「恥を知りなさい」
本家三人が結束した直後、室内から襖へ向かう足音が聞こえた。襖を開けて最初に顔を出したのは梓でその表情は申し訳なさそうに微笑を浮かべていたが、続いて出てきた楔は零の存在に気付いていなかったのか、目があって驚いていた。
「…………」
少しばかり気不味いので零は会釈をしたが、楔はきつさが少し抜けた無表情で零の前を通り過ぎていった。
そんな母の姿を見た梓が困ったように笑う。
「ああ見えて、零さんには感謝してるんですよ?」
「そうかな? とてもそうには見えないけど……」
「すべてが終わったら、ちゃんと母にもお礼を言わせます。それより、先程打ち合わせさせていただきました通りの運びとなりますから、弓美が出てきたら行動を開始してください」
「うん、わかった」
「では、よろしくお願いしますね」
梓はスッと表情を当主のそれに変え、すぐさま大広間の方へと向かっていった。零は寒さに少し震えながらも、そのまま弓美を待つこと約10分。身なりを整えた弓美が出てきた。
「あっ、えっと……」
弓美は零に何と言ったらいいのかわからないようでモジモジしている。零が弓美を助けたのは、彼女が気を失っている間だ。何とお礼を言ったらいいのかわからないのも無理はない。
「弓美さん、改めてよろしくね」
「……うん、こちらこそ」
零は少し俯いて恥ずかしそうにしている弓美を「可愛い」と思った。同い年ではあるものの、歳下の女の子を見ているような気持ちだった。
しかし、ほっこりしているばかりではいられない。
「色々見に行く前に聞いておきたいんだけど、弓美さんは気を失う直前のことは憶えてる?」
「いつもの日課をやった後、部屋に戻っただけだから変わったことはなかったはず。何か見えたりってこともなかったし」
「成程。じゃあ、犯人は弓美さんの目の前ではなく遠隔で能力を発動したってわけだ。となれば、まずは会議の会場を見に行こうか」
「会議の場所? 分家の中に犯人がいると思ってる?」
「うん。可能性は高いと思うよ」
「どうして? 姉さんならともかく、私を狙う価値なんてないと思うけど……」
「価値がないというわけではないだろうし、使用人の中に犯人がいるなら、このタイミングではなく普段の中でやるはずだよ。あまり人がいない時の方が証拠とかを掴まれにくいだろうし。……ともかく、案内してもらえるかな?」
「ん」
弓美は頷いて先頭を歩く。ひたすら零はその後に続いた歩き出した。
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一方、梓が大広間へ向かうと分家諸君は一斉に梓を見た。何人かは梓に寄って色々と質問してきたが、梓も聖徳太子ではない。とてもじゃなく全ての声を聞き取ることなど出来なかったので「これから説明します」とたった一言で制した。
それから上座となる場所で立ち止まり、分家諸君の方を向いて指示を出す。
「皆様、大変長らくお待たせしました。弓美の体調はお陰様で元通りとなりましたが、今現在も原因や犯人がわかっておりません。つきましては、皆様にご協力をいただきたく、もう一晩当家に留まっていただくようお願いいたします」
梓が話している間、誰一人として声を発しなかった。そして話し終えた直後、数秒は誰も声を出さなかったが、しだいにヒソヒソと話をし始め、やがて大声で訴える者も現れた。
「お待ちください、梓様! 私達にも予定というのがございます。そんな急に留まれと言われまして困ります!」
「そうです、梓様! それは流石に……!」
一人の声が広まり、やがて方々からあれこれ聞こえてくる。そんな分家諸君を見て、梓は心底軽蔑した。彼らは表向きでは弓美を心配するような表情や言葉を出していながら、結局は自分が一番可愛いのだ。この場を制さなくてはならない立場ではあるが、騒ぎ出す大人たちへの軽蔑と失望で言葉が出てこなかった。
しかし、梓にとって予想外にも一人の老婆が前に出てきた。
「お前たち、少し黙りなさい!」
年齢に見合わず、力強い声でそう言ったのは鷺森霰だ。彼女もまた、梓を相手に色々と己の都合を訴えるだけの分家諸君に苛立ちを覚えていた。
「梓殿。孫の姿が見えませんが、どうしましたか?」
「零さんには今回の犯人探しを手伝ってもらっています」
「それを一晩でやると?」
「はい。零さんも可能だと仰っておりましたし、私も可能だと思っています」
「そうですか」
霰は梓に少しばかり優しい微笑みを見せた。それは梓や楔も憧れた「強く優しい者」の姿だった。幼き日に抱いた憧れを思い出し、梓の目頭が熱くなったが、それをどうにか抑える。
確認が取れた直後、霰は振り返って他の分家に向かい、言葉を放った。
「本家当主がたった一晩でやり切ると言っているんだ、たった一晩だぞ? どれだけの覚悟があってこれを言ってると思う? ───それに引き換えお前達は。本家当主とはいえ自分たちの子どもと歳が変わらない若者がお願いしているのにも関わらず、若者相手に自分たちの都合ばかりを押し付けおって……恥を知りなさい!」
どの分家当主も霰に何かしらを教わった経験がある。本家に集まるこのイベントは、今でこそ懇親と会議だけになってしまったが、かつて分家同士で技術の手解きや高め合いを行っていた歴史もあった。誰もが先生として仰いだ霰が怒ったのはかなり久しぶりのことだ。他の分家は霰に言われた言葉が胸に刺さったのか項垂れて黙り込んだ。
「───それでは梓殿、どうか頼みます」
「はい……! ありがとうございます、霰さん」
霰は梓の言葉に頷き、元々座った席へと戻った。それから梓は昼食を手配した旨を全員に伝え、届く予定となっている弁当の到着を待った。
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零と弓美は会議室の会場となった部屋へ辿り着いた。その部屋はフィクションで見るような「歴史ある和の家にある大きな座敷」のイメージと全く一緒だった。上座となる場所に本家が座り、分家は二列で向かい合って座るようなイメージだ。
「ここが会議室の会場?」
「うん、ここ。でも零さん、どうやって犯人を突き止めるつもり?」
「まあ、見てて」
この会場で求めていたことがわかれば良いが、そうでない場合はもっと色んな部屋を見なくてはいけない。それを考えれば、とてもゆっくり話すような時間はないので、はっきり答えることなく虚空をじっと見た。
すると、梓を始めとする会議の出席者達の姿が見え始めた。