亜梨沙と現場へ
放課後。
零が昇降口で待っていると、パタパタと音を立てて亜梨沙が走ってきた。少しばかり息を切らしているところをみると、どうやら教室から急いでここまで来たようだ。
「ごめん、待った!?」
「いや、僕も来たばかりだよ。亜梨沙さん、廊下は走ったら駄目だよ」
「わかったわかった。さ、行こ?」
「ああ、うん」
休み時間と同じ内容の注意をするが、何だかそんな亜梨沙の姿を零は微笑ましく感じていた。
代償により一度は命を落としかけたが、今こうして元気でいる。笑ったり怒ったり、彼女の表情がころころと変わる度に零の心は嬉しさで満たされる。
きっと今この瞬間、零にとって幸せが訪れていることだろう。だが、彼はそれに気付くことなく、亜梨沙に促されるまま歩き出した。
「場所はわかっているの?」
「長瀬さんから位置情報は貰ってる。ここからそう遠くない場所だけど、電車に乗る必要があるね」
「そうなんだ? わかった!」
校門を出て、2人は駅に向かって歩き出す。下校時間だということもあって、部活をやっている生徒もいれば、すぐに帰ろうとする学生も見受けられる。
「そういえば、亜梨沙さんはどうやって学校まで来ているの?」
「ん? 私は電車だよ。零君も電車でしょ?」
「え? うん……?」
零は何故、亜梨沙がそれを知っているのか気になった。零自身には電車内で亜梨沙を目撃した記憶がないからだ。
「もしかして零君、気付いていない? 私は何回も零君を電車内で見てるよ?」
「えっ、本当に!?」
「うん。だって零君、ずっと寒そうにコートを着てたじゃん? あれで汗ひとつもかいてないから、皆んなでおかしいなぁって言ってたんだよ?」
「そ、そうなんだ……」
当時は寒さを感じ続けていたのでそれどころではなかったが、今こうして皆の言う「普通」になってみると、それは何だか恥ずかしいことの様に思えてならない。ましてや自分が気付いていないところで亜梨沙に見られていたというのが不思議と照れ臭かった。
夏休み明けて以降、電車内で会っていないのは乗る車両が異なって各々定着していることや、そもそも亜梨沙が友達と通学しているのが起因していた。
御守りによって他人と同じように暑さを感じるようになった零も夏服に切り替えたわけだが、それでも彼は袖なしのセーターを着ている。
「でも零君、セーターを着てるよね? 暑いなら脱いだ方がいいんじゃない?」
「ん? んー、そうだよね。わかってはいるんだけど、急に半袖のシャツだけだと何だか不安で……。もうこの時期に厚着は出来ないけど、やっぱり落ち着かないんだよね」
「まだ慣れないんだ? まあ、その能力が身についてからずっとだもんね。『奇跡』でどうにかしてあげようか?」
「こんなことこ為に使わなくていいよ……」
「ふふん、冗談だって!」
亜梨沙の『奇跡』を使えば、本当に小さな代償だけで零の「違和感」も簡単に消し去ることができるだろう。本当に可能でやりかねないことだから、亜梨沙は冗談として言っていても零にはそう聞こえなかったのだ。
亜梨沙の代償はかなり重いものだ。零のそれとは比べものにならない程に。
だから、それをわかっていても誰かの為に能力を使おうとする亜梨沙を尊敬しているし、彼女の意思を尊重したいと思っているのが今の零だ。
───だが、彼女に関しては一つだけ心配なことがある。
「そういえば、お母さんはその後どう? ちゃんと話してる?」
「うん? もちろんだよ! 相変わらず無理するなとか色々言ってくるけど」
「今なら御守りもあるし、あの時に比べたら理解を得やすいとは思ってるけど……」
「そんなこともないよ? 使ってる私達には効果がわかるけど、お母さんや重度の中二病患者ではない人には普通の御守りにしか見えないから」
「あ、そっか」
「でも、零君が一緒ならあんまり言ってこないよ? お母さんに信頼されてるんだね」
「うう……期待を裏切らないようにしないと、かぁ」
亜梨沙にはそう言って誤魔化したが、亜梨沙の無事に関しては零と亜梨沙の母親が交わした約束という意味合いが強い。その約束に対して信頼を得ているのは、亜梨沙の命を救った功績があるからだ。
信頼という意味では確かに、裏切れない。
「とまあ、亜梨沙さんのお母さんからの信頼もあるわけだし、出来るだけ能力と御守りを使わないように、協力出来ることはちゃんと僕に言って欲しい。……いつも言ってるけど」
「えー、零君は相談しないのに?」
「僕が抱える案件は、戦闘が要される事の方が珍しいから」
「どうだか?」
亜梨沙は呆れたように言うが、今の零にとって実は関係者である詩穂よりも亜梨沙の方が頼みやすいという事実はある。小泉梨々香の事情聴取の際に同席を拒否されて以来、まともな会話をしていない。
潤と昼休みにした会話の内容を思い出す。
「……零君?」
「ん? ああ、どうしたの?」
「いやなんか、急に難しそうな顔をしたから……」
亜梨沙は零をよく観察している。考えていることを見透かされそうで、零は慌てた。
「い、いや! 大丈夫だよ! さ、どんどん行こう!」
気付けばもう駅に着いている。帰宅する学生だけではなく、移動中のサラリーマンや、私服で移動している人達もいる。そんな彼らの波に飲まれて離れてしまわないよう、気を付ける必要がある。
とはいえ、そこは通学で使い慣れたというだけあって人の波を上手く回避して列車に乗る。
「そういえば、どこで降りるの?」
「もう2駅くらいしか移動しないよ。幸い、乗り換えも無さそうだ」
「そうなんだ?」
会話のネタが尽きた2人は黙って移動を続けた。
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現場にたどり着いたが、殺人事件だということもあってまだ捜査関係者はいる。まだ一般人は立ち入れないだろう。
「え、まだ警察いるじゃん? どうするの?」
「ちゃんと長瀬さんが話を通してくれているなら入れるかもしれないけど、出来るだけ避けたい。まずは周辺を見てみるよ」
「うん、わかった!」
亜梨沙は零から少し離れる。それは残留思念による膨大な情報量を処理する零の邪魔をしない為だ。見えている状態のことを亜梨沙に話したのは一回だけのことだが、そこは亜梨沙が上手く察してくれたようだ。
零は目を凝らして現場近くの道を見る。犯行の瞬間を見ることは出来ないかもしれないが、被害者の顔はわかっているし、争った形跡があるのであれば現場到着前に争い始めていた可能性も考えられる。
流石は人通りが多いこともあって通過する過去の人間は多い。見たい人間だけを見ることが出来ない点がこの能力の弱点だが、どれだけ情報量が多かったとしても今まで見逃したことがないという実績もある。
また古ければ古いほど、違和感はある。直近の出来事を見ようとしているのだから集中して見る時間も絞ることが容易だ。
「……ん?」
途中、被害者の姿が見えた。彼はただ普通の通行人として歩いているだけだ。
零にはその残留思念と会話する能力がある。被害者と会話することも可能だが、零としてはむしろ加害者の情報を引き出したいと思っていた。
現場付近に近付くと、被害者が急に振り返った。そしてまだ暑い時期にも関わらず、大きめのパーカーを着てフードを被った人間がナイフを取り出し、被害者を襲おうとした。
「……っ!」
零はポケットから桃色の塗装が少し剥がれかけた携帯電話を取り出し通話を掛かる。
こうして残留思念と会話をするが、残留思念は通話拒否をする権利を持たない。
『……何? 邪魔しないで』
「女性!? あなたの目的は何ですか!?」
『復讐』
「どうして殺害を!?」
加害者である彼女はとても女性とは思えない力で被害者の男と争い、そしてナイフを見事に腹へ差し込んだ。
男が何かを叫びながら膝をつく。女性の顔は上手く特徴が掴みにくい方向からしか見えない。
『復讐……。よくも私を……』
それだけ聞こえたと思ったら通話は終了。加害者である女性は走り去って消えた。
零は携帯電話を閉じてポケットに仕舞い込む。亜梨沙はそれで完了したことを悟った。
「どうだった?」
「上手く話が出来なかった。加害者が女性であり、強い復讐心で犯行に及んだことはわかったんだけど……」
「女性? 勝手に男性のイメージをしてた」
「いや、僕もそうだよ。しかし……」
今回の対話に零は違和感を覚えていた。残留思念からはその時に本人が知っていたことしか聞き出すことは出来ないが、今回は逆に情報が少な過ぎる。加害者である女性はただ「復讐」という意思を持っていただけで、行動そのものに躊躇したような気配がない。
もし、加害者の女性が被害者である男性以外にも復讐心があるのなら次なる被害者が出る可能性がある。
零は今手に入れた情報を早く長瀬に伝えるため、急いでスマホを取り出し電話を掛けた。
読んで下さりありがとうございます。夏風陽向です。
いつもありがとうございます!
先日、随分と久しぶりに東京へ出張で行きました。中学生の時以来だと思います。
実は地下鉄に乗るの初めてで。素人からしたらよくわかりませんでしたが、慣れれば確かに便利なんだろうなと思いました。
また「思いつき」で書くかもしれないです。
今回の章は今のところ犯人が出ていないです。零が残留思念で見た相手は誰なのか!? お楽しみに、です。
詩穂は何やっとんじゃ……。
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!