プロローグ 2
◆ ◆ ◆
俺と蘭世はとぼとぼと山道を歩いていた。
傾斜があったので、おそらく麓の部分と思われる方向へ、道をたどっていく。
現実を認めるのが怖い。
ここは俺たちの知っている世界ではない。
少なくとも俺たちがさっきまでいた日本ではない。
俺は何度見直したのか分からないが、空を見上げた。
どう見ても、月が二つある。
日本ではないな、これは。
というか、地球ですらなかった!
ぐーっとおなかが鳴る音がした。
ちなみに発生源は俺のおなかだった。
耳ざとく、蘭世がそれを聞きつけたのか。
「暁君、私もおなかが空きました」
そんなことを言ってきた。スマートフォンをみやる。
電波が届いていない。
圏外表示である。
この事実だけで気が滅入る。
さっきは午後七時だったのが、今は午後十時を超えたあたり。
三時間は歩いたことになる。
「とにかく、人里に出ないとな」
「人前に出て、いいのかな」
「……?」
俺は首をかしげ、蘭世を見やる。
「ここがどこか別の世界だとして、言葉が通じるか分からないし。
お金も持ってない。
ねえ暁君、そうでしょ?
ここは私たちのいた世界じゃない。
月が二つある世界だよ。
人がいたとして、なんて尋ねればいい?
ここはどこですか? って?
そういうキミらは誰だって聞き返されたらなんて答えればいいの?
……ああ、もうっ、嫌!
どうしてこんなことになったの!!」
そう言うやいなや、あうーとかなんとか奇声を上げだし頭をかき乱す蘭世さん。
彼女がそうやってパニクっているせいで、かえって俺は混乱状態から立ち直った。
人の振り見て我が振り直せ、というか、連れがこうだと俺の方でしっかりしないと、と言う義務感が生じたからである。
俺がしっかりしないと……。
俺は静かに蘭世を抱き寄せた。
蘭世もそれでどうにか気を取り直したのか、抱き寄せられるままにしている。
不安がないと言えば嘘になる。
けれど、守らないとなと思い直した。
この暖かい存在を、守り抜かないとな。
なんの言葉をかけるでもないが、ただただそうしていた。
俺の思いが伝わったのかどうなのか。
蘭世もぎゅっと俺を抱きしめた。
しばらくして。
俺たちは再び歩き出した。
◆ ◆ ◆
そのロッジ(※山小屋)にたどり着いたのはそれからしばらく経ってのことだ。
かぼそい明かりを確認し、ゆっくりとだが着実に歩みを進めてここまでたどり着いたのである。
異文化との最初のコンタクトである。そのロッジの入り口で俺と蘭世は深呼吸をした。
ごくり。
ややあって、俺はノッカーを数度打ち叩いた。
「ごめんくださーい。ごめんくださーい」
数十秒後。
出てきたのは、フードをかぶった女性であった。これから外出するかのように分厚いコートを羽織っていた。
いぶかしそうに、俺と蘭世に視線を投げる女性。
幾分視線が鋭い。
若干ひるんだ俺だったが、それでも前もって考えていた口上を投げかけた。
「こんばんは。夜分恐れ入ります。一晩寝る場所と食事を提供してもらえませんでしょうか。
あいにくと持ち合わせがないもので、家のお手伝いなどできることなら労働でお返しいたしますので……」
日本語が通じるか分からないが、とりあえず、そう言って相手の反応を伺う。
やや間を開けて、やおらその女性はにっこりすると、こう言った。
「あらあらあらあら、探す手間が省けたわ。ようこそ勇者さま。
どうぞおはいりになってくださいませ」
……。
……。
……。
俺と蘭世はたっぷりと、思考がフリーズした。
お互いの顔を見やる。
ぐーーぅとどちらかのおなかが鳴った。
たぶん、両方だ。
覚悟を決めて、俺はロッジの中に足を向けた。
蘭世も慌てて俺にしたがった。
◆ ◆ ◆
ロッジ内部は質素だが、キッチンやトイレ、寝床も準備されている、快適そうなところだった。
暖炉の前の床に腰をかける俺と蘭世に向き合う形で、女性が腰を下ろした。
コートは脱いで、フードも外していた。
俺は息をのんでいた。
目の前には金髪碧眼のロリ娘がいた。
赤いリボンで髪を左右に結わえている。
俗に言うツインテールである。
さらさらブロンドが、怪しく暖炉の火の色彩を帯びて、輝いている。
俺はそのロリ娘を凝視していた。
ものすごい美少女がそこにいるものだから、これはもう男なら仕方がない。
……なんとなく、蘭世の視線が鋭さを帯びているようなのは、気のせいだと、思いたい。
「さて、何から伝えればよろしいのでしょうかね。勇者さま方」
そうロリ娘は切り出した。
「えっと、俺は織田暁と言います。十六歳です。
よろしくお願いします。それで、こっちは……」
蘭世に目配せすると、気を取り直したのか、ロリ娘に自己紹介をはじめた。
「私は五十嵐蘭世と言います。同じく十六歳です。
ちなみにこのへっぽこの連れ、暁君のガールフレンドです」
そう言うと、わざとらしくロリ娘に見せつけるように俺の腕を引き寄せた。
な、何か張り合ってないか、蘭世さん?
とたんロリ娘と蘭世との間に火花が発生したかのように、お互いの視線がぶつかり合った。
なんとはなしに、居心地の悪さを感じた。
ごほんっ、やや芝居がかかった咳払いをして、俺はロリ娘に話しかける。
「えっと、キミの名は?」
「あら、申し遅れました。あたくし、アリシア=ラ・セルダと申します。よろしくお願いしますわね、勇者さま方」
そう言って立ち上がると、にっこりとカーテシー(スカートの裾を持ち上げる挨拶)をした。
漆黒のドレスを身にまとっているそのアリシアに俺は息をのんだ。
俺はどぎまぎして彼女をみやる。
ちなみに、彼女の胸はそれなりにある。
蘭世と見比べて遜色ない。
というか若干蘭世よりも発育が良さそうで、とても目の保養になる。
ほっこりして、俺も立ち上がり、丁重にお辞儀をした。
蘭世はなぜか知らないが若干むすっとした声音で、よろしくです、とアリシアに挨拶をした。
俺は先ほどからの疑問を口にする。
「あの……アリシアさん」
「はい、なんでしょう」
「俺と蘭世のことを勇者、と呼んでおりましたが、それは本当のことなのでしょうか。もし本当なら、それはどちらが勇者、なのでしょうか」
「それは、両方ですわ」
「両方? 俺も蘭世も、どちらも勇者と言うことですか?」
「はい、そうです♪」
にっこりと微笑むアリシア。
どう返せばいいのか分からないといった蘭世。
何か言葉を返そうとした俺だが、その前に腹が鳴る。
ぐーー。
赤面する俺に、アリシアは笑って言う。
「とりあえず、お食事の準備をしますわね」
「「ありがとうございます」」
俺と蘭世は揃って礼を言う。
「いえいえ。あら、ときにサトルさま。あなた様のお顔を、間近で少しよく見せてもらえますか? どことなく生き別れた弟に似ているような気がするもので……」
そう言うと、じっと俺の顔を至近距離で見つめるアリシア。
ち、近い。
何事かアリシアの唇が動く。
俺は彼女をじっと見つめていた。
?
かすかに彼女の瞳が光ったような、そんな気がする。
そんなわけ、ないか。
……。
「ふふっ、ずっとあなた様を独占していたいわ」
にっこりとそう言われた。その瞳はとても魅力的で。
「ちょっとちょっと、いつまで見つめ合ってるのかな? アリシアさん、人のものに手を出すのはやめてもらえます?」
ジト目で蘭世が俺とアリシアとを引き離す。
綺麗だ。
アリシア。
本当に、
キレイダ。
そのときの俺は、それが本当にそうだと。
彼女が素敵だからだと、そう思っていたのだが。
それは、違っていたのだ。
俺は魅了されていた。
そう。チャーム状態に、陥っていた。
「暁君もいい加減にしないと怒るよ?! ……? 暁君?」
蘭世が俺をじっと見て、首をかしげる。
数十分後、アリシアは俺たちに食事をふるってくれた。
その際、手伝いを申し出た俺たちだったが、手がかじかんでるお方は温めるのがお仕事です、というようなことをいわれ、その言葉に甘えたのだった。
暖炉の前に腰掛け、炎を見つめている際も、浮かぶのはなぜかアリシアのことだけだった。
その横顔を、不安げに蘭世は見つめていた……。