プロローグ 3
◆ ◆ ◆
「お口に合うかどうかは分かりませんが、どうぞ、召し上がれ♪」
干し肉をベースにした野菜入りスープにやや固めのパン。
それにトウモロコシのような見た目のもの(けれど色は黄色ではなくピンクの謎の食べ物)。
それにドリンクは紅茶のようだ。
俺たち二人が、何も言葉を発することなく、ひたすらむしゃむしゃと食べるさまをアリシアは微笑みながら、見つめていた。
「美味しくいただきました」
「……ごちそうさまでした」
ようやく人心地がついて俺は満足げに腹のあたりをたたく。
蘭世は、とみると。
どことなく不安げに俺のことをやや首をかしげて見つめてくる。
なんだろう、蘭世の様子がどこかおかしいような、そうでもないような……。
こちらも同じく、首をかしげる。
そんな微妙な空気を感じたのか感じないのか、努めて明るい口調で、
「よほどおなかが空いていたのですね、勇者さま方ったら♪」
そうアリシアが俺たちを見つめ微笑んだ。
彼女の企ては成功し、場は和んだように思う。
ほどなく話し合いを再開しようとしたそのときだった。
ノッカーをたたいたと思われる音が、聞こえた。
こんな夜分に誰か来たのだろうか。
怪しい、とは言える。
そういう自分たちも大概なものだが……。
けれども、アリシアは何の動きも見せない。
聞こえてないはずはないのだろうが、何やら思案にくれた表情をしている。
見かねたのか蘭世が、アリシアに問いかける。
「あの、来客のようですが、応対はしないのですか、アリシアさん……?」
「あら、そうであるのならば、ランゼさま、あなたが出ればよろしいではありませんか」
「……そうだな、気になるならキミが応対すればいいと思う」
俺もアリシアに同意する旨の発言。
蘭世はいぶかしげな顔をするが──。やがてため息をつき、出入り口の扉の前に立った。
「はい、どちらさまでしょう」
「開けてもらいたい。何分強力な 【魔族の反応】 を感じる。キミが何者か分からないが、これは命令である。早く扉を開けて欲しい」
「……は、はい」
蘭世が扉を開けると。
あっという間に。
剣呑な顔つきで、騎士風の男二人が俺たちの前に位置取りした。
そして、アリシアを見やると自らに何か呪文のようなもの、(実際呪文なのだろう)を唱えたようだ。
何を言っているのか、聞き取れなかった。
何かしらの効果があったのだろう。
なぜかというと、騎士風の男二人に、ほのかに青い光が降り注いだからである。
帯剣していた騎士風の二人が抜刀し、アリシアに距離をとり対峙する。
「あらま、ふっふっふーーーん♪」
アリシアはそれはもう嬉しそうに、騎士風の男二人に向き合った。
騎士風の男二人は、俺と蘭世を改めてまじまじと見るとハッとしたような顔を見せ、そして、あらためてアリシアに敵意を向けるのが分かった。
「どういうことだ、魔族軍の大幹部アリシア=ラ・セルダがどうして、勇者さま二人に接触しているのだ」
そう一人の騎士風の男がアリシアに問うと。
アリシアはとてもうっすらと酷薄な笑みを浮かべ、返答する。
「それはもう、あなたさま方『西方連合軍』への嫌がらせに決まっているではないですか。
実際、二人の勇者さまのうち、一人は籠絡に成功いたしておりましてよ」
「なっ、なんだと?!」
騎士風の男の片割れが深刻な顔でそう言い、俺を見やる。蘭世も驚いた顔で俺を見つめていた。
「そのようですね、アドラー。目の前の少年はかなり強力なチャーム【魅了の属性異常】にとらわれていますね」
「シュヴァルベ、おまえの解呪は有効か?」
「いえ、残念ながら、これほどまでに深刻なレベルまでかかっていると、この魔女を殺すくらいしないと解呪は難しいかと……」
「……なら、殺すまでのこと。この魔女を討つ!」
そう言うと、アドラー、シュヴァルベと言う名前の人たちは、アリシアへの攻撃を企てようとし、にじり寄る。
俺はなんとなく、アリシアを守ろうという立ち位置に移動した。そうしなければならない、というような考えが、本当にごく自然に【心に】浮かんだからだ。
それには騎士風の男たち二人も毒気を抜かれたようだ。
「アドラー……」
「ああ、わかっている、シュヴァルベ。その少年は、魔女をかばおうとしている」
「悪鬼だな、この魔女め……」
「同意」
緊迫感が漂う中、アリシアのいる位置から魔方陣が組み立てられ、発光してくるのがみえた。
「さあ、行きますわよ、サトルさま。
この魔方陣の中にお入りくださいませ。
脱出させていただきますわ♪」
そう言うとアリシアは、その魔方陣の範囲内に自らと俺を誘導する。
俺はぼーっとされるがまま。
命じられるままにアリシアに身を委ねた。
それをよしとして、アリシアは自らの顔に俺の顔を引き寄せる。
そのとき、蘭世と俺は目が合った。
ずきんと俺の心が痛んだ。
「ごきげんよう、西方連合軍の騎士さま方、そしてお間抜けな勇者、ランゼさま。
あなたのボーイフレンドはこのあたくしが寝取らせていただきますわ♪」
そう言うと、アリシアはパチンと指を鳴らした。
結果。
俺とアリシアはその場から転移する。
転移する瞬間、蘭世がひどく泣きじゃくる一歩手前の顔をしているのを、俺はそのとき、視認した。
激しく、胸が痛くなった。
引き裂かれるかのように。
俺は先ほどまでのアリシアへの想いが偽りであるとそう自覚した──。
もう少し早く、チャームとやらにレジストできていたら良かったのに、と思いながら。
【チャームは解呪された】。
けれど、それは、もう、遅かったのだ。
◆ ◆ ◆
「「お帰りなさいませ、アリシアさま」」
転移した先には、メイド服を着たお嬢さん二人が待ち構えていた。
「うん、ただいま」
快活にアリシアが返答する。
「ささっ、この邸宅で今日からあたくしとあなたの愛の物語が始まるのですわ。うふふっ」
なぜか絶好調で暴走しているアリシアを俺はうろんな目つきでみやる。
「こちらがアリシアさまが仰られていた西方連合軍の希望、勇者の一人サトルさまですね」
「うん、私のシモベになっちゃったけどね」
「深淵たる秘術【グレイト・テンプテーション】をかけられたのですね」
「その通り。今夜はお楽しみよ♪ じっくりかわいがってあげる。
添い寝してもらったり、腕枕してもらったり、色々楽しむわよ!
むふーっ。
とりあえず、サトルさま、わんっ、と鳴いてくださる?」
「断る」
「「!?」」
その言葉に、アリシア及び二人のメイドさん(だと思う)は呆気にとられた間抜けな顔をさらす。
「今、あたくしの命令に背きました? サトルさま」
「命令? わんって鳴け ていう戯言? なんでそんなのに従わなきゃいけないんだ?」
「「……」」
アリシアとメイドさん二人は気まずそうにお互いを見合っている。
やがて、アリシアが気を取り直したようで、俺の顔をじっと見つめその瞳を光らせる。
何事かをつぶやきながら。
「これでよしっ、ですわ」
咳払いをして気を取り直したアリシア。
そして──。
「サトルさま? あたくしの靴を舐めてくださるかしら」
「断る。俺にそんな趣味はないな。至ってノーマルなので」
「「……」」
今度こそ本当に、アリシアとメイドさんたちは硬直した。
「とりあえず、俺は眠い。寝床を提供してもらっていいかな?」
そう主張すると、ようやく三人の硬直が解けたようだ。
「あたくしの秘術にレジスト(抵抗・無効化)した? 第七位高位魔法【グレイト・テンプテーション】をレジストできる存在がこの世界にいるわけが、ない、はずなのだけれども……」
「よくわからんが、眠いのです。寝させてください」
「は、はい。わかりましたわ」
呆けていたようなアリシアだったが、気を取り直したようだ。
「ユイ」
「は、はいっ、アリシアさま」
「サトルさまを特別応対室まで案内してあげて」
「かっ、かしこまりました」
ユイと呼ばれたメイドさんの一人に、俺は案内されて、寝室とおぼしき部屋に案内された。
やたら広い部屋に天蓋つきのベッドが一つ用意されていた。
「こんないいところに寝させてもらっていいのかな」
「はい。アリシアさまの指示通りです。問題ありません」
「ありがとうございます」
それではおやすみなさいませ、とユイさんが俺に語りかけたかかけないかのタイミングで、俺はあっという間に眠りに落ちた。
泥のように、深い眠りに、入った。