違和感の正体
何かいい夢を見ていた後のような心地になりながら、零は日常に戻った。朝は忙しいこともあって祖父母からは特別何かを聞かれるようなこともない。
いつも通り普通に登校して、いつも通りにクラスメイトと顔を合わせる。いつもと違う点があるとすれば、それは動く度に零の顔を引き攣らせる筋肉痛の存在くらいだろう。
零が登校した頃には既に潤は自分の席に座っていた。真夏にも関わらずコートを羽織ったまま、荷物だけを自分の席に置いた零は潤に近付いていった。
「───おはよう、潤」
「ああ、おはよう。零」
2人の間にいつもと違う空気が漂う。ただそれは、2人にとって偶にあるだけの空気であり、初めて味わうものではない。
潤は零の顔を見上げて単刀直入に問う。
「怒っているのか?」
「そんなわけないでしょ」
潤は真顔だが、零は本当に怒りを感じさせない自然な笑顔でそう答えた。実際、零は少しも怒っていないのだ。
「むしろ感謝してるくらいだよ。僕達だけでは危うく恋悟を逃してしまうところだった。でも潤は僕達の戦いを無駄にしないよう、行動してくれたんでしょ?」
「ああ。もしも……のことを考えてな」
「流石は潤! よくわかっているね」
幼馴染でよく知っている間柄とはいえ、今回ばかりは潤も零が何を考えているのか理解出来なかった。むしろ、この結果を迎えても怒らず笑っていることが不思議でならない。
だから聞く。2人の間柄でしか聞かない事を。
「零、悔しくないのか?」
「え?」
「黒山と協力してあと一歩まで追い詰めたんだろう? 言い方は悪いが、言ってしまえば俺はお前の手柄を横取りしたようなものだぞ?」
「あー、そういう……」
零は質問の意図を理解した。確かに、元から戦闘に自信があったのであれば悔しかったかもしれない。
だが、零はもっと別のところで悔しさを感じていた。
「潤」
「うん?」
「僕はね、確かに逃げていく恋悟に何も出来なかったのは悔しかったさ。でもそれ以上に、黒山さんがいなければ恋悟と戦うことさえ出来なかった。そっちの方が悔しかったかな、情けないというか……」
「……お前の言わんとしていることはわかっているつもりだ」
それはただの同情に聞こえる。だが、零の持ち味を出せるのはそこじゃない。少なくとも潤は、戦闘になるまでに至る道を照らす事こそが零の得意な事だと思っている。
零は自嘲気味な笑みを浮かべた。
「彼女が僕とコンビを解消した理由を改めて思い知らされたよ」
「待て、零。それは───」
それは、違う。
潤はそう言いたかったが、それを言ったところで零は聞き入れないだろう。何度も何度も否定してきたから、零も潤が何を言おうとしていたかわかっていた。
中学時代を共にした戦友。勝ち気な性格をした彼女とのコンビを解消した日が思い出される。
零が苦い思い出に浸る途中で予鈴が鳴った。
それから何事も無かったかのように、零は日常を過ごしてみせた。
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放課後になって詩穂は零が所属するクラスへと赴き、彼の様子を見ることにした。
「…………」
覗き込むように姿を探す。零のクラスメイト達が物珍しそうに彼女を見る中、顔見知った潤が立ち上がって詩穂へ歩み寄った。
とても「歓迎」という雰囲気は無かったが。
「何か用か?」
「いえ。神田川君にではなくて、鷺森君に用があるのだけれど?」
クラスメイト達は2人の間に火花が散っているような雰囲気を感じた。実際に2人は敵同士でないものの、一つのことで対立していると言える。
「零はもういない。いつもの刑事に用があるらしいから帰った」
「長瀬さんに? 事件は終わったはずなのだけれど……。まあいいわ、ありがとう」
「待て」
詩穂も零の後を追うつもりなのだろう。足早に去ろうとしたが、潤はそれを止めた。
「何か?」
「何か、じゃない。今回は大目に見たつもりだが、今後も零を巻き込むつもりじゃないだろうな?」
「必要があればそうする。私にとって、鷺森君の能力は今後の活動に必須だと思っているわ。それが?」
「零を巻き込むのはやめろ。お前は、俺達に見えない存在と会話させて情報を得るくらいだと思っているだろうが、そんなに簡単な話じゃない」
「…………」
「俺達に見えず、俺達には手の出しようが無い、タチの悪い存在が零に近付くことだってある。危険が伴うということだ。それでもお前は零を巻き込むのか?」
「私と一緒に行動するか決めるのは鷺森君本人よ。忠告はありがたく受け取っておくけど、どうするかは本人に聞くことにする」
「そうか」
潤も詩穂が簡単に引き下がるとは思っていなかったが、予想以上だった。
とはいえ、潤の予想では零が首を縦に振ることはないと思っている。それは危険性や無力感という要素もあるが、零は「コンビ」という関係に一種のトラウマを抱いている。
だから潤はこれ以上、詩穂を引き止めるようなことをしなかった。
そして詩穂も「それでは」と言って身を翻し、堂々とした態度でこの場を後にした。
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零は警察署へと向かい、長瀬を呼ぶようにお願いした。
担当した警察官は少し迷惑そうな顔をして長瀬に取り次いだが、零の名前を聞いてすぐさま長瀬が移動したことに心底驚いていた。
零は応接室へと通され、そこで長瀬と対面する。
「やあ、鷺森君。随分と活躍してくれたそうじゃないか!」
「黒山さんがいてくれましたので。……というか、長瀬さんはもう全部聞いているんですね」
「ああ、勿論だとも。恋悟は君達の活躍で逮捕。罪に問うのは難しそうだけど、これ以上の被害が出ないように治療が始まる……こちらとしてもありがたい限りだよ」
長瀬はそんな話をしながら零にお茶を出す。紙コップに入った温かいお茶だ。能力の代償により極度以上の寒がりである零のことをよくわかっている配慮だ。普通、真夏の夕方に熱いお茶を飲もうとする高校生はなかなかいないだろう。
お茶を差し出した後、長瀬は訝しげな顔をして零に問い掛ける。
「ところで鷺森君。今回は何の用かな? 案件が終わったというのに君が来るだなんて珍しいじゃないか」
「ええ、そうでしょうね。ですが長瀬さん、僕はまだ案件が終わったとは思っていません」
「……え?」
長瀬は本気で「解せない」と言わんばかりの顔をしていた。そして「白々しい」と思いながら、零はその根拠を述べる。
「長瀬さん。遺書って実はもう1通あるんじゃないですか?」
「…………」
長瀬は一瞬、真顔になった。すぐに苦笑いを浮かべたが、そんな表情の変化を零は見逃していない。
「嫌だなぁ、鷺森君。君が本人の残留思念から聞いてきたんじゃないか」
「そうですね、最初に見つかった遺書を含めて僕が確認したのは10通でした」
「だよね」
「でも僕はずっと何かを見落としている気がしていました……。そして気付いたんです。最初の一通目を見つけたことを彼の残留思念に言った後なのに、彼は10通分の場所を教えてくれたんです」
「…………」
零の冷ややかな目が真顔の長瀬を見る。これは問い詰めるのと同時に、残り1通の遺書を隠した長瀬を責めるものだ。
「ナンバリングしたものは全部で10通。それは彼の残留思念も言っていました。しかし、1通だけナンバリングしていないものがあった……違いますか?」
長瀬は目を瞑る。どう返すか悩んでいるのが丸わかりだ。ゆっくりと目を開き、零に語る。
「それがあったとして、どこにあるというのかな?」
「……は?」
長瀬はそれでも尚、本当のことを言うつもりはないらしい。ここで隠すということは、現在の状況にとって不都合なことがあるということだ。
零は青年の無念を知っている者として、引き下がるつもりはなかった。
「いいえ、長瀬さんはちゃんと10箇所から集めてきました。逆に聞きます。何故、隠すのですか?」
「…………はぁ」
長瀬はわざとらしく大きな溜息を吐いて立ち上がり、夕焼けが差し込む窓へと寄って外を見た。
「鷺森君」
「はい」
「世の中には知らない方がいいこともあるし、知らないふりをしていた方が正しく、賢いこともある。今がまさにその瞬間だと言えるだろうね。これ以上、この件で触れてくるのは遠慮していただきたい」
「……それはつまり、彼の自殺は恋悟の所為で無───」
「鷺森君!」
その先を言おうとした瞬間、大声で止められた。長瀬が本気で大声を出して咎めるのは珍しい。思わず驚いてしまい、零は発言を止めてしまった。
「大声を出してすまない。だが、君たちはこの案件に関わった恋悟を確保したんだ。それで解決、良かったじゃないか」
「長瀬さん……!」
「だけど、そうだね。お礼と言っては何だけど、これを君に渡しておこう」
長瀬は胸ポケットからメモ帳を取り出し、ページを一枚切り取って零に渡した。そのページは白紙だったが、それだけでも既に意味がある。
解決に貢献した零にも真実を知る権利がある、そう思った長瀬による計らいだ。しかしそれは、何の証拠にもならないから自己満足で終わってしまう。
「さあ、この案件についてはおしまいだ。いつもながらご協力ありがとう。また頼むね、鷺森君」
「……はい」
零はそれで聞き分け、警察署を後にした。そしてこのまま自宅へと直帰する。真実を知る為に。
読んで下さりありがとうございます。夏風陽向です。
次週かその次でこの章が終わるつもりです。我ながら、結構つめつめな第一章だな、と思います。
青年の運命を自害へと誘った真実とは……!?
次週をお楽しみに!
よろしくお願いします!