第8章
ロベルトの唇の感触が忘れられなくて、
私は泣き腫らしていろいろ頑張ったけど浮腫んだ目はどうにもならなかった。
「ロベルト、私が首都に戻ったらロベルトは南に行くのですか?」
「ああ。行くよ。たとえどんな結末が待っていようとも、な」
「そうなのですね……」
列車はあっという間に首都に到着する。たくさん話したいことがあった。けれど話すことができなかった。
懐かしい首都。懐かしい神殿。
ロベルトは神殿の前で去ろうとした。
「プリシラ、じゃ」
「待って、ロベルト」
私はロベルトを抱きしめた。
「おお……」
「ね、キスしてください。お願い」
「ふふ」
ロベルトは私に優しくキスをした。
「兄には会っていかないのですか?」
「うん。急ぐから」
「ロベルト、ご無事でいてくださいね」
「わかった。プリシラも、元気で」
「はい」
そうして私たちは別れた。
神殿に入ると、お馴染みの巫女たちが私を迎え入れた。
「まぁプリシラさま!お帰りなさい。小さなユリア様のお姿が見えなくて、とても寂しかったです!」
「本当ですわ!そのお美しいお姿、また拝見できて嬉しゅうございます」
「そんなことはいいの。お兄さまが病気だと聞いて帰ってきました。お兄さまに会わせてください」私は言った。
私はお兄さまの部屋に行った。
「プリシラ」
「お兄さま、病気なのですか?」
「ごめんなさい。プリシラが立つずっと前からわかっていました。ですが公にしなかった……でも覚悟ができましたよ。もう長くないでしょう。といっても、1年くらいは図太く生きるつもりですけどね」
「そんなこと言わないで、お兄さま」
「私亡き後、司祭がいなくなる。それで……」
「それなら私が後継者になります。女も司祭になれます」
「いいえ……プリシラはそんなことを考えなくても良いのですよ」
「私が司祭になります。ぜったいに、ぜったいに。首都のもうひとつの神殿で修行をします。ここにいたら、みんな私を甘やかすから」
「……止めても無駄なことは知ってるよ。行っておいで」
私は首都のもう1つの神殿に行くことにした。
「(ロベルト、どうか無事でいて。私は私のやるべきことをやります)」
もう1つの神殿に行き、巫女たちに迎えられた。お昼までいろいろな説明を聞いた。巫女長さまの姿は見えない。
お昼過ぎになり、巫女長のおばあさんが降りてきた。私は緊張しつつも、丁寧にお辞儀をした。
「こんにちは、私はプリシラです。ここで勉強させていただきます」
すると巫女長はとても怒った様子で言った。
「はぁ?!こんにちは?!失礼だろが。私はそこらの婆さんと同じか?世も末だな」
私はぽかんとして、そのあとぐるぐる考えた。私はこのおばあさんを罵倒したわけでも、汚い言葉で罵ったわけでもない。ただ目の前の人にこんにちはと言っただけだ。それなのにどうしてこんな風に怒られるんだろう……
巫女長はまた上にあがり、私は、今朝説明をしてくれた巫女さんに尋ねた。
「あの……お昼にこんにちは、はおかしいのですか?」
「はぁ?何言ってるの?常識でしょ?こんにちはと言う言葉は目上の人には失礼なのよ」
ここには、私の味方をしてくれる人は居なさそうだった。
次の日から、私は神殿の巫女の仕事をこなすことになった。朝は4時に起きて集会と祈りをして経典を読み、昼からは神殿で作っているお守りの作成や、庭で野菜を作ったりする。
お守りのブレスレットを作っている時に、巫女長が降りてきた。
私は言った。
「巫女長さま、お疲れ様です」
すると巫女長は答えた。
「あんた何?疲れてんの?私のせいか?!」巫女長の意味不明な主張に、私はいちいち心を乱される。
「くすくす」
笑い声が聞こえる。ほかの巫女たちだろうか。
気づいたら私は、巫女たちに対しても、巫女長に対しても、恐怖を感じるようになっていた。
巫女長を前にすると私は、動悸がして恐怖でたまらなくなる。
あるとき、巫女長に呼び出されて、意味のわからない説教を受けた。
「これだから非常識な温室育ちは。ここでは特別扱いしないからな!お前なんか司祭になれるものか。死んだ方がましだね!」
私は恐怖と苦しみで悩まされたが、勉強のためと経典の勉強が一周する半年後まで我慢した。
半年後私は逃げるように実家の神殿に帰った。
「プリシラ……ケホッ、勉強になりましたか?」
「お兄さま。私は逃げ帰りました。思い知らされました。この世界に地獄があることを」
「そうだね……止めても行っただろうから……」
私はどうすればいいのだろう。やりたいことができたはずなのに、そのやりたいことは、私から逃げて行ってしまった。非常識な世間知らずだと言われ続けて、かなり落ち込んでいた。これから先、私にできることがあるのだろうか……
「よし。プリシラ。お使いを頼まれてくれるかな?」
「お使い、ですか?」
「そうだよ。南の街サウスティンに、ジークという男の人がいる。プリシラ、会ったことあるよね?」
「え?!ジークさん?会いました。素晴らしい奇跡の力を使う人です」
「そうだね。彼は今、サウスティンで、医療施設をお仲間と経営しているんだ。ユリア様のお導きで司祭に選ばれたから、と言って、首都まで連れて帰ってきてくれないか?」
「わかりました」
「プリシラの想い人はね、今南端の家にいるよ」
「え?」
「寄り道してきていいよ……ケホッ」
「お兄さま、必ず戻ってきますから、待っていてください」
「うん。私は大丈夫」
というわけで、今度は1人で旅に出ることになった。舟に乗って河を渡って。
side ロベルト
埃の被ったベッドに横たわり、何度目かの眠りについた。死人のように眠った。
何日もかけて、探し回り、やっとの思いで見つけた南端の家は廃墟といっても過言でなかった。
勝手に寝泊まりしているこの家は、身の毛のよだつような遺品だらけだが、しかし優しいフローラがそのまま住んでいるような気配が感じられる。
フローラが1人で住んでいた間、沢山の手紙や(住所も書かれておらず書くだけで満足していたと思われる)おびただしい字で書かれた沢山の詩が、紙の束のなって散らかっている。手紙の相手は、自分だった。
俺は一生かけても読めないであろうこの紙の束をすべて読むと決めた。
フローラには奇跡の力で未来がわかっていた。
手術は成功に見せかけて失敗しており、自分は若くで死ぬこと。
俺はまだ読んでいない手紙を開けた。
書き出しはこうだった。
“あなたが私を花の精だといって
曲を作ってくれたから
私は本物の花の精みたいね“
フローラはわかっていた。両親も俺も悲しんで、俺は自暴自棄になって壊れてしまうことも。だから視える未来を違う結果にするためにひとりでイースティンを出た……等読んだ。
目を覚ますと、俺は泣いていた。
馬鹿らしい。
散歩にでも行くことにした。
南端の秋の海。そこは寒寒としていている。
そこに、あるはずのない人影が見える。
紺色のコートを着た女の子……
その女の子は振り返った。
「プリシラ……」
俺は歩みを進める。
「ロベルト、会いたかった」
俺たちは抱擁した。何分でも、何10分でも。それくらいに感じた。
「プリシラ……」
「ロベルト、フローラさんのことはどうなったの?」
「もういい、もういいんだよ、プリシラ」
俺はプリシラを抱き返した。
「ロベルト、私1人でここまでこれました。凄いでしょう」
「そうだね。偉いぞ」
「あ、あとサウスティンに行って、シーソルトチョコレートラテ飲んでみたい!じゃなかった。ジークがサウスティンで施設を開いてね、司祭にするからってお兄さまが、それでね、寄り道していいからってね」
「ふふ」なんだかわからないけど俺は笑って、プリシラと手を繋いだ。
「じゃ、行こうか。シーソルトチョコレートラテ飲みに」
俺はプリシラとまた旅をすることになった。