第6章
私たちはおさじの森を進んだ。
おさじの森はうわさの通り、おさじの形をした葉っぱが生い茂る木々に覆われている。
美しい5月だと思う。黄色くちいさな花が咲いていたり、日差しが葉っぱの影を作っている。
「あっ!ロベルト!きれいな鳥がいます!」
「うん」
「ロベルト!このお花はなんというのですか?」
「ぱたぱたの花だよ」
「ぱたぱた?」
「嘘。知らない」
「えー!」
「ふふ」
「ロベルト、歩いて森を抜けるのですか?」
「ん。そんなに広い森じゃないから……ちょっと寄るとこあるから、来て?」
「わかりました!」
森の奥へと足を進めると、大きなお屋敷がひっそりと立っていた。
きれいな薔薇のお庭もあって、満開の薔薇が美しい。
お庭のテラスに子供たちと地味な服装をした30代くらいの女性とメイドの服装をしたおばあさんがいる。
「あ!お客さんきた!」女の子は言った。
「うふふ」隣でまた別の女の子が言った。2人の女の子はそっくりで、1人は髪をポニーテールに、もう1人はふたつくくりにしている。
お兄ちゃんだろうか?可愛らしい男の子が一人、静かに本を読んでいる。
子供たちを遊ばせている女性は私とロベルトに挨拶をした。
「お電話してくださったロベルトさんですね。こんにちは。私は家庭教師のジェーンです。こちらはメイドのメアリーさん」
「メアリーと申します。よろしくお願いします」メイドのメアリーさんは言った。
「ロベルトです。こちらはプリシラ」
「よろしくお願いします」
私はお辞儀をした。
「旦那さまと奥様のところへご案内いたします」メアリーさんは言った。
「おぼっちゃま、お嬢さまがた。そろそろ日が落ちますので子供部屋に行きましょうね」
とジェーンさん。
「はーい」
私たちは客間に通された。
「久しぶりだね、ロベルト。それにプリシラさん、はじめまして。僕はクリストファー・ガードナー。クリスと呼んでくれ」
「お久しぶりです、ガードナーさん」
ロベルトはお辞儀をした。
「はは。クリスでいいってば」
「こんにちは、クリスさん」私は言った。
「クリスさんには、若い頃お世話になった」
ロベルトは言った。
「そうなのですね」
「そして彼女が薔薇のプリンセスだ」
と、クリスは奥さんを見て言った。
「薔薇のプリンセス?オペラですか?」
私は尋ねた。
「わたくしはクリスの妻で、リリーと言います。結婚してからずっと作家をしています。オペラの台本も私が書いたのよ。薔薇のプリンセスはほぼ実話なの」
「えっ!素敵……!よろしくお願いいたします。ガードナー夫人」私は言った。
「例によってリリーと呼んでね」
「先日屋敷の薔薇祭りをしたところなんだよ。今年も主役はサーラとポージーに取られちゃったね」とクリスさん。
「サーラとポージーは双子で10歳。長男のアクセルは12歳ですわ」と、リリーさん。
「そうなのですね!」
私たちは夕餐の時間まで、薔薇のプリンセスの話に花を咲かせた。
夕餐の時間になった。
クリスが1番奥の、いわゆるお誕生日席に座り、客人のロベルトと私はその近くに座った。向かいには家庭教師のジェーンさん、クリスさんのちょうど向かいにリリーさん。そしてメアリーさんや給仕の人がそろった。
食前の葡萄酒とスープが運ばれる。
「それでは、いただこうか」
私たちは乾杯をした。
この家でも、食前のお祈りはしないようだ。
「前菜でございます」
給仕の人は言った。
前菜は、4種のオードブルで、とても美しく盛り付けられている。
「本日の前菜はおさじの木の実に見立ててあります」給仕の人は言った。
「思い出のおさじの実ですわ。10年以上前のこと、あなた様が私を抱っこして私は手を伸ばして……おさじの実を摘みました」リリーさんは言った。
「ああ、そうだね」クリスさんはそっけなくそう言ってジェーンさんに視線を移した。甘い甘い目で……
ジェーンさんは顔を赤らめた。
リリーさんはフォークを落としてしまい、自分で拾って咳払いをした。
メインの森のディッシュもデザートも美味しかったはずなのに、違和感でいっぱいになり、お料理にもお話にも集中できなかった。
その夜、家庭教師のジェーンさんと子供たちとの時間を過ごした。
ロベルトはピアノの部屋でヴァイオリンの練習をしている。
アクセルはまた本を読んでいる。
「こんにちは。あたしはお人形のルビー」
「あたしはお人形のサファイア」
双子のサーラとポージーはお人形に喋らせて言った。
「こんにちは、ルビーちゃん、サファイアちゃん。このお屋敷はとても良いところね」
私はお人形に話しかけた。
「でもね、このお屋敷には秘密があるのよ」
とポージーが言った。
「もう!言っちゃダメでしょ!ポージー」
と、サーラ。
「え?」私がふとジェーンさんのほうに目をやると、ジェーンさんはとてもきまりの悪そうな顔をしている。
「さあ、そろそろ寝る時間よ」ジェーンさんは言った。
わたしはもやもやして、
いてもたってもいられない。
コンコンコンコン
私はロベルトがいる部屋に行った。
ロベルトは扉を開けた。
「なに……?」と、ロベルト。
「ロベルト、話を聞いてほしいの」
「いいけど」
ロベルトは私を部屋に入れた。
「あの……ジェーンさんとご夫妻のことで」
「お??なに?」
「まさかとは思うのですが、クリスさんは奥さんのことはもう思ってなくて、ジェーンさんのことが気になるのかなって、思って。薔薇のプリンセスの物語ではあんなに愛し合ってたのに……そんなの、そんなのって、ないよ……って、思って」
「…………」ロベルトはしばらく黙っていた。感情が読み取れない。
「………あははっ」
ロベルトは手を目に当てて急に笑い出した。
「え……?」
「そうだな。まぁ、決めた人以外の女にキスしたいと思うことくらい、男にはあるよ」
「え?ロベルトどういうこと?」
「脱線したな。ま、明日の朝にはわかるよ」とロベルトは言った。
「そうですか。気にしなくても良いですか?」
「大丈夫だよ」ロベルトは柔らかく笑った。
私は部屋に戻った。
朝になり支度を済ませた。
今日、この屋敷を出発する。
私より早く皆が集まっていた。しかしなぜかジェーンさんとリリーさんの姿が見えない。
「さて、この屋敷には秘密があるんだが、プリシラわかったか?」ロベルトは言った。
「……言えません……」私は悲しい表情で言った。
「申し訳なかった。こんな方向に行くなんて」クリスは言った。
「あらぬ誤解を招いてしまったわね」
そこに登場したのは、リリーさんの服を着たジェーンさん?だった。
「楽しかったですわ。奥さま」と、ジェーンさんの服を着たリリーさん?
「私たちの勝ちね」ポージーは言った。
「絵本を買ってよね」とサーラ。
「まったく。大変なことになりましたね」
と、メアリーさんは言った。
ポカーンとしていた私に、ロベルトは言った。
「電話で聞いた時はどうなることかと思いましたよ。お嬢様方の提案でしたね」
「わたし、ジェーンさんと入れ替わっていたの」本物のリリーさんは言った。
「オペラの台本は私が書いたのですわ。家庭教師をしながら少しずつ執筆してね」
と本物のジェーンさんは言った。
「そうなのですね!」
「ええ。これを」ジェーンさんは小説を私に手渡した。タイトルはもちろん『薔薇のプリンセス』だ。
「これ……」
「貰ってください。お騒がせしました」
ジェーンさんは言った。
「ありがとうございます」
「よかったじゃん」
と、ロベルト。
「ロベルト、馬車の準備はできているよ」
とクリスさんは言った。
「何から何まですみません」
「いやいや。うん。それじゃ、人探しもいいけど、人生を楽しむんだよ。ロベルト」
「ありがとうございます」
わたしたちはお屋敷からの馬車に乗った。
「ロベルト、馬車は初めてです!」
「うん」
「次はどこに着くのですか?ロベルト」
「古都、だな」
「神殿が元々あった街ですね。異国の影響が色濃く出ていて、ベネット聖国独自の文化を残すために神殿は首都に移ったとか」
「よくできました。勉強した?」
ぎく。
実はお屋敷にあった歴史の本を夜に読んだのだ。一夜漬けの知識はバレバレだ。
「やっぱり、おでこってじゃじゃ馬娘だな」
ロベルトはニヤリと笑った。
ロベルトはだんだんと、いろんな顔で笑うようになってきた気がする。私のおかげ?なんちゃって……
馬車の一定のリズムが心地よい。
私は貰った小説を読むことにした。