恋悟との勝敗
振り下ろされた妖刀に恋悟は反応し、武装型で桃色に染まった拳で妖刀を退けようとした。
接触した瞬間に爆ぜる。───と思いきや、武装型は強制解除され、目論見は失敗に終わった。
「え!?」
今度ばかりは流石に余裕がない。辛うじて一太刀浴びるのは避けられたが、ぶつけようとした右手は妖刀に斬りつけられた。
痛みは感じない。しかし、能力の発動が阻害されており、武装型の復活が出来ない。
「思っていたよりもやりますかね……」
「貰ったぁ!」
『黒零』は結果にあまり興味がなかったのか、そのまま攻撃を続ける。この一撃を普通に躱すには間に合わない。
「くっ……!」
流石に勝ち目がない。恋悟は残された左手で応戦することなく、幻影を呼び出してから踏み台にして飛び上がり、距離を取った。『黒零』の妖刀は恋悟本体を断ち切ることに失敗し、幻影を切り捨てただけだった。
「申し訳ないですが、思っていたより貴方達は手強かったですので退かせて貰いますかね。まだまだやられるわけにはいかないんですよね」
そう言って恋悟は詩穂達に背を向けて全力で逃げ出した。その逃げ足はかなり速く、詩穂達が全力出して追いかけても追い付くか怪しいくらいだ。
『黒零』は逃がすまいと走り出したが、すぐに転んでしまった。
限界が来てしまったということなのだろう。『漆黒』は全て剥がれ落ち、疲弊した零の姿へと戻った。
「逃げるな! 恋悟ー!!」
零が叫ぶ。追いかけるために立ちあがろうとするが、力が入らずにふらつく。詩穂はすぐに駆け寄って零を支えた。
「黒山さん! 僕のことはいいから恋悟を追うんだ! ここまでやって逃すわけには……」
「…………」
詩穂は少しだけ悩んだが、ボロボロの零を置いて恋悟を追い掛けることなど出来なかった。
零の顔を見て首を横に振った。
「今の鷺森君を置いて行けない」
「くそっ……!」
零は心の底から悔しさを感じた。それ程までに『恋愛』の成就を優先するばかりに青年の命を軽視した恋悟が許せなかったのだ。
その悔しさは詩穂にもよくわかった。彼の悔いを晴らす為なら恋悟を追いかけるのが正しいだろう。
しかし結局、零に戦わせてしまった時点で詩穂は既に悔いている。だからこそ、今ここで恋悟を追って倒すよりも、頑張った零を支えることの方が大事なのだと、詩穂は思ったのだ。
そしてすぐに零は気を失った。未だかつてない強力な力を使ったが故に、心身共に疲弊していた。
このまま零を連れて人通りに出るわけにもいかない。詩穂はすぐに連絡して迎えを呼んだ。
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恋悟は全力で逃げる。人通りの合間を縫って零と詩穂からどんどん離れる。
『黒零』には勝てない。恋悟は勝てない戦いを絶対にしない。彼は人々の『恋愛』を成就させることこそが使命だと信じて疑わないからだ。
決してやられるわけにはいかない。零と詩穂に再会することがないよう、またしばらくこの地を離れる必要があるだろう。
恋悟はそこまで考えていたが、ふと「嫌な予感」がして止まった。自身が向かっている先から「圧倒的強者」の気配が感じられる。
そしてその正体を目で確認出来た直後、恋悟は背筋が凍る思いをした。信じられないとばかりに彼を凝視し、その名を呟く。
「───神田川潤、ですかね……」
「ああ。初めましてだな『恋愛』の恋悟」
「何故、ここにいるんですかね」
恋悟はずっと潤と遭遇することを避けてきた。今回も『黒零』という想定外の強敵に出会ってしまったものの、潤には気を付けてきたはずだった。
「普段であれば、きっと俺とお前がこうして出会うことは無かっただろうな」
「…………」
「だが、俺の友達がお前を倒す為に頑張った。だから俺はあいつの努力が無駄にならないようにここへ来た。あいつに……零に目をつけられたのが運の尽きだったな」
「………!」
潤は能力を発動していない。自分に酔ってるとさえ思えるその語りを油断だと捉えた恋悟は逃走を再開しようとした。
───しかし、一歩踏み出そうとした直後から彼の記憶は途切れたのだった。
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「ん……?」
ゆっくりと目を開けた零は、目の前に知らない天井が広がっていて疑問を感じた。
驚きはない。というより、驚くほどの元気がまだ戻っていないのだ。
その天井は病院、或いは保健室のような清潔さを感じさせる雰囲気だった。
「起きたのかしら、鷺森君?」
「あ、黒山さん……いてっ!?」
起きあがろうとした瞬間、身体の至るところから激痛を感じた。それは戦闘中に受けた痛みと、普段使わない筋肉を使ったことによる筋肉痛だった。
当日でこの痛み。きっと翌日はもっと痛みを感じることだろう。まるで石化したようにさえ思える身体を起こすことを諦め、零は再びベッドで横になった。
「鷺森君、ごめんなさい」
「え?」
「結局、鷺森君を戦わせてしまった……。あれだけ言っておいて」
「…………」
零は詩穂から視線を逸らして再び天井を眺めて溜息を吐いた。
「僕は僕の意思で戦ったんだ。黒山さんは決して悪くないよ」
「……そう、ありがとう」
それは気休めのようなものだったかもしれない。それでもそれが零の本音だということは詩穂にも伝わっている。彼女は儚げな微笑を浮かべた。
そんな彼女を零は不覚にも「綺麗だ」と思ってしまった。元々美人なのだから当たり前なのかもしれないが。
「……ところで、恋悟はどうなった? やっぱり逃げられた?」
「いいえ」
詩穂が首を横に振る。どうやら零を運ぶ為に移動している間、情報が入ってきたようだ。
「神田川君が捕らえたわ。……鷺森君、予め彼を呼んでいたの?」
「いや? 確かに今日がその日だってことを伝えたけど、場所までは言ってないけどなぁ」
「いずれにせよ、恋悟の暴走はこれで終わるわ。私達の手で捕まえられなかったのは残念だけれど」
「そうだね……」
零は正直なところ『黒零』だった時の記憶があまりない。ただ、恋悟をあと一歩のところまで追い詰め、無我夢中で叫んだことは薄らと憶えている。
潤が捕まえたとはいえ、悔しさは残る。自分自身で恋悟との戦いが成り立たなかったのは、戦闘に対する不向きさを再認識させられる出来事となった。
取り敢えず、それは置いておくとして、だ。
「そういえば、ここは何処? 今は何時?」
恋悟と戦っていたのは夕方。時間によってはすぐ帰らないと祖父母が心配してしまうだろうと零は考えた。
「ここは、重度の中二病患者を取り締まる為に会議で使う場所。表向きは中高生の生徒が集まって交流を深める場所らしいけれど。ちなみに時刻は夜の8時くらいよ」
「えっ!?」
祖父母に連絡していない。きっとこの時間になっても帰ってないから心配していることだろう。零は急いで連絡しようと携帯端末を探し出した。
「安心して。お祖父さんとお祖母さんには神田川君が連絡してくれたわ」
「ああ、そうなのか……」
零の祖父母は潤のことをよく知っている。逞しく、真面目な人柄だから好印象を抱かれている。
そんな潤が言ったのだから、きっと祖父母は疑わずに信じたことだろう。零は一先ず安心して力を抜いた。
「今日はここでゆっくり休むといいわ。明日、動けるようになってるといいわね」
「うん、ありがとう。……黒山さんはこれから帰るのかな?」
「ええ。……?」
零は普通に詩穂を見送るような雰囲気ではなかった。それが詩穂にとって疑問だった。
「えっと、何か?」
「いやほら、僕はここの勝手がわからないから、どうしたらいいのかわからなくってさ」
「成る程。それもそうね……」
詩穂の脳裏に母の姿が浮かんだ。詩穂の前で無理に笑う母の姿。少しばかり、帰宅することが躊躇われた。
その躊躇いはやがて大きくなり、顎に手を当てながら頷いた。
「わかったわ、今夜は私もここにいるから、何かあったらすぐに教えて」
「え……ありがとう!」
心の底から感激されて言われたお礼を詩穂は少し照れ臭く感じたのだった。
読んでくださりありがとうございます。夏風陽向です。
今回の展開は今作を書き始めてからずっとこうしようと思っていました。零はそこまで強くないので。
しかし、当初考えていたよりかは武闘派になってしまいました。軌道修正せねば……!
それではまた次回。来週もよろしくお願いします!