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ペリドットの約束  作者: 冬咲しをり
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第3章

お尻が痛い。何時間も列車に乗るとこうなるんだ……


イースティンの駅舎はピンクブラウンのレンガで造られていて、わたしにとってはその色がとても不思議に思えた。


駅舎を出ると、乾いた風が吹き、わたしの長くウェーブのかかった髪を揺らした。


同じ4月でも寒々としている首都と打って変わって、眩しい日差しに、頭がくらくらする。


「暑い……」


わたしはガウンを脱いだ。


ロベルトはなぜか、ガウンの帽子を深く被っていた。なんだか怪しい人みたいな風貌だ。


「ロベルト、なぜ顔を隠すのですか?」


「ちょっとな」


街並みは桃色の花のついた木の並木道に彩られ、とても愛らしく思える。


「綺麗な並木道ですね」


「チェリーの花の木だ。4月に一斉に咲く」


「へええ」


「国が民主主義に変わった記念として、外国から植樹して道を作ったんだ」


「……………………………ほえ」


「なにその返答」


列車で眠ったけれど、なんだかロベルトと話していても、現実味がない。


ふわふわと身体の軸が定まらない。


なんだかお尻だけでなく身体のあちこちが痛く、熱があるときの痛み方がする……


でも足手まといにはなりたくない。

頑張ってついていかなきゃ。


ロベルトの表情も

ガウンの下でよくわからない。


「食事にする?」


「はい、そうしましょう」


わたしたちはえんじ色の布の屋根に、テラスの席があるカフェに入った。


「カフェは初めて?」


「………………」





「おでこ?どうした」


「あっ、ごめんなさい、えっと初めてです」



本来ならもっとわたしは喜んではしゃぐだろう。せっかく連れてきてもらったのに申し訳ない。


すると急にロベルトがわたしの両頬を手のひらで触った。ひんやりと冷たい。


なんだかその手の添え方が優しくて、ちょっとドキドキしてしまった。


「んー。熱あるな」


「ロベルト、せっかくの旅なのにごめんなさい」


「ん。ここを出たらすぐに宿行くから。

食欲あるか?」


「あんまり……」


「ん」


ロベルトはメニューを閉じて、ウェイターさんに目配せをした。


ガウンの帽子をかぶったロベルトに、ウェイターさんは不審な目を向けたが、こちらにやってきた。


「炭酸抜きの水を常温で」

ロベルトは言った。わたしは驚いたけれど、でもウェイターさんは驚いていないみたいだ。


「あとコーヒーを1杯。クリームと砂糖抜きで」これにはウェイターさんは、はぁ?という顔で反応した。


わたしはコーヒーというものが何か知らなかった。でもウェイターさんの反応をみると、クリームと砂糖が普通入っているものなのかな、と思った。


「かしこまりました」

ウェイターさんはそう言っていぶかしげにロベルトの方を流し目で見て厨房へと向かった。


「ロベルト。水などという高級品、

良いのですか?」


「お前お嬢様だろ。


……ここでは水が安くて、味も良い。


水はよく飲まれてるけど、調子が悪い時は特に水を飲むんだ。


薬でも奇跡の力でもないけど、

元気出るから」


わたしが首を傾げていると、

水と、コーヒーという黒い飲み物がやってきた。



「ロベルト、スプーンがありません」

私は、水というものはスプーンで掬って飲むものだと思っていた。


「ここではグラスに口をつけて飲むんだよ。最初は抵抗あるだろうけど」


「わかりました」


わたしはグラスに口をつけた。



「どう?」


「すごく、甘くておいしいです。わたしの知ってる水と違う……!」


「よかった」


「そのコーヒーというものは美味しいですか?」


「美味しいけど、また今度な」


「えー」


私たちは水とコーヒーを楽しんでカフェを出た。


「そこそこの宿だけど、いいよな」


「はい、大丈夫です」


「広場通るから、スリと変なやつには気をつけろよ」


「スリとは何ですか?」


ロベルトはまた少し恥ずかしそうな顔をした。






なんだか美味しい水を飲んだおかげで、体調が良くなってきた。


広場を横切るときに、像が立っていて、わたしは急に気になって、その像の前で立ち止まってしまった。


観光地のようで、人だかりができている。


タイトルを見ると《女神ユリア像》と書いてあった。


わたしは小さい時からユリア様の生き写しだと言われてきた。


でもその像は、私と全然似ていなくて、まっすぐの髪に、官能的な厚い唇が印象的だった。


その時、わたしの中の時間は完全に止まっていた。




すると背の高い男の人が私に声をかけた。


「お嬢さん、ちょっと俺と良いことしない?」


「えっ、あ、あの……」


気づけばロベルトがいない。はぐれてしまった。


「ねぇ、楽しいことしようよ」

そう言って男の人は私の手を掴んだ。


「やっ……」


今にも連れて行かれそうになった時……


「すまない」

ロベルトがやってきて、わたしのドレスのくびれと腰のプリーツのさかい目のところに手をかけた。わたしは男の人にそんなところをさわられるのが初めてで、ドキドキして声をあげそうになった。けれど我慢した。


「チッ。なんだよ」

そう言って男の人は、ロベルトの肩に体当たりをしながら行ってしまった。


ロベルトのガウンの帽子がふわっと落ちる。


「ロベルト、忠告してくださったのにごめんなさい」


「いいよ。手繋ぐ?」

 

「え、あっ、はい」

え、ててて手?恋人みたい!


「司祭様にお守り頼まれてるからな、さ、いくぞ、おでこ」


わたしは少し気落ちをした。なんだ、子供としか思ってないのかぁ。



と思っていると、


「あなた、もしかして、

あの伝説のヴァイオリニストの、

ロベルト・ランバート?」

と、40歳くらいの女の人が急に興奮気味にロベルトに声をかけた。


「あー……」


「ロベルト?どういうことですか?」

そう言ったが最後、人だかりはロベルトの周りに集中していき、大変なことになった。


「キャーッ!ロベルトさまよ!」


「今まで一体どこにいらしたの?!」


人の渦は収拾がつかなくなり、

抜け出したのは小1時間後だった。



わたしはさっき、ロベルトに胸がときめいたことが恥ずかしくなってきた。



「……ロベルト、あなたはイースティンの有名人なのですか?」



「んー」

と、ガウンの帽子をまた深く被ったロベルト。


「だから帽子を被っていたのですね」


「俺を知る人がたまたまこの街に集まってるだけだ。おでこ。お前もだろ」


そういえばそうだった。首都ではわたしはお嬢様でユリア様の生き写しだけれど、この街ではわたしを知る人はいない。


「でも、ロベルトはすごく愛されているんですね」


「それはどうかな」


ロベルトはそう言ったけれど、私の心はもやもやとして、自分が美人で神聖で特別だとつけ上がっていたことに、いよいよ少しばかりのショックを覚えた。


「体調悪いのにすまなかった。

行こう」


「はい、ロベ……」


「ロベルトーーぉ!!!」

今度はまた別の女の人がやってきて……

ロベルトを抱きしめた……


「…………………スカーレット?」

ロベルトは驚いた顔でそう言った。


「ロベルト!どこに行ってたの?!

急に行方をくらませるから街中のゴシップのネタになってたわよ!あら?その女の子……」


「……」


「なに?!ロベルトはそういう男じゃないと思ってたわ!見損なった!あなた、何歳の子つれてるのよ!」


「……」


あぁ……この人はロベルトの元恋人か何かだろうか……わたしはもう達観して、さっきのドキドキのことも忘れて、嫉妬心も湧かなくて……なんだかちょっと頭がふわふわしてきた……


「ちょっと、大丈夫?!」


そのスカーレットという人が倒れかけたわたしを支えてくれている。わたしまだ熱あったみたい……気が遠くなっていく……


そのまま気を失ってしまった。





目が覚めると、角になった天井と丸く吊り下がったランプが見えた。


「ん……」


「あ、起きた?大丈夫?ちょっと待ってて?」


ロベルトをいきなり抱きしめた女の人だ。


スカーレット、だっけ?

赤くて長い髪に赤い目。名前の通りだな……


女の人はどこかへ行ってしまった。


見渡すとここは、どうやら屋根裏部屋のようだ。角になった天井の両端に窓がついており、そこから星と月が見える。


部屋をキョロキョロ見回す。


大きなピアノがあり、暖炉があり、その横には大きな本棚がある。


「お待たせ!これ飲んで?」


「あ、ありがとうございます……」


私は渡されたマグカップに入ったお湯を飲んだ。レモンの味がする。


「美味しい……」


「よかった。旅は初めてなのに大変だったね。あたしスカーレット。ロベルトとは音楽院の時に一緒だったの」


「そうなんですね。私はプリシラ。ありがとうございます」


「ロベルトはシモン酒場に情報収集に行ってるから。シモンはあたしの彼氏」


「そうなんですね」


「びっくりするよ。あたしのマスク(仮面)持っていっちゃうんだもん」


私はロベルトのマスク姿を想像した。見てみたいなぁ……


「ロベルトに聞いたよ。神殿の司祭様の妹さんなんだね」


「あ……はい」


ロベルトがわたしの身分を明かしたということは……やっぱり信用できる人なのかな。


「あたしちゃんとユリアさま信仰してるよ。ほら、ベッドのところに聖典もあるでしょ?」


「あ、ほんとだ……」見慣れた聖典がベットに読み置いてあり、なんだか安心する。


「ね、司祭の妹ってことは、スゴイ力とか、占いとかできるの?占って!」


「ごめんなさい……わたしには力がないんです」


「ふうん?そうなんだ」


わたしは息が詰まりそうで、息をすうっと吸った。


「大丈夫?ここ寒い?」


「大丈夫です」


「春でも夜は冷えるんだ。屋根裏だし余計に。家賃が安くってさ。まぁ、好きなことして生きてるからいいんだけど」


「スカーレットもやはり楽器を弾くのですか?」


「うんっ。あたし、ピアニスト。今はほとんど伴奏したり教えたりしてるけど」


「そうなんですね……」


私には、何もない。これまでの自信は何だったのだろう。私にはやりたいことがない。もしこの旅が終わってしまったら、どうなるんだろう。


「どうしたの?」


「あ、あの。私は何にもできないんだなって。やりたいこともないし」


「みんながみんな、やりたいことあるわけじゃないじゃん。それに、広い世界を見ることができてるでしょ?」


「そうですよね。これもロベルトのおかげです」


そうしてそのあと、スカーレットはこの街についていろいろ教えてくれた。


楽しくおしゃべりをした。


「プリシラ、ベッドで寝なよ。あたし下で寝るよ」スカーレットは替えのシーツを床に敷いて、毛布を被った。


「すみません……」私はベッドに横になった。


月の位置が変わっているのがわかる。空を観察するのにとてもいい部屋だと思う。


そんなことを考えていると、また眠りに落ちてしまった。


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