本家の懸念
「外は暑かったでしょう。どうぞ」
霰はすぐにグラスに氷と麦茶を入れて2人に出した。楔は険しい顔で一礼をしただけだが、一方で梓は笑顔でお礼を言って一口飲んだ。
「ありがとうございます! 美味しいです、霰さん」
「それは良かった」
当主という決して軽くない役割を担った梓だが、立場や振る舞いは相応に変わったものの、中身はあまり変わっていない。少なくとも霰の前では上品で可愛らしい女の子のままだった。
かつてを思い出し、霰の表情も微笑みに変わる。僅かな時間だけ少ない思い出に浸って微笑みを交わし合ったが、やがて梓は当主としての顔を取り戻して場の空気を引き締めた。
「澪さんのことは残念でしたね」
「痛み入ります。とはいえ、澪はこの家を出た身。鷺森家としては痛手ではない」
「そうも言ってられないでしょう。今は霰さんがご健在だから良いものの、この先を考えれば一刻も早く次期当主を用意すべきです」
「わかってはおるよ」
霰が次期当主について危機感を持っていることなど、梓や楔にもわかっている。だが本家としては、その危機感も足りていないとしか言いようがない。
「そういえば、澪さんには御子息がいましたよね」
「ああ。だが、あの子は男。鷺森の当主にはなれない」
鷺森家の当主は必ず女性であることが定められている。といっても、正確には「能力を継承した女」である。本家や分家問わず、いつの時代にも能力の継承は女性にしか見られない。
故に、その実態を確認するまでもなく、零は鷺森家の当主にはなれないのだ。
しかし、梓としてもそんなことは百も承知。言いたいのはそういうことではない。
「澪さんの御子息が誰かと結ばれて子を成し、女子ではあれば安泰でしょう」
「何を言う、あの子はまだ今年で16歳だぞ?」
「あら」
梓は零と会ったことがないので彼の年齢も詳しく知らなかった。
ところがこの時、彼の年齢が自分と同じ年齢であることを知って目を丸くした。
「16歳……女子であれば問題ありませんでしたが、男子となるとそうもいきませんね。もう2年の辛抱でしょうか」
「…………」
鷺森の姓を後世に残さなければならない。その為には零の将来を定めてしまう必要がある。霰としては可愛い孫の運命を定めてしまうことに躊躇いを持っていた。
しかし、それはどうしても免れないだろう。今の零はそんなことなど知らないが、近いうちに話さなくてはならない。
最早決まっている話を深く掘り下げる必要はない。梓は本家としてもっと大事な話題をすぐに出した。
「この家に残る能力を霰さんは澪さんに引き継いだと思いますが、その能力はどこに行ったのでしょうか? 私が見た限り、霰さんには戻っていないようですが」
「……それがわかれば私も苦労せんよ。いつか生まれるだろう曾孫に託された、と思うしかないだろうよ」
「…………」
梓はすぐ隣に座る楔の気が立っていることを察して困ったように笑った。当然、霰も楔がイラついていることに気が付いていたが、そんなこともお構いなしに発言した。
「本家が気にするようなことでもないだろう? 幸いなことに、昔と比べて『この世ならざるもの』の気配も少ない」
実際は零が葬っているということもある。しかし、彼は鷺森家本来の仕事はこなしておらず、偶々遭遇した相手を葬っているだけだ。
つまり、本来のように積極的な排除を行っていないのでこの地には『この世ならざるもの』がそれなりに蔓延っているのだが、零が偶然対応しているレベルでどうにか誤魔化せているというのが現状だ。
だが、梓と楔は納得していない。特に楔がだ。
楔はついに爆発するかのように指摘した。
「黙って聞いていれば、認識が甘いのではありませんか!? 霰さんも感じているでしょう、何か大きい邪悪の気配がすることくらい!」
「お母様……!」
怒りを露にした母を梓が咎める。自分が冷静さを欠いていることに気が付いた楔は恥じて一礼した。
「構わんよ。確かに楔の言う通りではある。それについてもどうにかしなければ、という認識はある」
「とはいえ、今の鷺森家ではどうしようもありません。これ以上、その気配を顕著に出して危害を加えるのであれば、私達本家が対応しなくてはならないでしょうね」
霰と楔にも梓の言っていることが最善策であることはわかっている。霰としては、零のことがバレない為にもそれは避けたいところではあるが、今はそれを了承するしかない。
「そうだな。私としても一般人を『この世ならざるもの』の脅威に晒すことは望まん。その際には協力を願いたい」
「決まりですね! そろそろお暇したいところではありますが、お孫さんとお会いしてみたいのです」
「ん、零は出掛けておっての……」
「……いつもタイミングが悪いですね。では澪さんに挨拶だけさせていただきたい」
「あちらへ」
霰は2人を仏間に通し、線香をあげて拝んだ後、そのまま玄関へ向かった。
外に出て2人を見送る。梓の表情は「遊びに来た親戚の女の子」に見える笑顔になっていた。
「霰さん、お邪魔しました。本当ならもう少し居たいところですが、当主として一刻も早く戻らなくてはならないので」
「改めて、遠路はるばるありがとうございました。2人とも、気を付けて」
特に名残惜しさのようなものも見せず、本家の2人は車に乗り込んで鷺森家を後にし、見送った霰はすぐに家の中へ戻った。
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鷺守家は歴史ある家ではあるが、決して裕福過ぎるということはない。一般家庭に比べれば確かに裕福な方ではあるのだが、使用人を雇うほとではない。
故に自動車の運転は楔が担っていた。梓は零と同じ15歳なのでまだ自動車の免許は持っていない。
車内で梓と楔は鷺森家で起こっていることについて話をしていた。
「澪さんが継承していた鷺森家の能力は一体、どこへ行ってしまったのでしょう。お母様はどう思われますか?」
「そうね、霰さんは嘘を言っているわけではないでしょうね。ただ、何かを隠している」
「澪さんといえば、確か澪さんは旦那さんと事故でこの世を去ったと聞いていますが、何が起こったのでしょう。そして何故、御子息だけが残ったのか」
話を聞きながら楔の脳裏には葬儀へ参列した時のことが思い出された。
霰も言っていた通りに澪は鷺森家から出て行った身。当然、喪主は夫の父親が引き受け執り行われた。そんな中、自身の娘が亡くなったというのに凛としている霰の姿。そして、泣くどころか感情を失ってしまったかのように無表情で傷だらけの少年。その痛ましさは10年近く経過した今でも楔の記憶には残っている。
意識を今に戻し、運転に集中する。ルームミラーで梓を確認すると、彼女は窓の外をぽーっと眺めながら呟いた。
「霰さんのお孫さん……どんな方なのでしょう」
視線の先には街を歩く人々の姿が見える。その中で、1人の少年と目が合い、梓は少年の力を感じ取って驚愕しながらも微笑んだ。
(ああ、さよですかぁ……)
悟った真実。高鳴る胸の鼓動。それを母に気付かれることのないよう、その後は平然とした佇まいで車に揺られた。
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(あれ……?)
一方で亜梨沙と行動を開始していた零も、高そうな車の後部座席に座ってこちらを見る梓に気が付いた。
会ったこともないから名前もわからない。しかし不思議なことに目が合った時、彼女が持つ強力な除霊能力を感じ取った。その感覚が何なのか───。初めて感じた零にはその正体がわからない。
(いや、今は……)
彼女のことも気にはなるが、それよりも今は梨々香の手掛かりを探すことが優先。亜梨沙の導きに従い、梨々香が戦った場所へ急いだ。
読んで下さりありがとうございます! 夏風陽向です。
今回特に語りたいことは……あ。
本家である鷺守家は京都の人という設定ですが、勉強不足でそちらの方言をマスターできておらず、敬語で話させてます。すみません……。
変な解釈で間違った使い方をするよりかはマシかな……っと、すみません……。
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!