黒山詩穂の依頼
『No.9 ずっと愛することは出来ても、ずっと好きでいることは出来ない。1人をずっと思い続けるには人の数が多過ぎる』
大人になった青年の目は虚になっていた。日々に楽しさを感じない。きっと、そんな日々のことを人は「セピア色」と比喩するのだろう。
だが、青年の日々に「絶望しかなかった」と言えば嘘になる。彼の中にも僅かだが光がある。あの彼女ではなく、同じ会社で働く部署が違う女性の姿が青年の目には輝いて見えていた。
だが、それも永遠には続かない。その女性を知れば知るほど「好意」という明らかな感情が薄まっていく。
そんな日々の映像が流れた後、プツッと途切れて場面が変わる。やけに暗く感じる場所、照明が少ないのか青年の見えている世界が明るくないからなのかは第三者である零にはわからない。ただ、何処かの建物内であることに間違いはなかった。
「恋愛は……出来そうですかね?」
怪しい男が青年の横に立って問う。青年の虚な目が少し細くなった。
「出来そうに無いかな。俺は多分、そこまで愛される魅力が無いんだと思う……」
「あくまでも非は自分にある、とね。僕はそう思いませんが、それでも人には巡り合わせというものがありますからね」
「……俺にはその、巡り合わせが無いんだろうか」
「そうかもしれませんね。こればっかりは運命的なものですからね。───ただね」
怪しい男が感情の揺れを感じさせない声で語る。それはあまりにも残酷で、そして常人には為し得ない恋の完成形。
「言葉ではどれだけ偽りの愛を語れても、相手がいなくなった時には本物がでますね。愛していたのであれば悔い、そうでないなら複雑な顔をするだけですね。あなたはどうするんでしょうかね」
怪しい男はそう言ってこの場を去った。
青年は「何を言われたのか」を正しく認識していた。今の青年に揺れる要素はない。生に縋るだけの魅力を現実に感じない。迷うだけの……迷えるだけの理由が彼には無かった。
その瞬間、青年の運命が定まった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
意識が現実に戻る。珍しいことではないが、愛に渇望した青年の姿を見た零はひどく心を痛めていた。
顔を上げた零を見て長瀬が問う。
「どうだったかな、鷺森君? 遺書に残された彼の真意について」
「……文面からでも伝わるように、彼には色んな責任がのしかかっていたようですね。だから愛に渇望した」
「成る程、彼にとっては恋人が心の支えだったというわけか……ん? でも関係が続いている以上、決意する理由がわからないけど」
「関係は続いていても、互いに愛を感じ合えているかは別の問題……のようですね」
「ふむ、中々に複雑なんだね……」
「それより、教唆になるかどうかは微妙なところですが今回の案件にはもう1人、登場人物がいます」
「えっ!?」
長瀬はまさに「鳩が豆鉄砲を食ったよう」な表情をしていた。それ程までに他の誰かが関わっている可能性はあり得ないと思っていたようだ。
しかし、その人物を明確にするには情報が足りなさ過ぎる。
「容姿についてはあまりわかりませんでしたが、男であるのと『恋愛』を司る者……ということだけはわかりました」
「うーん……。それだけだと確かにわからないな。一度持ち帰って情報を集めてみるよ」
「わかりました」
これにて仕事は終了。零と長瀬はほぼ同時に立ち上がった。
「……何だか息があってきたね」
「それなりに長い付き合いですからね。長瀬さんも忙しいでしょうから、グダグダするわけにもいきません」
「鷺森君はまだ16歳なのにキビキビしてるね。そういうところは大事にした方がいい。オッサンからのワンポイントアドバイスだ」
「はぁ……」
零は反応に困ってそんな返事しか出来なかった。
「いや、今回も本当に助かったよ。またよろしく頼む!」
「わかりました」
お互いに挨拶をしてこの場を去ろうとするが、未だに詩穂が立ち上がらない。
「……黒山さん?」
「えっ? ああ、ごめんなさい」
詩穂が慌てて立ち上がる。2人揃って長瀬を見送り、2人は取り敢えず荷物が置いてある教室へ向かって歩き出した。
何も話すことなく詩穂は正面少し下を見つめながら歩いている。心ここに在らず、という感じである。
「黒山さん、どうかしたのかな?」
「あ、いえ。何も……」
「そっか。……何だか僕はすっきりしていないけどね」
「え?」
「何かこう、見落としをしているような気がするんだ。全てを視ることが出来ていないような……」
「そう……」
そこから会話は続かない。零と詩穂はそれぞれ別に考え事をしていたようだ。並んで歩く2人が側から見れば「仲良い男女」に見えることすら気付くこともなく。
やがて6組の近くに着く。流石に詩穂も通り過ぎるようなことはせず、その場でピタリと止まった。
「鷺森君」
「うん?」
そのまま去ろうとした零を詩穂は呼び止めた。彼女の顔はかなり深刻そうな表情をしていた。
「改めて、今回はありがとう。そして私からもお願いしたいことがあります」
「えっと、どうしたのかな? そんなに改まって……」
零は自分の発言が詩穂の真剣さに冷やかしを入れている自覚があった。それでもそうすることでしか、この場で自分を保つことが出来なかったのだ。
詩穂はそれを気にすることなく言葉を続ける。
「今日、鷺森君が読み取った残留思念の登場人物……『恋愛』の恋悟を探す手伝いをして欲しい」
「れんご……? え?」
当然もたらされた情報に零はついていけなかった。詩穂が何を言っているのか理解出来ていない。
「ちょっと待って欲しい! 黒山さん、君が何を言っているのかわからない……というか、その口ぶりだと『恋愛』を司る者を知っているってこと?」
「ええ、その通り。私は彼を追っていて、その為に鷺森君の力が必要なの」
「う、うーん……。僕に出来ることなら手伝うけど、何をすればいいのかな?」
「今回お亡くなりになられた彼の足跡を追いましょう。きっとその先に恋悟がいるはず……!」
「足跡……か。わかったよ」
「連絡先を交換しておきましょう。その時になったら連絡するから、協力よろしく」
「うん」
零と詩穂はその場で連絡先を交換し合った。意外にも零はクラスメイトの女子ともまだ交換したことはなく、入学して以来、女子と連絡先を交換したのは初めてだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
翌日の昼、零はいつも通りに潤と教室で昼食を食べていた。
屋上は誰もが夢見る場所ではあるが、この学校においても危険防止の為に行けなくなっている。それぞれ自分達が昼食を食べるのに適した場所を探し、そこを憩いの場としている。
そういった意味では零と潤の2人はまだそういった場所を見つけていない。そもそも1年生は行動範囲が暗黙で決められているし、部活動をやっている生徒は大体部室で食べているのが常だ。
ただし、この学校は生徒数が多いこともあって食堂がある。食堂経営はあまり好調とは言えないようだが、それでも教職員を含めて利用者はいる。食堂の存在はこの学校にかつて寮があったことの名残りともされている。
それでも零と潤は今のところ食堂で昼食を取るつもりはなかった。
「それで、どうだったんだ? 案件の方は」
「ん?」
零は潤に問われて答えようとするが、口の中にまだ食べ物がある。全てを飲み込んでから質問に対する答えを出した。
なんだかんだで潤もこの話には関心があるらしい。
「うーん、多分全ての遺書を読み取ったと思うけど……その中で『恋愛』のれんご? って人が出てきたんだ」
「───何?」
名前を聞いた途端に潤の手が止まり、目を細めた。それは潤も『恋愛』の恋悟について知っている反応だった。
「潤、その人のこと知ってるの?」
「ああ……。だが、お前の仕事はここまでなんだろ?」
「いやぁ、それがね。黒山さんはその人のことを追っているみたいで、手伝いをお願いされて、それを引き受けたからまだ続く……といったところかな」
「……零、そいつは危険だ。今からでも断った方がいい」
「え?」
潤は本気で零の身を案じているようだ。箸を置き、深刻な顔で語る。
「相手は《クリフォト》と並ぶ勢いで危険な奴等だ。これまで多くの能力者達が奴等を制圧しようとしたが、どれも上手くいかなかった」
「えっと《クリフォト》って確か……」
「ああ。色の能力者だった白河を先頭に女子高生5人を誘拐した事件を起こした奴らだ。……そういえば、黒山の父親が解決に導いた功労者だったが、娘であるあいつは今回の危険性を理解していないのか……?」
「別に僕はそのれんご? って人と戦うわけじゃないよ。あくまで足跡を追って黒山さんを導くだけ……ってそれもそれで危険か」
零は詩穂がどれだけ強いかを知らない。それでも女子をそんな危険な場所に導くなど、していいことではないだろう。
「ん? 奴等ってことは、集団ってこと?」
「いや、幸いなことに奴等は群れて行動はしていない。それぞれ自分の目的を果たす為に動いているようだが、奴等は共通して『愛』に関わる能力を有して人に害をなす奴等だから、まとめて見られるというだけだ」
「ふーん……」
潤は全てを語ったわけではない。零にはわからないことだが、彼等に関する情報は出来るだけ伏せて一般に認識されるより早く対処する必要がある。だからこそ、いくら零といえども全てを話すわけにはいかなかった。
一方で零は潤の警告を無視しようとは思っていない。詩穂から連絡が来た際には危険性について、しっかり話をしておこうと思った。
読んで下さりありがとうございます! 夏風陽向です。
同期の結婚式に着ていく礼服を買った際、昨年仕入れたコートを安く売ってくれるとのことだったので買ったコートがありました。
黒くて長いやつなので超好み。ところが、普段スーツを着ることがない私にはなかなかコートも着る機会がないんですよね。
意外とワイシャツとの組み合わせがいいとの意見もあったので、この前出かけた際は着てみました。
黒いコート、いいっ!
さて、今回は前作の情報がチラリと出ましたね。あらすじで書いてあることと同じなので問題ないと思いましたが、考えてみれば警察に連行されて以来の白河を書いていませんでしたね。
後書きで語るより、前作のサイドストーリーとして別投稿するなりして、何処かで書ければいいなと思っています。
年末調整、面倒くさいですね。毎年毎年……。
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!
出張の予定があるので無理だったらごめんなさい……。