本家の大浴場
すみません、間に合いませんでした……。
他の分家の次期当主達は、もはや毎年の顔馴染みということもあって、やはり零の異質な存在が気になっていたようだった。質問攻めに遭う零にとっては本当に疲れるものではあったが、場の雰囲気が悪さしているからなのか比較的心地の良い感覚だった。
しかし、それでも零にとってやはり一番関心があるのは本家当主である梓だった。彼女の方をチラリと見るが、分家の当主達が変わる変わる彼女の元へと出向き、なかなか解放される兆しが見えなかった。
だから零はここに集まる同世代の女子達に訊ねてみることにした。
「あの、えっと。本家の当主って皆さんから見てどんな人?」
「…………」
零からの質問に全員の目が点になった。そんなこと考えるまでもなく、梓の言動を見聞きした人なら誰にでもわかることだからだ。
それぞれキョロキョロして目を合わせた後、焔が代表して答えた。
「梓様は相手が一人だろうと全体だろうと、態度を全く変えない方です。ご覧の印象をそのまま信じて良いものだと思います」
「皆さんは本家当主とお話されたことは?」
今度の質問には誰もが頷き、首を横に振るものはいなかった。焔が上品に笑いながら追加の回答をする。
「梓様も元々はこの輪に入っていました。あの時もよくお話をさせてもらいましたが、変わらず優しいお方です」
各々共感の言葉を並べる。今のところ焔が率先して零の質問に答えているが、彼女がこの中で一番上で中心だというわけではない。零や梓よりも歳上に見える女子……というより女性もいる。
「でも立場があるってのは大変だよね。まさかこんなに早く本家の当主を継ぐだなんて思ってなかった」
梓を憐れみながらも尊敬するこの女性こそ、この中で一番年上だった。梓は神のように崇められている存在に対し、この女性は皆の姉のような存在だった。正直、彼女らの雰囲気は零にとって予想外だ。
「こう言っては何ですが、皆さんもっとギスギスしているもんだと思ってました」
「え? そりゃなんで?」
姉のような存在である女性が不思議そうに問う。しかし、余程零の方が不思議そうな顔をしていた。
「祖母に聞いた感じだと、分家同士はあまり仲の良さそうじゃなかったから。親戚というには何か余所余所しい感じがするし」
零の話を聞いた女性達は皆目を丸くしてお互いを見る。そして皆一斉に笑った。
「ははは! まあ、確かに大人達はそうかもしれないけど、私達はこんな感じだよ」
「それでも零さんの言う通りだと思います」
女性達は笑いながら、親達の様子を見る。笑顔で接し合っているものの、どこか他人行儀なところを感じる。それはまるで、他人を相手するパーティのようでもあった。子供達はそんな大人達にうんざりしているようでもある。
「あ……」
誰かの声が聞こえた。その瞬間、ここに集まる子供達は皆一斉に圧倒的存在感を出している人物を見た。本家当主である梓がいつのまにか席を離れてこの場所へ来ていたのだ。
「皆さん、改めて明けましておめでとうございます」
梓が挨拶をすると、皆が一斉に頭を下げて年始の挨拶を返す。挨拶を返された梓の表情は少し複雑そうだった。
「そんなに恐縮されると、返って困るのですが……。今年も皆さんと無事にお会いできて良かったです」
皆が梓に心酔している。ある者は誰が見てもわかるほどに見惚れて「うっとり」していたが、零だけは明らかに反応が異なっていた。それに気付いてなのかは梓のみぞ知るだが、梓は零の横に立って零をじっと見る。
「えっ、あの……」
「零さん、明けましておめでとうございます。……というより、初めましての方が正しいでしょうか?」
「あ、その、明けましておめでとうございますと、初めまして。鷺森零です」
「ええ、存じております」
梓は口を押さえて上品に笑う。そんな彼女の姿を見て、零は思わず後退りしてしまった。
「ふふ、失礼しました。改めてよくお越しくださいました。零さんは後継者でないにしても、霰さんのお孫さんであり、そして澪さんの一人息子。いつかこうしてお呼びしたいと思っておりました」
「あ、そうなんですか。お招きありがとうございました」
「ふふ、いいえ。さーて……」
梓はそう言って集まっていた女性達一人ひとりを見てから元気そうにとある号令をかけた。
「お話しが尽きないのはお察ししますが、お料理が冷めてしまいます。フードロスの観点から残されるのは好ましくありませんので、皆さんお料理を召し上がってください」
「「はーい」」
女性諸君は食事よりもお話を優先したかったようで若干不満そうに返事をしたが、梓の言うことに逆らうつもりもない。無邪気な子供達が去っていくようにバラバラに散っていくと、零も祖父の横に一旦戻ろうと足を踏み出した。
「あ、零さん」
「はい?」
梓に呼び止められたので振り向く。すると梓が急接近して零に耳打ちした。
「今夜、お部屋にいてくださいね」
「え?」
梓はにっこりと笑みを浮かべてから上品に元の席へと戻っていった。零は思わずのぼせて目が回りかけたが何とか踏ん張る。言葉は聞き取れたが、どういう意味なのかはわからない。心臓の鼓動が高鳴るのを感じたが、零は再び歩き出した。
席に戻ると、祖父母も料理を食べ始めており、目の前に座っている焔も急いで食べていた。席に座った零を見て霰がにこりと笑う。
「零」
「え、何?」
「仲間に入れてもらえて良かったな。焔ちゃん、ありがとうね」
霰に感謝されたことに驚いた焔は立ち上がって霰に礼をした。焔の顔はかなり恐縮していたようであった。
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豪勢な夕食を苦しくなるほど食べた後、零は一度部屋に戻り、すぐに入浴の準備をして祖父母と一緒に大浴場へと向かった。もちろん、倉敷の案内についていって、だ。
部屋はビジネスホテルの一室くらいはあっても、流石にユニットバスまでは備えていない。男女で分かれているがトイレと風呂は共用であり、大浴場に至っては温泉だった。
倉敷の話では、鷺守家の家はかつてとても強力な怨霊からとある温泉宿を助けたことがあり、そのお礼に譲られた温泉宿こそが現在の本家なのだという。無論、長い歴史のなかで増改築は行なっているが。
そして零は祖父と並んで風呂に浸かっていた。
「零、初めての本家はどうだった?」
「ん? んー、思っていたより平和って感じだったかな」
「平和?」
「うん。なんかもっとギスギスしてるもんだと思ってた。時期当主達の話によると、大人達はそうなんだけど子供達の間ではそういうのは無いって言ってた」
「そうか。まあ、今の子達は少し特殊よな」
「特殊?」
「ああ。婆さんの話では、昔はあんなに自由じゃなかったらしい。むしろ今の子が自由過ぎて自重を知らないって言っておった」
「なるほど、そりゃ婆ちゃんにとっては特殊に見えるわけだ」
霰の性格を考えれば、その発言にも納得できる。ただし、零は今の時期当主達の振る舞いは悪いことでは無いと思った。
納得は出来るが理解は出来ない。零がそんなことを考えていると、祖父は零を見て微笑んでいた。
「何? ニヤニヤして」
「いやぁ? モテモテの零が少し羨ましかっただけ」
「モテてないよ。僕が例外的に呼ばれたから、物珍しさだけでしょ」
「確かにそうかもしれんな。でも、女の子の友達が増えていいじゃないか。正確には遠過ぎる親戚だが」
「あんまり親戚って実感はないけどね」
零はそう言って立ち上がった。祖父は比較的長風呂する性格だが、零は長風呂が出来ない。祖父を置いてそのまま脱衣所へと歩いていった。