベルを。
科学の水準を。
人類勢力のことを。
魔族勢力のことを。
その他の種族勢力のことを。
それぞれの勢力の政治システムのことを。
生活水準のことを。
農林水産業のレベルについてを。
医学水準についてを。
数学、物理の水準についてを。
そして、魔力についてを。
魔法についてを。
軍事水準についてを。
神話のことを。
文化のことを。
それから、与えられた伝承のことを。
勇者伝説のこと、勇者降臨の儀式のことを。
本当に、一から丁寧にアリシアは語ってくれた。
気づけば、夕食を食べ終わり、入浴に誘われる時間まで、ついつい話し込んでしまった。
それくらい、充実した時間を過ごした。語ってもらった内容を咀嚼し、俺は魔族領の一員として生きていくことを、承諾した。
「サトルさま、お疲れになられましたでしょう。お風呂をお受け取りになってはいかがですか?」
そうユイさんが申し出てくれたので、遠慮なく浸からせてもらうことにした。
「お背中お流ししますね」
「はい、お世話になります。……って、ええええ?! 風呂の中にまではいってきちゃった!!」
「嫌ですわサトルさま。お体の採寸のために裸のお姿も見せてもらった仲ではないですか」
「それとこれとはまったく別ごとだと思うのですが?!」
……そんなようなハプニングもあったが、無事風呂も済ませ、あとはのんびり時間となる。
高価な絨毯が敷き詰められた居間にて、俺とアリシアは向かい合って椅子に腰掛けていた。
「本当に、サトルさまにおかれましてはこの魔族領を第二の故郷として、過ごしていただける運びとなり、とっても嬉しいですわ。本当に、ありがとうございます」
「人類圏を敵に回した今の俺には、ここしか生きていける場所がありませんからね」
「それに関しては、本当に申し訳ございませんでしたわ」
「いえいえ。このまま不幸ちゃんぶって、こんなに可愛らしい女の子と一緒に生活できる厚遇を無為に過ごすわけにはいきませんから」
そう言ってアリシアにウィンクすると。
なぜか急にアリシアの頬が真っ赤に染まる。
もしかして、この反応は照れている?
攻め専だったのだが、実はされる側では慣れてなかったとか、そういうのだろうか。
「もう、サトルさまったら。たらしですわ」
ツンとしてアリシアはため息をついた。
なお。
特別応対室だった部屋が俺の部屋になってしまった。
机やタンス、サイドボード、本棚などの家具が先ほど配置されたのでそれを眺めていると。
「満足いただけたでしょうか」
なぜかどや顔のユイさんだった。
なんだか知らないが可愛らしい女性だと思った。
ユイさんを見やる。
エプロンがやや大きめのメイド服を着こなし、髪はオレンジがかった赤髪で肩あたりまで伸ばしてある。
鼻梁はすっきりと整い、いかにもできた才媛令嬢と言った雰囲気を醸し出している。
とがった耳がチャームポイントだと、俺は勝手に思っている。
そう、彼女はエルフなのであった。
「いやあ、現実でエルフ女子に会えるとは、生きてて良かった」
「サトルさま? 何か仰いました?」
真顔でユイさんが首をかしげた。
い、いかん。
思わず心の声を口にも出してしまったみたい。
小声だったので聞き取れなかったみたい。
助かった。
慌てて苦笑いする俺に、ユイさんはキョトンとした顔をしている。
慌てて取り繕うように、言葉を探して話しかける。
「今日は本当にありがとうございました、ユイさん。早速俺の部屋着も数着用意してもらったし、本当に仕事が速い」
「いえいえ。街の古着屋でサトルさまのサイズが合うものを用立てていただきました。もちろん、それは間に合わせのものに過ぎません。もう少し日にちがかかりますが、きちんと衣服を作らせていただいておりますので」
そう言うと、にっこりとユイさんは微笑んだ。
ユイさんと言い、アリシアと言い、本当によくしてもらってばかりである。
俺は幸せ者だ。
不幸ちゃんぶってる場合ではないのだ。
世の不幸を一身に集めたような顔を今朝方していたのを思い出し俺は苦笑いをする。
俺は人類を裏切った。
だが、それで俺が不幸ちゃんぶった顔をしていては、アリシアにもユイさんにも屋敷の皆さん方にも失礼というものだろう。
強く、あらねば。
俺が就寝する間際まで、ユイさんはそばにいてくれた。
最初は彼女との距離をどうとろうかと、手探り状態だったが、なんとかこの一日でいい距離感をお互いつかめたように思う。
「サトルさま、改めまして。本日からあなた様の専属メイドとなりました、ユイと申します。今後ともよろしくお願い申し上げます」
「よろしくです、ユイさん」
「ユイと、お呼びくださいませ」
「は、はい。では──よろしく、ユイ」
「はい。よろしくお願いします。では。おやすみなさいませ、サトルさま」
そう言うと、ユイさん、もといユイは部屋から出て行った。
その夜。
蘭世の夢を見ることはなかった。
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