「私の方が相応しい」
追いかけた先で見えた焔の残留思念は葉で出来た藁人形……さしずめ、葉人形をどこからか取り出すと、右手に持ってきた正体不明の蟲が人形の心臓に当たる部分に噛み付いた。よくよく見てみると、それは少しずつ葉の心臓を蝕んでいく。
「焔ちゃん、それは……?」
零がそう尋ねると、焔は不気味な笑みを浮かべた。
『精神を食べる五寸蟲。弓美さんの精神を食べてしまうことで空っぽにして、私がそこに入るんです!』
「君の能力は相手の精神を蝕むものなんだろう? その蟲には弓美さんの体を奪う力まではないないんじゃないか?」
『精神を食べる蟲だけならば……確かにそうでしょうね。私は色んな蟲を操りますから』
焔は実際に蟲を呼ぶようなことはしなかった。しかし、不気味な笑みを浮かべて説明している間も蟲は葉人形の胸を食い散らかしていく。
そして残留思念はここで途切れた。視界に映ったのは現在の女子トイレだ。出入口の方を見ると、弓美はいよいよ「汚物を見る目」をしていた。
「やっぱり、零は変態」
「いや待って! ちゃんと犯人もわかったから!」
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妹といえども、流石は本家の娘。零がちゃんと説明したところ驚きつつも納得はした。少なくとも、零に対する軽蔑は無くなったと言えるだろう。
「ごめんなさい。ちゃんと話も聞かずに」
「いや、僕の方こそ。残留思念に夢中で弓美さんに断りなく入ったのは事実だし」
零の行いは結果的に悪いことではない。しかし、零は零でちゃんと自らの行動を反省した。
とはいえ、犯人やその手法はわかったので調査は一旦のところ終了だ。わかったことを梓とも共有するため、零と弓美の二人は零が寝泊まりしている部屋へと戻っていた。
梓には既に弓美の方からスマホで連絡はしてある。出来るだけすぐに合流する旨が返ってきたので二人は待つことにしたのだ。
弓美が椅子に座り、零はベッドに腰掛ける。心の距離は少しずつ縮まっているものの、この間は何を話したらいいのかお互いに思い付かなかった。ただただ気不味い時間ばかりが流れる。
スマホをいじったりしながら梓の到着を待っていると、扉をノックする音が聞こえた。零が返事すると、開けて入ってきたのは期待通りに梓だった。
「申し訳ございません。お待たせしました」
梓は出前の弁当箱を三人分持って部屋にやってきた。思えば確かに、零と弓美の二人は昼食を食べていなかった。零はそのことに思い出すと、急に思い出したかのように空腹感が襲った。
「二人とも、昼食がまだでしたね。遅くなってしまいましたが、いただきながら情報の共有をしましょう」
零と弓美は梓の提案に頷く。すると梓は机に弓美の昼食を置くと、零の隣に座って弁当を差し出した。
「はい、零さん」
「あ、うん。ありがとう」
正直なところ、何の躊躇いもなく梓が隣に座ったので心底驚いてしまった。たった一晩でここまで心の距離を詰められる女子も珍しい……というより、存在することに驚いたのだ。あまりにも不用心だと言えばそれまでだが、梓にとって、鷺森零という人間は何もしてこないと無意識に判断していた。
「さて。食べながらで申し訳ありませんが、どこまでわかったか教えてくれますか?」
「勿論」
零は意識をすぐに見てきた残留思念に向けた。犯人が焔であること、焔が弓美の精神を失わせてまで妹の座を手にしようとしたこと、その手口などを話した。
「───だけど、予め言っておいた通り、物的な証拠も無ければ状況証拠すらない。これじゃあ、焔ちゃんがシラを切って終わりだ」
あまり女子トイレを探るわけにもいかなかったが、少し探してみたところ証拠となり得るものも見つからなかった。
それもそれではあるが、最大の謎は動機である「妹の座を奪う」というものだ。とても理解できる内容ではない。
「目的についても訳がわからない。梓さん、どうするつもり?」
「……そうですね」
梓は上品にも口に含んでいた食べ物を全て飲み込んでから話をする。その徹底ぶりに零は驚かされてばかりだが、弓美は見慣れているので咀嚼しながらじっと姉の姿を見ている。
「少し強引ではありますが、自白させましょう」
普通に聞けば、梓の発言は馬鹿の回答だ。現にそれを聞いた零も思わず顔に「何言ってんだこいつ」と言いたげな表情が出てしまっていた。直後、弓美の顔色を窺うが彼女は困ったような顔だった。
「……姉さん、それは」
「大丈夫ですよ。原因を取り除くだけです」
弓美の言葉を制した梓は笑顔でそう言った。
しかし、その笑顔は顔が笑っていない。何かしら恐ろしいことを企んでいるのだろうということだけは零にもわかったが、ここでは理性よりも好奇心が勝ってしまった。
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昼食を済まし、犯人も見つかった。
もはや分家諸君を軟禁する必要もなくなったので、一泊してもらうことは変えずにあとは自由行動とした。
しかし、それぞれ予定をキャンセルしてまで犯人探しに付き合わされたのは事実。犯人に対する怒りの声や犯人の公開を求める声は、梓や楔のもとに殆ど全員から上げられていた。
それに対する本家の回答としては「検討する」である。焔の動機によっては、本家への叛逆と見られてもおかしくはない。そういった意味だと公に罰を与えるという意思表示と周知のために公開する必要はあるだろう。
しかし、それが本当に個人的な感情による部分であれば、梓の意向により秘めておきたいとも考えている。彼女は事態を収束するためにあまり手段を選ばない部分を持っているが、出来るだけ人の気持ちを尊重したいという優しさも持ち合わせているのだ。
いずれにしても、それを判断するためには犯人に自白させる必要がある。少し回りくどい方法ではあるが、分家ごとに当主の部屋へ呼んで自由行動の指示を出すことで鷺盛家にのみ焔が犯人であることを告げたうえで、焔だけをこの場へ残すよう指示をした。
自分の娘が犯人だと梓に告げられた現当主と伴侶はショックを受けたし、梓に対して証拠を求めたが、焔は否定することなく受け入れたので両親は黙って退出したという格好になる。
全ての準備が整ったので梓はスマホで弓美と零に部屋へ来るよう指示を出した。二人が到着するまで待つ必要はあるが、梓は焔をじっと見ていた。
しかしそれは、犯人を糾弾する目ではない。いたずらした子供の意図を聞こうとする優しい母親のような目だった。
「梓様、申し訳ありません」
「それは、弓美を狙ったことに対する謝罪ですか?」
「いいえ、しくじってしまったことに対してです」
「…………」
焔は深く頭を下げて謝罪した。とはいえ、謝罪するポイントが歪すぎる。あまりに歪だったものだから、梓は思わず言葉を失ってしまった。
次の言葉を考えること1分。両者とも言葉を発することがなかったが、梓は「そうじゃないでしょう」と言いたい気持ちを堪えて、質問に変える。
「焔さん。貴女は私の妹となるべく弓美を狙ったそうですね?」
「……! はい、そうです!」
意図を言い当てられて焔は「ぎくっ」となるどころか、理解者を得られたかのように明るい笑顔を梓に向けた。
「いつもいつも陰で控えている弓美さんより、よほど私の方が梓様の妹に相応しい!」
「何故そのようなお考えを……? 少なくとも夏にお会いした際はそのような素振りを見せなかったではありませんか」
「え? 相応しいって言われたんです」
「誰に?」
「鷺守の祖先に」
「…………」
今度は別の意味で言葉を失ってしまった。
霊能力を扱う家柄なので、焔の言っていることが嘘だとは思わない。そしてそれは、焔の家である鷺盛の繁栄とは相反する意見だ。つまり、焔の言う祖先は本家の祖先ということになる。
しかし、だとしても本家にとって妹が変わることなど何のメリットでもない。祖先の発言というのに引っ掛かりを感じる。
深く考えようとした直後、襖の隙間から弓美の「姉さん」という声が聞こえて思考内容が消え去ってしまった。