陽の桃
久々の投稿になりました。申し訳ない
言葉にするのは易いが、弓美をおぶって本家まで戻るというのはなかなかに難儀だった。弓美の体重が重いというわけではなく、むしろ零の筋力と体力が足りていない。能力の代償と季節が相まって汗をかいていないのが救いではあるが、息を切らして歩いているというのが事実だ。
おぶられている弓美からは気を遣われて「大丈夫?」「本当に大丈夫?」と聞かれるが、零は「大丈夫」と答えるだけ。ロクに話す余裕などないのだが、無情にも梓は零に話しかけたのだった。
「ところで零さん。貴方には聞きたいことが色々とあります」
「え?」
「弓美を治した不思議な力も気になりますが……貴方はどうして原初の忌み子と戦う力を有しているのですか? それに、原初の忌み子の本名を言い当てていましたね。どこで知ったんです?」
「…………」
零にとって、梓がここまで率直に質問してくるのは全くの予想外だった。そこは流石は本家当主といったところなのだろう。原初の忌み子……桃との戦闘手段だけでなく、名前を言い当てた部分についても疑問を抱いていたのだ。
しかし、質問に対して素直に答えるというわけにはいかない。そこには鷺森家として秘密にしている部分があるからだ。それを話せるのかどうか判断するのは零ではなく、当主の霰である。
息が切れているのも相まって、零は無言を貫いた。梓や焔の視線は気になるが、それに屈しない姿勢を零は見せた。
「姉さん。零は私を背負って歩くのに精一杯です。とても答える余裕などないでしょうから、今はやめませんか?」
「…………」
梓は無表情で弓美を見た。今のは弓美なりの「背負ってもらっていることに対するお礼」という意味での援護だった。梓はここで弓美が口を挟むとは思っていなかったが、少し間を開けてから弓美の言葉に頷いた。
「そうですね。零さん、申し訳ありません。私が無配慮でした」
「いえ」
零は焔がいる手前、一応は敬語で返したが、これは単純に二文字の方が答えるにも楽なうえに無難だったからでしかない。その後はただ無言で歩き続け、本家に到着後も梓の「お疲れ様でした」という一言で解散となった。
無論、弓美を部屋に連れて行くまでが零の仕事となったわけだが、弓美は何度もその間に「ごめんなさい」と謝っていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
弓美の部屋にはすでに布団が敷いてあった。梓弓を使えば弓美が動けなくなるのは本家なら使用人でも知っていることなのだろう。すぐに休める状態になっているのはありがたかった。
零は布団の上で弓美を下ろした。とはいえ、ここまで平常心を保ってきた零だが、布団の上に横たわる同い年の女子を見て心拍数はどうしても上がってしまう。今の零に出来ることは、どうにかなってしまう前にこの場から離れることだった。
「零、ここまで運んでくれてありがとう。それからごめんなさい……」
「いや、弓美さんの力が無ければ桃……原初の忌み子を撃退出来なかっただろうから気にすることはないよ。そ、それじゃあ、僕は行くね。ゆっくり休んで」
「うん、零も」
力を使えば歩けなくなることを弓美は良しと思っていない。梓弓は梓と弓美が二人いることで成り立つ技だが、弓美の本音は「自分は足を引っ張っている」という認識だ。だからこそ、弓美は零に謝り続けていたのだし、少しばかり落ち込んでいた。
零はこの場から一刻も早く離れたかったが、弓美が落ち込んでしまっていることはどうしても気掛かりだった。故に零は、部屋から出る直前に弓美の方へ振り返った。
「弓美さんの力はすごいと思うよ。あれだけ強い力なんだから、動けなくなるのも無理はないと思う。むしろ、あれだけの力を使ってもなお、ピンピンしている方がどうかしてるよ」
「気遣ってくれてありがとう。でも、私がもっと強ければ……今日だって零に迷惑かけなかっただろうし」
「迷惑じゃないよ。こういう言い方が正しいのかわからないけど、梓さんからの質問攻めから逃れられたのは弓美さんのお陰だよ。弓美さんをおぶってる事情が無ければ、きっとあの追求から逃れられなかっただろうからね」
「あれは……でも、姉さんの邪魔をしてしまったわけだし。だから少し冷たかったのかな」
「…………」
確かに弓美の言う通りで、本家に到着した後の梓は少しばかり冷たかった。口では労いの言葉を伝えていたが、心がこもっていたかと問われればそうでもない。そもそも、弓美が部屋までどう戻るのかを指示することなく去っていってしまったのは、冷たい印象を残す結果となった。
無論、焔は全く気にしていなかったが。
「焔ちゃんは全く気にしていなかったし、当主の間ではあれが普通なんじゃないかな?」
「…………」
「それに、少なくとも僕は助かったわけだしさ。だから自分を責めないで欲しいかな」
「それは、零にとって都合が良かったからでしょ?」
「そうだけど、それだけじゃない。弓美さんだって頑張ったんだ。僕は弓美さんの頑張りを労っているつもりだよ」
「…………」
弓美は零から目を背け、関係のない方を向いた。そんな中、女性の使用人が入ってきたので入れ違うように零は弓美の部屋を後にした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本家という場所は、どちらかと言えば居心地が良いわけではない。しかし、零は大浴場だけとても気に入っていた。
ましてや今晩は桃との戦闘後なので心身は疲れている。周りに誰もいない大浴場はほぼ貸切状態となっており、温泉に浸かった途端、ついぞ「はぁ」という声が出てしまった。身体の芯から温まる感覚はとても癒される。
入浴を終えて部屋に戻る。既に他の人達は眠っているのか、零にとって幸いなことに今晩は就寝前を狙った客人はいなかった。
───生きている人は、だが。
零が仰向けで寝転んでいると、にゅっと顔を出した存在が現れた。それは紛れもなく、つい先程まで敵対していた桃の顔だった。
「うわっ!」
零は驚いて思わず起き上がる。残留思念である桃は実体を持たないので零とぶつかることはない。
「なっ、えっ、何で!?」
少しばかりパニックになって桃を見るが、原初の忌み子と少し印象が違って柔らかな雰囲気が出ていた。このままではまともに話ができないので、急いで机の上に置いてあったピンク色の携帯電話を持って桃に通話を掛けた。
「もしもし?」
『その平たいやつがないと話が出来んのは、なんぎやなぁ』
桃は嫌味っぽく笑って零に話し掛ける。しかし、零にとって謎が多すぎてそれどころではない。
「えっと、今の桃さんってどういう状態?」
『あっちにいるのが陰なら、今のうちは陽ってやな。うちは陰を操るの得意やから、切り離すのもできるっちゅーわけ』
原初の忌み子はもっと圧がある声色だったが、陽の桃はかなり明るい印象だ。言ってしまえば、亜梨沙のような女子高生とあまり変わらないテンションである。
「僕には陰陽道がよくわからないけど、印象でわかりました。ところで、何か用があるから出てきたんですよね?」
『そ。ところで、ここがどういう部屋か、あんたはわかっとる?』
「どういう部屋? ただの客室なのでは?」
『ど阿呆。各家、夫婦と子供を連れてくるのに一室だけ別に用意する必要があるかあ? よう考えてみ?』
「───確かに、僕のためだけにわざわざ一室用意したというのは、そう言われれば不思議ですね」
『陰の存在とはいえ、零はうちと心を通わせた。現当主の力もあるけど、零の力もあってあっちは引っ込んだのが事実。うちは心を通わせた零に警告するため出てきたん』
「警告?」
『この家な、他が思っとるより、えげつないで?』
桃は部屋の出入り口に立つと、顎で外を差した。
それはつまり「ついてこい」という意味である。就寝時間に出歩くのは不審そのものではあるが、それよりも零は桃の警告が何なのかが気になった。