「何が何だか」
「えっ? 弓美さん、霊力を感じ取れるの?」
弓美は無言で縦に首を振った。彼女に霊力を感じ取れる力があるのであれば、零も迂闊に自分のことを話すわけにはいかない。弓美に知られる分にはどうということもないが、弓美が梓に報告してしまったら厄介だ。
しかし、霊力を感じ取れる力があるにも関わらず、このような扱いを受けていることに対する疑問も零の中に浮かんでいた。
「うちは後継者にしか代々能力が備わらないって婆ちゃんから聞いたんだけど、本家は違うの?」
弓美は首を横に振った。
「零の言う通り。それは本家でも代々一緒。でも私は何故かこんな力がある……。こんな力、私にとっては迷惑でしかないけど」
「え?」
零はいきなり下の名前で呼び捨てされたことにも驚いたが(ただし悪い気はしてない)霊力を感じ取れる力が迷惑だと思っていることに驚きがあった。
弓美は少し投げやりな感情を表に出しながら言葉を続ける。
「こんな力持っていたって、姉さんみたいに有効活用できる術を学べるわけじゃないから。見えるだけって……見ているだけって本当に怖い。私一人では戦えないから、見えない振りをするしかない」
弓美は餌を食べ尽くし、更に餌を求めて口をパクパクさせる鯉達をじっと見ながらそんな不満を吐露した。しかし、隣にいるのは次期当主にすらなれない男なのだと思い出し、顔を見られないようにそっぽ向いた。
「……冷えるし、家の中に戻ろう? 会議が終わったら帰るだろうし、休んだ方がいい」
弓美はそういって中庭に通じる出入口に向かって歩き出した。零もそれに倣って歩き出すが、彼女に何か声を掛けてあげたいくとも言葉が見つからなかった。
それ程までに、彼女が抱く己の無力さに対する憤慨とこの世ならざるものに対して見えないふりをしなくてはいけない恐怖が零にも伝わったのだ。
室内に入って履き物を変えると、そこにはまだ弓美が立っていた。何かを思い出したかのようなら顔をしながら口を開いた。
「そういえば、その霊力はどういう力?」
「え?」
「人間のそれじゃない、この世ならざるものに近い霊力。零はどういう存在?」
「僕は普通の人間だよ。ただまあ、とある心霊スポットに入ったら呪われちゃったって感じなだけ」
「呪い? そう言われれば何となくそうっぽいけど、それにしては零に形を合わせてる」
「…………」
零にはいよいよ、弓美の言っていることがよくわからなくなってきた。
いや、むしろ弓美の言っていることは、事情を知らない人にしては「的確」である。確かに、鷺森露によって植え付けられたのは霊力そのものではなく苗のようなものなのだ。種と芽はこの世ならざるものの霊力だったとしても、そこから伸びた茎や葉や果実は紛れもなく零のものなのだ。
しかし、今の零には自分の状況と弓美の言っている表現を合わせるだけの理解力を持ち合わせていなかった。
零が黙ってしまったので、弓美は「余計なことを言ってしまった」と反省した。そこで弓美は零にぺこりと一礼してから「さっきから変な話をしてしまってごめんなさい」と早口で言った後、零の反応を待つことなく何処かへと消えて行ってしまった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
会議は無事に終わったようで、祖父に呼ばれた零が祖母の顔を見ると、そこには心から安堵した顔になっていた。
「婆ちゃん、会議前では考えられないほどに穏やかな顔をしてるね」
「うん。幸いにも、強大すぎるアレについて触れられなかったからな。しかし、昔よりはこの世ならざるものの数が減ったとはいえ、性質は厄介ならしい」
「性質?」
「……昔は霊障に対して除霊師を呼ぶことに抵抗がなかったが、今はどうも祓う者への抵抗感がすごいらしい。幽霊の存在は信じるくせに、除霊師の力を信じない。まあ、見る目もないから偽物に騙された結果、こうなってるらしいが……それはそれとして、今はアパートの一室とかそういう場所での出現が多いとのことで、なかなか手を焼いているらしい」
零はその話を聞きながら、いつぞやに見た先祖の残留思念を思い出した。今思えば、あの残留思念は雫のものだが、あのように依頼されていればかなりやりやすいだろう。
一方、現在は依頼されることの方が稀だと言うのだから、不法侵入するわけにもいかないし、その苦労は想像に難くない。
「それはそうと、零は何をしてた? まさか、おとなしく部屋に篭っていただけ、というわけではないだろう?」
「うん、まあね」
零が弓美と出会ったことについて話そうとした瞬間、扉をノックする音が聞こえた。
「ん、零。すまないが、出てくれ」
「ああ、うん」
祖母に頼まれて零が扉を開けると、そこには梓が立っていた。
「まあ、零さん! 霰さんのところにいましまのね。ちょうどいい、霰さん失礼しますわ」
特に霰の反応を待つことなく、梓は入っていく。霰の部屋は零の部屋と異なって和室になっている。霰が座っている座布団の前に梓が座り、改めて霰に一礼をした。
「霰さん、お願いがあって来ました」
「うん? 梓様がわざわざお越しに来られるとは珍しい。一体どのような?」
「実は……」
梓が話を切り出そうとした瞬間、急に廊下が慌ただしくなった。複数人が走ってくる音が聞こえ、霰の許可を得ることなく男性使用人の一人が扉を開けて中に入ると、梓の斜め後ろで片膝をついた。
「何事です?」
振り向いてそう言った梓の声と表情には凛々しさがあった。高校一年生とは思えない静かな強さは思わず零も見惚れてしまった。
「梓様! 弓美様が大変なのです!」
「弓美がどうかしましたか?」
「当然倒れられまして……。私共にも何が何だか……」
「…………」
梓は再び霰の方を向いて一礼すると。
「霰さん。すみませんが、お話はまた後で。何があるかわかりませんで、一緒に来ていただいてもよろしいでしょうか?」
「承知しました」
霰は梓にそう答えて祖父に目配せをし、祖父が頷くと同時に立ち上がった。特に指示を受けたわけではないが零も立ち上がり、4人は使用人の後に続いて弓美の元へ急いだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どうやら目的地は弓美の部屋らしい。客室とは違って昔ながらの襖ではあったが、ここまで来ることを許されている人間は限られている。
既に騒ぎを聞きつけた他の分家も集まっている。しかし、彼等にはどうすることも出来ないので室内に入ることなく、廊下で並ぶようにして「あーでもない、こーでもない」と意味のない議論をしている。そんな中、梓に続いて霰の姿が見えたので、意味のない議論は中断され疎に霰の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「霰さん……!」
室内には二人の母である楔が、畳の上で横たわっている弓美の近くで青ざめた顔をしていた。そこで霰が現れたので、ここ最近はキツい印象を受けさせる楔でさえ、少しばかり安心した声で霰の名を呼んだ。
「楔、何があった?」
霰が弓美の近くに座りながら問う。しかし、楔は首を横に振った。
「何が起きたのか私にもわかりません。突然、何かが倒れる音がしたものだからここへ様子を見に来ると、弓美が倒れていたんです」
「うーむ……」
零も祖母の陰から弓美の様子を見る。彼女は中庭で会った時よりも真っ白な顔をしていた。言ってしまえば「血の気を失っている」という状態に見える。出血もなければ殴打されたような跡もない。そして争った形跡すらないのだ。
霊的な何かによる現象が疑われているがしかし、霰にも弓美の身に何が起きているのかわからなかった。そこで振り返って祖父の顔を見ると、ただ一言「頼む」とだけ言った。
祖父は霰の横に座って、懐から一枚の札を取り出した。その札はクリスマス付近で沙菜が使っていたのと似ている。つまりこれは、祖父の生家である北見家に伝わる呪符の一つなのだ。
お肌を弓美の上に乗っけると、不思議なことにお札の紋様が馴染むように変わった。それを再び持ち上げてみると、祖父は目を細めた。
「これは……」
「何かわかった?」
「……少なくとも、病気や霊的な術によるものが原因ではない。だが、具体的な原因が何なのかは俺にもわからん」
「そうか」
鷺森家夫妻にもわからないのであれば、現在ここにいる誰にも解明することなどできない。しかし、それは一人を除いてだ。零には「もしかしたら」弓美の意識を奪ったものの正体がわかるかもしれないアテがあったが、自身の能力をバラすわけにもいかなかったので迷いながらも大人しく控えていた。