宣戦布告
それは大抵の学生には同じことが言えるのかもしれないが、本家に行くイベントを終えてから冬休みが明けてしまうまであっという間だった。
無論、姉や妹がいない零にとって同い年の女子と一つ屋根の下で暮らすのにはいくらか悶々とさせられた。とはいえ、性欲に対して素直になることもできず、今までのようにはぐっすりと眠れていない。
始業式があるその日、零は眠さを感じながらもいつもの時間に起きてくる。準備をして朝食の席につくと、弓美は零が通う学校の校章が入ったブレザーを纏っていた。
「え、弓美さんは藍ヶ崎に転入するの?」
「うん。これも本家の意向。同じ学校へ通わせることに意味があるんだって」
ひと足先に朝食を食べていた弓美だが、あいも変わらず話をする時には箸を置く。それに加えて零の方を見て話をするのだから、いよいよもってその姿勢は霰にとって大のお気に入りとなっていた。
「───っていうか、いくら本家といってもそんな簡単に転校させられるの? 私立ならともかく、うちは公立だし」
「簡単ではなかったけど? 本家に出来るのはせいぜい転入試験を受けさせるくらい。結局、入れるかどうかは私の学力が試された」
「えっ、試験受けてた? いつのまに?」
「冬休み中」
「あ、そうなんだ」
零は決して弓美の行動に興味がなかったわけではない。しかし、気にし過ぎても良くないと思って放っておいたのだが、まさか転入に向けて試験を受けていたとは思ってもいなかった。
さらに驚きなのはこの短時間で転入にまで至っているということだ。試験を受けるということはそれなりに勉強する必要があるはずだし、零が通っている藍ヶ崎は決して偏差値が低いわけではない。周辺の学校と比べても上から数えたほうが早いくらいに。
「意外性はないけど、弓美さん頭良かったんだね」
「そんなつもりはないけど。でも、忌み子とはいえ本家の人間である以上、学力は求められるから」
「そ、そうなんだ」
「そんなことより、早く食べないと遅刻する」
「そうだね」
弓美に促され、零は明日に座って朝食を摂る。それからすぐに準備をし、弓美の方が圧倒的に早く準備を終えていたが、零の準備が終わるのを待っていた。零が家を出ようとすると、同じくして部屋から弓美が出てきたので少し驚いた。
「あれ、奇遇? なわけないよね」
「別に別々で行く理由もないし。零の方が適切な道を知ってるでしょう」
「なるほど、そういうこと」
特にこれといって会話することもなかった。二人は無言で登校し、零からしたら少し気不味い状況下ではあるが、何とか学校まで辿り着いた。そこでようやく零が口を開いた。
「そういえば、弓美さんはクラスどこ?」
「それはまだ聞いてない。取り敢えず、職員室に来るよう言われてるから」
「そっか。職員室の場所はわかる?」
「…………」
弓美はうんともすんとも言わなかった。きっとわからないのだろうが、素直に「わからない」と言わないのが弓美らしくて零は少し笑ってしまった。
「…………」
弓美から責めるような目を向けられる。焦って零は「ごめんごめん」と二度謝ったあと、弓美をちゃんと職員室まで連れて行った。
「ここが職員室。じゃあ僕は自分のクラスへ行くから」
「ありがとう、零」
「どういたしまして」
素直に礼は言う。少しばかりプライドは高いけれども礼儀は失しない。弓美に背中を向けながら、零は「流石だな」と思った。
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長い始業式も終わり、生徒はそれぞれ自分のクラスに戻る。まだどこに弓美がいたのかはわからないが、どうやらクラスは零と異なるらしい。
弓美が配属されるクラスがどこなのかわかったのは、昼休みになってからのことだった。零はいまかいまかとヒヤヒヤしていたが、やはり昼休みに招集がかかった。
学校の中庭には生徒たちが座って談話できるスペースがある。春や秋は他の生徒で溢れているが、夏や冬のように気温が極端な時期はガラ空きとなっている。
特に冬は教室の暖かさが恋しくなるので全く人がいない。そこに零と亜梨沙。それから詩穂に連れられた弓美が現れた。零はそこが疑問だった。
「あれ、どうして黒山さんと弓美さんが一緒にいるんだ?」
「何故って同じクラスだからよ。古戸さんに連れてくるよう言われたの」
零の質問に対して淡々と答えたのは詩穂だった。しかし、詩穂は零と弓美の関係性を全く知らない。
「それより鷺森君。こちらの鷺守さんとどういう関係なのかしら。何の関係もないのに、こちらの鷺守さんに聞いてしまったら恥ずかしいから何も聞かずにいたのだけれど」
「親戚ってだけだよ。僕は分家で彼女は本家。血のつながりで言ったらかなり薄いだろうけど」
「え、許嫁って話じゃなかったっけ?」
話に入ってきたのは亜梨沙だった。そんな亜梨沙は零に向かってジトっとした目を向けてそんなことを言った。
それに対し、弓美は静かに頷いた。
「許嫁? 鷺森君の家っていつからそんな高等なお家になったのかしら?」
「家は元からだよ。僕とお母さんが家柄の中でも特殊だっただけだよ」
零は呆れたように返したが、鷺森家が馬鹿にされて怒っていたのはむしろ零よりも弓美だった。珍しく弓美の怒りは表情に出ていた。
「黒山さん……でしたっけ? 零を馬鹿にする分なら一向に構いませんが、鷺森家を侮辱するのはやめてください」
「え?」
新参者である弓美が怒ったので思わず詩穂は驚いてしまった。だが詩穂も気が強い女だ。弓美に言われて「ごめんなさい」と言えるタイプではない。
「成程。確かに家系を馬鹿にするのは間違っていたわね。でも、鷺森君自身だって鷺森家の人間よ。馬鹿にされたくないのなら、まず彼をちゃんと教育したら?」
「…………」
この場に招集したのは亜梨沙だが、話が思っていたのと違う方向にいってしまったので一括した。
「二人とも落ち着いて。そんな話をするために呼んだわけじゃないから」
亜梨沙は持ってきた弁当をテーブルの上に広げてから言葉を継ぐ。
「零くんからある程度は聞いてるけど、弓美さん? はどうなの? 零くんと結婚する気なの?」
「それが私の生きる意味になるなら、生きてていい理由になるのなら、私はそうするつもり」
「そうなんだ。勿論、だからといって譲る気はないけどね」
「…………!」
それは宣戦布告のようなものだった。当事者の零と恋愛経験が皆無である詩穂は二人の間で交わされている火花の意味がわかっていない。ただ、詩穂と弓美の関係性がよろしくないのに対し、亜梨沙と弓美は比較的良好な関係が築けそうな間柄となった。
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貴重な昼休みを話すだけで終わらすわけにもいかない。ちゃんと昼食を食べたうえで、少しばかり弓美が京都にいた時の話をしてもらっていた。とはいえ鷺守家のことで語れることはあまりない。せいぜい姉との関係性くらいのものであり、話のほとんどは前の学校でどんなことをしていたのかという話だった。
それによってわかったのは弓美が弓道をやっているということだ。すぐ近くで梓弓の力を見ていた零にとってはその話がとても納得のいく話だった。
そんな雑談で終わった昼休みだが、同じクラスなので弓美は詩穂と教室へ戻る。零や亜梨沙と別れた後、弓美は鳥肌が出てしまうほどの寒さを感じた。これは紛れもなく、この世ならざるものの気配だった。
ピタッと止まって寒そうにしているので詩穂は一応心配の声をかける。
「鷺守さん、どうかした?」
「いえ、ちょっと……」
弓美にはその正体がすぐにわかった。何故なら『はつ』が詩穂のすぐそばにいたからだ。