存在しないも同然
本家についての話はそれで打ち止めではあったが、霰の話が終わったわけではない。今の零は本日の予定を何も知らないのだ。
「話は変わるが、零」
「ん?」
「今日は年に一回の集まりということで、当主の会議がある。これは当主と伴侶、それから場合によっては次期当主も参加することになる。まあ、恐らくはどの家も次期当主を据えてるから、殆どが出席になるだろうな」
「そうなんだ。それってどれくらい掛かるの?」
「うーん、時と場合によるな。何かしら解決が出来ていない案件があると、どうしても会議は長引く。……そういった意味だと、すぐには終わらない懸念もあるな」
霰が深刻そうな顔をする。夏に本家が来た際、彼女らが感じていた「大きなこの世ならざるものの気配」について、何の進展もない。鷺森家当主の力は澪に引き渡してしまったので今の霰では解決のしようがないし、零ではまだ太刀打ちが出来ないだろう。
そもそも、あの雫でさえ敵わなかった存在が相手なのだ。零では何年頑張ったところで倒せないだろう。
「婆ちゃん?」
突然黙るので気になった零が声を掛ける。可愛い孫の顔を見て、霰は笑みを浮かべた。
「ああ。そういうわけだから、会議が終わるまでは自由に過ごすといい。せっかくだから、本家を探索してみたらどうだ?」
「え?」
それは零にとって意外過ぎる提案だった。小学生くらい小さければともかく、高校生が他人の家でウロチョロしていたらそれは失礼になるだろう。
「婆ちゃん、それって本家の人に怒られない? ただでさえ、僕は男で次期当主になれない立場なのに」
「何、構いやせんよ。むしろ、鷺守家の歴史に触れる良い機会だろう。見られてはいけない部屋だなんて、会議が終わるまでには辿り着けやせん」
祖母の言うことももっともだ。本家は広過ぎて迷子になりかねない。それこそ、貴重なものを探そうと思えば日が暮れてしまうほどだろう。ただ、零にはそんなものに微塵の興味もないが。
「わかったよ。もしかしたら、他の家の子とまた話ができるかもしれないしね」
零が頷くと霰も頷いた。霰は一応、後で梓に「零が探検する旨」を伝えておくことにした。
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朝食を終え、零の自由時間が始まった。歯を磨いてから、部屋の窓を開けて中庭の様子を見る。部屋はエアコンで暖かいが、窓を開けて入ってくる冷たい空気は一気に部屋の気温を下げたような気がした。大して楽しめる要素もない中庭ではあったが、零はそこへ行ってみることにした。
中庭へ至る道はそんなに複雑ではない。むしろ、昨日この部屋に案内される途中で見かけたので、ただそこへ向かうだけのことだった。
零にとって残念なのかどうかは微妙なところだが、分家の子どころか、分家の当主夫妻とさえすれ違うことがなかった。一方、どうやら家政婦たちも仕事を始めているようで、すれ違うたびに止まって会釈をしてくるので零は軽く会釈するくらいに少し恐縮した。
中庭へ出るためには靴が必要になるかもしれないと思ったが、扉の横に下駄箱があり、そこにはサンダルがいくつも収められていた。どうやらそれを使って中庭へ出るようだと判断した零は、そこからサンダルを取り出して扉を開け、外にサンダルを置いて履くと、扉を閉めて中庭へ入っていった。
「ん?」
零はてっきり、ここにいるのは自分だけだと思っていたのだが、池の近くに女の子がいる。おおよそ鷺盛焔と同じくらいの背格好をした女の子だ。零に対して背を向けているので顔までは見えないが、黒髪のショートヘアで白いダウンジャケットを羽織り、下は黒いショートパンツではあったが、黒いレギンスを履いているので、しっかり寒さ対策がされていた。
零は気まぐれにその子へ話しかけようと歩みを進めるが、中庭の構造上、どうしても背後から寄るような格好になってしまう。落ちていた木の小枝を偶々踏みつけてしまい、折れた音に驚いて女の子が振り向いた。
「───っ!」
声にならない悲鳴を聞いた気がした。しかし、驚いたのは彼女だけでなく零も一緒だ。何故なら彼女の顔は本家の当主である梓とよく似ていたからだ。
「あっ、えっと。おはようございます。いい朝ですね」
零は「何か言わねば」と焦ってしまい、くだらないような挨拶を口走ってしまった。女の子の方も「おはようございます」と返してくれたが、その声は小さく、下を向いていた。
零は更に歩みを進めて女の子の横に並ぶ。そして池を見下ろすと、そこには女の子に近付く鯉が6匹ほどいた。
女の子は持っていた袋から粉々になった何かを取り出すと、池に向かって静かに撒く。鯉はそれに反応して口の中に含んだ。
「餌やり?」
零が尋ねると女の子は首を縦に振った。どうやら人見知りする性格らしい。顔こそは梓に似ているが、性格は全くと言っていいほど違っていた。零は彼女に許可を得ることもなく、餌やりをする姿を眺めていた。
やがて女の子の動きが止まると、零に向かって一つのことを問う。
「会議は?」
「会議? ああ、僕は次期当主ですらないから、そこにはお呼ばれしてないんですよ」
「次期当主じゃない? ……なのに、どうして?」
女の子はそう呟いたが、すぐに答えを導き出したようだ。
「じゃあ、貴方が姉さんの言っていた、鷺森零……?」
「ああ、はい。僕が鷺森零です」
名前を知られていたのが気恥ずかしく、零は右手で自分の後頭部を掻きながら自己紹介をした。すると、女の子は零に向かって一礼すると自己紹介を返す。
「私は鷺守弓美。当主、梓の妹……です」
「妹さん? 本家当主様に妹さんがいたとは初耳でした。失礼ですけど、年齢は?」
「私の?」
「……? はい」
「16です。今年、17」
「ん? 僕と同い年……ってことは、双子!?」
「はい……」
零にとってその情報はかなり驚きだった。双子とはいえ、梓の方が姉だから当主になったということなのだろうか。では目の前にいる弓美はこの家にとってどういう立ち位置なのか、零は気になった。
しかし、弓美の方も零という存在が気になっていた。零が質問するよりも早く、弓美は口を開いていた。
「あの……」
「ん?」
「零さんは……次期当主じゃないのに、どうしてここへ?」
「えっと? お姉さんから何も聞いてない?」
「はい……。姉さんからは、霰さんのお孫さんを呼んだという話ししか聞いてませんから……」
「うーん、僕もその辺はよくわかってないけど……」
零の脳裏には昨晩のやり取りが浮かんでいた。話の中身は別に特別伏せることでもないような気はするが、本家当主である梓が夜中に分家の次期当主でもない男の部屋を訪れたという話は、彼女のために伏せておくべきだと思った。
「弓美さんは、この家だとどういう立場? 弓美さんこそ会議に出なくて大丈夫なの?」
「…………」
その時、弓美は小さく溜め息を吐いた。もしかしたらそれは単に息を吐いただけなのかもしれないが、零には溜め息を吐いていたように感じた。
「私は妹なので……。しかも、双子だから……」
「双子だから、何かあるの? ごめん、僕はその辺あまり詳しくないから」
「昔、双子の誕生は良くないことだったんだって。妹の方を殺してしまってたらしいんだけど、今はそこまでのことはしない」
零がタメ口で話すので弓美もタメ口で話すことにした。その点ではある意味、姉の梓より仲良くなりやすいと零は思った。しかし、話の内容があまりに残酷な話なので、少しばかり零は震えた。
「本当かどうかはわからないけど、今はそんな風習がないことに安心したよ。じゃあ、弓美さんは次期当主じゃないんだ?」
「うん……。だから私は、ここだといないのも同然……」
鷺守弓美という一人の女子高生としては、世間も認知してくれるだろう。しかし、鷺守家における彼女の価値は無いも同然なのだ。それは当然、両親からの扱いにも差がある。
「次期当主じゃないって点では僕も一緒だよ。分家の次期当主達は僕のことを歓迎してくれたけど、珍しいからってだけだと思うんだよね。僕も正直言って、少し居辛いよ」
弓美は驚いたように零の顔を見上げた。分家は遠い親戚であるものの、弓美自身はその親戚と関わる機会すらない。同年代の子達もいるなかで、彼女はずっと隔離されており、本音を語れる相手がいない。
そんな中でも、零という存在は初対面であるにも関わらず弓美に本音を語ったのだ。しかもその家の人間に。鷺森零という思わぬ存在は、弓美にとっても少しばかり異質な存在となった。
しかし───。
「でも、零さんには霊力がある。他の人とは違う、ちょっと良くない種類の霊力だけど」
今度は零が驚いて弓美を見下ろした。