変態? 悪趣味?
会議の一部始終を通常の速度で見ているだけでは日が暮れてしまう。
これはなにも今回の件に限った話ではないが、零はその光景を無意識に早送りしている。しかしそれは早送りをしているからといって見逃すリスクがあるというわけではなく、素早い動作の中で一人ひとりの動きをちゃんと把握することが出来ている。
無論、これはこの能力を使っている時に限った話であり、零の動体視力が良いというわけではない。
会議に出席した者達の姿を追うが、特に不審な動きをした姿は見られなかった。
「会議中……というわけではなさそうだ。ただ、途中にあった休憩と席を立った人がちらほらいるってところが気になるけど」
「休憩なら、そんなに遠くに行くということはないと思う。一番遠くても喫煙所かな……」
「うーん、そうだね」
弓美の予想を聞きながら、零はふと思う。果たして喫煙をしながら能力を発動することが可能なのだろうか。というよりも、喫煙の片手間で出来る芸当ではないと思ったのだ。
ならばむしろ、他者に目撃されるリスクが低い「途中離席」こそ怪しむべきなのではないかと思っている。
「取り敢えず、近いところから探そう」
零の提案に弓美は頷く。すぐさま弓美が案内した一番近い場所は外の景色を一望できる部屋だった。
「驚いた。こんなに景色が見れる位置に建っていたなんて」
「下の階じゃわからないよね」
見渡してみると、ここから中庭の様子も見えるようになっている。つまり、ここからなら中庭にいた弓美の姿を捉えることも出来るということである。
「ちょっと、視てみよう」
零はそういって、この部屋……展望室の残留思念を読み取る。
見えたのは休憩時に外の景色を見ながら世間話をする分家の人達ばかりだ。しかし、その中には梓もいて、その梓は中庭にいる弓美のことだけを見ていた。
まさか、梓が犯人だというわけではあるまい。立場上、あまり弓美に構うことは出来ないが、それでも遠くから気にしているというところだろう。
「……ここもそれっぽいのは見当たらないね」
「……そっか」
「弓美さんは、梓さんと仲がいいの?」
「…………?」
零の唐突な質問に、意図がわからなかった弓美は首を傾げた。そこで零は「ああ……」と言ってから質問の意図を付け加える。
「ここで見える残留思念は、世間話をしている分家達の他に梓さんの姿も見えたんだ。彼女は中庭にいる弓美さんのことを見ていた。だから弓美さんは表向きには出られないけど、裏では仲が良いのかなって」
零の言葉を聞いて弓美は俯く。その表情は悲しさよりも困ったようであった。
「姉さんはいつも優しくしてくれる。でも、姉さんは不思議なことを言って私やお母さんを困らせる」
「不思議なこと?」
「うん。姉さんよりも私の方が当主に相応しい……って」
その言葉を聞いて零はふと思い出す。梓は弓美のことを「あの子はとても優しい。私なんかよりも可憐な女の子です」と。
清廉潔白さでは確かに梓よりも弓美の方が勝るのかもしれない。しかし、本家の当主がそれだけで務まるとは到底思えない。
だから、弓美に対して返せる言葉が零には思いつかなかった。
だが───。
「でも、弓美さんも中庭から梓さんを見上げていたよね?」
「え?」
零にとっても今回は少し不思議な残留思念の視え方がした。普通「この場所で誰が何をしていたか」くらいしかわからないものだが「この場所を見上げていた存在」までわかってしまったのだ。つまり、中庭を見下ろして弓美の様子を見る梓の姿と、梓がいるであろうこの場所を見上げていた弓美の姿が見えたのである。
「僕が弓美さんと出会った時は鯉に餌をあげていたけど、その前にこの場所を見上げていたんだね」
「……本当に視えるんだ」
弓美は心底驚いたような顔で零にそう言った。弓美は鷺守家の生まれなので霊的な能力に対してあまり驚くことはないが、分家当主の後継ですらない零が本当に残留思念を読み取る力があるというのは半信半疑だったのだ。
「ごめん」
とはいえ、今の反応は疑っていたと自白したようなもの。失礼に当たったと認識した弓美は素直に謝罪した。
「いや、慣れてるからいいよ。むしろ、普通に受け入れる方がどうかしてる」
そういった意味では詩穂は比較的あまり疑っていなかったように感じる。そんなことをふと思い出しながらも、零は笑顔で弓美にそう言った。
とはいえ、どんな気持ちで梓を見上げていたのかを話してくれるような気配はない。
「───さて、ここには手掛かりがなさそうだし、次に行こう」
「ん」
弓美は頷いて次の場所へと零を案内する。急なもう一泊でてんてこ舞いになっている使用人達とすれ違うこともなく、二人は次の場所へと辿り着いた。
「いや、ここは……」
思わず零の眉が吊り上がる。
それもそのはずで、その場所は「女子トイレ」なのだ。残留思念を読み取るには扉を開けなくてはならないが、そこの残留思念を読み取るということはトップシークレット級のプライバシーを侵害するということである。
「───流石に、ちょっと……」
弓美も女子トイレの残留思念を読み取ることに思うこところがあるらしい。まだ視てすらいないのに、弓美は零を「汚いものでも見るかのような目」で睨みつけていた。
「いや、まだ視てないよ!? 何だかその視線が痛いんだけど!?」
「零は変態なの?」
「違うよ! ひどいな!」
どうやら弓美は人見知りする物静かなタイプではあるが、慣れてくると物静かながらも気さくにはなるらしい。その証拠にいつのまにか零のことを呼び捨てしている。
とはいえ、事件解明のためだからといって「実質、女子トイレを覗いた」となれば、弓美と零の仲もここまでだろう。どうにかして「女子トイレに入って何をしようとしているのか」を知らなくてはならない。
「あ、そうか」
零は閃いてピンク色の携帯電話を取り出す。それを見て、弓美はまたも目を丸くした。
「ガラケー? 可愛い色してるけど……」
「僕はこれを使わないと、残留思念との会話が出来ないんだ。逆を言えば、これを使うと残留思念は嘘を吐くことなく僕の問いに答えてくれる。というわけで……」
零は女子トイレの扉を開けようとする残留思念に片っ端から通話を掛けた。基本的にはやはり尿意・便意を訴えてここに来る残留思念だけだ。
「……悪趣味」
結局のところ、弓美は零を「汚いものを見るような目」で睨み、そして罵る。
「いや、他にどうしろと!?」
零も通話の合間に負けじと突っ込みを入れていく。そうして繰り返していくうちに、他とは違う用があってここへやってきた残留思念がいた。
(うん? あれは確か……焔ちゃん?)
鷺盛焔の残留思念はあたかも「普通にトイレへやってきた」という顔で女子トイレの扉を開けようとする。そこで零からの通話が入って、動きが止まった。
『何?』
「ごめん。ここへ何しに来たのかを聞かせてほしい」
『私が……妹になるの』
「え?」
『弓美の精神を食い潰し、そこに私の精神を入れる。そうすることで私は梓様の妹になれるの』
「…………」
賀詞交歓会で接した焔は敬語でお淑やかな話し方をしていた。別に珍しいことではないが、焔はああいった場で「淑女を演じていた」ということになる。
数々の残留思念を相手してきた零にとって、この光景は本当に珍しくないものだ。過去の事件においても重要参考人の実物と残留思念では話し方が大きく異なってることは多い。
そんなことよりも、零が注目したのは焔の目的だ。精神を食らっているというところまでは事前にわかっていた情報ではあったが、その先まで聞けたのは思わぬ収穫だ。
「驚いたよ。まさか、焔ちゃんも重度の中二病患者だったなんて」
『へえ、零さんもそうなんだ。ともかく私の邪魔をしないで』
「あ、待って」
そう言い残して焔は女子トイレに入っていく。思わず零はそれを追いかけた。